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完璧な幸福から外れた僕は、不完全な世界で生きることを選んだ~集合知からの脱落者~  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
空白の診断書

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6/22

待ち時間の再発見


 来週の水曜日まで、六日間ある。


 翌朝、目が覚めて最初にそれを確認した。スマートフォンの画面に表示された予約票。「次回検査:水曜日10:00」という文字を見て、ため息をついた。


 集合知は、まだ沈黙したままだ。


 昨夜眠れるか心配だったけど、意外とすぐ落ちた。夢も見なかった。脳が静かすぎて、逆に深く眠れたのかもしれない。それが少し、悔しかった。



 会社には結局、今日も行くことにした。


 休んでいても、することがない。集合知なしで家にこもっていると、時間の流れ方がおかしくなる。何かをしようとしても「最適な選択肢」が提示されないから、何から手をつければいいかが分からない。情報のない部屋は、思ったより息苦しかった。


 だったら会社に行ったほうがマシだ。


 そう判断したのは、自分の意志だった。


 当たり前のことなのに、なんか少し、誇らしかった。



 午前中は会議が二本あった。


 どちらもひどかった。


 同僚たちは集合知越しに意識を同期させながら、瞬時に合意を形成していく。発言すら必要ない。「あ、それいいね」とか「その方向で」とか、口から出てくる言葉は、すでに結論が出た後の確認作業にすぎない。


 でも僕には、その「すでに出た結論」が届かない。


 気づいたら、会議が終わっていた。何が決まったのか、よく分からないまま。


 隣の席の先輩、木村さんが「大丈夫か」と声をかけてくれた。


「あ、はい。ちょっと接続が不安定で」


「そっか。無理すんなよ」


 それだけ言って、木村さんは視線を虚空に戻した。もう別の処理が始まっているんだろう。


 僕は「ありがとうございます」と言ったけど、木村さんはもう聞いていなかった。



 午後の検査予約まで、二時間の空き時間ができた。


 追加の問診が入ったのだ。メンテナンスセンターから連絡が来て、「もう少し詳しく話を聞きたい」とのこと。予約は十五時。今は十三時。


 どうするか、一瞬迷った。


 集合知があれば「この二時間の最適な過ごし方」が即座に提示されるはずだ。カフェの混雑状況、近くのランチスポット、業務の優先度順リスト。全部まとめて届いて、その通りに動けばいい。


 でも今日は、何も来ない。


 僕はとりあえず、ビルの外に出た。



 四月の昼下がりだった。


 風が少しあって、日差しはぬるくて、悪くない天気だった。


 あてもなく歩き始める。目的地がない歩き方なんて、いつぶりだろう。いつも「最適なルート」を歩いているから、道を「なんとなく」進むことが、ほとんどなかった。


 交差点で、なんとなく右を選んだ。


 理由はない。なんとなく、右の空が少し明るかったから。


 それだけで、方向を決めた。


 変な感じがした。ばかみたいに自由な感じがした。



 五分ほど歩くと、小さな公園があった。


 ベンチが三つ。砂場と、錆びたすべり台。街路樹が二本、風に揺れている。


 誰もいなかった。


 僕はベンチに座った。特に理由はない。疲れてもいないし、目的もない。ただ、座りたかったから座った。


 空を見上げる。


 雲が流れていた。


 白くて、丸くて、ゆっくりと西から東へ動いている。昨日「積乱雲の前駆体かもしれない」と思った雲とは違う、もっとふわふわした、のんきな形の雲だ。


 誰も教えてくれないから、名前を知らない。


 ただの、雲だ。


 それをぼんやり眺めていたら、気づいたら五分が経っていた。



 いつぶりだろう、と思った。


 空を、こんなふうに眺めたのは。


 集合知がある生活では、空を見上げる「必要」がない。天気は脳内に届く。雲の種類も、降水確率も、全部データで来る。わざわざ目で確認するのは非効率だ。


 だから、見なかった。


 何年も、見なかったのかもしれない。


 雲が、少しだけ形を変えた。風に押されて、右端がぼやけた。さっきまで丸かったのが、今は少し崩れて、犬みたいな形になっている。


 犬?


 いや、もっとぺちゃんこだから、カエルかな。


「カエルっぽいな」


 誰もいない公園で、ひとりごとを言った。


 誰も反応しない。データも来ない。


 でも、その沈黙が、今日は少しだけ違う感じがした。


 不安じゃなくて、静かな感じ。



 隣のベンチに、鳩が一羽降りてきた。


 灰色の、ずんぐりした鳩。首をくいくい動かしながら、べンチの上を歩き回っている。


 僕のことを見た。


 二秒くらい、目が合った。つぶらな目だった。何を考えているのか、まったく分からない目だった。


 鳩は興味をなくしたのか、ぱたぱたと飛んで行った。


 それだけのことなのに、なんか可笑しくて、小さく笑った。


 集合知があれば「ドバト、学名Columba livia domestica、都市部に多く生息し――」と情報が来るんだろう。でも今日は来なかった。ただの鳩だった。名前も、生態も、何も知らない、ただの鳩。


 それで、良かった気がした。



 十四時になった。


 メンテナンスセンターへ向かうために立ち上がる。


 ベンチを離れながら、ふと振り返った。


 公園は、まだそのままだった。砂場と、すべり台と、街路樹と、青い空。


 一時間前は、二時間の空き時間が途方もなく感じた。何をすればいいか分からなくて、途方に暮れた。


 でも実際には、なんか、あっという間だった。


 雲を眺めて、鳩と目が合って、それだけで一時間が過ぎた。


 何の生産性もない一時間だった。


 集合知なら絶対に選ばない過ごし方だった。


 なのに、なんか悪くなかった。


 胸の中に、小さな、名前のつけられない何かが生まれた気がした。


 それが何なのか、今の僕にはまだ分からなかった。


 でも確かに、そこにあった。



 歩きながら、また空を見上げた。


 さっきのカエル雲は、もうどこかへ行っていた。代わりに、細長い雲が一本、西の空を横切っていた。


 飛行機雲かな、とぼんやり思った。


 誰も教えてくれなかったけど、なんか、自分でそう思った。


 それで十分な気がした。


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