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お姫様ですが、勇者になりたいんです― ヒロイン役を降りて、剣を取りました ―  作者: 亜久美 圭


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小さな守護者

リリアーナの左腕から、ぽたぽたと鮮血が滴り落ちる。

痛みと恐怖に、リリアーナは顔を歪めた。額からは、じわりと汗が滲む。


(本気でヤバいかも……)


リリアーナは、短剣を握った右手で、左腕を抑えていた。

 

「あ……あぁっ……」


背後でセレスティーヌが、か細い声を漏らす。


「セレスティーヌ……大丈夫だから。落ち着いて……」


目の前の敵から目を離せない――。

リリアーナは振り返らずに、セレスティーヌに声をかけた。


(全然大丈夫じゃないんだけどね……)


どうやってこの場を切り抜ける――。

必死に思考を巡らせるが、答えは見つからない。


グォォォォウ――。


魔獣ブラックヴァルグの雄叫びが、洞窟内に大きく響き渡った。

あまりの声の大きさに、空気が振動し、天井が揺れるように感じたほどだ。


「い、いやぁ――」


セレスティーヌの絶叫が響き渡った。


(ダメだわ……。完璧にパニックになってる)


すると――。


グォォゥ――。


雄叫びをあげながら、ブラックヴァルグは立ち上がった。

その両手には、鋭く長い爪が生えている。

その手がリリアーナの頭上へと迫った。


(来る……)


再び、リリアーナは短剣を構えようとした。

だが――。


するりと短剣が、リリアーナの手から離れた。

血で濡れた手から、短剣が滑り落ちてしまったのだ。


(まずい――)


迫り来る恐怖に、リリアーナは思わず目を閉じた。


それから――。


一秒……。

二秒……。

そして――五秒……。


来るはずのブラックヴァルグの攻撃が、いつまで経っても襲ってこなかった。


あまりの静けさに、リリアーナはゆっくりと目を開けた。

そこで目にしたものは――。


「モルルっー!」


リリアーナは叫んだ。


リリアーナの足元には、下位魔獣ラピフェルのモルルがいた。

まるでリリアーナを庇うように立ち上がり、小さな両手を広げている。

その身体の前には、淡く光る壁のようなものが展開されていた。


(これは――防御魔法っ?!)


「モルル……」


リリアーナは小さく呟いた。

その姿は、必死にリリアーナを守っているように見えた。


「やだっ!また魔獣っ!」


背後から聞こえたセレスティーヌの声に、リリアーナは思わず振り向いた。

怯えるセレスティーヌに、リリアーナは黙って強い視線を向けた。


「な、なによ……」


セレスティーヌの声を無視し、リリアーナは再び前を向いた。


(モルルはただの魔獣なんかじゃない!)


リリアーナは、自分を守るモルルに視線を向けた。


(モルルは、私の大事な家族なのよ)


両手を広げ、防御魔法で耐え続けるモルル。

だが、下位魔獣であるモルルに、格上の魔獣を相手に耐え続ける力はなかった。


やがてモルルの作り出した、淡く光る透明な空気の壁が軋み、少しずつ押し込まれていく。


そして――。


パンッ――!


まるで風船が弾けたかのような大きな音とともに、振動が洞窟内を駆け抜けた。


モルルの作った空気の壁が、ブラックヴァルグの力によって破壊され、弾け飛んだのだ。


リリアーナは、その衝撃に思わず目を閉じた。


そして、目を開けた次の瞬間――。

 

目の前の光景に、言葉を失った。


リリアーナを守っていたモルルが地面に倒れている。

ブラックヴァルグの鋭い爪によって、その小さな身体には深い傷が刻まれていた。


「モルル――っ!」


リリアーナはすぐにしゃがみこみ、モルルを腕の中に抱き寄せた。


「……キュ」


モルルは、小さく鳴いた。

かろうじて開いた瞳には、もう力がない。

 

そして、リリアーナの腕の中へ、ぐったりと身を預けた。


「モルル……なんで……」


モルルを抱くリリアーナの手は、自分のものかモルルのものか分からないほど、血で赤く染まっていた。


リリアーナの目から、一気に涙が溢れた。

その涙が頬を伝い、ぽつぽつと小さなモルルの体へ雫となって落ちていく。


「モルルっ……」


悲しみと絶望が、リリアーナを襲った。


(私のせいで、モルルが……)


(私に、もっと力があったら……)


「回復魔法……かけなきゃ……」


リリアーナは、モルルを抱く手に力を込めた。

 

だが――。


グォォォォ――!


再び、激しいブラックヴァルグの雄叫びが、洞窟内に響き渡る。


次の瞬間――。


ブラックヴァルグが、リリアーナとモルルに向かって突進してきた。


(モルルを助けなきゃ!)


リリアーナは、向かってくるブラックヴァルグに視線を向けると、静かに目を閉じた。


(助けるために、時間を稼がなきゃ……)


周りは硬い岩壁に囲まれた洞窟。

だが、すでに最初の落石で、すでに地盤は弱っている。


ここに共鳴魔法で亀裂を作り、岩を崩して壁を作る――。


リリアーナはモルルを抱きしめたまま、天井を見上げた。


(お願い……少しだけ、私に力を貸して……)


リリアーナは、洞窟を流れる魔力の流れに意識を重ねた。


大地の魔力。

岩盤に走る亀裂。


「お願い――!」


リリアーナが右手を伸ばした。

次の瞬間――。


ゴゴゴゴ――。


洞窟の天井が大きく揺れた。

巨大な岩が次々と崩れ落ち、リリアーナとブラックヴァルグの間に、厚い岩壁が築かれていく。


「できた……」


(これで少しは時間を稼げるはず……)


リリアーナは安堵し、息を吐きながら小さく呟いた。


だが、これでかなり力を消耗してしまった。

 

共鳴魔法は、自らの魔力を使うものではない。

しかし、自然の力に意識を合わせることは、その力が大きければ大きいほど神経をすり減らし、身体への負担も大きかった。


まだ七歳のリリアーナには、まだ大きな力を扱えるだけの器はなかったのだ。

 

(何かを背負わされたように身体が重い……。頭がぼんやりする……)


だけど――。


リリアーナは、胸の中で力なく横たわるモルルに視線を向けた。


(ここで倒れるわけにはいかない――)


リリアーナは、モルルを抱きしめる腕に力を込めた。


(もしこれで力が尽きてしまっても関係ない。私は、モルルを助ける!)


リリアーナは意識を集中した。

ただモルルを助けることだけを願い、自然の流れに意識を重ねる。


すると――。


リリアーナの身体の周りが、淡く輝き始めた。

黄金色に――。


「え……えっ……」


セレスティーヌの声も、もうリリアーナの耳には届いていなかった。


ただモルルを助けるために――。

 

リリアーナは、全ての意識を集中させた。

 






 


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