表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
完璧な幸福から外れた僕は、不完全な世界で生きることを選んだ~集合知からの脱落者~  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
計算された恋、計算できない心

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/22

愛の再定義


 三日間、連絡がなかった。


 美咲からも、僕からも。


 その三日間、僕は普通に過ごした。会社に行って、個人作業をこなして、遠回りして帰った。商店街を通って、たい焼き屋の前で少し足を止めて、でも今日は入らずに通り過ぎた。


 美咲のことを、考えていなかったわけじゃない。


 ただ、答えが出る気もしなかった。



 日曜日の午後、美咲からメッセージが来た。


『会いたい。話したい』


 短い文だった。


『いつでもいい。来られる?』


『今から行っていい?』


『どうぞ』


 三十分後、インターホンが鳴った。



 美咲は、落ち着いていた。


 先週みたいに目が赤くなかった。コートもちゃんと脱いだ。ソファに座って、膝の上で手を組んで、僕を見た。


「三日間、考えてた」


「俺も」


「遥斗は、何を考えてた?」


「お前のことと、俺たちのことと、愛ってなんだろうということ」


 美咲は少し目を細めた。


「愛ってなんだろう、か」


「大げさかもしれないけど」


「ううん」と美咲は言った。「私も、同じことを考えてた」



 お茶を淹れた。


 ポットのお湯が沸く音。カップに注ぐ音。シンプルな音が、静かな部屋に響いた。


 二つのカップをローテーブルに置いて、向かいに座った。


 美咲がカップを両手で包んだ。温めているんだろう。その仕草が、なんか好きだった。昔から知っていた仕草だったけど、今日は初めて気づいたみたいに見えた。


「先に話していい?」と美咲が言った。


「どうぞ」


「三日間で、一個だけ分かったことがある」


「うん」


「私、遥斗のことが好きだ」と美咲は言った。迷わず、はっきりと。「九十九・九パーセントとか関係なく。この三日間、集合知で他のことを処理しながら、それでも遥斗のことを考えてた。それは、データのせいじゃないと思う」


 その言葉は、真っ直ぐ届いた。


「……ありがとう」


「でも」と美咲は続けた。「遥斗に、戻ってきてほしいのも本当。接続が戻って、また同期できるようになってほしい。その気持ちも、変わってない」


「うん」


「この二つは、矛盾してないと思う。私の中では」



 僕は少し考えてから、口を開いた。


「俺も、一個だけ分かったことがある」


「何?」


「お前のことが、好きだ」


 美咲が、少し息を吸った。


「それも、九十九・九パーセントと切り離せるかどうか、正直まだ分からない」と僕は続けた。「でも、先週お前が泣いてた時に痛かったのは、本当だった。三日間、ぼんやりとお前のことを考えてたのも、本当だった」


「うん」


「だから好きなんだと思う。理屈じゃなくて」


 美咲は頷いた。


 でも、その目が少し揺れていた。


「じゃあ」と美咲は言った。「私たち、大丈夫なんじゃない?」



 そこで、止まった。


 大丈夫。


 その言葉が、妙に引っかかった。


「一個だけ、聞いていいか」と僕は言った。


「うん」


「お前は、分からないことが怖いか」


「分からないこと?」


「俺の今日の気分とか、何を考えてるかとか、今どんな状態かとか。同期できないから、言葉で確認するまで分からない。それが、怖いか」


 美咲は少し間を置いた。


「……怖いというか、不安、かな」


「なんで不安?」


「知らないままでいるのが、落ち着かないから」


「知らないまま、でいいんじゃないかと俺は思う」


 美咲の眉が、少し動いた。



「知らないままでいい、ってどういうこと?」と美咲は言った。


「分からないから、聞く。分からないから、会いに来る。分からないから、傍に居たいと思う。それが愛なんじゃないかと、この三日間で思った」


「でも、分かってたほうが、もっとうまくいくじゃない」


「うまくいく、か」と僕は繰り返した。「うまくいくって、何?」


「摩擦が少ないとか、すれ違いが減るとか」


「摩擦がなかったら、何も削れない。削れなかったら、形が変わらない」


「形が変わる必要があるの?」


「変わらない関係って、最初から完成してるってことだよな」と僕は言った。「でも最初から完成してたら、二人でいる意味って何なんだろう」


 美咲は少し黙った。


「それって、非効率を肯定してるじゃない」


「そうかもしれない」


「なんで非効率のほうがいいの」


「分からないことが、あったほうが、相手を知りたいと思えるから」



「遥斗」と美咲は言った。声が、少し固くなっていた。「それって、綺麗ごとだと思う」


「そうかな」


「摩擦とかすれ違いとか、それって苦しいことじゃない。傷つくことじゃない。それをわざわざ選ぶのは、ただの我慢じゃないの」


「我慢と苦労は違う」


「どう違うの」


「我慢は、本当は嫌なのに耐えることだ」と僕は言った。「でもこの三日間、お前のことを考えながら、お前がどんな気持ちか知りたいと思いながら、苦しかったけど嫌じゃなかった。それが苦労だと思う」


「苦労を美化してる」


「美化かもしれない。でも、先週一緒にパスタを作った時、楽しかっただろ」


「楽しかったよ」


「あの楽しさは、言葉でやり取りして、確認しながら進んで、時間をかけて分かり合ったからじゃなかったか」


 美咲は答えなかった。


 カップのお茶が、少し冷めていた。



「遥斗の言ってることは」と美咲はゆっくり言った。「集合知を否定してる」


「そうじゃない」


「でも、分からないほうがいいとか、摩擦があったほうがいいとか、それって集合知の反対じゃない」


「集合知がある世界で、分からないことを大切にする、ってことだと思う」


「矛盾してる」


「矛盾してるかな」


「してるよ」と美咲は言った。少し強い声になっていた。「集合知があって、最適化されて、それで私たちは出会えた。その恩恵の上にいるくせに、摩擦とかすれ違いとか言うのは、ずるいよ」


 それは、正しいかもしれない、と思った。


 集合知があったから、美咲に出会えた。集合知があったから、八ヶ月間、大きなすれ違いなく一緒にいられた。その上で「摩擦がいい」と言うのは、恵まれた場所から綺麗ごとを言っているだけかもしれない。


「そうかもしれない」と僕は言った。「ずるいのかもしれない」


「じゃあ」


「でも、それでも思うんだ」



 僕は少し前のめりになった。


「美咲、お前は俺のことを、全部知ってると思うか」


「全部は知らないよ」


「集合知で同期してた時、俺が何を怖いと思ってるか、知ってたか」


「……詳しくは、知らなかった」


「俺も、お前が何を怖いと思ってるか、知らなかった。同期してても、知らなかった」


 美咲は少し黙った。


「集合知は、表面を滑らかにしてくれる」と僕は続けた。「でも、奥の奥まで届くわけじゃない。俺が接続を失ってから、お前が何を怖がってるか、初めて分かった気がする」


「何が分かったの」


「九十九・九パーセントが崩れることが、怖いんだろ」


 美咲は、少し目を伏せた。


「そうかもしれない」


「それが分かったのは、言葉でやり取りしたからだと思う。同期してたら、怖さの輪郭が見えなかった。データに溶けてた」


「……それが、何だって言うの」


「怖さの輪郭が見えたから、俺はお前のことを、もう少し知れた気がする」



 美咲が、カップを置いた。


 音がした。小さな、陶器の音。


「遥斗の言ってること」と美咲は言った。「理屈では、分かる部分もある」


「うん」


「でも、私には受け入れられない」


 その言葉は、静かだったけど、はっきりしていた。


「なんで?」


「怖いから」と美咲は言った。「分からないままでいることが、怖い。苦労することが、怖い。摩擦で傷つくことが、怖い。集合知がある世界で、わざわざそれを選ぶことの意味が、私には分からない」


「意味は、すぐには分からないと思う」


「じゃあ意味が分からないまま、怖いことを受け入れろってこと?」


「それが、一緒に歩くことなんじゃないかと思う」


 美咲の目が、また潤んだ。


「それって」と美咲は言った。「遥斗には分かって、私には分からない、ってこと?」


「そういうつもりじゃないけど」


「でも、そういうことじゃない。遥斗は集合知から切り離されて、いろんなことを経験して、変わった。でも私は変わってない。変わる理由がない。その差が、埋まらない気がして」



 沈黙が来た。


 今夜一番長い沈黙だった。


 時計の音。外の車の音。どこかで鳥が鳴いた。夕方の鳥だ。


 美咲が、静かに言った。


「遥斗が言う愛は、分からないことを楽しめる人の愛だと思う」


「美咲は、楽しめないか」


「楽しめる自信がない」と美咲は言った。「集合知の中で生きてきて、ずっと最適化されてきて。分からないことは、埋めるものだって思ってきた。それを急に、大切にしろって言われても」


「急には無理だよな」


「うん」と美咲は言った。「無理だと思う。私には」



 美咲が立ち上がった。


 コートを手に取った。


 僕も立ち上がった。


「遥斗のこと、嫌いになったわけじゃない」と美咲は言った。


「分かってる」


「ただ、ついていけない気がする。今の遥斗には」


「うん」


「それって、ひどいことを言ってる?」


「ひどくない」と僕は言った。「正直だと思う」


 美咲は少し目を閉じた。


「接続が戻ったら、また話せる?」


 その言葉が、優しくて、でも遠かった。


「戻った時の俺が、今の俺と同じかどうか、分からない」


「それって、どういう意味?」


「接続が戻っても、この三日間が消えるわけじゃない。たい焼きの味も、さくらの手の温かさも、商店街の夜も、消えない」


 美咲は、何も言わなかった。


「戻っても、俺は前の俺じゃないと思う」



 玄関で、美咲が靴を履いた。


 ドアノブに手をかけて、振り返った。


「遥斗」


「うん」


「分からないことを大切にする愛、か」


「うん」


「それって」と美咲は少し考えてから言った。「すごく、疲れそうな愛だね」


 それは皮肉じゃなかった。本当にそう思っている声だった。


「疲れると思う」と僕は言った。「でも、疲れた分だけ、何かが積み上がる気がする」


「私には、それが分からない」


「うん」


「分からないまま、別れるのは、嫌だけど」


「俺も嫌だ」


「でも」と美咲は言った。「今夜は、答えが出ない気がする」


「うん。出ないと思う」



 ドアが開いた。


 廊下の蛍光灯が、白く光っていた。


 美咲が一歩、外に出た。


 振り返らなかった。


 でも、少しだけ足を止めた。


「遥斗の言う愛が正しいとしたら」と美咲は廊下に向かって言った。「私たちは、最初から、愛し方が違ったのかもしれない」


 僕は何も言えなかった。


「それが、〇・一パーセントなのかな」


 足音が、廊下を遠ざかった。


 エレベーターのボタンを押す音がして、扉が開いて、閉まった。


 静寂が、戻ってきた。



 ドアを閉めて、ソファに座った。


 美咲のカップが、まだそこにあった。


 お茶が冷めていた。湯気はもう出ていない。


 手で包んでみた。


 かすかに温かかった。


 美咲が両手で包んでいた温もりが、まだ陶器の中に残っていた。


 それが消えていくのを、手のひらで感じながら、僕はしばらく動かなかった。



 夜になった。


 窓の外に、先週と同じ月が出ていた。


 今夜は少し丸くなっていた。三日分、満月に近づいた月だ。


 〇・一パーセントが、最初から、愛し方の違いだったとしたら。


 システムは九十九・九パーセントの相性を弾き出した。残りの〇・一パーセントは計算できなかった。


 その〇・一パーセントの中に、美咲と僕の「愛し方の差」が入っていたとしたら。


 完璧なシステムが、唯一見落とした部分が、そこだったとしたら。


 笑えるのか、泣けるのか、分からなかった。


 ただ、月が少し丸くなっていた。


 誰も教えてくれなくても、三日前より丸くなっていることを、僕は知っていた。


 自分の目で、見ていたから。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ