夢から醒めて――決意
この物語はフィクションです。
鼻先が、くすぐられる。
目を細めてハッとし、勢いよく上半身を起こし――
コハクは、息を飲んだ。
「·····っつぅ」
直後に頭に激痛が走り、蹲る。
しばらくした後、ゆっくりと立ち上がった。
「……ここは」
痛みを振り払うように頭を振って、辺りを見回す。
鬱蒼と木々が生い茂る森の中に、コハクは一人立っていた。
「……ここが、そう……なのか?」
見上げると、見たこともない色の空が木々の隙間から覗いている。
使い終わった絵の具のバケツ。
その中身をぶち撒けたような歪んだ色。
鈍色の雲から、太陽のような光が漏れ出ている。
「気味が悪いな……」
しかしその不気味さが、異世界への転移を成功させたことの証明となっていた。
コハクの世界に、こんな空は存在しないから――
「……ここが、本当にアイツの言っていた世界なんだろうか」
異世界への転移は成功した。
しかし、目的の世界であるかの確証はない。
一抹の不安が過ぎり、すぐにここから去ろうとした。
その時だった。
『わぁぁぁ――』
「……なんだ」
突然上がった歓声に、コハクは振り向く。
すると――
歪んだ色の空をきり裂くように、真っ白に輝く光の線が天高く昇っていく。
扇状に広がった光が一瞬で、晴れ渡る青空へと塗り替えた。
歓声が一層大きくなった。
「……あっちの方からだ」
コハクは呟き、考えるよりも先に、ローブを翻し、声のする方へと走り出した。
森を抜けた先にあったのは、小さな村だった。
そこにいる全ての人々が、空を見上げて歓声を上げている。
「いったい……なにが」
「見ろ!虹だっ!」
コハクの質問に応えるかのように、誰かが嬉々として叫んだ。
真っ白な雲を突き抜けるほど高い山間いから、鮮やかな虹が現れた。
それは、どの色も境目までくっきりと、はっきりと見えるほど鮮明で、巨大な虹だった。
その虹を見た途端――
「あぁぁ、なんて清々しい気持ちだろう」
「心の中が一気に洗い流されていく」
「不安も恐れも感じない!すごいぞ!幸せな気持ちしかない」
コハクを除く全員が、その押し寄せる幸福感に打ち震えだす。
まるで全身で言いようのない幸福感を浴びるように。
誰もが恍惚とした顔で、虹へと両手を広げる。
「……なにが、どうなってる」
その中で、困惑しているのはコハクただ一人。
明らかに異質なコハクの存在。
なのに、誰一人として、咎める者はいない。
みなうっとりと虹を見つめ、ただただ降り注ぐ幸福感に酔いしれている。
「トモシビトサマが、オレたちを救ってくれたんだ!」
誰かが叫んだ。
トモシビトサマ。
「今、トモシビトサマって――」
その言葉にコハクはすぐさま反応し、隣にいた男に問いかけた。
しかし――
「ありがとう、トモシビトサマー」
「気をつけて帰ってくれよー」
「このご恩は、一生忘れませーん」
人々は一斉に、虹に向かって大声で手を振り始める。
その顔は、みな一様に笑顔、笑顔。
誰もコハクの方を見向きもしない。
「……っ、おい!」
訳がわからずイラだちを募らせたコハクは、手近にいた男へと掴みかかった。
「トモシビトサマと言ったな。この騒ぎはなんだ!」
鋭い剣幕でコハクはまくしたてる。
しかし――
「あぁ、あの虹は、この世界をトモシビトサマが救ってくれたって証だよ」
穏やかな顔と声で男は答えた。
「あれが――」
「で、役目を終えたトモシビトサマがあの虹の橋を渡って元の世界に帰られるから、オレたちは感謝の言葉でお見送りしているってわけ」
「……なに?」
男を掴んでいたコハクの手が、思わず緩む。
特に気にすることもなく男は離れ、上機嫌でお見送りの輪の中へと混ざって行った。
「……どういうことだ……?」
残されたコハクは、ただ呆然と立ち尽くす。
「オレの妹は、帰ってきてないが……」
晴れ渡る空に描かれた、鮮やかな巨大な虹。
コハクの問いかけは、人々の歓声によって掻き消されてしまった。
情報だ。
とにかく情報が欲しい。
感極まる村を後にして、コハクはこの世界を周りながら情報を集めることにした。
問いイチ。
トモシビトサマは、オレンジの髪をした小柄な少女でしたか?
答え――いいえ。
緑色の髪をした長身の女性だったよ。
耳がやけに尖っていて、かなりの美人さんだったなぁ。
問い二。
そのトモシビトサマとしろうさぎのぬいぐるみがいたはずです。今、どこにいますか?
答え――さぁ、そういえば見かけなくなったなぁ。
今の導き手様は、細身の男性だよ。
ちょっと冷たい感じがするけど、以前の方よりは、まぁ頼りがいがあるって感じだな。
こんな感じで、コハクはただひたすら情報を集めた。
「……トモシビトサマとやらの特徴も、メノウと合わなかった」
誰もが警戒心を解き、笑顔で溢れるこの世界に気が狂いそうになりながら。
それでも立ち止まらずに、コハクは奔走し続けた。
どんなに小さな手掛かりも見逃すまいと、常に目を光らせる。
この世界にたどり着いた時。
既にコハクは、潤沢にあった魔力、魔法そのほとんどを失っていた。
残されたのは、ヒト並の魔力。
簡単な初歩魔法。
そして――もはや異形と化した獣たち。
それらが暴れ狂う度に、波のように押し寄せる痛みと苦しみ。
それから。
「一緒に帰る為の力」
いったい、どれくらいの時間が経ったのだろう。
空に架かった虹が、長い長い年月と共に段々と掠れて薄くなり、
世界中の人々を包んでいた幸福感が消えて、誰もが不平不満を漏らすようになった。
この世界の空が、コハクが来て最初に目にした歪んだ色に塗りつぶされた頃――
現在。
ようやく、コハクにチャンスが舞い込んできた。
新しいトモシビトサマ。
アカリの登場だ。
しろうさぎのぬいぐるみは、遂に見つけることは出来なかった。
しかし、アカリの存在はきっと何かを掴める足掛かりとなる。
「……この機会を、逃がしてなるものか」
じっとコハクは手を見つめる。
今は大人しく鳴りを潜めているようだが、どうせすぐにここから出せと暴れ出す。
そうしたら――またあの苦痛に苛まれるだろう。
ふと、コハクの口元が綻ぶ。
「……いいさ、メノウと一緒に帰れるなら」
この身体も、命すらも欲しければくれてやる。
黒い茨の痣を握り潰すように、コハクは拳に力を込めた。
薄暗い部屋の中で、アカリは目を覚ました。
なんだかまだ、頭がぼんやりとしている。
「……変な夢……」
一人呟いて寝返りをうつ。
内容は、あまり覚えていない。
でも、なんというか――
ファンタジー漫画とかで出てくるような光景だった気がする。
隣で眠るクロエと触れたままの手を見て、再びアカリは瞼を閉じた。
「こちら、女王からの手紙を預かっています」
アカリたちが身支度を整え終え、
城の入り口までやって来た時だった。
シロウが恭しく一通の白い封筒を差し出してきた。
「……まだ、具合悪いの?」
アカリは一度封筒に目を落とし、シロウへと問いかける。
「灯シ人様のせいでは、ありませんよ」
シロウは曖昧に笑った。
ちらりと、アカリの隣にいるクロエへと視線を向ける。
「本来なら、女王自ら、盛大に見送るのですが」
「あんまり派手にされても困るから、大丈夫」
苦笑して、アカリは手紙を受け取った。
そっと開けて、メッセージカードを取り出す。
『祈りの間でまた会おうね!
ちゃんと行くから!約束!』
「……だ、そうです」
「あの方はまた――」
カードを覗き込んで、シロウは頭を抱えた。
しかし、この女王の明るさにアカリは内心ほっとして、小さく笑った。
「では、行きましょうか」
シロウの声に、アカリとクロエは頷いた。
城を出て、職人街とは反対の方角へと向かう。
「あれ乗ったやつ!」
遊園地区に入ると、クロエが観覧車へと顔を向けた。
クロエを挟んで、三人は手を繋いで歩いていた。
「観覧車ですか、楽しかったですか?」
「うん!」
満面の笑みでクロエは頷いた。
「あとねー。あのグルグル回るのとー、落っこちるやつ」
「たくさん乗ったんですね」
「……ごめんなさい。貰ったお小遣い結構使っちゃって」
気まずそうにアカリが言うと、シロウは一瞬目をまるくさせ、
「いえ、楽しめたのなら、何よりです」
満足そうに笑った。
「ねーシロー」
「はい」
歩きながら、シロウは笑顔でクロエへと目を向ける。
「海は、あるよね」
「え?」
シロウのビー玉のような青い瞳が見開かれる。
「海――ですか?」
「うん」
「えぇ……と……」
クロエの質問の意図がわからず、シロウは困惑する。
思わず、アカリへと目を向けた。
「……あ、昨日観覧車に乗った時、陸伝いのはずなのに、海が見えないって思って……」
アカリもクロエへ目を向けた。
「下にね、隠れてるんだよね」
赤い瞳でシロウを見つめたまま、クロエが笑った。
「――は、い。そう……ですね」
シロウは歯切れが悪く、それでも頷いた。
「あ、やっぱり世界が変わっても、陸地の下は海なんだね」
(そこは、ゲームの舞台とあんまり変わらないみたい)
「え、えぇ……そう、ですね」
妙な納得の仕方をするアカリに、シロウはとりあえず返事をする。
クロエはアカリへと顔を向け、もう次の興味へと話題を変えてはしゃいでいた。
そんなクロエの姿を眺めながら、シロウは密かに口元を引き結んだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
夢から醒めたコハクは、改めて決意する。
メノウを探し出し、一緒に帰る――と。
一方で、アカリたちは灯シ人の役目を果たす為、再び歩き出した。
次回
『諦めと幕引き』
次回更新予定:
10月18日(日)21:00頃(予定)
※変更になる場合があります




