第14話 説明できる人
水曜日の午後。買い物帰りの矢野晴香は、古い二階建てアパートの前で足を止めた。不燃ごみと小型金属の補助便が来ており、通路を収集車に塞がれていた。
可燃ごみのような強烈な臭いこそないものの、作業員にとっては常に緊張を強いられる時間帯だった。袋の中に使いかけのスプレー缶や、充電式のリチウムイオン電池が紛れ込んでいれば、パッカー車の回転板に巻き込まれた瞬間に発火や爆発を起こす危険があるからだ。
集積所では、青木修が中身の見えない分厚い紙袋を両手で持ち上げた。その瞬間、底の方でカチャッと硬い音が鳴った。
「森川くん。これ、駄目です。止めて」
修は袋を元の位置に戻し、隣にいた森川湊に短く指示を出した。
「えっ、何が入ってるんですか? 紙袋だから中身見えませんけど」
森川が袋を覗き込もうとするが、修は首を横に振った。
「音が硬いし、重さが偏ってるから。たぶん、ライターか何か」
「音が硬いって……それだけで分かるんですか?」
「うーん……」
修は困ったように眉を寄せ、手袋の汚れを見つめた。
「とにかく、嫌な感じがするから。危ないのは入れちゃ駄目です」
若い作業員は少しだけ考え込み、紙袋には触れずに、修が持ち上げたときの手の位置を指で示した。
「青木さん。これ、持ち上げたときに底の方で直接金属がぶつかるような、硬い音が鳴りましたよね」
「はい。カチャって」
「それに、持ち上げたとき、右手の方だけ下がってた。紙袋全体じゃなくて、一箇所にだけ重いものが固まってる感じだったから、スプレー缶みたいな大きな筒状のものじゃなくて、もっと小さくて密度の高い金属……オイルライターとか、乾電池がごそっと入ってる可能性が高いってことですよね?」
森川が順序立てて言葉にすると、修の顔がパッと明るくなった。
「ああ、そうです。それです。森川くん、説明うまいですね」
「いや、青木さんの感覚を翻訳しただけですよ」
森川は少し照れくさそうに笑いながら、紙袋に赤い残置札を巻き付けた。自分の頭の中で他人の曖昧な感覚を整理し、順序立てて「説明する」という作業が、意外と苦にならないことに森川自身も気づき始めていた。
晴香はブロック塀の陰で、スーパーのレジ袋を提げたまま二人のやり取りを聞いていた。
先日、集積所で「数字が多いからテストが嫌い」と、子供のような理由を平然と口にしたあの作業員だった。
晴香は彼を、勉強ができず、考えることから逃げた人間だと決めつけていた。
紙袋の中身は見えなかった。それでも修は、森川より先に手を止めた。理由をうまく言えず手袋の汚れを見ていた修は、森川の説明を聞くと何度も頷いた。
晴香は、スーパーのレジ袋の持ち手を強く握りしめた。
森川は赤い残置札に、回収できない理由を書き込んでいる。
晴香は、その紙袋と、森川の説明に頷く修を交互に見た。
その姿を見た瞬間、晴香の脳裏に、ダイニングテーブルの隅に追いやられていた、息子の大輝の『点数内訳表』がフラッシュバックした。
帰宅した晴香は、冷蔵庫に食材を突っ込むのもそこそこに、ダイニングテーブルへと向かった。
積まれたチラシの下から、大輝の公開模擬テストの結果用紙を引っ張り出す。
相変わらず、右上に赤く書かれた『五十二』という総合点と、低い偏差値が目に入ってくる。これまでは、その数字を見ただけでパニックになり、「なんでこんな点数なの」「もっと勉強しなさい」と精神論で息子を追い詰めることしかできなかった。
だが、晴香は深呼吸をして、その下にある『点数内訳表』の項目一つひとつに、ゆっくりと目を落とした。
『計算問題:二十七点/三十点』
『図形問題:十八点/三十点』
『長文読解(条件整理):七点/四十点』
数字の羅列が、初めて明確な意味を持って晴香の頭に入ってきた。
大輝は、単純な計算を処理する力はある。図形も、全てができないわけではない。
彼が躓いているのは、長い問題文の中から必要な数字や条件を拾い上げ、式にするところだ。
晴香は赤ペンを取り、内訳表の余白に書いた。
『計算:できている』
『図形:半分以上』
『文章題:ここ』
晴香はスマートフォンを取り出し、検索ブラウザを開いた。
大輝が今通っている、競争の激しい集団指導の大手塾ではなく、個人のペースに合わせて指導してくれる個別指導塾のサイトをいくつかピックアップする。
晴香は内訳表を横に置き、家から一番近い個別塾の無料相談フォームを開いた。長文読解の欄を見ながら、テキストボックスに文字を打ち込んでいく。
『小学五年生の息子についてご相談です。計算問題は得意で九割近く取れるのですが、文章題から条件を整理して式を立てるのが極端に苦手なようです。この部分(文章からの条件抽出)を重点的に指導していただくことは可能でしょうか』
晴香は送信ボタンをタップした。画面に『送信完了』の文字が表示される。
送信完了の下に、無料相談の候補日時が三つ表示された。晴香は大輝の習い事と重ならない日を選んだ。




