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インド洋通商破壊戦とガダルカナル攻防戦

 さて6月に計画されていたミッドウェー攻略作戦が中止されたことで、日本海軍は次期作戦をどうするか、至急の対応を求められた。と言うのも4月に米空母から発艦したB25爆撃機による本土空襲を許し、国民の士気に影響を与えたため、戦意高揚のためにもどこかで勝利が必要であった。


 とは言え、本格的な攻略作戦を行うにはあまりにも準備期間が短すぎ、かといって艦隊決戦を求めたところで、米側が残る貴重な空母を安全なハワイから出す可能性は低かった。


 そこで、日本海軍が目を付けたのは4月に機動部隊による攻撃を行ったインド洋であった。


 この方面には、まだ英東洋艦隊の艦艇の多くが健在である一方、英側は有力な航空機動部隊を有しておらず、周辺地域の航空兵力も脆弱と見られていた。


 またインド洋はオーストラリアやインド、中東地域と大西洋、地中海方面を結ぶ航路があり、多数の商船が行き交っていた。その中には当然軍需物資の輸送船も多くいた。盟邦ドイツからも、インド洋の交通破壊を求められていた。


 そこで日本海軍は比較的余裕のある旧式戦艦、鹵獲戦艦に巡洋艦戦隊と商船改造の低速空母を動員して、インド洋における交通破壊、さらに余力があれば沿岸港湾への艦砲射撃を目論んだ。


 軍艦に比べれば商船の撃沈や港湾襲撃はインパクトに欠けるが、それは数で補う。また盟邦ドイツへの顔も立てられ、あわよくば米海軍戦力の誘引にもなるかもしれない。一石三鳥を狙った作戦であった。


 こうして、新たに各艦隊から抽出した戦力でインド洋派遣艦隊が編成された。これらは通商破壊戦を行うので、まとまっては行動せず、4~5隻程度の戦隊レベルでの遊撃戦を行うこととなり、7月15日にシンガポールを出港、マラッカ海峡ならびにスンダ海峡を抜けてインド洋へと繰り出した。


 この作戦、途中動員部隊の交替や補給などによる後退があったものの、8月中旬まで継続され、最終的に日本側は連合軍艦艇5隻、商船23隻を撃沈し、商船4隻を拿捕し、5カ所の港湾に艦砲射撃を加えるという、マズマズの戦果を挙げている。


 日本側の損害は潜水艦1隻撃沈と、損傷艦艇7隻(航空攻撃と触雷による)であり、戦果に対して損害は僅少と言えた。


 純軍事的に見れば、戦果も損害も際立つものではない。強いて言えば、拿捕艦船のうちの2隻が日本にとっては貴重なタンカーだったくらいだろうか。


 しかしこの作戦では、従軍報道部隊が各艦艇に乗艦、殉職を出しつつも多くの画像の撮影ならびに録音に成功し、その様子はニュース映画となって日本国内で上映され、もう一つの目的である戦意高揚にも大きく役立てられた。


 また戦略的にもこのインド洋での作戦の結果、連合軍は必然的にインド洋方面に戦力を回さざるを得なくなり、ソロモン方面で予定されていた米軍の反攻作戦も2ヶ月の遅延を余儀なくされた。


 この時期正規空母の不足に悩んでいた米国は、英国から「ヴィクトリアス」のレンタルを希望したが、これが不可能となり、やむなく商船改造空母を作戦に組み込む非常手段を執ることとなった。


 こうして1942年10月初旬、日本軍がサモア、フィジー方面への進出の足場として整備したガダルカナル島の飛行場を奪取するべく、米機動部隊ならびに攻略部隊が同島と隣のフロリダ島ツラギの日本軍基地に襲いかかった。


 この時ガダルカナルのルンガ飛行場は初歩的な作戦能力を手に入れたばかりの段階で、展開していたのは基地防空用の零戦30機あまりと、近距離哨戒用の少数の艦爆ならびに艦攻だけであった。


 他にツラギとルンガ泊地に水上機基地があったのみで、圧倒的な米軍を迎え撃つには戦力が不足していた。


 それでも、三つの基地から発進した零戦と水上戦闘機、さらには空戦能力を持つ水上観測機までもが防空戦闘を果敢に展開し、米軍機20機あまりを道連れにしたが、数の暴力の前に全滅した。


 残る稼働機はやむなく、ブインなどの後方へ退避し、ガダルカナル島の制空権は1日で失われた。


 翌日制空権の奪取完了を持って、海兵隊1個師団が上陸を開始した。対する日本側は飛行場守備の海軍陸戦隊と、陸軍がラバウル方面より分派した1個大隊のみであり、やむなく飛行場周辺に陣を築いて、救援を待つ態勢へと移った。


 一方日本側は当初これが本格的な反攻なのか、一時的な威力偵察なのか判断に迷ったが、偵察機からの報告で、敵艦隊が空母を7隻(うち商船改造空母4隻)と戦艦4隻を引き連れていることなどから、本格的な反攻と判断。


 日本海軍はラバウルならびにブインからの基地航空隊による攻撃を開始すると共に、連合艦隊司令部命によってラバウルの第八艦隊と、この時トラック島に進出していた第一、第四航空戦隊(第二と第五航空戦隊は本土で訓練・整備中)が出撃した。


 また機動部隊援護名目で連合艦隊旗艦「大和」を含む第一戦隊を主力とする本隊も出撃した。


 戦場に一番早く到達したのは、ラバウルから出撃した第八艦隊であった。そしてこの時、第八艦隊にはインド洋での作戦を終了後、転属してきた「石見」と「壱岐」もいた。


 2隻は一端本土に帰還後。短期間ドック入りして電探の搭載や、機銃の増設を行ったうえで第八艦隊に加わっていたのであった。


 この時出撃した第八艦隊は2隻を含めて戦艦2,重巡5、軽巡4、駆逐艦3隻からなっていた。このうち軽巡にはフランスから接収後、改装・編入した元「ラモット・ピケ」こと「天塩」が含まれていた。


 皮肉なことに、独仏の艦艇が日本海軍艦艇として共同戦線を貼ることとなった。


 一方、この第八艦隊の迎撃に出動したのは米豪連合艦隊で重巡6,軽巡3,駆逐艦5からなっていた。


 日本側に巡戦が含まれているのに戦艦の出動がなかったのは、この時米艦隊に含まれる戦艦のうち「ワシントン」と「ノース・カロライナ」は空母の護衛としてガダルカナル東方に離脱しており、そして「サウス・ダコタ」と「メリーランド」は上陸援護のため、輸送船団に付き添っていたからだ。


 米豪軍としては、これで充分と判断したわけだが、結果だけみれば迎撃に出動した米豪連合艦隊は駆逐艦2隻を残して全滅してしまった。2隻の巡戦の砲力とほぼ同等の巡洋艦戦隊の前に組み伏せられてしまったのだ。


 ただし、日本側も砲弾と魚雷を消耗したことに加えて、空母搭載機の攻撃を警戒して撤退し、ガダルカナル救援という意味では失敗であった。


 もっとも、第八艦隊単独でのガダルカナル救援など、そもそも無理な話であった。


 そしてここで多数の巡洋艦、特に防空巡洋艦の「アトランタ」と「ジュノー」を喪ったことは、連合軍艦隊にマイナスに働いた。


 第八艦隊の撤退の翌日にはトラックから出撃した連合艦隊主力が戦場に突入し、米艦隊と久方ぶりのガチンコの空母同士の戦いからの、今大戦初の戦艦同士の砲撃戦へともつれ込んだ。


 結果として日本側も戦艦「陸奥」空母「龍驤」喪失という犠牲は払ったが、空母「サラトガ」「ホーネット」と戦艦4隻を撃沈し、海戦での勝利を飾ることとなった。


 また上陸を許したガダルカナル島も、この艦隊決戦の勝利によって米上陸軍は撤退を余儀なくされ、最終的に救援成功となった。


 さらに損傷し離脱中の空母「エンタープライズ」が潜水艦の魚雷によって轟沈し、ここに一時的に米海軍は艦隊空母が太平洋上に0という事態になった。


 しかし、日本側も珊瑚海海戦後に再建した航空戦力に再び大きな損害を受け、それ以上の戦果の拡張が出来ず、また既にその広げすぎた戦域は国力を遥かに超えるものだった。


 事ここに至り、軍令部、連合艦隊などによる喧々諤々の議論の末、これ以上の戦域拡張をストップし、トラック島とラバウルを要塞化(拠点化)しての、防御へとシフトした。ただし南方資源地帯の守りを完全なものとするため、ニューギニア攻略作戦だけは継続された。



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― 新着の感想 ―
第一次ソロモン海戦に巡戦2隻追加ですかw 艦砲射撃しそうですけど弾が無いんじゃしゃーない。
鹵獲艦が戦力化されてるのはかなり前線には有難いでしょう、インド洋での通商破壊は連合国のペルシャ回廊経由のソ連救援に影響が出ていそうですし、欧州にも相当影響してますね。 ガダルカナル島でもパンチ力のあ…
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