夢から醒めて
この物語はフィクションです。
床に倒れこんだままのコハクの手が、ぴくりと動く。
気が付くと、冷たい床が頬に触れていた。
「……っつぅ」
軋む身体に顔を顰め、ゆっくりと身体を起こす。
そのまま壁に背を預けて座り込んだ。
だらりと下げた左腕が、ぶるぶると震えている。
黒い茨のような痣が、まるで生き物のように蠢いていた。
今は、コハクを蝕む全ての痛みや苦しみが引いているようで――
久しぶりの開放感に、深く息を吐く。
「どれくらい時間が経ったんだ――」
割れた窓から覗く景色は、夜の闇に包まれ、しんと静まり返っていた。
月明かりも、星の煌めきもない。
あるのはただ、人工的に煌々と灯る光だけで、
どうやら日を跨いで、それほど時間は経っていないようだった。
「……このまま、もってくれればいいんだが」
ふと、身に纏ったローブの裾の刺繍が視界に入る。
ところどころ解れて、もう何のカタチだったのかわからなくなってしまった金糸の刺繍。
「……いや」
ふっとコハクの口元が綻んだ。
「みつけた時から、何を模っていたのかなんて――オレにはわからなかったな」
密かに、不器用ながらも一生懸命、刺繍を刺していた妹の背中を思い出した。
「おめでとう! お兄ちゃんも、これで大賢者様の仲間入りだね」
テーブルの上に並べられたご馳走を前に、メノウは弾む声と共にクラッカーを鳴らした。
「···まだ、見習いだけどな」
目の前で、ふてくされたコハクの頭に、赤青黄色の紙テープがひらひらと舞い降りる。
「知識も技術も、実力も全て完璧だったんでしょ?――でも」
視線を落として、コハクは頷く。
「しばらくは見習いとして、その無さすぎる協調性を学びなさいって……師匠が……」
ぼそりと告げると、メノウは盛大に吹き出した。
「た、確かにお兄ちゃんは個人プレイが多いけど、まさかそれで称号取り消しって――」
「取り消されてない!……ちょっと保留になってるだけで……」
言い募る兄を、メノウは指をさしてケタケタと笑う。
「……」
コハクは無言で身体ごとそっぽを向いた。
「あ……あー……」
やり過ぎた。
そう思ったメノウは少し慌てる。
「あ、あ〜じゃあ、これどうしようかなぁ?」
ゴソゴソとテーブルの下を探り、おずおずと淡いブルーのリボンが結ばれた大きな箱を差し出す。
コハクは驚き、瞬きをした。
「お兄ちゃんが大賢者になったお祝いってことで、用意してたんだけど···」
メノウに促され、コハクはゆっくりとリボンを解く。
箱を開ける。
「……これ」
出てきたのは、真新しい濃紺のローブだった。
裾の辺りで、絡まった金糸に気が付く。
「……刺繍、お前が刺したのか?」
裾の部分を拡げて、まじまじと見つめると、メノウが気まずそうに笑った。
「既製品のローブに、ちょいちょい時間かけてね。アタシじゃ、いつ完成するかわからないからさ」
改めて見ると、縫い線はガタガタで、かなり荒が目立つ。
時々部屋に籠もっている時に部屋に入ると、ものすごい剣幕で追い出されたのは、これが理由だったのか――とコハクは納得した。
「……そうか」
「で、もー」
ふっと笑うコハクから、メノウはローブを取り上げる。
「"まだ"大賢者になったわけじゃないから、これはお預け、ね」
さっさと箱にしまい込んだ。
「……ちょっと、直したいとことか、見つかったし」
小さくごねるメノウに、コハクは思わず吹き出した。
「あぁ、その時まで楽しみにしている」
箱を抱え込んだメノウも、ニカっと笑った。
その時が来るのを――コハクはずっと待っていた。
しかし、妹の手からこのローブが手渡される日は訪れなかった。
メノウが旅立ってから、コハクは心の奥に燻っていたある計画を実行することにした。
「ルヴェル・モールドはお前か?」
手始めに、コハクはメノウが通っていた学校へと向かった。
卒業生でもあるコハクにとって、堂々と学校へと入り込み、メノウの同級生を見つけることなど雑作もないことだった。
友人たちと談笑中だったルヴェルという男子学生は、訝しげな視線をコハクへと向ける。
「……そう、だけど」
「メノウ・ストンジの兄だ。あいつに頼んでいた調合薬を渡しに来た」
「……はぁ、どうも」
それだけ言って、ルヴェルは手を差し出す。
「誰?」
「ストンジの兄貴だって」
「え?なんで兄ちゃんが?」
「えー、ついでに頼みたいことがあったのにー」
「……おい」
そこかしこから聞こえてくる声を、コハクは低い声で黙らせる。
(……思った通りだ)
無言で周囲を見回せば、数人の生徒が気まずそうに視線を反らす。
今ここにいるのが、メノウだったら――
そう思うと怒りが湧いてきた。
「これからは自分の事は自分でやれ。アイツを巻き込むな」
鋭い視線で周りを一蹴すると、コハクはさっさとその場を立ち去った。
メノウへの頼まれ事は、本当に些細な、しかしどれも面倒で厄介な物が多かった。
その大半をしめていたのは、級友たちからのものばかりで――
コハクから見て、本当に大切な頼まれ事は、お小遣い稼ぎにしていたメアリーナという女教師の手伝いだけだった。
「……なるほど。メノウはしばらく休業する……と」
学校に誂えられた執務室。
メアリーナはコハクを見つめたまま、机の上で手を組んだ。
「理由は?」
「申し訳ありません。言えません」
さっきからコハクはこの調子だ。
「……わかった」
メアリーナはこめかみを抑える。
「……まぁ、私もあの子に頼り切りだったからね。……これ以上の詮索は控えることにするよ」
「……助かります」
「もしかして……メノウはどこかへ旅行にでも行ったのかい?」
一礼して踵を返すコハクに、メアリーナは冗談めかして言葉を投げかけた。
コハクは少し考えてから――
「……そんなところです」
「ふーん」
再び一礼して、コハクは静かに退室した。
「そう……旅行――」
ボロボロになったローブにそっと手を這わせ、コハクは一人呟く。
ただの旅行だったら、どんなに良かったことか。
メノウが旅立って、三日目の朝を迎えた。
小さな世界と言えど、役目を果たすにはそれなりの時間がかかるだろう。
そう納得させて、コハクは一人分の朝食を用意した。
メノウが旅立って、一週間が経った。
――帰ってこない。
メノウは超がつくほど不器用だから、もしかしたら何かに手こずっているのかもしれない。
苦笑して、一人で夕食を済ませた。
一ヶ月、二カ月と月日は経っていく――
メノウは、帰ってこなかった。
さすがにおかしいと、コハクは気づき、焦る。
しかし、誰にも言えない。
相談すらも出来ない、この状況。
どうする。
どうしたらいい。
「アイツが残した魔法陣――」
思い当たり、急いでメノウの部屋へと向かう。
あの日から閉ざされたままになっていたメノウの部屋を開ける。
締め切られていた部屋の中から、湿った独特の空気が流れ出した。
「まだ、あった」
片付けられた床に描かれた、白いクレヨンの線。
少しかすれているものの、そのカタチはしっかりと残っていた。
床に膝を付き、慎重に触れる。
手掛かりはこれだけ。
でも――
「これを解析して、利用出来れば――」
あの、しろうさぎのぬいぐるみへと繋がる。
すぐさま立ち上がったコハクの目に、ブルーのリボンで包装された箱が目に映る。
それは、あの日受け取れなかった――
「……メノウ」
コハクは箱へと手を伸ばした。
「……あれから、ちゃんと大賢者として認めて貰えたんだ」
そっと箱を手に取り、机の上にそっと置く。
直接受け取ることは出来なかったけど――
「――貰ってもいいよな」
しゅるりとリボンを解いた。
折り畳まれたローブを取り出し、コハクは袖に腕を通した。
そこからコハクの長く――本当に永い孤独な戦いが始まった。
大賢者としての責務と業務に追われながらも、コハクはこの魔法陣の解明に勤しんだ。
人生の全てを捧げたといっても過言ではない。
大賢者として与えられた権限をフルに使い。
あれほど苦手だった交渉術を克服し、ありとあらゆる文献を読み漁った。
知識が足りない。
時間が足りない。
体力が、その他全てのモノが全然――足りない。
なら――
足りないモノを補える力を得ればいい。
精霊、魔獣、悪魔――
なんでもいい。
誰でもいい。
思いつく限りの力を求める。
眠らずにすむように――
体力を維持出来るように――
食べずとも、生きられるように――
少しずつ、少しずつコハクは自分自身をツクリ変えていく。
躊躇なく禁忌を犯し、ひたすらに突き進む。
力を得る為の契約。
契約など煩わしい。
対象そのものをこの身体に取り込んでしまえば、より強い力が得られる。
コハクは自身の身体を檻として造り変え、ありったけのモノたちを押し込み、閉じ込めていった。
やがて閉じ込められたモノたちは、姿もカタチも変えて、歪んだ獣へと変貌する。
怒り。
悲しみ。
憎悪――その他いろいろな感情を剥き出しにして、檻を壊そうと暴れ狂うほど、茨の痣が蠢き宿主であるコハクに苦痛を与える。
それでもコハクは突き進む。
周りの声など届かぬほどに――まっすぐに。
両親を早くに亡くし、兄と妹二人で生きてきた。
コハクの中では、自分のことは自分でなんとかするのが正義。
メノウのことは兄である自分がなんとかするのが当然の事。
妹を助けるのに理由はいらない。
ヒトとしての時間と人生。
命、魂――全てを投げうち、そして――
ついに、コハクはこの醜く歪んだ、くだらない世界に辿りついたのだった――。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
異世界ヴィラブド。
やっと辿り着いた先で、コハクが目にしたもとは――
次回
『夢から醒めて――決意』
次回更新予定:
10月11日(日)21:00頃(予定)
※変更になる場合があります




