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お菓子の街


この物語はフィクションです。


橋を渡ると、いくらか整備された街道へと繋がった。


――甘い匂いが、風に混じっている。


「……お菓子の、匂い?」


しばらく歩いていると、ふんわりと漂うそれにアカリは気がついた。


「これから行くのは、僕らの世界で一番のお菓子職人が集う街なんです」


「お菓子職人の、街?」


「はい」


シロウはにっこりと微笑んだ。


砂糖を焦がしたような香り。

バターが溶けるような甘さ。

あるいは、香ばしいパンの匂い。


近づくにつれて、それらは次第に濃くなっていく。


街の入口。


重厚な煉瓦の壁を抜けると――

そこには、色彩にあふれた街が広がっていた。


「わぁぁぁ」


思わず、アカリの目が輝く。


歪んだ空は相変わらずどんよりと、暗い影を落としている。

しかし――


その下に広がる光景は、それすら忘れさせるほどの活気に満ちていた。


色とりどりの屋根。

様々な形の看板。

弾むような呼び声。


笑顔が飛び交い、

お菓子の出来上がりを知らせる澄んだベルの音が重なる。


空の陰りなどものともせず、街はとびきり賑わっていた。


パステルカラーの外壁と屋根を持つ店が、いくつも軒を連ねている。

店頭では従業員が小さなトレーを片手に、道行く人々に笑顔で試食を勧めていた。


「なんだか、デパ地下が一つの街になったみたい」


「なるほど、そういう見方もできますね」


シロウは「ふむ」と頷く。


「こちらをどうぞ」


差し出されたのは、一冊の小さな本。


「街の情報誌です」


「あ、ありがとうございます」


アカリはページを開いた。


ポケットサイズの雑誌には、この街の地図と見どころ、おすすめの店が写真とイラスト付きで載っている。

うさぎを模したキャラクターが、街を案内するように描かれていた。


「この街では、選ばれた実力のあるパティシエのみが店を構えることを許されるんですよ――


――なので、味は折り紙付きです」


シロウはそう言って笑った。


それぞれ特色のある店構え。

呼び込みをする従業員の制服。

自らの腕を誇るように輝くショーケース。


どれもこれも、職人のこだわりが感じられる。


まさに――

お菓子の職人たちの街。


「観光がてら、街を回ってみましょうか?」


「……いいんですか?」


「構いませんよ。気になるものがあれば、遠慮なく言ってくださいね」


そう告げて、シロウは歩き出した。


陽気な呼び声。

宝石のようにショーケースに並ぶ菓子。


その通りを歩いていると――


「やや、灯シ人様!? うちの店自慢のショコラをどうぞ!」


店主が飛び出してきた。


「……ええっと……」


艶やかなチョコレートが、丁寧に箱へ収められている。

戸惑い、アカリはシロウを見る。


シロウは笑みを浮かべ、そっと促した。


「……じゃあ、一つだけ」


アカリは飾りのない、シンプルなチョコレートを選ぶ。


「ん、美味しい」


カカオの深みが、口いっぱいに広がった。


「やったぁ! 灯シ人様のお墨付きをいただいたぜ!」


――その瞬間。


「うちのクッキーはいかが? 焼きたてだよ!」

「シフォンケーキはお好き? ふわふわの仕上がりなのよ!」

「紅茶もどうぞ。最高級の茶葉を使っているの!」


我先にと、自慢の品々を手にした菓子職人たちがどっと押し寄せてきた。


「……え。あ、あの……」


次々と差し出される甘味。


アカリは少し戸惑う。


――けれど。


自信に満ちあふれた彼らの顔が、あまりにも眩しくて。


つられるように、笑っていた。


善意。

誇り。

努力の結晶。


そのすべてを、

アカリは受け取った。


シュークリーム。

タルト。

アップルパイ。

ジェラート――その他色々。


甘い。

美味しい。

嬉しい。

楽しい。


――でも。


少しずつ、

確実に。


限界が近づいてくる。


たくさん。

たくさん。


受け取って。


食べて。


――そして。


「……一生分のお菓子を食べたかも……」


アカリは、限界を迎えた。


「……大丈夫ですか?」


シロウの声が、少しだけ近い。


「……はい……なんとか……」


シロウから水と、薬を手渡される。


賑やかな通りから離れた公園のベンチ。


小さく礼を言って受け取り、アカリはそれらを飲み込んだ。


ミントのような清涼感。


じわりと、胃の奥の重さがほどけていくような気がした。


背もたれに身体を預け、深く息を吐く。


喧騒は遠い。


しばらく目を閉じて、辺りに流れる噴水の音に耳を澄ませる。


静寂――。


「……すみません」


アカリは、ポツリと謝った。


「いえ、お気になさらず」


穏やかに告げて、シロウは懐中時計を取り出す。


「休める場所へ向かいましょうか」


パチン、と蓋を閉じる。


「歩けますか?」


「……はい」


差し出された手を取り、立ち上がる。


薬が効いてきたらしい。


少し苦しいが、さきほどのような圧迫感は、小さくなってきている。


シロウに手を引かれ、二人は歩く。


やがて辿り着いたのは――


□□■■■


街の中心。


ひときわ目を引く建物。


ホテル『グランド・ディグニティ』。


この街で一番の高級ホテルだった。


シロウは迷いなく回転扉を押す。


中へ入り、アカリをソファへ座らせた。


「こちらで、お待ちください」


「……はい」


沈み込むような座り心地。


一方でシロウはつかつかと、フロントへと向かう。


「ようこそ――」


「失礼、支配人はどちらに?」


言葉を遮る。


受付係の女性の笑顔が固まった。


しかし――


懐中時計を見た瞬間、

その顔色は一変する。


「た、ただいまお呼びします!」


慌てて内線を繋ぐ。


その様子を見て、シロウはアカリの元へと戻って行った。


数分後。


細身の神経質そうな男が姿を現した。


このホテルの支配人だ。


後ろに部下を二人、引き連れている。


受付係といくつか言葉を交わし、ロビーを見回し、すぐにシロウと目が合った。


いそいそと慌てた様子で、近づいてくる。


「これはこれは導き手様――」


「挨拶は結構」


遮る。


「灯シ人様が体調を崩されました。至急、部屋の手配を」


視線が、アカリへ向く。


「……これが……トモシビト……サマ?」


思わず漏れた心の声。


その瞬間。


空気が、凍った。


「……なにか?」


シロウの低い声と、突き刺すような視線。


支配人の肩が跳ねる。


「し、失礼しました!」


軽く咳払いをして、すぐに笑顔を貼り付けた。


「で、では当ホテル。

最高級スイートルームへご案内いたします!」


「い、いえ、そんなに高価なお部屋でなくても……」


「では、お願いします」


思わず顔を上げるアカリ。

しかしシロウは、あっさり了承してしまった。


「え、羽月君?」


「失礼。立てますか?」


有無を言わさないシロウの手が、アカリの肩に触れる。


アカリは一瞬、迷う――。


しかし。


ここで自分が何かを言えば、

無駄に時間を奪ってしまうような気がして――。


アカリは、大人しく従うことにした。


「……はい」


シロウに支えられながら、ゆっくりと立ち上がる。


まだ少し、お腹が苦しい。


アカリは深呼吸をしてやり過ごした。


「……では、こちらへ」


恭しく案内する支配人の後を、二人はついて行く。


その背後から――


「ねぇ、あれがトモシビトサマだって?」

「トモシビトサマって、俺たちの世界を救ってくれる救世主のことだろ?」

「えー! あんな子が?」

「……本当にそうなのかしら?」

「導き手様は相変わらず素敵ね」

「あんなふうにエスコートしてもらえるなら、私がトモシビトサマになりたーい」


ひそひそ。

こそこそ。

ざわざわ。


失望と嫉妬。


嘲りと侮蔑。


それらが混ざり合い、二人の背中を追いかけてくる。


ちらりと、シロウは隣を歩くアカリの様子を盗み見た。


少し顔をしかめ、

ただ、足を動かすことに集中している。


どうやら周囲の声を拾う余裕は、なさそうだ。


――良かった。


シロウは気づかれぬよう、小さく息を吐いた。


チーン。


硬質なベルが鳴り、エレベーターの到着を告げる。


支配人たちは素早く乗り込み、背筋を伸ばしてボタンを操作した。


「ささ、どうぞ。お部屋は最上階でございます」


乗り込む。


ドアが閉まる。


その瞬間。


シロウは、ロビーを見据えた。


――ほんのわずかに。


青い瞳が、


“何かを測るように”揺らめいた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


お菓子の街でアカリが受け取ったのは、

紛れもない善意と好意。


しかし――


度を越したそれらは、アカリを苦しめることになってしまった。


一方でシロウは、

灯シ人に対する世間の認識の甘さ――

いや、軽さを感じたようで……。


次回

『お名前ちょーだい』

次回更新予定:4月19日(日)21:00頃(予定)

※変更になる場合があります

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