浴室前、攻防戦
この物語はフィクションです。
かつてこの世界に溢れ、灯シ人たちの祈りによって洗い流されたモノたちは、黒い海となった。
溢れ出る――たくさんの涙。
あまりにも多くて、いつしか黒い海と溶け合うように、揺蕩い続ける。
ドウシテ? ナンデ?
ドコかまちがっていたの?
ワタシタチが――――ワルイの?
問いかけは誰のモノ?
わたし?それともアナタ?
それとも――
微睡みの中で、クロエは考える。
けれど、答えは見つからなかった。
トイベルの街観光を終えたアカリとクロエを、メイド人形たちが無言で出迎えた。
シロウの姿はなく、メイド人形たちに連れられて、二人は間借りしている部屋へと戻ってきた。
クロエは、はしゃぎ疲れたらしく。
城に帰りついて部屋に戻るなり、すぐに眠ってしまった。
「……お風呂入りたいな」
アカリがそう呟くと――待機中だったメイド人形たちは、すぐに準備に取り掛かる。
猫足の湯船に湯を溜め始め、ふかふかのタオルを差し出された。
「あ、ありがとう」
受け取りながら、アカリはクロエを見る。
ベッドでまるまって、小さく寝息を立てていた。
「一緒に……と思ったけど、起きてからでいいかな」
その時に、手伝いをしよう。
そう決めて、アカリはクロエを残し、浴室へと向かった。
湯気の立ちこめる、明るい浴室。
ぼんやりと、アカリは湯に浸かる。
目を閉じると、今日一日の出来事が、ゆっくりと頭の中に浮かんできた。
遊園地で、クロエと乗った観覧車。
そこから覗く、街の景色
知らずに踏み込んだ、ゴドム地区で出会った、少しクセのある店主。
目の前に出された、豪華なお子様ランチのプレート。
「ハンバーグ……美味しかったなぁ」
メインのオムライスより、付け合わせのミニハンバーグをアカリはふと思い出し、笑みを溢した。
それから――
思い当たり、きゅっとアカリは口元を引き結ぶ。
「――コハクさん」
以前、ガラス細工の丘で倒れていた彼を介抱したら、突然襲ってきた男。
アカリよりも高い身長と、男性特有のがっしりとした身体付き。
鋭い切れ長の目で、見るからに怖そうな印象だ。
低く唸るような声。
不機嫌そうに思えるその態度。
しかし――
「名前……教えてくれると思わなかったな」
両手で湯を掬い、顔を洗う。
短いけれど、会話が出来た。
ぶっきらぼうではあるものの、受け答えはしてくれた。
その最たるものが、お互いの名前を知り合うことだったと、アカリは思う。
「もしかして――喋るの苦手……なのかな?」
知らず、アカリの口元が緩んだ。
そして、コハクから告げられた。
『この世界には裏がある』
その言葉が引っかかり、アカリは身体を滑らせ、顔の半分を残して湯に沈み込む。
(裏ってなんだろう……)
ぷくぷくと、小さな泡を静かに噴き出す。
敵なのか。
味方なのか。
いい人なのか、悪い人なのか――判断に迷っていた。
でも――本当に悪い人なら。
『お前を利用する』
なんて、言わない気がする。
上体を起こし、顔を拭った。
「あの言葉に、ウソはないんだと思う……多分」
(じゃあ、いい人……?)
自問自答して、首を傾げる。
「それも、違う気がする……」
コハクには明確な目的がある。
「……妹さんを、取り返す」
ぽつりと、アカリは呟く。
コハクはそのためだけに、動いている。
それは、苦しそうに膝をつくコハクの姿から想像することが出来た。
コハクの手に走る、いくつもの黒い茨のような痣。
まるで生きているかのように不気味に脈打っていたことを思い出す。
「……呪い、みたいな……」
あまりいいものではない。なんとなくだが、アカリはそう感じ取っていた。
果たして、それがどういうものであるか。
アカリにはわからない。
けれど――
コハクの妹――メノウ。
過去に、灯シ人だった少女。
(……私と、同じ)
その二つが重なって、胸の奥がわずかにざわついた。
『祈ってオシマイです』
この世界に来て、灯シ人について語られた後、淡々と告げたシロウの言葉。
サイショの村から、ゴールの神殿に向かって旅をする。そこで、この世界の平和を祈れば――
(それで……帰れる、はず)
でも。
(帰って、いないの……?)
だったら――
「妹さんは、どこへ……?」
思考が、生まれたばかりの小さな疑問に辿り着く。
次の瞬間。
――ドン、ドン、ドン。
浴室の扉を乱暴に叩く音が響いた。
「な、なに!?」
「アーカーリー!」
続いてクロエの大きな声。
(あ、起きたんだ)
そろそろ出ないと――
アカリがわずかに腰を浮かせようとした、その時。
「ま、待って下さい!入浴中なら、また改めますので」
「え?シロウくん?」
思わぬ声に、アカリは勢いよく立ち上がる。
「ご、ごめん――今」
傍らに置かれたバスタオルを掴む。
「アカリー、シローきたー」
ガチャッ!
「あぁぁぁ、お気になさらず!」
鍵の引っかかった音と、わずかに揺れる浴室の扉に、ますます焦ったシロウの声。
「ま、また改めますので!」
シロウは言い切った。
直後。
脱衣所の扉が開き、閉まった音がした。
アカリがそーっと浴室のドアを開けると、クロエがシロウを見送っていた。
「シロー、行っちゃったー」
「……あー、そうみたいだね」
閉められた脱衣所の扉を見つめ、アカリはため息を吐く。
「あのね、クロエ――
次からシロウくんには、お風呂入ってますって言うだけにしてほしいかな」
「わかったー」
アカリが目線を合わせると、クロエは勢いよく手をあげた。
「さきほどは、失礼いたしました」
一時間後、シロウは再びやってきた。
「ごめんね、タイミング悪かったね……」
「いえいえ、灯シ人様のせいでは――」
向かい合って座ったソファ。
アカリとシロウの間に、気まずい沈黙が流れる。
あの時――
クロエは、ノックの音で目が覚めた。
返事もせず、自らドアを開ける。
そこに立っていたシロウを、クロエはまだ眠い目をこすりながら見上げる。
「……シロー?」
「おや?灯シ人様は、どちらに?」
クロエに招き入れられ、シロウは尋ねる。
「アカリ……?」
そこへ聞こえてきた、浴室からの水音。
「ああ、入浴中でしたか。でしたら――」
「んーとね……」
クロエはふらふらと歩いて行き、脱衣所のドアの前で止まる。
「あの、クロ……エ?」
戸惑うシロウを無視して――クロエは脱衣所の扉を開けた。
「えぇっ!?」
「アーカーリー」
慌てるシロウを残し、クロエはさらに浴室へと向かって行く。
「ちょ、ちょっと!」
浴室のドアに手をかけるクロエを、食い止めようとシロウは手を伸ばす。
しかし――
「アーカーリー!」
クロエは大声でアカリを呼び、浴室の扉を叩き、ついにはその扉さえも開けようとする。
「……っ!」
脱衣所に踏み込めず、シロウは焦る。
幸い、扉には鍵が掛かっていた。
ひとまず、シロウは安堵する。
だが。
「むー……」
口を尖らせ、クロエは開けようと試みている。
もはやシロウに、ここからクロエを止める術がみつからない。
だったら――
「また改めて伺います!」
シロウは慌てて脱衣所から出て行ったのだった。
シロウから事の経緯を聞いたアカリは苦笑する。
「……止めるよりも、僕自身が出て行くのが早いと――そう思ったんです」
「な、なるほど……」
(扉の向こうでそんなことが……)
まさか、浴室の向こうでそんな攻防が繰り広げられていたとは――
アカリは隣に座るクロエを見た。
「そういえば、何かあったの?」
「え?」
シロウは曖昧な笑顔のまま固まった。
「あ、何か大事な用があったんじゃないのかなって思って……」
「あぁ……いえ」
シロウにしては、珍しく歯切れが悪い。
「その、ちょっと、作業に集中してしまって、お出迎えが出来なかったので……」
「あ、そうだったんだ。難しい作業だったの?」
「それは――」
思わず答えそうになって、シロウは咳払いをした。
「……お二人でのお出かけは、いかがでしたか?」
「――え?」
話題を変えられ、アカリは戸惑う。
「もしかして、それを聞きにわざわざ来てくれたの?」
アカリの問いに、シロウは苦笑する。
「――はい。楽しめたのなら、何よりですので」
シロウは小さく笑い、アカリとクロエを交互に見つめる。
「……うん、楽しかったよ。――いい思い出になった」
アカリは穏やかに笑った。
「思い出、ですか――それは……」
シロウの青い瞳がわずかに揺れて、ぐっと何かを飲み込む。
「灯シ人様が、楽しめたようで、何よりです」
いつもの笑顔を浮かべて、シロウはお決まりの言葉を言い切った。
この世界に広がる歪んだ空の色は、コハクの時間の感覚すら曖昧にさせる。
それでも、一層暗さを増す周りの景色や、音や気配が、今が夜であることを告げていた。
遊園地や周囲の街には明るい光が灯り、昼間とは違う顔を覗かせている。
人工的な光の群から離れた、ゴドム地区。
その一角。
今は無人の、放置されたままの雑貨屋。
中は荒らされていて、廃屋と化している。
慎重に中を覗き込み、薄暗い店内へと、コハクは足を踏み入れた。
「……くっ」
突如、抗い難い眠気に襲われる。
「くそっ!」
朦朧とする意識の中、支えるように壁に手をつく。
頭を振って振り払う。
眠らなくてもいい身体を手に入れたはずなのに――今では、コハクの意識を奪うほどの強い睡魔に襲われるようになった。
それも、突然。
食べずとも生きられるようにしたら、結局食べなくては生きられない。
しかもまったく味が感じられない。
痛みを感じない身体を手に入れたはずが、内側からの突き刺すような痛みに苛まれる日々。
波のように痛みがやってくる。
他にもたくさんのモノたちが、コハクの身体を蝕んでいる。
それらは全て、交わし続けた数多の契約によるものだ。
必要な力を必要以上に求め続けた代償。
捨てたモノたちが巡り巡って。
それらが混じり合って、交差して――歪んで。
カタチを変えてコハク自身へとカエッテきた。
全ては――そう。
たった一人の家族。
妹を連れて帰るために。
ダンッ!
一際強く、コハクは壁に腕を叩きつける。
ローブから覗く腕に絡み付いた黒い茨の痣が、びくりと波打った。
「忌まわしい精霊共め……」
(だめだ……眠い)
「くそっ……」
吐き捨てると、コハクの身体がずるずると沈んでいく。
冷たい床に横たわり、そのままコハクは深い眠りについた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
抗い難い睡魔に襲われたコハクは、
深く深く――眠りに落ちていく。
次回
『外伝 コハク――それは突然現れた』
次回更新予定:
9月12日(日)21:00頃(予定)
※変更になる場合があります




