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完璧な幸福から外れた僕は、不完全な世界で生きることを選んだ~集合知からの脱落者~  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
五感の再起動

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11/22

データの外側にある涙


 翌日も、帰り道を歩いた。


 今日はスマートフォンを充電して、バッテリーは満タンだ。地図アプリも使える。昨日みたいに迷子になる心配はない。


 でも、なんとなく。


 最適なルートじゃない道を、選んでみた。


 理由は特にない。ただ、昨夜のたい焼きの味が、まだどこかに残っていた。それだけだった。



 昨日とは別の方向に歩いた。


 住宅街に入り込んだ。細い道が入り組んでいて、どこに繋がっているのかよく分からない。集合知があれば絶対に選ばないルートだ。効率が悪い、遠回り、データ的には無意味。


 でも、悪くなかった。


 植木鉢が並んだ玄関先。塀の上に乗った猫。錆びた自転車。換気扇から流れてくる夕食のにおい。誰かが料理をしている。醤油かな、と思ったら、出汁の香りも混じっていた。味噌汁かもしれない。


 集合知があれば「附近の飲食店情報をお届けします」と来るんだろうけど、今日は来ない。ただのにおいとして、ただ鼻を通り過ぎる。


 それが、悪くなかった。



 泣き声を聞いたのは、角を曲がった瞬間だった。


 ひっく、ひっく、という、かすれた泣き声。


 小さな公園があった。昨日とは別の公園。ブランコが二つと、砂場と、小さな水飲み場。


 ブランコの前に、女の子が立っていた。


 四歳か五歳くらいだろうか。水色のコートを着て、両手で目を押さえて、声を上げずに泣いていた。声を上げたいのに、出てこないという感じの、苦しそうな泣き方だった。


 周りに、大人はいなかった。



 足が止まった。


 集合知があれば、この状況で何をすべきか、即座に「最適解」が届くはずだ。迷子の子どもへの対応、近くの交番の場所、適切な声かけのフレーズ、全部まとめて。


 でも今日は、何も来ない。


 自分の頭で、考えた。


 *声をかけよう*


 それだけだった。


「ねえ」


 しゃがんで、目線を合わせた。


 女の子が両手を外した。目が真っ赤だった。涙でぐしょぐしょの顔で、僕を見た。警戒しているような、でも助けを求めているような、複雑な目だった。


「迷子?」


 女の子は、こくん、と頷いた。


「お母さん、どこにいるか分かる?」


 今度は、ふるふると首を横に振った。


 また涙がこぼれた。



 名前を聞いた。


「……さくら」


 かすれた声で、そう言った。


「さくらちゃんか。僕は遥斗っていうんだ。一緒にお母さんを探そう」


 さくらは少しだけ迷った後、小さく頷いた。


 立ち上がろうとしたら、さくらが手を伸ばしてきた。


 握った。


 小さかった。当たり前だけど、本当に小さかった。自分の手のひらの中に、すっぽり収まってしまうくらい。そして、温かかった。


 データじゃない温かさだ。


 体温そのものが、直接伝わってくる。



 どこから探せばいいか、分からなかった。


 集合知があれば、周辺にいる人々の位置情報から「子どもを探している大人」を特定できる。防犯カメラのデータと照合して、数秒で母親の場所を割り出せる。


 でも今の僕には、足しかない。


 公園の出口に向かいながら、さくらに聞いた。


「お母さんと、最後にいたのはどこ?」


「……パン屋さん」


「パン屋さん。この辺に来たことある?」


「ない」


 つまり、土地勘がないまま迷子になったということだ。


「パン屋さんって、どんなお店だった? 看板とか、覚えてる?」


「……黄色かった」


「黄色い看板のパン屋さんか」


 僕は大通りへ向かった。黄色い看板のパン屋。手がかりは、それだけだ。



 大通りに出て、左右を見た。


 右側に、数十メートル先にコンビニが見える。左側は住宅街が続いている。


 右だな、と思った。


 店が集まっているほうに、パン屋がある可能性が高い。


 根拠はそれだけだ。データじゃない。ただの、勘。


「こっち行ってみよう」


 さくらの手を引いて、歩いた。


 さくらはもう泣いていなかった。まだ目は赤いけど、しゃくりあげながらも、懸命に足を動かしていた。


 小さい歩幅に合わせて、ゆっくり歩いた。



 コンビニを過ぎた。


 薬局があった。クリーニング店があった。ラーメン屋があった。


 パン屋は、なかった。


「さくらちゃん、お母さんとどんな話してた? パン屋さんで」


「メロンパン買ってもらった」


「美味しかった?」


「……うん」とさくらは言った。それから少しだけ表情が崩れた。「でも、食べる前にいなくなっちゃった」


「そっか。じゃあ、絶対に見つけて、一緒に食べようね」


 さくらはまた、こくんと頷いた。


 その頷き方が、なんか、真剣で。


 大人みたいだった。



 角を曲がると、黄色い看板が見えた。


「あ」


 さくらが声を上げた。


 「ベーカリーはな」という、ひまわり色の看板。小さなパン屋だった。ガラス越しに、焼きたてのパンが並んでいる。


「ここ?」


「うん! ここ!」


 さくらが、僕の手を強く握った。


 でも、店の前に母親らしき人はいなかった。


 中を覗く。店員さんが一人、レジにいるだけだ。


「中で待ってたのかも。入ってみよう」



 ドアを開けると、ベルが鳴った。


 パンのにおいが広がった。バターと小麦の、甘くてあたたかいにおい。


 店員さんが顔を上げた。三十代くらいの女性だ。


「あの、この子が迷子になってて。お母さんをお探しなんですが、もしかして連絡が来てませんか」


 店員さんは一瞬目をみはって、それからすぐに頷いた。


「さっき、女性の方が飛び込んできて、娘を見なかったかって。今も探してると思います。集合知で連絡しようとしてたみたいで、でも繋がらないって焦ってて――」


 繋がらない。


 その言葉が、引っかかった。


「その方も、接続できない状態でしたか」


「そうみたいで。普段は集合知で子どもの位置情報を確認できるみたいなんですけど、今日はなぜか繋がらないって」


 なるほど、と思った。


 母親のほうも、何らかの理由でネットワークが不安定になっている。だから位置情報が取れなくて、探し回っている。


「どっちの方向に行きましたか」


「確か、公園のほうだって言ってました。あっちの――」



 公園。


 さっき、さくらを見つけた公園だ。


「さくらちゃん、戻ろう」


 手を引いて、来た道を引き返した。


 さくらの足が速くなった。さっきより歩幅が大きくなって、もう僕の手を引っ張るくらいの勢いで歩いていた。


「急がなくていいよ、転ぶから」


「でも!」


 でも、と言ったまま、さくらは前を向いて走った。


 小さな手が、僕の手を離れた。



 公園の手前の路地で、女性とぶつかりそうになった。


 三十代前半くらいのお母さんだった。目が真っ赤で、髪が乱れていて、コートのボタンがひとつ掛け違っていた。


「さくら――!」


 女性の声が裂けた。


 さくらが「ママ!」と叫んで、走った。


 女性が膝をついた。アスファルトの上に、そのまま膝をついて、さくらを両腕で抱きしめた。


 強く。


 強く、強く、強く。


 さくらがまた泣き始めた。今度は声を上げて、はっきりと泣いた。お母さんの肩に顔を埋めて、「こわかった」「ひとりだった」「ママどこいったの」と、かすれた声で言い続けた。


 女性は何も言わなかった。


 ただ、抱きしめていた。



 僕は、少し離れたところで立っていた。


 二人の背中を見ていた。


 言葉がなかった。説明がなかった。情報交換がなかった。集合知の同期もなかった。


 ただ、抱きしめていた。


 お母さんの腕が、さくらの背中に回っていた。コートの上から、でも確実に、その小さな体を包んでいた。


 数値にできない。


 データにならない。


 集合知がいくら優秀でも、あの抱擁の重さを、温度を、強さを、数字に変換することはできない。


 そう思ったら、なんか、胸が痛くなった。



 女性が顔を上げた。


 目が合った。


「……ありがとうございます」


 声が震えていた。


「たまたま見つけただけです」


「たまたまでも、一緒にいてくれて」と女性は言った。「本当に、本当に、ありがとうございます」


 頭を下げた。深く、長く。


 さくらも、お母さんの真似をするように頭を下げた。


「遥斗おにいちゃん、ありがとう」


 そう言った。


 遥斗おにいちゃん。


 その呼び方が、おかしいくらい真剣な顔で言われたから、なんか笑えた。


「どういたしまして。メロンパン、早く食べなよ」


 さくらがぱっと顔を輝かせた。そうだ、という顔だった。お母さんの手を引っ張って、パン屋の方向を指さした。


 女性が苦笑いしながら「すみません」と僕に言って、さくらに引っ張られながら歩き出した。



 二人の背中が、路地の向こうに消えた。


 僕は一人、その場に残った。


 夜風が吹いた。


 冷たかったけど、さっきまでさくらの手の温かさが残っている手のひらが、それをちゃんと感じていた。


 泣きそうだ、と思った。


 なんで、と自分でも分からなかった。


 感動したのか、寂しくなったのか、それとも全然別の何かなのか。


 集合知があれば「この感情はこういう種類のもので、原因はこうで、対処法はこれです」と届いたのかもしれない。


 でも今夜は、何も来ない。


 ただ、泣きそうだという、輪郭のはっきりしない気持ちだけがあった。


 その気持ちに、名前をつけられなかった。


 でも確かに、そこにあった。



 帰り道、またあのパン屋の前を通った。


 ガラス越しに、さくらとお母さんが見えた。


 さくらがショーケースに張りついて、何かを指さしていた。お母さんが隣でしゃがんで、一緒に覗き込んでいた。


 メロンパンを、選んでいるんだろう。


 僕は足を止めずに、通り過ぎた。


 でも、ずっと見ていたかった。


 あの二人の、何でもない時間を。


 データにならない、効率じゃない、最適解でもない、ただの、親子の時間を。



 駅に着いた頃には、すっかり夜になっていた。


 ホームのベンチに座って、電車を待ちながら、手のひらを見た。


 さくらの手の感触が、まだそこにある気がした。


 小さくて、温かくて、少し汗ばんでいた、四歳か五歳の手。


 集合知があれば、この感触もデータになるんだろうか。


 数値化されて、分析されて、「類似する感触のデータ一覧」として整理されるんだろうか。


 そうなったら、たぶん、こんなふうにいつまでも覚えていない。


 だから、良かった。


 今夜だけは、集合知がなくて、良かった。


 電車が来た。


 僕は立ち上がって、ドアの中に吸い込まれた。



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