表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
完璧な幸福から外れた僕は、不完全な世界で生きることを選んだ~集合知からの脱落者~  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
計算された恋、計算できない心

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/22

シンクロニシティの終わり


 美咲から連絡が来たのは、木曜日の夜だった。


「今週、会える?」


 スマートフォンの画面に、その一文だけ。


 集合知があれば、こんな聞き方はしない。相手のスケジュールも、体調も、気分も、全部リアルタイムで共有されているから。「会える?」と聞く前に、答えはすでに届いている。


 でも今の僕には届かないから、美咲は言葉で聞いてきた。


 久しぶりに、そういう形で。


*金曜の夜、どうかな*


 返したら、すぐに既読がついた。


*いいよ。家に行く*



 金曜日の夜、七時過ぎに美咲が来た。


 インターホンが鳴って、ドアを開けると、美咲が立っていた。


 一週間ぶりだった。


 黒いコートに、白いマフラー。髪が少し伸びていた。顔を見た瞬間に、なんか安心した。それと同時に、なんか遠い気もした。


「久しぶり」


「久しぶり。元気そうじゃん」


「そう見える?」


「なんか、顔が違う。やつれてるわけじゃなくて」と美咲は少し首をかしげた。「なんだろ、引き締まってる感じ?」


 それが嬉しいのか悲しいのか、よく分からなかった。



 夕食は、一緒に作ることにした。


 美咲の提案だった。「何か作ろう」と言って、冷蔵庫を開けて、残っている食材を確認して、「パスタでよくない?」と言った。


 集合知があれば、この流れは成立しない。


 食事の前に「今夜の最適なメニュー」が両方に届いて、食材の買い出しリストも自動生成されて、作業の分担も最適化される。台所に二人で立って「何作ろっか」と話す必要が、そもそもない。


 でも今夜は、言葉でやり取りした。


「パスタか。トマト缶ある」


「じゃあアマトリチャーナにしよう。ベーコンは?」


「冷蔵庫に」


「玉ねぎは?」


「一個だけ」


「十分じゃん」


 美咲がエプロンをつけながら、テキパキと指示を出した。僕は言われた通りに動いた。玉ねぎを切って、ベーコンを炒めて、トマト缶を開けた。


 シンプルな作業が、なんか楽しかった。



 問題は、食べ始めてからだった。


 向かい合って座って、ワインを一杯ずつ注いで、いただきますを言って、フォークを持った。


 沈黙が来た。


 以前は、この沈黙が心地よかった。言葉がなくても、集合知越しに繋がっていて、互いの「今」が分かっていたから。沈黙は「何もない」じゃなくて、「全部ある」だった。


 でも今夜の沈黙は、違う。


 本当に、何もない。


 僕は美咲の「今」が分からない。疲れているのか、機嫌がいいのか、今何を考えているのか。全部、見て、聞いて、確かめるしかない。


「美味しい?」


 先に口を開いたのは、僕だった。


「うん、美味しい」と美咲は言った。フォークを置いて、ワインを飲んだ。「遥斗は?」


「美味しい。一緒に作ったからかな」


「そういうこと言うじゃん」と美咲は少し笑った。


 でも、笑いが少し短かった。



 ワインが進んだ。


 美咲が話した。職場のこと、最近見た映画のこと、先週末に友達と行ったカフェのこと。


 僕は聞いた。相槌を打って、質問して、また聞いた。


 集合知があれば、これも必要なかった。美咲の一週間は、リアルタイムで僕の意識に流れ込んでいたはずだから。映画を見た時の感動も、カフェのコーヒーの味も、全部、同期されていた。


 でも今夜は、言葉で聞いた。


 それが悪いとは思わなかった。


 むしろ、話してくれる美咲の顔を見ながら聞くのが、なんか、新鮮だった。表情が変わる。目が輝く。手が動く。言葉と一緒に、体が語る。


 集合知の同期では届かないものが、ここにある気がした。



 食事が終わって、食器を片付けた後、ソファに並んで座った。


 テレビをつけた。集合知と連携した番組案内が自動で出てくるはずだが、僕の端末は接続できないから、普通のリモコンで操作した。


 チャンネルをぱらぱら変えた。


 旅番組。ニュース。バラエティ。料理番組。


「これでいいじゃん」と美咲が言った。


 料理番組だった。南フランスの家庭料理を、現地の女性が作っている。言葉は分からないけど、映像だけで美味しそうだった。


「うん」


 番組を見ながら、ソファに深く沈み込んだ。


 美咲の肩が、僕の肩に触れていた。


 その感触が、あたたかかった。



 番組が終わって、CMになった。


 美咲がリモコンで音量を下げた。


「ねえ」


 声のトーンが、少し変わった。


「うん」


「接続、最近どう? 良くなってる?」


「先週より拒絶反応が弱まってるって言われた」


「そっか」と美咲は言った。「良かった」


 良かった、という言葉が、少し平らだった。


 田中医師の「お気の毒に」を思い出した。形は違うけど、似た感触の平らさ。


「美咲は、どうしたい?」と聞いてみた。


「どうしたいって?」


「僕に、早く戻ってきてほしい?」


 美咲は少し黙った。


「そりゃ、そうだよ」


「なんで?」


「なんでって」と美咲は眉を寄せた。「不便じゃん、いろいろ。スケジュールの共有もできないし、感情の同期もできないし、こうやってわざわざ言葉で説明しないといけないし」


 不便だから、か。


 僕は窓の外を見た。夜の街に、灯りが点いている。


「不便なのは分かる」


「じゃあ」


「でも」と僕は続けた。「今夜、一緒にパスタ作って、ワイン飲んで、南フランスの料理番組見て。それって、不便だったか?」


 美咲は少し考えた。


「……不便ではなかったけど」


「俺は、楽しかった」


「私も」と美咲は言った。「でも、それは集合知があっても同じじゃない?」



 そうだろうか、と思った。


 集合知があれば、今夜は違っていた。


 メニューは最適化されていた。会話は同期で補完されていた。沈黙は「情報なし」じゃなくて「全部共有済み」だった。


 同じ夜だっただろうか。


 別の夜だったんじゃないか。


「集合知があったら」と僕は言った。「今夜の沈黙は、なかったと思う」


「それの何が問題なの」


「沈黙がなかったら、お前が話しかけてくることも、なかったと思う」


 美咲は、何も言わなかった。


「お前が映画の話をしてくれて、俺が聞いて。そのやり取りも、なかったと思う。全部、同期で済むから」


「それの何が悪いの」と美咲は言った。少し声が硬くなっていた。「効率的じゃん。同じ情報が届くなら、わざわざ言葉にしなくていい」


「効率的だけど」


「だけど、何」


 言葉を探した。


 うまく出てこなかった。



「今夜、お前の顔を見ながら話を聞いた」と僕は言った。「映画の話をしてる時、目が輝いてた。カフェの話をしてる時、少し口角が上がってた。それ、集合知の同期じゃ届かない」


「届くよ」と美咲は言った。「感情の同期で」


「感情の同期と、顔を見ることは違う」


「何が違うの」


「分からない」と僕は正直に言った。「うまく説明できない。でも、違う気がする」


 美咲は少し黙った。


 ワインのグラスを持って、また置いた。


「遥斗、最近変わった」


「そうかな」


「うん」と美咲は言った。「前は、こんなこと言わなかった。感情の同期と顔を見ることが違うとか、そういうこと」


「考えたことがなかっただけだと思う」


「考えなくていいことを、考えてる感じがする」


 その言い方が、少し刺さった。


 考えなくていいこと、か。



「美咲」と僕は言った。「一個だけ聞いていいか」


「何」


「お前が好きなのは、俺か、それとも俺との同期か」


 沈黙が落ちた。


 今夜一番長い沈黙だった。


 美咲の表情が、少し固まった。怒っているわけじゃない。でも、何かを整理しようとしているような顔だった。


「……何、その質問」


「変な質問だとは思う」


「変というか」と美咲は言葉を選んだ。「分けられないじゃん、そんなの。遥斗と同期することと、遥斗のことは、セットだから」


「セットじゃなくなったら?」


「だから、早く治してほしいんだよ」


 その言葉が、すとんと落ちてきた。


 治してほしい。


 セットじゃなくなったままの僕は、美咲にとって不完全だということか。



「怒らないで聞いてほしいんだけど」と美咲が言った。


「うん」


「治す気、あるよね? ちゃんと」


「あるよ」


「良かった」と美咲は息を吐いた。「なんか最近、治すことに積極的じゃない気がして。遠回りして歩くとか、たい焼き食べるとか、それはそれでいいんだけど」


「田中医師に、続けるよう言われた」


「治療として?」


「そういう意味だと思う」


 美咲は少し考えた後、「そっか」と言った。


「信じてるよ、遥斗のことは」


 それは、本当だと思った。


 美咲が嘘をついているとは思わない。でも「信じてる」の中に、「早く戻ってきて」が混ざっていることも、分かった。



 二時間ほどして、美咲が帰った。


 玄関で、少しだけ抱きしめた。


 コートの上からでも、体温が伝わった。さくらの手ほど鮮烈じゃないけど、確かな温かさだった。


「また連絡する」と美咲は言った。


「うん」


「無理しないでね」


「お前も」


 ドアが閉まった。


 廊下に、足音が遠ざかっていった。



 ソファに戻って、ワインの残りを飲んだ。


 今夜の会話を、頭の中でゆっくり巻き戻した。


 美咲は、変わっていない。集合知の中で、いつも通り生きている。それが正しいんだと思う。何もおかしくない。


 変わったのは、僕だ。


 でも、変わったことが間違いなのかどうか、まだ分からない。


 一つだけ分かったのは。


 今夜の沈黙は、以前の「全部共有されている沈黙」じゃなかった。


 何も共有されていない、本物の沈黙だった。


 それが、不安でもあったけど。


 どこかで、懐かしかった。


 懐かしい、という感覚が不思議だった。


 経験したことのないはずのものが、なぜか懐かしかった。



 グラスを洗って、電気を消した。


 ベッドに入りながら、美咲の問いを思い返した。


*好きなのは、俺か、それとも俺との同期か。*


 自分で言っておきながら、自分にも同じ問いが返ってきた気がした。


 僕が好きなのは、美咲か。


 それとも、美咲と繋がっている状態か。


 答えが出ないまま、目を閉じた。


 外で風が鳴っていた。


 集合知とは関係ない、ただの風の音が、部屋に染み込んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ