破られた封印
「まさか、セレスティーヌがここにいる……ってことはないわよね……」
一歩一歩、リリアーナは何かを確認するかのように、ゆっくりと足を進めた。
(お願いだから、ここにセレスティーヌがいませんように……)
だが、足を進めるたびに、胸のざわめきは大きくなるばかりだった。
「……嫌な予感しかしないわ」
リリアーナは思わず呟いた。
この場所は、よく知っていた。
前世で莉子が夢中になっていたゲーム『レジェンド・オブ・アルディア』。その中でアルディア城の敷地内へ迷い込み、この場所で戦闘になったことがあった。
アルディア城の敷地の最奥部。
ここは城からはかなり離れており、人の手もほとんど入っていない、手つかずの場所だ。
(そう……これ……)
前方には、小さな石碑が立っていた。
不気味なその石碑こそ、この場所の目印だった。
さらに奥に目を向けると、洞窟らしきものが見える。
「はは……。間違いなく、あの場所よね……?」
リリアーナは思わず苦笑いを浮かべた。
あの洞窟の先に、結界の歪みがある。
あそこに入れば、戦闘になるかもしれないことを、リリアーナはよく知っていた。
(あの時は、十分にレベルを上げてから挑んだから、なんとか勝利できた。だけど、今は違う――)
今のリリアーナは、まだ七歳の子供だ。
しかも毎日訓練を続けていても、レベルはまだ10にも満たない。
莉子がゲームをしていた時のレベルとは比べものにならなかった。
なにより――。
リリアーナはこくりと息を飲んだ。
あの時はゲームの世界だった。
だが今は、リリアーナという生身の身体――。
(もしも戦いが始まったら、負ける気しかしないわ……)
リリアーナは背筋に冷たいものが走るのを感じながら、それでも前へと歩みを進めた。
そして――。
ついに洞窟の前へと辿りついた。
そこは、アルディア城の敷地内にあるとは思えないほど、異質さを漂わせていた。
全身を冷たい空気に包まれたような感覚が襲う。
それが本当の寒さなのか、恐怖からくるものなのか、リリアーナには分からなかった。
だが、胸の奥に広がる不安だけは、確かなものだった。
(早くこの場所から立ち去りたい、だけど……)
リリアーナは洞窟の周辺を見渡し、セレスティーヌがいないか探した。
「うん……いないわね」
セレスティーヌの姿がないことを確認し、リリアーナは少しほっとしたように息を吐いた。
そして――。
洞窟の奥にチラリと視線を向けた。
ゾクッ――。
一瞬、全身が小さく震えた。
(これだけ気候もいいはずなのに……)
「……まさか貴族のご令嬢様が、こんな場所に入ったりはしないでしょう……」
リリアーナは、自分に言い聞かせるように呟くと、わずかに引き攣った表情のまま、くるりと背を向けた。
その時――。
キュウっ!
腕の中にいたモルルが、一際大きな声で鳴いた。
「モルル?」
その目は、真っ直ぐにリリアーナを見ていた。
まるで「ここにいるよ」と伝えているように――。
「モルル……まさかここにいるって言ってるの?」
キュウ。
今度は愛らしくモルルが鳴いた。まるでリリアーナの言葉に応えているようだった。
リリアーナはしばらくモルルを見つめていた。
そしてゆっくりと視線を洞窟の奥へと向けた。
(正直、この先へは行きたくない。だけど、もしここにセレスティーヌがいるというのなら……)
額に浮かんだ汗が、一筋だけ頬を伝った。
そして――。
リリアーナは決意を宿した目で、前を見据えた。
(行くしか、ないわよね……)
覚悟は決まった。
リリアーナは小さく息を飲んだ。
「よしっ!行ってやろうじゃない!」
そしてリリアーナは、洞窟の中へと足を進めた。
「言っとくけどね、私はリリアーナ・アルディア・クラウン……この世界のヒロインなんだからっ。そう簡単に死亡フラグなんて立たないでしょ!」
不安を打ち消すように、リリアーナは自分に言い聞かせるよう声をあげながら、洞窟の奥へと進んでいった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
どれだけ進んだのだろう――。
リリアーナは、洞窟のかなり奥深くまで来ていた。
ここに来るまで、誰の姿も見なかった。
セレスティーヌどころか、小さな生き物の気配すらない。
(小さな虫や蝙蝠さえもいないなんて……)
生き物の気配さえしない洞窟。それがさらに不気味さを際立たせていた。
「魔石ランタン持ってきて正解だったわね」
洞窟の中はかなり薄暗く、一寸先も見えないほどだった。
これではセレスティーヌを探すどころか、この暗闇の中を進むことすらできなかったかもしれない。
「セレスティーヌ……は、いないわね」
そろそろ洞窟の最深部まで来たはず。だが、セレスティーヌの姿は見えなかった。
リリアーナは小さく息を吐いた。
「モルル、あなたの気のせいだったのよ。ここにセレスティーヌはいないわ」
セレスティーヌが見つからない不安はあった。だが、それ以上に、ここにセレスティーヌがいなかったことへの安堵の方が大きかった。
キュウッ!
モルルは不満そうに目を吊り上げ、長い耳をぴんと立てた。
「だっていないんだもの、仕方ないじゃない。さ、私たちも戻るわよ」
(こんな場所に長居したくないからね)
リリアーナはくるりと背を向けた。
その時――。
キュウッッ――!
モルルは反論するように、大きな声を上げた。
「もうっ!モルルっ、耳元で大きな声出さないでよー!」
リリアーナは、思わず左手で耳を塞いだ、次の瞬間――。
「誰か……いるの?」
奥から、小さな声が聞こえた。
リリアーナの身体が、ぴたりと固まった。
(この声は……セレスティーヌ……?)
リリアーナは、声のする方へ足を進めた。
右前方に、小さな窪みがある。
(まさか……)
リリアーナの足は、さらに速くなった。
窪みの中――。
小さな人影が見えた。
身体を丸め、そこにすっぽりとはまっている。
「……セレスティーヌ……?」
窪みの中で、その少女はゆっくりと顔を向けた。
その顔を見た瞬間、リリアーナは息を呑んだ。
間違いない。そこにいたのは――セレスティーヌだった。
リリアーナはすぐに駆け寄り、身を屈めた。
「……なんでここに、リリアーナ様が……?」
ぽかんと口を開けて見つめるセレスティーヌに、リリアーナは思わず声を荒らげた。
「バカっ!あなたを探しにきたに決まってるでしょっ!」
「あ……」
セレスティーヌは、一瞬はっとした表情を浮かべた。
そして、安心したのか、その目には涙が浮かんでいた。
「あなたが無事でよかったわ。さ、帰るわよ」
リリアーナはそう言うと立ち上がり、セレスティーヌの手をそっと取った。
だが、セレスティーヌは身を小さく丸めたまま、その手を握り返すことも、立ち上がることもしなかった。
動こうとしないセレスティーヌを不思議に思い、リリアーナは尋ねた。
「どうしたの?」
セレスティーヌは、今にもこぼれ落ちそうな涙を浮かべながら、小さく答えた。
「……無理なの」
「え?」
リリアーナが戸惑っていると、セレスティーヌは震える声で続けた。
「出られないの……」
「出られない……?」
セレスティーヌの言葉に、リリアーナの動きが止まった。
「私も何度もここを出ようとしたわ。でも来るときはすんなり入れたけど、出る時……何かに阻まれているみたいに、壁のようなものがあって……出られなかったの……」
セレスティーヌは、視線を落とした。
(そういえば……)
リリアーナは、莉子がゲームをしていた頃の記憶を辿った。
この洞窟の入口には、弱いながらも一度入った者を外に出さない魔術がかけられていた。
(外に出るにはその魔術を解くか、ここの主を倒すしかなかったはず……)
莉子としてゲームしていた頃、このゲームでその主に勝利し、ここから脱出できた。
でも、今は――。
今のリリアーナには、その主を倒すだけの力はなかった。
だがリリアーナには、それを解決できるかもしれない唯一の策が思い浮かんでいた。
『共鳴魔法』だ――。
共鳴魔法は、世界の流れに干渉する力。ならば、この程度の術なら、魔術に干渉し、解除できるかもしれない。
(魔法の力があれば、そこまで強力な術ではないはずだから、戦わなくても出られるはず……)
「大丈夫よ。私がなんとかするから」
リリアーナはにこりと微笑んだ。
「大丈夫って……?」
リリアーナはセレスティーヌの腕を掴み、立ち上がらせた。
「いいから……ここを出るわよ」
その時――。
ガコン。
何かが動く音がした。
「え……何……?」
リリアーナとセレスティーヌは、同時に見上げた。
そして――。
頭上からけたたましい音とともに、大小さまざまな岩が崩れ落ちてきた。
(まずいっ!)
「セレスティーヌ、逃げるわよ!」
リリアーナはセレスティーヌの腕を強く引き、岩が落ちてこない場所へと走った。
「……ふぅ。セレスティーヌ、大丈夫?」
リリアーナは、セレスティーヌの顔を覗き込んだ。
「だ、大丈夫……」
セレスティーヌは青ざめた顔で、小さく震えていた。
「待って……」
リリアーナは、背筋にひやりとしたものを感じた。
セレスティーヌの左手には、何やら引きちぎられた古い縄のようなものが握られていた。
「セレスティーヌ……。それ、どうしたの……?」
リリアーナの表情が強張った。
セレスティーヌが手にしている縄のようなもの。
暗くてよく見えなかったが、辺り一帯には縄が張り巡らさせていた。
その先にある大きな石碑を守るように張られた縄――セレスティーヌが手にしているのは、その一部だった。
「え……何これ……。さっき立ち上がった時に、何か手にしたような気がしたけど……」
セレスティーヌはその古びた縄を慌てて手から放り投げた。
縄を引っ張ったのも、きっと無意識の行動だったのだろう。
(失敗した……)
リリアーナの鼓動が大きく跳ね上がる。
その鼓動は、次第に早くなっていった。
(セレスティーヌはこの状況を知らないから……。私が最初に言うべきだった。この縄は触っちゃいけないって……)
リリアーナは小さく息を飲んだ。
次に来るであろう出来事に、緊張で鼓動が速くなるのを、リリアーナ自身も感じていた。
全身に冷や汗が滲む。
その表情は険しく、強張っていた。
リリアーナのただならぬ様子に、セレスティーヌも気付いた。
「……ねぇ……どうしたの……?」
リリアーナは答えなかった。
だが、リリアーナの様子に、セレスティーヌの胸にも不安が広がった。
その瞳は、不安と戸惑いに揺れていた。
(来るわ……)
リリアーナは握ったセレスティーヌの手を、さらに強く握りしめた。
「リリアーナ……様……」
「セレスティーヌ……私の後ろに隠れてて……」
そう言うと、リリアーナは真っ直ぐに前を見つめた。
次に来る何かを――大きく鳴り響く鼓動を感じながら、リリアーナはただ静かにその時を待った。




