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完璧な幸福から外れた僕は、不完全な世界で生きることを選んだ~集合知からの脱落者~  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
不協和音の目覚め

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プツン、という断絶


 それは、トーストを口に運んだ瞬間のことだった。


 『今日の会議は十時からです。事前に共有された議題は――』


 プツン。


 ……。


「……え」


 僕は咀嚼を止めた。


 静かだ。


 いや、違う。静かじゃない。これは――無音だ。


 川のせせらぎが、ある日突然、ダムでせき止められたような。ずっと鳴り続けていたはずのBGMが、世界ごと消え去ったような。そんな感覚が、頭の中を支配した。


 『……?』


 声が、ない。



 最初は、ラグだと思った。


 集合知だって、たまには通信が乱れる。スマホの電波が一瞬途切れるみたいに、接続が不安定になることだって、ゼロじゃない。


 だから僕は落ち着いて、トーストを皿に置いて、目を閉じた。


 意識を集中させる。集合知に「繋がろう」とする感覚は、筋肉を動かすのと似ている。普段は無意識にやっていることを、意図的にやろうとすると、なんか変な感じがするやつ。


 繋がれ。繋がれ。繋がれ――。


 ……。


 何も来ない。


「おい」


 声に出した。誰に言うでもなく。


 頭の中は、まだ静かなままだった。嘘みたいに、完璧に、静かなままだった。



 五分後。


 僕はダイニングの椅子に座ったまま、動けなくなっていた。


 おかしい。明らかにおかしい。単なるラグじゃない。もう五分も経つのに、何も届かない。ニュースも、天気も、美咲の朝の気配も、同僚たちの意識の揺らぎも――全部、全部、消えた。


 四十二億人が、いなくなった。


 そう言い換えると、急に怖くなった。


 手のひらに汗が滲む。呼吸が浅くなる。当たり前のように「そこにいた」はずの存在たちが、突然ごっそり消えた感覚。これは孤独とか寂しいとかそういう次元じゃない。もっと根源的な、体の一部がなくなったような――。


「落ち着け、落ち着け、落ち着け」


 自分に言い聞かせながら、額を手で押さえる。


 深呼吸。一回、二回。


 でも静寂は、びくともしなかった。



 気づいたら、耳鳴りがしていた。


 キーン、という高い音。集合知の「声」が消えた後の、脳が生み出す幻の残響。まるで身体が「あれがないとおかしい」と訴えているみたいに、ひたすらキーンと鳴り続けている。


 僕は立ち上がろうとして、よろけた。


 テーブルに手をついて、どうにかこうにか体を支える。足がちゃんと床についているのに、なんか浮いているみたいな感覚がある。自分の身体の輪郭が、ぼやけている気がする。


 そうか、と思った。


 僕はずっと、自分の境界線を「集合知込み」で認識していたんだ。


 皮膚の外側にまで広がる、数億人分の意識。それが僕の「自分」だった。なのに今は、皮膚の内側だけに閉じ込められている。この狭い、たった一個の肉体の中だけに。


 息が、詰まった。



「美咲っ」


 気づいたら電話をかけていた。


 スマートフォンを耳に当てる。集合知とは別の、古くさいインフラ。普段はほとんど使わないから、持ち方すら少しぎこちない。


 コール音が三回鳴って、繋がった。


「……遥斗? 珍しい、電話なんて」


 美咲の声だ。本物の、音声の声。久しぶりに聞いた気がして、なぜか少しだけ泣きそうになった。


「集合知、繋がってる? お前のとこ」


「え? うん、普通に繋がってるけど。どうしたの、なんか変な声してる」


 普通に。


 彼女のところは、普通に繋がっている。


「……いや、なんでもない。ちょっと調子悪くて」


「もしかして風邪? 集合知のメンタルスコアは?」


「……わかんない。今、見れないから」


 沈黙。


 美咲が何か言いかけて、止まった。集合知越しなら一瞬で伝わるはずのことが、言葉にならないまま宙に浮いている。その間が、針みたいに刺さった。


「とりあえず、メンテナンスセンター行きなよ」


「……うん」


「大丈夫だって。きっとすぐ直るよ」


 電話が切れた。


 部屋に、静寂が戻ってきた。



 窓の外を見る。


 空は、さっきと変わらず青かった。雲も、さっきと変わらず流れている。


 でも、もう誰も「あれは積乱雲の前駆体です」と教えてくれない。


 ただの雲だ。名前も意味も知らない、ただの白い塊。


 それだけのことが、なんでか無性に怖かった。


 僕は震える手でコートを掴んで、玄関へ向かった。


 ドアを開けると、朝の空気が頬に触れる。


 冷たい。さっきと同じ冷たさのはずなのに――今は、刃みたいに感じた。


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