連合軍の反攻と日本側の防御準備
1943年12月、日本の防衛線の一角であるタラワが激戦の後に陥落したことは、日本の軍上層部に大きな衝撃を与えた。特に連合艦隊の主力まで出撃したにも関わらずの救援失敗は、島嶼戦の難しさを浮き彫りにするものであった。
また、いよいよ連合軍(特に米軍)がその圧倒的な工業力をバックにした新戦力を投入し始めたことも、明らかとなった。
この内2万7千トン級「エセックス」空母が短期間に複数就役したこと、また日本の零戦をも上回る性能を有するF6F艦上戦闘機の実戦投入も脅威であった。
もちろん、日本海軍はこれに対抗する形で改装空母の改装完了と実戦配備を急がせると共に、新鋭艦上戦闘機「烈風」や艦上攻撃機「流星」の開発を急いだ。
ただし、島嶼部の維持は特に補給線の問題から、日本の国力的にかなり厳しいものであり、またこのことを予期してトラックやラバウルの要塞化が進められていたため、ここで大本営は思い切った手に出た。
ソロモン諸島は段階的にガダルカナル→ブーゲンビル→ラバウルと防衛線を縮小することとし、そのかわりラバウルを拠点として、東部ニューギニアとニューアイルランド島を絶対保持する方針として、航空機に潜水艦、駆逐艦による撤収を開始した。
中部太平洋方面もまた同様で、主要な飛行場であるクウェゼリン以外のマーシャル諸島は実質的に放棄し、場合によってはクウェゼリンからも撤退し、トラック要塞とマリアナ諸島を後方拠点とした防衛線の構築を急いだ。
また北方においても、千島列島の最北端である占守島の防備が固められるとともに、千島列島から北海道に掛けて、新たな飛行場の建設も進められた。北ルートでの米軍接近に備えるものだった。
一方対する米軍も、ソロモン諸島からとマーシャル諸島方面の二方面から攻め上げつつ、上陸地点を絞り、不要な場所は放置する飛び石作戦を計画していた。
ただし、タラワの戦いで新鋭の「エセックス」級空母があっさり撃沈されたことや、日本側陣地の頑強さや高い戦闘力などから、充分な戦力の集積と偵察を事前に行うこととし、その作戦発動は1944年2月となった。
そして1944年2月16日、連合軍は中部太平洋ならびにソロモンへの同時攻撃を開始した。
しかし、その推移は対照的になった。
と言うのも、米軍側はマーシャル諸島においては、日本側の巧妙な擬装や偽通信に引っかかり、クウェゼリン以外の各島嶼にも兵力があると疑い、そのため上陸前に徹底的な空襲と艦砲射撃を行ったが、いずれも日本側は残置の小兵力(主として偽通信と観測を行う数十名規模)しかおらず、その兵力も米軍の空襲が始まると近海に潜んでいた輸送潜水艦に収容され、撤退していた。
このため、これら無人の島嶼への上陸作戦に関して言えば、米軍は無駄に弾薬と時間を浪費しただけに終わった。それどころか、付近に配置された潜水艦やクウェゼリンからの空襲で、多少なりと損害を被ることとなった。
一方ガダルカナルは、撤退方針が示されていたものの、島が大きく縦深があることから、それでも飛行場は稼働しており、守備兵力も1万近い数が置かれていた。
加えて途中のブインなどを経由して、ラバウルからの援護を受けやすいという強みや、第八艦隊が健在なのも大きかった。
しかも、この方面を担当したのは陸軍のマッカーサー元帥に率いられた部隊で、海軍も空母を派遣していたが、いずれも小型低速の護衛空母であった。
その結果、ガダルカナルの戦いは激戦となった。
上陸前の段階から、熾烈な航空戦と海戦が展開された。
この時上陸支援の米艦隊には戦艦がなく(全て中部太平洋方面に取られた)そのため英海軍を拝み倒してR級戦艦の「リベンジ」を配置し、旧独戦艦2隻を配置する第八艦隊に対抗した。
ここに、英独戦艦対決が発生した。所謂第二次ソロモン海戦である。
結果から言えば、艦隊同士の戦闘は双方痛み分けに終わり、英側は「リベンジ」が中破、対して第八艦隊も「壱岐」「石見」ともに被弾したが致命傷とはならなかった。巡洋艦以下の損失も互角と言えた。
ただしその後「リベンジ」は、ガダルカナル島から後退中に日本の潜水艦「伊16」によって撃沈された。また「壱岐」と「石見」も帰投中に米潜水艦の魚雷を1本ずつくらい、日本本土への回航を余儀なくされた。
その後3月になってようやく連合軍が上陸を開始したが、上陸後も日本側の反撃に遭い、同軍が飛行場を占領できたのは4月になってからで、さらに占領後も日本側の抵抗は続き、結局完全占領を宣言したのは5月になってからであった。
その間に護衛空母2隻、戦艦1隻、巡洋艦7隻、駆逐艦5隻が喪われ、上陸した部隊の死傷者も5000名を突破した。
対する日本側も巡洋艦4隻と駆逐艦6隻を喪い、守備隊に2000名以上の死傷者を出したが、夜間の駆逐艦輸送や潜水艦輸送によって撤兵を完了した。
このガダルカナルの苦戦は、米軍の二正面からの反攻に深刻な疑義を生じるもので、さらにそれぞれの司令官であるニミッツ大将とマッカーサー元帥の対立を押し広げることとなった。




