ふたつの希望 その7
外は風が吹きすさび、空には≪アカツキ≫特有の茶褐色の筋状の雲が層を成して走っている。
環境維持に掛かる莫大な費用を調達出来なくなって以来、惑星≪アカツキ≫は、元の荒々しい自然環境を取り戻そうとしている。
赤道地帯の温帯気候は、あちこちで寸断され、乾燥帯から流入する砂嵐が緑の世界を茶色に戻し始めていた。
外に出たユナの目に黒いエアカーのシルエットが見えた。
茶色の靄の向こうに見え隠れする車の側面には、自治政府軍の桜のマークが入っている。
(あのマークを見るのも久し振りね)
ユナがエアカーの側に近付くと、ひとりの大柄な男が運転席から出て来て手際よく後部ドアを開けた。
空気を押し出すような音がして、ドアがゆっくりとスライドする。
(一介の市民相手に大袈裟ね)
とは思いながらも、自分がそこらに転がっている一介の市民と同じでは無い事は承知している。
真っ黒なスーツに真っ黒なサングラスに無表情の口元。胸板が厚く筋肉質だが、それでいて身のこなしが軽い。現役の間は見慣れた光景だったが、改めて目にすると、今の時代に不釣り合いな格好だと思ってしまう。
ユナは、ちらりと男を仰ぎ見た。
(この人は、自分のスタイルに疑問を持った事が無いのだろうか……)
ユナがエアカーに乗る直前に軽く左右を確認すると、目立たない場所で前後に一台ずつ同じような車が駐車しているのが見えた。
今時、車を動かす燃料さえも惜しいのに、それを三台も使っている。死に体の地球連邦の地方軍人官僚を狙う者などどこにいるだろうか。≪ネオ≫ですら歯牙にもかけないに違いない。
「さあ、入りなさい。砂塵が激しくなっている」
グレイナーが中から声を掛けた。
「はい……」
ユナが車に入り込むと、運転手は同じように足早に運転席に戻って車を発進させた。
グレイナーは、ユナと同じく後部座席に座っている。助手席には、四十歳くらいの日系人が収まっている。
「突然で悪かった」
グレイナーは、ユナを横目に言った。
「いいえ。私よりも忙しい先生がわざわざ足を運んで下さったんです。話し相手くらいにはならないといけないので……」
ユナは、敢えて“先生”と呼んだ。防衛長官として相手にすると、何だか遠くに感じてしまいそうだからだ。それに、グレイナーの性格から、そちらの方が気安く安心してくれると分かっていた。
「こらこら、私を年寄り扱いする気か」
予想通りグレイナーが快活に笑った。
その笑い声を聞きながら、ユナは現役時代を思い出していた。
中央より左遷され、一度は軍を去ろうと考えていたユナを救い、最後まで支援を惜しまなかったのがグレイナーだった。グレイナーは、ユナに≪アカツキ≫自治政府軍参謀部作戦課特別室を用意し、ユナの自由にさせてくれた。
ユナは、その特別室のたったひとりの要員として、己の頭の中にある計画を練りに練った。いつか、陽の目を見るであろうと思いながら。
しかし、その希望は無残に崩れてしまう。
ユナは、己の結晶を完成させた少し後、それをグレイナーに残して去って行った。
短い間だったが、最後の最後に自分の好きなようにさせてくれたグレイナーには感謝しか無かった。
その日々は、屈辱の時間では無かった。まるで芸術家が好きに作品を作り出すような幸せの日々だった。
「そういう訳では無いですよ。私の大切な『作品』を私以上に大切に金庫に閉まって下さっていますもんね」
ユナは笑みを見せながら、グレイナーの横顔を覗き見た。
「はっは。相変わらず手厳しいな」
グレイナーは、頭に手を置きながらまた笑う。
ユナもおかしそうに含み笑いをした。
ユナの作戦立案書が陽の目を見ない可能性が高い事は、ユナ自身もよく分かっていた。ユナが中央から飛ばされた理由の最たるものが、この作戦だった。当時、中央の方針に楯突いて自分の主張を貫き通した才媛の話は、軍の中央にいた者はほとんど知っている。
グレイナーは、軽く咳をした。
「実はな。オサミ君に良い話を持って来たんだよ」
出た。そういう話に限って良い事なんか無い。ユナは、心で渋面を作った。
視線を窓に向け、不満気な表情を浮かべる。
車は、空虚な大通りに入っている。最早、人間達に買い物を楽しむ余裕は無い。それよりも手持ちの金は価値が下がるばかりで、今後の生活に恐怖を覚えてしまう。
どっちにしても、今更仕事に出る人間は少ない。それよりも、今日の糧、明日の希望を探す事に精一杯だ。
大通りに横たわる市民達は、絶望に打ちひしがれているのか、空腹に打ちひしがれているかどちらかだ。
ユナは、肩を竦めて見せた。
「この景色をバックにどのような与太話をお持ちなのでしょうか?」
「笑い話をする為に、わざわざここまで足を運んだりせんわ」
グレイナーは、真面目な顔をして唇を動かした。
ユナは、そんなグレイナーの表情を一瞥した。




