1944夏の戦い ①
マーシャル諸島が陥落し、さらにソロモン諸島においてもガダルカナル島陥落以降、段階的に撤退した日本軍。必然的にトラックとラバウルが防衛の最前線となった。厳密には外縁部の小島に基地などが残されていたが、いずれも観測以上の役割を果たすような代物ではなく、実質的にこの2カ所が連合軍の反攻を受け止める二大防衛拠点となった。
日本側はこれを考慮し、この二カ所の防衛拠点としての整備を精力的に進めてきた。
島自体が巨大で、縦深があるラバウルに関してはシンプソン湾周辺の飛行場、防空陣地、地下要塞の建設のみならず、予備兼不時着場である飛行場が数カ所に設けられた。
展開する航空隊も陸海軍合わせて600機あまりに登った。また、この要塞を支える兵站戦としてフィリピン・パラオ~西部・北部ニューギニア間に関しても数カ所に飛行場や、艦船の避泊地が設定された。
艦隊は当初ラバウルに第八艦隊が常駐したが、ソロモン方面からの空襲激化を予期し、ショートランドをメインの泊地に変更している。
また伊号に代わって呂号潜水艦がこの方面に重点配備されるとともに、航続距離が延伸された新型の特殊潜航艇も配備するなどしていた。
加えてオーストラリアと接するモレスビーや東部ニューギニアの諸基地も、こちらは主として陸軍の航空戦力が集中配備され、守りを固めていた。
一方トラックに関しては、ラバウルと同じく航空基地や防備用艦艇を増強するとともに、日本本土とを繋ぐ硫黄島、マリアナ諸島の航空基地と防備も急速に増強された。
特にマリアナ諸島は、この頃欧州で対独戦略爆撃に投入されはじめていたB29超重爆撃機が基地を置いた場合、日本本土が爆撃県内に収められる地であるため、日本側も何が何でも守り抜くべき島と考えていた。
そのため昭和19年に入ると、民間人の本土への疎開が急速に進められると共に、代わって飛行場の拡張や対空陣地の強化、さらに万が一の敵軍上陸に備えての基地機能強化や、兵力の増強も行われていた。
そしてその危惧が現実のものとなったのが、昭和19年6月から始まった米軍によるマリアナ攻略作戦であった。
6月15日、正規空母6隻軽空母6隻からなる機動部隊が突如としてマリアナ沖に出現、さらに正規空母2軽空母2からなる別動部隊が硫黄島を襲った。
マリアナ諸島には延べ600機、硫黄島には延べ300機が来襲した。
対してマリアナ諸島には陸海軍合わせて150機近くの迎撃機があり、偵察機と電探情報が間に合って迎撃戦を展開し、半数を喪いながらも航空基地の3分の2の基地機能を維持した。
しかし硫黄島は配備された戦闘機が30機あまりしかなく全滅してしまい、3つの飛行場の基地機能も完全に破壊されてしまった。
このマリアナ、硫黄島急襲の報に日本の軍上層部が震撼した。と言うのも、この頃日本本土に所在する戦力がB29来襲を見据えて編成の始まった本土防空戦隊や、教導目的の一部部隊を除けば、哨戒や偵察、初等訓練部隊ばかりで、万が一米機動部隊が本土に接近すれば、容易に本土空襲を許す可能性があったからだ。
さらに言えば、日本本土にある陸軍部隊が近衛部隊以外は留守部隊しかおらず、ほぼほぼ裸に近かった。可能性は相当低いとは言え、どこかに上陸させれば恒久的な占領は無理にしても、一時とは言え居座ることを許しかねない。
このため陸海軍上層部では、台湾や沖縄に派遣していた対艦攻撃可能な陸攻(陸軍の重爆含む)や陸爆(陸軍の双爆)そして海上を長距離進撃可能な戦闘機部隊を本土に引き揚げさせる命令を下した。
また本来は北千島防衛の要とも言うべき戦艦「讃岐」以下の第五艦隊を、大湊まで南下する命令も出されていた。
それほどまでに、硫黄島とマリアナを同じ攻撃されたことは、ショックが大きかった。
その一方で、トラック島に在泊する連合艦隊主力(第二・第三)艦隊と、トラック島周辺やパラオなどに在地する基地航空隊への出撃は見送られた。
これは日本側の偵察機が米機動部隊の動きを捉え切れていないというのもあったが、時を同じくするようにポートモレスビーとラバウルも猛烈な空襲を受けたからである。
この内ポートモレスビーはオーストラリア大陸からの爆撃であったが、ラバウルに襲来した機体に艦上機が含まれていたため、日本側はどの方面が主攻で、どれが陽動か図りかねていたのだ。
実際のところ、これら米軍の動きのうち主攻と言えたのは、ポートモレスビーへの攻撃であった。
日本側が怖れた硫黄島、マリアナ、さらには日本本土への攻撃は、確かに米国にとってとりえる選択肢の一つであったが、結局後方の補給路の安全を考慮せずの攻略や占領は、彼らにとって論外であった。
ラバウルへの攻撃も、既に同地の要塞化が進められているのは連合軍も把握しており、日本側の戦力を削る以上の目的は持たなかった。
それよりも、オーストラリア大陸と向き合い、同国の安全を脅かし続けているポートモレスビー奪還の方が、政治的には重大事であり、そしてフィリピンを目指すマッカーサーが大義名分を立てやすいという、大きなメリットがあったのだ。
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