晩餐会――白い庭にて
この物語はフィクションです。
※加筆修正しました。
沈む、沈む。
クロエの小さな身体が、ゆっくりと黒い海に沈んでいく。
相変わらず、視界は真っ黒。
音も光も揺らぎすらない――。
けれど、クロエにとって、ここは。
まるで、ゆりかごの中にいるかのような心地。
そっと目を閉じ、口元を綻ばせた。
声が聞こえる。
クロエの中の“何か”が、わずかに反応した。
それは、ひとつではない。
どろどろで。
ぐちゃぐちゃした、たくさんの《想い》。
幾つもの終わりが混ざり合ったまま、
形を失った、答えのない――問いかけ。
クロエは、知っている。
――そのたくさんの「声たち」を。
幾つもの重なり合う声が、黒い海に反響する。
やがてそれは、一つの言葉に収束していった。
――――して?
――どうして?
その問いに、答えるものはいない。
クロエは眠るように、身体を小さく丸める。
ゆっくりと――沈んでいく。
全部。
ぜんぶ。
ゼ―――――――ンブ。
揺らぎのなかった黒い海に反響する声たちが、揺らぎを起こす。
詰めこんで。
捏ねて。
丸めて。
伸ばして。
ワタシタチを――抱きしめて……
離さないで。溶かして。
ワタシタチの願いを叶えるために――
願いはひとつ――カエリタイ
「カエリタイ……」
その声と共に、クロエはゆっくりと瞼を開いた。
「……クロエ?」
「……ア……カリ?」
目の前に、アカリの顔があった。
「大丈夫?」
「なにが――え?」
突然、アカリがクロエを抱きしめた。
「……アカリ?」
ぼんやりと、その名前を呼ぶ。
「……帰りたいって、寝言が聞こえた気がしたから――?」
ぎゅう、と。
アカリの腕に、力が籠もる。
「――帰りたい?」
クロエは、その言葉を確かめるように、ぽつりと呟く。
「……そっかぁ」
「大丈夫。大丈夫だから……」
アカリはクロエの身体に顔を埋め、優しくクロエの背中を撫でる。
まるで、自分自身に言い聞かせるかのように――何度も、何度も。
「――うん……」
少し間を置いて、クロエはアカリの背にそっと両手を回した。
「もう――大丈夫」
短く、しかしやけにハッキリと、クロエはそう答えた。
アカリと顔を見合わせ――笑った。
「クロエ?」
アカリは首を傾げる。
いつも通りの、クロエの笑顔。
――その、はずだった。
「なぁに?」
クロエがアカリと同じように首を傾げる。
しかし、何かが引っかかった。
「あ……」
アカリがクロエの頬に触れようとした――その時だった。
コン、コン、コン。
控えめなノックが割って入る。
続いて――
「お迎えにあがりました」
シロウの声が、部屋の中に響いた。
□□■■■
シロウの案内で、アカリとクロエが着いた先。
「どうぞ」
飾りガラスの扉が、静かに開かれる。
「――すごい……」
目の前に広がる光景に、アカリは思わず息を呑んだ。
巨大な透明のガラスドーム。
その内側に閉じ込められた箱庭へと、アカリとクロエは足を踏み入れる。
「空が……きれい」
見上げて、眩しさに目を細める。
時刻は夕刻を迎えているはずなのに、この庭の中だけ明るい。
久しぶりに目にした、抜けるような青空。
雲一つない、澄み切ったその色。
眩い太陽のような光が、
新緑の木々に、
綺麗に切り揃えられた花々に、
そして、整えられた土の上にまで、均一に降り注いでいた。
「本日の晩餐会は、この“女王の白い庭”で行われます」
「白い……庭」
言われて見回す。
床、柵――植物以外の物が全て白一色で統一されていた。
「どうぞ、こちらです」
シロウに、先を促され、どこまでも整い過ぎた景色の中へと、アカリはクロエと共に踏み入れる。
――しかし。
その先へ進むことを、アカリは躊躇した。
「灯シ人様?」
シロウが振り返る。
「アカリ、どうしたの?」
アカリと手を繋いだままのクロエが見上げる。
「あー……うん。その、なんか、キレイ過ぎて、圧倒されちゃうなー……なんて」
(みんなを待たせちゃうのに……)
美しい絵画のような光景。
その中に、自分なんかが入り込んでいいのだろうか?
そう思ったら、一歩が踏み出せなくなった。
(こういうところ、我ながらほんとうに、面倒くさい)
その様子をアカリの隣でクロエは見つめ、庭の奥へと視線を移す。
「灯シ人様?」
「あ、ごめんなさい」
シロウに気遣われてしまった。
焦った勢いで、アカリが一歩踏み出そうとした――その時。
「いらっしゃーい」
するりと背後から、白い腕がアカリの身体に巻き付いた。
「アカリ♪」
弾むような、明るい声が頭上から降ってきた。
「じょ、女王さま?!」
アカリの声が思わず上擦った。
シロウはモノクルに手を添え、小さくため息をつく。
「待ってたわよー」
上機嫌な女王。
しかしその視界の端にクロエが映り込み――
その肩が、びくりと揺れた。
一瞬の、硬直。
しかしすぐに、
何かを振り払うかのように、女王は緩く頭を振った。
「さぁ、こちらにいらして!」
気を取り直したように、ことさら明るい声で、女王はアカリの手首を掴んだ。
強引に引かれ――
「――わっ?!」
繋いでいたアカリとクロエの手が、離れた。
「あ、あの……」
振り返ると、クロエは離された手をじっと見つめていた。
「さぁさぁ、最高のおもてなしを考えたのよぉ」
女王はさっさとクロエに背を向け、アカリを連れ去るように庭の奥へと進んでいく。
困惑するアカリの声が遠ざかっていく中――
クロエはシロウを見上げる。
「……まったく」
ぼやいて、シロウは今日一番のため息をついた。
両端を花々で彩られた、真っ白な煉瓦の道。
女王の弾むような足取り。
そのあとを、アカリは引っ張られるように歩く。
「あ、あの……クロ」
クロエ――その名前を出す事を、躊躇う。
女王の横顔を見て、謁見の間でのことを思い起こし、アカリは口を噤んだ。
(……言わない方がいい、よね?)
曲がりくねった道。
小さな橋を一つ渡って、見えたのは――
真っ白に磨き上げられたガゼボ。
「ここが、この庭の中央。ワタシのニ番目にお気に入りの場所なの」
ふわりと笑う女王に手を引かれ、アカリは階段を数段登る。
「こっちよ」
そこに用意された丸テーブルの上。
シルバーのカトラリーと、真っ白な食器が光を受けて、静かに煌めいている。
「……きれい」
「はーい、座ってぇ」
思わず見惚れていると、女王はアカリの両肩を掴み、半ば強引に席へと押し込む。
「あ、あの。じょ、女王さま?」
わずかに腰を浮かせたアカリに、しかし女王は満足げに微笑み、自身の席へと離れて行く。
「……こちらへどうぞ」
少し遅れてその向かい側の席に、シロウは丁寧な所作で、クロエを椅子に座らせる。
「シロウくん」
少しほっとしたようなアカリの呼びかけに、シロウは小さく微笑む。
そのまま、靴音を鳴らして離れて行くシロウを、アカリは目で追いかける――やがて、その姿がぴたりと止まった。
女王の背後で、背筋を伸ばしたままシロウは控える。
しばしの静寂の後――。
「まずは――」
女王が、静かに口を開いた。
それだけで、アカリの背筋に緊張が走り、クロエもまた、わずかに身を固くする。
いつの間にか、メイド服姿の様々な動物の人形たちに囲まれていた。
「ようこそ、ワタシたちの世界へ」
澄んだ鈴の音のような声が、庭に響く。
「アナタがワタシたちの世界の希望となり、
平和を願って下さるのならば――
ワタシたちは、その尊き魂を歓迎いたします」
そう告げて、
女王とシロウは同時に、深く頭を下げた。
――つられるように、アカリも座ったまま、小さく頭を下げる。
繰り返し行われてきた"女王と灯シ人の出会いの儀式"
今回はお茶会から、晩餐会への変更となってしまったが――
開幕の言葉は、いつものように述べることが出来た。
わずかに安心して、ゆっくりと女王は顔をあげる。
――だが。
「……っ」
その様子をじっと見ていたクロエと、思わず視線がぶつかり、女王は顔を歪める。
さっと目を逸らし、クロエに背を向ける。
「どうぞ――心ゆくまでお楽しみください」
何事もなかったかのように、女王は笑顔で締めくくった。
シロウが慣れた仕草で椅子を引き、女王は静かに腰を下ろす。
(本当に……"従者"なんだな)
その一連の動きを見ながら、アカリはぼんやりと、そんなことを思う。
常日頃から、シロウは"従者である"と言っていた。
実際その言動や所作は、まさにその言葉を体現していた。
けれど――
(やっぱり、同級生の男の子って気持ちは、どこかで抜けてなかったんだよね……)
実際に女王の背後に控え、椅子を引き、完璧な所作で仕える姿を目の前にして、改めて実感する。
どこか、いつもと違う人のように見えて――
わずかに、距離を感じた。
しばらくして――
人形たちによって、料理が運ばれてきた。
動物を模した人形たちは、器用に手足を動かして、次々とテーブルに料理を並べていく。
「かわいい……」
その様子に、アカリは思わず息を漏らす。
「気に入ってくれた?」
女王は目を細めて、テーブルの上で両手を組んだ。
身体は――完全にアカリの方へと向いている。
「あ、はい」
最初は、少し不気味に思えた。
(童話の中に、こんな場面あったな……)
執事服やメイド服を着て、ちょこちょこと動く姿に、思わず心が和んだ。
「それなら、良かったわ」
女王は満足そうに微笑んだ。
「ねぇ、アカリ」
食事がはじまってすぐのこと――
「ルミナス草原はどうだった?とってもキレイなところだったでしょ?」
女王はテーブルに肘をつき、わずかに身を乗り出す。
「ルミ……?」
アカリの表情が固まる。
「えぇーと……」
視線が彷徨う。
「灯シ人様が、僕らの世界で最初にお目覚めになられた場所のことです」
シロウが淡々と補足する。
「どうぞ」
前菜のサラダを、アカリの前に静かに置いた。
野菜が星型や花の形にくり抜かれ、飾られていた。
「ありがとう。わっ、可愛い」
言いながらも、アカリは記憶を辿る。
「あぁ!はい!とっても、キレイなところでした」
「でしょー!」
女王は満足げに笑う。
「なんたって、ワタシたちのおねがいをきいてくれた、大切なお客様を最初にお迎えする場所だからね!」
くるりとフォークを回す。
「そ、そうなんですね〜……」
女王の勢いに気圧されて、アカリは曖昧に笑う。
ちらりとクロエへ視線を向けた。
クロエは不器用ながらも、一生懸命食器を使って食事をしていた。
野菜も、好き嫌いせずに食べている。
(今のところは、いつも通り……かな)
ひとまずアカリは、小さく胸を撫で下ろした。
「――サイショの村はね」
やけに大きく、女王の声がアカリの耳に響いた。
はっとして、視線を戻す――と。
女王と、目が合う。
「本当に、最初につくったから“サイショの村”なのよ」
グラスを軽く揺らし、にやりと笑う。
さきほどから、女王はこの世界についての話しかしない。
まるで、
「ここがすごいでしょ?」
「あれも素敵でしょ?」と、
一生懸命描いた絵について、得意げに話す子供のように――
「へ、へー……そうなんですね」
女王の勢いに圧され、さらにクロエの様子が気になるアカリには、もはや曖昧な相槌を打つことしか出来ない。
それに――気になることがもうひとつ。
(女王様、やっぱり一度も、クロエの方を見ようとしていない)
思わずじっと見つめるアカリの視線に、女王の声が少しだけ上ずる。
「あ、あの大穴!あれはつくるつもりなかったのよねー」
話題は矢継ぎ早に切り替わり、落ち着く気配がない。
「思わず破いちゃったというか、手が当たっちゃったというか……」
目を逸らすように、逃げるように、そんな焦りの中で女王は話し続けている。
その様子に、アカリは既視感を覚える。
謁見の間で、威厳のある女王として現れ、クロエを見るなり、脆くも崩れたその姿。
嫌悪――とも違う。
取り乱して――怯えていた。
「どうして――」
思わず、言葉が溢れた。
「え?」
女王が笑顔のまま固まる。
(あ、しまった……)
アカリがそう思った時には手遅れで、美しい庭園に、沈黙が落ちる。
シロウまでもが動きを止めた。
「あ……っ、その……」
唾を飲み込む。
「ど、どうして。そんなに……怯えているのかなって、思い……まして」
「――え?」
女王が目を見開く。
「あ……その、大丈夫……ですか?」
(言葉が、うまく形にならない……)
心配そうに、アカリは女王の様子を伺う。
「だ、大丈夫って……」
女王の呼吸が段々と短く、早くなっていく。
「なに――が?」
言い募る女王の肩に、シロウはそっと手を置く。
見上げる女王に、シロウは緩く首を振った。
アカリは膝の上でスカートをきゅっと掴む。
(きっと女王様は、クロエのことを何か知ってる……)
知ってるなら、教えてほしい。
そう――思っていたのに。
女王の様子のほうが、どうしても気になってしまって、アカリは言い出せなかった言葉を、ぐっと呑み込んだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
聞きたかったのは、クロエのこと――
だけど。
まるで何かから逃げるように振る舞う女王の様子が、痛々しくて――
次回
『どうして』
※この物語は改稿版です




