穏やかなお茶の時間
この物語はフィクションです。
※加筆修正しました。
謎の男が消えるように去り――
シロウが帰宅したのは、それから間もなくのことだった。
「ただいま戻りました」
「あ……おかえりなさい」
キッチンにいたアカリは振り向き、シロウへと歩み寄る。
「予定よりも遅くなってしまい、申し訳ありません」
「そんな!予定は未定っていうんだから……そんなに気にしないで……」
深々と頭を下げるシロウに、アカリは恐縮しながら両手を大きく振り、わずかに視線を逸らす。
「……灯シ人様?」
シロウが眉をひそめる。
「もしや、留守中、何か――」
「あっ!」
突然、アカリが声を上げる。
その視線の先――
クロエが冷蔵庫を開け、水のたっぷり入った瓶を引っ張り出そうとしていた。
「クロエ、待って!」
アカリが叫び――
「……っ」
すぐにシロウが駆け出す。
「うわっ」
勢い余ったクロエの身体が、ぐらりと傾く。
その後を追うように、瓶が冷蔵庫から飛び出した。
(――落ちる!)
思わずアカリは目を瞑った。
「……ふぅ」
シロウは一つ、息を吐く。
アカリが目を開けると、シロウがクロエを支えるように膝をついていた。
手に持った大きなガラス瓶の中で、水がたぷんと、揺れる。
「……危ないところでしたね」
「シロウくん!クロエ、大丈夫?」
カウンターテーブルに手をつき、アカリが覗き込む。
「お水……」
クロエは、シロウの持つガラスの瓶を見上げて呟く。
「……そんなに、飲みたかったのですか?」
「……うん」
シロウは小さく息を吐き、クロエと視線を合わせた。
「だめですよ。無理して怪我でもしてしまったら、灯シ人様も……僕も、悲しくなります」
アカリも無言で、こくこくと頷く。
「次からは、きちんと僕たちに"おねがい"してくださいね」
「……ごめんなさい」
しょげたクロエの頭を、シロウは優しく撫でて立ち上がった。
グラスに水を注ぎ――
「はい、どうぞ」
クロエへと手渡す。
「ありがとう」
クロエは、それを受け取ると、一気に飲み干した。
(良かった……)
アカリがほっとした矢先――
「灯シ人様も、何かお飲みになりますか?」
シロウはクロエから、空のコップを受け取る。
少し考えて――
「あ、じゃあ温かい紅茶って、あるかな?」
「はい」
シロウは、水の入ったケトルを火にかけた。
戸棚を開けて、茶葉の入った容器とティーポットを用意する。
それから――
丁寧に、ソーサーとティーカップを並べていく。
(……カフェの店員さんみたい)
カウンター越しに見る、いつもと変わらない、隙のない動き。
――だけど。
「……何か、あった?」
考えるより先に、アカリは口にしていた。
「え?」
シロウの手が、止まる。
「あ!」
しまった――と、アカリは内心で焦る。
「……」「……」
二人の間に、沈黙が落ちた。
その直後――
ピーーーー。
ケトルが沸騰を知らせた。
「――いえ」
シロウは火を止める。
「特に……何も」
――そう言って、いつものように、微笑んだ。
「……そっか」
アカリは小さく息を吐いた。
「……灯シ人様の方こそ、何かありませんでしたか?」
ゆっくりと、ポットに湯を注いでいく。
「えっと……」
一瞬、アカリは目を泳がせた。
思い浮かんだのは、ついさっきのこと――
「その……」
言い淀むアカリの足元に、いつの間にか、クロエがいた。
スカートを、くいっと引っぱられる。
(――クロエ?)
アカリは、ちらと目だけを向ける。
「――……」
見上げた赤い瞳は、ただじっとアカリを見つめたまま、何も言わない。
シロウからは見えない位置。
アカリは、少し考えて――
(余計な心配、させちゃうかもしれないし……)
それに――
脳裏に、あの琥珀色の瞳が浮かぶ。
激しい怒りを宿していた。
怖かった。
けれど――
誰か――大切な人を必死に探しているようで――
(ただの「悪い人」には、思えなかった……)
理由は、わからないけど――
「……何も、なかったよ」
少し曖昧にアカリは、笑った。
「そう……ですか」
シロウの視線が、紅茶へと落ちていった。
間を空けて――
ちらりと視線だけをアカリへと向ける。
アカリは、どこかほっとしたような顔をしていた。
――何か、引っかかる。
けれど――
それ以上、踏み込む気持ちが起きなかった。
「どうぞ」
「ありがとう」
アカリの前に淹れたての紅茶を、クロエにはミルクティーを差し出す。
シュガーポットを置いて、
「夕飯前なので、少しだけにしましょうか」
小皿に、クッキーを数枚並べた。
「ご一緒しても?」
「もちろん!」
珍しくシロウからの申し出に、アカリは嬉々として答える。
二人は、向かい合うように座った。
「いただきます」
三人の声が、自然と重なる。
クロエはカップを両手で持ち、アカリは紅茶に口をつけた。
「……美味しい」
ふっと、息がこぼれた。
「シロウくんって、お砂糖入れる派なんだ」
「ええ――意外ですか?」
苦笑して、シロウは砂糖を二粒落とし、ゆっくりとかき混ぜる。
「うん」
思わず、アカリはシロウの手元を見つめてしまった。
アカリの隣で、クロエがクッキーに手を伸ばす。
「どれがいいの?」
「チョコのやつ!」
一枚取って、アカリは手渡した。
シロウはゆっくりと紅茶を飲み、ほっと息をついた。
――空気が、あたたかい。
そんな風に思い、わずかに口元が綻んだ。
「灯シ人様は、ストレートティーがお好みですか?」
アカリは、カップを置いた。
少し考えて――
「ホットはね。でも、アイスティーは甘い方が好きなんだ」
苦笑する。
シロウは、アカリの顔を見つめた。
そういえば以前、“好みは物によって変わる”と言っていた。
そんな自分が、少し面倒くさいとも――
「そういえば、灯シ人様の世界にお邪魔している時に、とても美味しいアイスティーがありました」
「え? なになに、どの商品?」
思わぬ話題に、アカリはわずかに身を乗り出す。
「確か……ペットボトル飲料で、赤いラベルのついた――」
『ぬ〜ん・ティー』
ほぼ、同時に発した商品名。
顔を見合わせ、思わず二人は吹き出した。
くすくすと、笑いがこぼれる。
そんな二人の様子に、クロエは不思議そうに首を傾げた。
笑いながら、シロウが口元を抑える。
「くっ……すみません」
「確かに、あれは私も美味しくて好き」
アカリも素直な感想を述べた。
しばらく笑っていた二人だったが――
静かにシロウはカップを置いた。
「僕はこれまで、様々な世界を巡ってきましたが――」
じっと、アカリを見る。
「あなたの世界は、特に知らないもので溢れていましたね」
ポケットからスマホを取り出す。
「これも、その一つですね」
アカリも自分のスマホを取り出し、両手で包むように持つ。
「シロウくんの魔法でも、無理そう?」
電源の入らなくなった黒い画面へと、アカリは視線を落とす。
シロウもまた、それを見つめる。
しばらくの沈黙――
「……無理ですね」
小さく首を振った。
「形を作ることはできると思います。
ですが――内部の機能はあまりにも複雑すぎるので、“機能の再現”は不可能かと」
画面を伏せて、テーブルに置いた。
沈黙が落ちる。
「それなら……」
アカリが、口を開く。
「これに“役割”を与えるっていうのはどうかな?」
アカリは自分のスマホを指差した。
「灯シ人様……それはどういう――」
シロウが、わずかに目を見開き、言葉が止まる。
「んー、上手く言えないんだけど……」
アカリは、軽く腕を組む。
「スマホ自体に、シロウくんが――」
少しだけ、言葉を探す。
「“こういうものです”って、そういう役割を与えたらどうかなーって……」
さらにアカリは続ける。
「多分なんだけど――シロウくんの魔法は、例えば木材に"あなたは鉄のネジですよ"って役割を与えて、足りない部品をその場で補って完成させてるものだと思うの――だから」
シロウの動きが止まる。
アカリはシロウのスマホへと目を向ける。
「そのスマホに、シロウくんが考える機能を役割として与えちゃうってどうかな?」
そこまで言って、アカリはカップに口をつけ、
「あ、でも」
その手が止まり、
「一言で明確に、スマホの役割を表すってなったら難しいかもね」
曖昧に笑った。
シロウは、動かない。
ただ――思考だけが、走る。
――これに「僕の考えるスマホとしての機能」を「役割」として与える。
そんなの考えもしなかった。
でも、もしそれが出来るなら――
目の前のアカリを盗み見て、口の端がわずかに緩み、うず、と手が動く。
――しかし。
シロウは首を横に振った。
「いえ、それでも難しいかもしれませんね」
「え?」
そっとシロウはスマホを手にとる。
「もし出来たとしても、インターネットのような……繋がる先が――ありませんから」
苦笑して、小さく振ってみせた。
「あ、そういやそうだね」
(ネジと違って、カタチのないモノだから、そもそも役割として想像するのは難しいものね)
試しに、アカリは想像してみた。
インターネットの役割を詳しく、十文字以内で答えよ。
という問題文が頭に浮かび、少し考えて、首を振る。
電源を落としたままの自分のスマホに、そっと視線を落とす。
「けれど――」
シロウはおもむろに、クッキーに手を伸ばす。
「……もし、それが出来たら――素敵、ですね」
プレーンのクッキーを摘みあげた。
「そうだね」
アカリも一枚手に取り、小さく齧る。
さくり、と軽い音がした。
やがて、話題は使っていたアプリや、食べ物のことへと移っていき――
ひとしきり語り合った、その後。
「――灯シ人様、こちらを」
差し出されたのは、真っ白な封筒だった。
「これって……」
「はい。女王陛下からの招待状です」
「え!?」
思わず、大きな声が出た。
封蝋の施された、上質な封筒。
「わ、私に?」
「……はい」
アカリはそっと受け取り、慎重に封をきる。
取り出した真っ白なメッセージカード。
そこに綴られていたのは――
『ワタシ達の世界の希望
灯シ人様。
最上級の感謝を込めて。
ネアンティアラ城にて、お待ちしております』
「……ネアンティアラ、城?」
(差出人は……)
アカリは改めてカードを確認する。
しかし――ない。
どこにも、記されていない。
シロウはモノクルに、そっと手をあてる。
「――はい。女王陛下の、居城です」
「女王陛下の?」
アカリは、息を飲む。
気づけば、カードを握る手に、わずかに力が込もる。
「はい、僕らの世界ヴィラブドを統べる、女王陛下からの、お茶会への招待状です」
厳かに告げるシロウの、その奥の青い瞳が、わずかに揺らいだ。
それは――ほんの一瞬。
アカリは驚きを隠せずにいる。
一方で――クロエは、
「……お茶会」
小さく呟く。
その声は誰にも拾われることなく、磨き抜かれた床へと落ちていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
少しずつ距離の縮まるシロウとアカリ。
そこへ灯シ人であるアカリへ、女王陛下からの招待状を渡される。
一行は次の目的地「おもちゃ職人の街」へと向かうことに――
次回
『おもちゃ職人の街』
※この物語は改稿版です




