蘭海軍戦艦「ネーデルラント」
さて、後に「讃岐」となる「ネーデルラント」についてであるが、蘭海軍戦艦としての戦歴は、まことに残念と言うしかないものであった。
同艦は日本の対連合国開戦と前後して、英東洋艦隊ならびに米アジア艦隊と合流し、合同艦隊を編成して日本海軍に対抗する計画であった。
開戦時フィリピンには米戦艦「ネヴァダ」が、シンガポールには英海軍の「ラミリーズ」「レパルス」「プリンス・オブ・ウェールズ」(POW)が在留していた。これらは新たに配属された「レパルス」と「POW」の2隻を除くと、以前から中華民国海軍の巡戦2隻の牽制用に配備されていた艦が、そのまま継続配置となっていたものである。
ちなみにフランスも、中華民国海軍艦艇への牽制目的から、極東艦隊を増強し旧式の戦艦「プロヴァンス」を配備していたが、そのフランス極東艦隊は本国のナチス・ドイツへの降伏と、その後起きた日本軍の仏印進駐によって、抑留の後日本軍に接収されていた。
さて「ネーデルラント」は開戦後、米英艦隊と合流し合同艦隊を編成し、日本軍の南進を止める腹づもりであった。
しかし、これは開戦直後に米アジア艦隊が、キャビテ軍港への空襲で旗艦である戦艦「ネヴァダ」が大破着底するなどして艦隊戦力が半減し、さらに英海軍もマレー半島に上陸した日本軍撃滅のため出撃した東洋艦隊と増援艦隊が、仏印を発進した日本の陸攻部隊の波状攻撃によって「POW]と「ラミリーズ」が撃沈されてしまい、残る巡戦「レパルス」と空母「インドミダブル」が損傷してシンガポールのドックへ入渠せざるをえない事態に陥ったことで、完全に頓挫した。
その後、米英の残存艦艇が蘭印のスラバヤ基地に集結したが、その多くが巡洋艦や駆逐艦で、戦艦は「ネーデルラント」1隻だけとなった。しかも、同艦にとって不運だったのは、スラバヤから出撃しようとしたところ、なんと味方が敷設した機雷に触雷し、戦闘航行不能となってしまった。
やむなく総司令官のドールマン提督は、最新鋭ながらも格下の軽巡「デ・ロイテル」を総旗艦に日本海軍への反撃を試みたが、最終的に合同艦隊ことABDA艦隊は、優勢な日本艦隊の前に完膚なきまでに叩き潰されてしまった。
そして「ネーデルラント」は、日本軍が迫る中、他の損傷艦艇と共に爆破が試みられたが、充分な爆薬を用意できなかったために、中破程度の損傷で日本軍に鹵獲されることとなった。
日本海軍としては、当初この艦については日本本土に回航後、鉄資材として解体することを想定していた。しかし、中破程度の損傷と言っても、その損傷の多くは艦橋などの上構に集中し、機雷の損傷も艦尾のスクリューや舵がダメになっていたものの、ボイラーや主機関は無事であった。
この時期、日本海軍は戦艦の新たな使い道として、対地砲撃と格下である敵巡洋艦部隊の撃破を見いだしており、実際に「伊勢」「日向」「石見」「壱岐」をこの任務に投じる方針であった。
なお、より低速で斉射時の使用に難がある「山城」「扶桑」は航空母艦への転用が決定しており、それぞれ1942年の6月までに、改装のためドック入りしていた。
開戦直後の立て続けの航空戦、特に陸攻隊はマレー沖並びにフィリピンで米英艦艇の撃破に貢献したが、一方でその損耗率の高さは帝国海軍上層部に衝撃を与え、新型陸攻の開発促進と、生産ならびに乗員の教育拡充が求められた。
一方、その結果として割を食ったのが艦艇の建造予算で「大和」型4番艦の建造中止が早々と決まり、空母の新造も後の「大鳳」ならびに「雲龍」と、補助艦改造の軽空母を揃えるのまでが精一杯であった。
結果として、旧式艦や鹵獲艦を目一杯再利用するしかなかったのである。
そのため「ネーデルラント」は日本海軍に戦艦「讃岐」として編入され、修理並びに若干の改装を経て使用されることとなった。
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