表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
完璧な幸福から外れた僕は、不完全な世界で生きることを選んだ~集合知からの脱落者~  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
計算された恋、計算できない心

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/22

99.9%の呪縛


 週が明けた月曜日、美咲からメッセージが来た。


『今週末、うちの親に挨拶しようって話、覚えてる?』


 覚えていた。


 三ヶ月前に、集合知越しに決めた約束だ。美咲の両親と初めて会う予定。正式な挨拶ではないけど、「一度食事でも」という話が進んでいた。


『覚えてる。土曜日だよな』


『そう。でも、その前に話したいことがあって』


『今夜、電話できる?』


 嫌な予感がした。


 根拠はない。データもない。ただ、胸の奥が少し重くなった。


『いいよ。何時でも』



 夜の九時、電話が鳴った。


「もしもし」


「うん、もしもし」


 美咲の声は、落ち着いていた。落ち着きすぎていた。何かを整理し終えた後の、静かな声だった。


「今週末の話なんだけど」


「うん」


「少し、延期にしたいんだ」


「そっか」


 延期。延期か。


「理由、聞いていい?」


 美咲は少し間を置いた。


「うちの親、集合知の接続状態をすごく気にする人たちで。接続不良の状態で会わせるのは、ちょっと」


 言葉が途切れた。


 続きは言わなかった。言わなくても、分かった。


「……うん、分かった。治ったら、また考えよう」


「ごめんね」


「謝らなくていいよ」


 電話が切れた。


 部屋に静寂が戻った。


 窓の外で、車が一台通り過ぎた。



 木曜日の夜、また着信があった。


 今度は電話じゃなくて、「会いに行っていい?」というメッセージだった。


『いいよ』


 三十分後に、美咲が来た。


 顔を見た瞬間、今夜は先週と違うと分かった。目が赤かった。泣いていたのか、それとも泣くのを堪えているのか。


「上がって」


 美咲は靴を脱いで、リビングに入った。ソファに座った。コートも脱がなかった。


 僕は向かいに座って、待った。



「ねえ、遥斗」


 美咲が口を開いた。


「うん」


「正直に話すね」


「うん」


「私ね、今週ずっと考えてた」と美咲は言った。「遥斗のこと。私たちのこと」


「どんなことを」


「私たち、システムが選んだ相性九十九・九パーセントのカップルじゃない」


「そうだな」


「最初に繋がった時から、ずっとそうだった」と美咲は続けた。「感情の同期がすごく自然で、好みも近くて、生活リズムも合って。システムが弾き出した数字の通りだって、ずっと思ってた」


「俺も、そう思ってた」


「だから」と美咲は顔を上げた。「遥斗が接続できなくなって、私、すごく怖かった」


「怖かった?」


「九十九・九パーセントが、なくなる気がして」


 その言葉が、空気の中に沈んだ。



 僕は少し考えてから、聞いた。


「九十九・九パーセントがなくなったら、何が変わると思う?」


「分からない」と美咲は言った。「だから怖い。分からないから怖いんだよ」


「俺たちが変わると思う?」


「変わらないとは言えない」


 正直な答えだ、と思った。


「システムが私たちを選んだのは、確かなことじゃない」と美咲は続けた。「それって、すごいことだよ。何億人もいる中から、最も合う相手を選んでくれた。それを信じて、一緒にいてきた」


「うん」


「でも遥斗が切れてから、同期できなくなってから」と美咲は言葉を選んだ。「私、遥斗のことが分からなくなった気がして」


「先週、一緒にパスタ作っただろ」


「うん」


「その時、分からなかったか?」


 美咲は少し黙った。


「分からなかったわけじゃないけど」と美咲は言った。「同期とは、違う分かり方だった」


「どう違った?」


「もっと、時間がかかる感じ。確認しながら進む感じ。集合知なら一瞬で分かることが、言葉で聞いて、見て、考えて、やっと分かる」


「それが嫌だったか?」


 また沈黙。


「……嫌じゃなかった。でも不安だった」



 美咲が、目元を押さえた。


 泣いているのか、と思ったら、泣いていた。声は出さないけど、目から涙が伝っていた。


「美咲」


「ごめん、変なこと言うかもしれないけど」と美咲は言った。涙声になっていた。「早く治してほしい。早く戻ってきてほしい。私、遥斗のことが好きなんだけど、このままだと何が正しいのか分からなくて」


「美咲」


「九十九・九パーセントって、すごい数字じゃない。それを壊したくない。私たちのこと、壊したくない。だから治療、ちゃんとしてほしいんだ」


 涙が、顎のラインを伝って、コートに落ちた。


 僕はその雫を見ながら、胸が痛かった。


 美咲は、僕のことが好きだ。それは本当だと思う。


 でも、九十九・九パーセントのことも、好きなんだ。



「一個だけ、聞いていいか」


 美咲が顔を上げた。


「なに」


「お前が好きなのは、俺か。それとも、相性九十九・九パーセントというデータか」


 美咲の表情が、止まった。


 先週も同じことを聞いた。でも先週より、直接的に聞いた。


「……それ、ひどくない?」


「ひどいのは分かってる。でも聞きたい」


「遥斗と九十九・九パーセントは、セットじゃん」と美咲は言った。先週と同じ言葉だった。「分けられない」


「分けてみたら、どうなると思う?」


「分けられないって言ってる」


「九十九・九パーセントじゃない男のことを、お前は好きになれると思うか」


 美咲は、何も言わなかった。


 その沈黙が、答えだった気がした。



「遥斗は」と美咲が逆に聞いてきた。「私のことが好きなの? それとも、九十九・九パーセントのデータが好きなの?」


 返ってくる言葉として、予想していなかった。


 僕は、考えた。


 美咲のことが好きだ。それは本当だ。でも、その「好き」はどこから来ている。集合知が「この人が最適です」と示し続けた八ヶ月の間に、積み上がったものだ。


 データなしで、最初から出会っていたら。


 同期なしで、言葉だけで知り合っていたら。


 それでも、好きになっていたのか。


「……分からない」と僕は正直に言った。「分からないけど」


「けど?」


「今夜、お前が泣いてるのを見て、痛かった。それはデータじゃない」


 美咲は少し顔を歪めた。


「それだけじゃ、答えになってない」


「なってないのは分かってる」



 二人で、しばらく黙った。


 リビングに、時計の音だけが響いた。


 集合知があれば、この沈黙の中でも何かが流れている。感情のデータが、状態の情報が、言葉にならないやり取りが。でも今夜は何もない。


 ただ、時計が刻んでいる。


 美咲が、鼻をすすった。


「私ね」と美咲は小さく言った。「遥斗に戻ってきてほしいのは、本当だよ。でも」


「でも?」


「最近の遥斗を見てると、なんか」と美咲は言葉を探した。「どんどん遠いところに行ってる気がして。接続が戻っても、前の遥斗には戻らないんじゃないかって」


 その言葉が、静かに刺さった。


「前の遥斗に戻ってほしいのか」と聞いた。


「……違うかな」と美咲は言った。「違うと思いたいけど、そうなのかもしれない」


 正直だ、と思った。


 美咲はずっと、正直だ。


 でも、その正直さが、今夜は少し苦しかった。



「俺さ」と僕は言った。


「うん」


「集合知が切れてから、毎日何かを自分で決めてる。何を食べるか、どっちの道を歩くか、カスタードかつぶ餡か」


「たい焼きの話?」


「そう。くだらないけど、それが毎日ある。で、自分で決めたことって、結果が良くても悪くても、なんか自分のものな気がする」


「うん」


「でも集合知の中にいる時、俺、自分で決めてたのかな」


 美咲は何も言わなかった。


「お前と付き合い始めたのも、システムが選んだからだよな。九十九・九パーセントって言われたから、そうだって思ったんだよな」


「それは」と美咲は言った。「みんなそうじゃん。みんなシステムの提示を参考にして、付き合うかどうか決める」


「参考にするだけじゃなくて、従ってるんじゃないかって思う」


「従うのと参考にするのは違う」


「どう違う?」


 美咲は答えを出せなかった。



「遥斗」と美咲はゆっくり言った。「それって、私たちのことを否定してるの?」


「否定はしてない」


「じゃあ何」


「分からなくなっただけだ」と僕は言った。「俺たちの気持ちが、本物かどうか」


「本物じゃないって思ってるの?」


「本物かどうか、確かめる方法がない、って思ってる」


 美咲の目が、また潤んだ。


「それって、ひどい」と美咲は言った。声が震えていた。「八ヶ月間、一緒にいて。それがひどいって思う。本物かどうか分からないって」


「ひどいのは分かってる」


「分かってるならなんで言うの」


「言わないといけない気がしたから」


 美咲は立ち上がった。


 目が赤い。でも泣くのを止めようとしている顔だった。


「今夜は、帰る」


「うん」


「もう少し、考えさせて」


「うん」


「遥斗も、考えてよ」


「考える」



 玄関で靴を履きながら、美咲が振り返った。


「一個だけ言っていい?」


「どうぞ」


「九十九・九パーセントって、残りの〇・一パーセントは何だと思う?」


 予想外の問いだった。


「分からない。システムも弾き出せなかった何か、じゃないか」


「私もそう思う」と美咲は言った。「その〇・一パーセントのことを、最近ずっと考えてる」


 ドアが開いて、閉まった。


 廊下に足音が遠ざかった。


 先週と同じように。



 ソファに座って、天井を見た。


 九十九・九パーセント。


 その数字が、八ヶ月間ずっと、僕たちの背骨だった。これだけ合っているんだから大丈夫、という安心感。これだけ最適化されているんだから間違いない、という確信。


 その骨が、今夜、少し揺れた気がした。


 美咲を傷つけた、という自覚はある。


 でも、嘘をつくよりは良かった、という気持ちもある。


 〇・一パーセントの話。


 システムが弾き出せなかった何か。データにならない部分。数字の外側にあるもの。


 それを、僕たちはまだ知らない。


 八ヶ月間、知ろうとしてこなかった。


 知る必要がなかったから。


 でも今は、そこが一番、気になった。



 窓の外に、月が出ていた。


 丸くはない。半分より少し欠けた月だ。


 集合知があれば「本日の月齢は――」と届くんだろう。


 でも今夜は、ただの月だ。


 名前も、月齢も、関係ない。


 ただそこにあって、ただ光っていた。


 九十九・九パーセントじゃない月が、静かに、欠けたまま、輝いていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ