↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/13

その時世界は・・・③

 米国からの援助物資、とりわけソ連への援助物資の不足は、そのままソ連の戦力へのダメージという形で直撃していた。


 もちろん、ソ連とて開戦後に工場をウラル山脈に疎開させることや、その圧倒的な人的資源をとことん動員するなど、自分の国でやれることは色々やっている。


 T34やKV2と言った戦車やIL2襲撃機の増産などは、顕著なる例だろう。


 しかしそうは言っても国土の奥深くに入り込まれ、さらに開戦時に喪った膨大な兵器の補填は自国生産だけで賄えない。ましてや、消耗したとは言え未だに優秀な兵や兵器を有するドイツ軍を叩きのめし、ドイツ領に侵攻するとなればだ。


 援ソ物資は兵器ばかりではない。補給線の構築に必要なトラック、燃料、鉄道レールも含まれている。


 これらも喪われれば、それだけ前線への補給線構築に打撃となる。


 と言うわけで、米英側も北極圏のムルマンスクに至る北極圏ルートや、イラン経由でカスピ海方面に抜ける中東ルートの維持に全力を挙げていた。


 そして、もう一つの重要なルートが北太平洋ルートだ。これはアメリカ本土からソ連極東のウラジオストクやナホトカ、ハバロフスクへ至るルートで、前線から離れ過ぎている故に、北極圏ルートやカスピ海ルートほど便利ではないが、陸揚げ後シベリア鉄道経由で輸送は可能なので、物資は届く。


 しかし、このルートは日本の領海を抜けなければならないのが、最大の問題点だった。


 日ソ間は中立国であるので、ソ連の商船がソ連国旗を掲げて宗谷海峡や津軽海峡を通過するのは、何の問題も無い。


 しかしながら、ソ連の商船だけではとても援ソ物資を運びきれない。どうしても米英など連合国の商船を駆り出す必要があるが、これらは万が一日本側に見つかれば、忽ち撃沈されるか拿捕されるかの二者択一となる。


 そのため、これら連合国船籍の援ソ物資輸送船は、ソ連船に偽装してソ連沿海州の諸港へと向かった。


 もちろん、船団などは組まずに独航である。


 ただし、日本側も明らかに米英製の貨物船がソ連国旗を掲げて航行し始めれば、普通にその絡繰りに気付く。


 とは言え、満州などで国境を接しているソ連を挑発するわけにもいかないので、臨検などの荒っぽいことはできない。


 そこで、せめてもの嫌がらせとばかりに、第五艦隊の主力たる「讃岐」を宗谷海峡や千島沖の援ソ物資輸送船の航路上に出没させて、無言の圧を掛けた。


 そして、その事件が発生したのは1943年12月のことであった。


 その日ダッチハーバーを出港して、宗谷海峡を抜けてウラジオストクに向かっていた1隻のリバティー船(米国の戦時標準船)があった。


 同船は当然のようにソ連国旗を掲げて、独航で航行していた。


 この船には米海軍から、日本の第五艦隊、特に「讃岐」の動きがもたらされていたのだが、同艦が至近距離に出没する可能性が味方潜水艦から伝えられたので、航路を変更した。


 しかし急な進路変更、しかもこの時周囲の気象条件は雪交じりで視界が悪い状況であった。


 その結果が何をもたらしたかと言えば、座礁事故である。同船はよりにもよって、日本領の占守島の竹田浜近傍に座礁し、航行不能となった。


 もちろん、船長ら船員は離礁を試みたが、ついにそれを果たせず、船を放棄して乗組員は占守島に上陸して退避した。


 ちなみに、船員たちは座礁地点を占守島ではなく、対岸のカムチャッカ半島ではと期待したが、現れたのがソ連ではなく日本陸軍の兵士だったことで、その期待は裏切られた。


 もちろん船員たちは、ソ連の身分証を見せて、自分たちはソ連人だと言い張ったが、ロシア語もロクに喋れず、さらに天候が落ち着いてから船内の捜索が行われて米国籍である物証が発見されるに及び、観念するしかなかった。


 この時座礁したリバティー船に搭載されていたのは、船倉内にジープとトラック、そして甲板上にはM4戦車であった。本来であればウラジオストックで揚陸後、シベリア鉄道経由で東部戦線に運ばれる筈だったそれら車両のうち、浸水による海没を免れた車両が日本側の手に落ちた。


 この時鹵獲されたM4戦車は計8両で、この内2両がこの後日本本土に秘密裏に運び込まれ、研究資料となり、日本陸軍の関係者に衝撃を与えることとなる。


 残る6両は占守島の守備隊に配属され、貴重な北方を守る戦力として活用された。


 ちなみにリバティー船と乗員たちであるが、船体はその後ソ連側に気付かれぬように細心の注意を払いながら離礁と修復が試みられた。これは無事に成功し、同船は日本本土に回航後調査の後、日本船に編入されて終戦まで健在であった。


 そして不幸な乗員たちは、戦時捕虜として北海道の捕虜収容所に送り込まれた。ただし民間人であったことが幸いしてか、重労働は免れ、食糧不足に苦しみつつも、全員終戦まで生存し無事に帰国した。


 たった1隻の貨物船とその搭載物資の半分程が手に入っただけではあったが「讃岐」の情報が事故の遠因を作ったことから、間接的に同艦の戦果とされた。


 特にM4戦車鹵獲は、同戦車の弱点解明に役立つと共に、日本側に四式、五式戦車の開発を急がせることとなった。


 

御意見・御感想お待ちしています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
この世界のウラジオストクルートは兵器も輸送していたのか……そりゃ日本側も神経質になって臨検もするわけだ。 積載されてたM4とかジープもきっとまた鹵獲兵器として活躍するのでしょうね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。