外伝 コハク ――いいよ――
この物語はフィクションです。
「いいよ、そのトモシビトさま?の役目、引き受けてあげる」
メノウは力強く頷いた。
その途端――
「あああ、ありがとう!ありがとうぅぅぅ」
嬉しさのあまり、彼はメノウに飛びつく。
メノウは苦笑しながら、彼の頭をそっと撫でた。
「メノウッ!!」
コハクの怒号が部屋に響いた。
「え?お、お兄ちゃん?」
メノウが振り向くと、コハクが息を荒げている。
「お……まえは、また……」
その顔がくしゃりと歪み、今にも泣き出しそうで――
「え?え?なに、どうしたの?」
メノウは一層慌てた。
「――どうしたのって……」
コハクは言葉を詰まらせる。
「だって、祈るだけでしょ?別にドラゴンのたまご、取って来いってわけじゃないし」
「……っ」
(……コイツは)
本当に――わかっていない。
コハクは両の拳を握り締める。
「そりゃあ、異世界なんて行ったことないから、めちゃくちゃ心配なのはわかるけどさ」
尚もいい連ねる妹が、遠い存在のように感じる。
「この子がいる世界だったら、そんなに危険でもないんじゃないかなーとも思うんだけど」
腕の中の彼に、メノウは顔を向ける。
「確かに、魔物とかはいないよ!そういう危険な世界も今までにはあったけど――僕らの世界は、あの子が創った世界だからね」
メノウに抱きかかえられたまま、彼が当然とばかりに頷いた。
「今まで?もしかして、この世界以外にも行ったことあるの?」
「うん」
彼はぴょんとメノウの腕から飛び降りた。
「世界を渡って、灯シ人様を見つけて連れ帰る――それが僕の役目だからね」
小さく胸を反らす彼をメノウはまじまじと見つめる。
「ね、だから。大丈夫だよ」
続けてコハクへと顔を向け、ニカっと笑った。
「その灯シ人様って、何人もいる感じなの?」
メノウの質問に、彼は考える。
「僕らの世界の、救いの象徴である虹が消えるたびに、新しく作ってっておねがいしに行くんだよ」
「あー、そのために必要なのが、"祈り"ってことなんだ」
「そう。僕らの世界の住民は、灯シ人様にはなれないからね」
二人のやりとりを聞きながら、コハクの脳裏に過るのは――
――君しか頼れないんだ。
――メノウに任せておけば安心だな。
――おねが〜い、たすけてぇ〜
メノウが何度も誰かに頼られている光景だった。
メノウも、二つ返事で受け入れているわけではない。
必ず、確認はしている。
時間や予定、達成条件。
それらを瞬時に頭の中で照らし合わせる。
これなら大丈夫――とメノウ自身に確認がとれた上で「出来る」と判断をする。
その「出来る」から「出来ない」までの距離が長過ぎることに、コハクは常々気を揉んでいた。
無理難題を頼まれるも、
「なんとかした」あるいは、
「なんとかなった」
その経験が積み上がっていく。
超えてきた壁が高ければ高い程、メノウの経験値は格段に上がる。
と、同時に、メノウ自身の判断基準の壁は知らない間に壊れていく。
結果、「なんとかなる」の一言で、メノウは引き受けてしまうのだった。
頼りになる?
安心だから、任せられる?
困ったら、どうにかしてくれる?
コハクから見れば、
メノウがただ利用されているとしか思えない。
「……だって、断って変な空気になるより、マシでしょ?」
以前、メノウが言っていた。
その一言に、メノウの本音が隠れているような気がして――
だからコハクは声を上げる。
誰かのために突き進むメノウを止められるのは、兄である自分の役目だと思っているから。
しかし一方で、メノウの意思も尊重したいとも思っている。
常にコハクはこの狭間で揺れていた。
「それにさ」
メノウの声によって、コハクは現実に引き戻された。
「部屋の掃除、手伝ってくれたから」
恥ずかしそうにメノウが部屋を見回し、照れくさそうに笑う。
「····アタシさ、はじめてだったんだよね」
ポツリと呟いた。
「お兄ちゃん以外の誰かに、これやってって言われる前に、何かをしてもらったの」
その言葉に、兄の瞼が熱くなる。
(それは、あいつらがいつも――)
「メノウ」と声を掛けてくる相手が、挨拶や世間話よりも先に頼み事を口にしてくるから。
メノウは、誰かに頼られることを疑わない。
彼女の中では、もうそれが当たり前になってしまっていた。
コハクは、ギリリと奥歯を噛み締める。
「それにお礼はちゃんとしなきゃだし?ね?」
念を押すように笑うメノウのその瞳には、強い意志が宿っていて――
ああこうなったらもう、止められない。
コハクは悟った。
「だから、ね。お兄ちゃん……」
兄の両手をそっと包み込む。
「大丈夫、大丈夫。なんとか、なるなる」
まるで呪文のようなその言葉に、コハクはきつく両目を閉じた。
「……そう……だな」
コハクが小さく呟くと、メノウはそっと手を離した。
コハクは一瞬手を伸ばす――しかしその手を固く握り、ゆっくりと下ろしていった。
「おい、本当に。危険はないんだな?」
コハクは代わりに、彼へと鋭い視線を投げつける。
「この僕が、灯シ人様をお守りいたします」
その眼差しに、少しも怯まずに彼は自身の胸を叩いた。
「……それはちょっと、頼りない気がする」
「もう、お兄ちゃ〜ん」
ケタケタと、メノウが笑う。
「なんか娘を嫁にやる父親みたいになってるじゃん」
揶揄われ、コハクは少しだけムッとした。
「では、さっそく」
彼は服のポケットを探る。
使い込まれた白いクレヨンを取り出した。
「それ、なに?」
メノウと――ついでにコハクも覗き込む。
二人共、興味津々といった様子だ。
「僕のとっておき!」
得意げに言って、きれいに片付いた床にその先を近づけた。
「お前の……魔導具みたいな物か?」
「そんなところだよ」
コハクの呟きに応えると、彼はぐるりと床に大きく円を描いた。
描いたそばから、青白い光が迸る。
続いて、その真ん中に描いたのは――
「えぇぇ」
一筆で描き込まれた、簡易なうさぎの頭のシルエットに、メノウは思わずくすりと笑った。
青白い光が揺らめく魔法陣が完成した。
「では、これより灯シ人様を僕らの世界へとお連れします」
床に描かれた魔法陣を背に、しろうさぎのぬいぐるみは、小さくお辞儀をする。
「決して、僕の手を離さないよう」
「はーい」
厳かな雰囲気で告げる彼。
しかし、今までが今までだったためか、メノウにはいまいち緊張感が見受けられない。
差し出されたぬいぐるみの手を、メノウはとった。
ひょいと線を超えて、円の中に並び立つ。
床に描いたクレヨンの線が段々と強い光を帯びていき、空気が僅かに震えだす。
棚の上に、丁寧に並べられた置物の数々が、カタカタと鳴り、揺れ動く。
光の帯はやがて二人の姿を包み込むかのように蠢き出した。
「メノウ!」
その様子を、じっと見ていたコハクが、たまらず声をあげる。
彼女は振り向き、いつもの出掛ける時のように、ニカっと笑った。
「いってきます」
『旅に出よう』
彼の呪文によって、メノウの声は掻き消され――直後、二人の姿は白い光の中へと消えていった。
光が消え、音が消えた。
――静寂の中。
いつもは散乱していて、足の踏み場もない部屋に、オレンジ色の柔らかい光が、窓から差し込む。
「……」
改めて、コハクは部屋の中を見回した。
足元には、光を失った魔法陣。
改めて見ると、ただの落書きにしか見えない。
「……何を言っても、片付けなかったのに」
コハクの声が、落ちていく。
「いい加減片付けろ!」
「大丈夫、どこに何があるかわかってるから!」
「……そういう問題じゃない……」
悪びれずに親指を突き立てる妹に、何度頭を抱えたことか――
ずっと望んでいた部屋のカタチ。
その中に、コハクは一人立っていた。
しかし――なぜだろう。
やけにキレイに整えられていて、なんだか落ち着かないのは。
黄昏時。
たった一人の家族である兄を残して、
灯シ人の役目を請け負った妹は、異世界へと旅立った――。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
その日から、コハクはメノウが帰ってくるのをずっと待っていた。
次回
『夢から醒めて』
※外伝 コハクは三話で完結です。
次回更新予定:
10月4日(日)21:00頃(予定)
※変更になる場合があります




