想いを力に
アグリアの使節団が去ってから、三週間が過ぎた。
この三週間で変わったこと――
アルディアとアグリア。一触即発の空気だったが、その緊張状態からは、ひとまず脱したようだ。
依然として交易の制限は続いているものの、国境で不審な動きを見せていたアグリア騎士の姿は、すでに消えていた。
それに呼応するように、アルディアもまた、配置していた騎士を引き上げている。
おかげで、アルディアは静けさを取り戻していた。
険しかった父・アルベルトの表情も和らぎ、城内の空気も、以前の落ち着きを取り戻している。
耳にした話によれば、アグリアは今、自国内で混乱に見舞われているらしい。
「お父様……カイは……カイリウス皇太子殿下や国王陛下たちは、大丈夫かしら」
不安が募る。
だが、離れている自分たちには、どうすることもできない。
アルベルトは、リリアーナの不安を感じとったのか、優しくその頭を撫でた。
「大丈夫だ。国王陛下も、カイリウス皇太子殿下も、我々が思うよりずっと強い。きっとこの困難を乗り越えて、一段と強い基盤を作ってくれるはずだ」
「そう……ですね……」
リリアーナは静かに目を伏せた。
最後にカイリウスと交わした言葉が、ふと胸をよぎる。
(カイは約束してくれた。生きてまた一年後に会おうって。だから私は、カイを信じて待つわ)
(私ももっと強くならなきゃ。この国を守れるくらいに――)
「……よし」
小さく呟き、拳を胸の前で握る。
リリアーナは顔を上げた。
その瞳には、強い決意が宿っていた。
「お父様、次の授業まで少し時間がありますから、今のうちに走ってきますね」
「あぁ……無理はするなよ」
(カイも戦ってる。私だけ、立ち止まってなんかいられないわ)
「行ってきます」
静かに頭を下げ、部屋を後にする。
自室に戻ると、リリアーナは手早く訓練用の服に着替えた。
廊下を出ると、ちょうどメイドとすれ違う。
「リリアーナ様、今から訓練ですか?お気をつけくださいませ」
かつては、訓練服に身を包む姫の姿に、周囲は戸惑いの視線を向けていた。
だが今では、それもすっかり日常の一部として受け入れられている。
(やっぱり継続は力なり、よね。皆に隠していた頃が懐かしいわ)
軽く身体をほぐした後、リリアーナは大きく息を吸い込んだ。
ゆっくりと息を吐きだし、意識を研ぎ澄ませていく。
そして――
大きく地を蹴り、走り出した。
石畳を打つ乾いた足音が、規則正しく響く。
一定のリズムで、足を運ぶ。
最初の頃は、少し走るだけで息が乱れていた。
だが今は――違う。
心地がいい。
頬を撫でる風。流れていく景色。
前へ前へと進んでいく感覚。まるで新しい世界を切り開いていくようだった。
それは、かつての莉子が感じていた感覚。
やがて――
一時間ほど城の敷地を走り続け、リリアーナは足を止めた。
「うん……まだまだ走れそうだわ」
息を整えながら、小さく笑う。
(でも……そろそろ戻らなきゃ)
名残を惜しむように空を仰ぎ、リリアーナは城へと戻っていった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
それから――
リリアーナは、これまで以上に鍛錬へと身を投じていた。
アグリア王国の情勢も、カイリウスのことも気にかかる。
胸は落ち着かない。
それでも――今は、自分にできることをやるしかない。
それがきっと、皆を守るための力になると信じて。
サクマとの剣術訓練。
向かい合う二人の間に、張り詰めた空気が流れる。
額を伝う一筋の汗。
「サクマ……本気で来て」
真っ直ぐに見据える。
サクマは、わずかに口角を上げた。
「……怪我しても知らないからな」
次の瞬間――
地を蹴り、一気に間合いを詰める。
リリアーナは、剣を構えた。
カンッ!
木刀が激しくぶつかり合う。
睨み合う二人。
「……はっ……マジかよ」
サクマの口から、苦笑いが漏れる。
「……まぁまぁ本気出してるんだけどな」
木刀を持つ手に力を込め、サクマがさらに押し込む。
だが――リリアーナの剣は、微動だにしない。
重なる木刀同士が、ぎりっと軋む。
それでも押されない。
かつては、その圧に耐えきれず崩れていた。
だが今は違う。
真正面から受け止め――なお、拮抗していた。
その瞳に、もはや迷いはない。
剣は、力だけではない。
流し、いなし、衝撃を逃がす。
その術を、積み重ねの中で身体に刻み込んできた。
――そして。
共鳴魔法。
リリアーナは静かに呼吸を整えた。
意識を深く――内から外へと広げていく。
すると――
リリアーナの呼吸に呼応するように、木々が揺れた。
大地もまた、低く息づくように震える。
それは――
世界そのものが、応えているかのようだった。
周囲と自分の境界が、曖昧になっていく。
すべてと繋がっている――そんな感覚が、静かに広がっていく。
ゆっくりと目を開く。
「……ルシアン!」
視線の先で、ルシアンと目が合う。
――できた。
その喜びが、そのまま表情に溢れる。
「お見事です。よくここまで頑張りましたね」
ふわりと微笑むルシアン。
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
気づけば、涙が滲んでいた。
リリアーナは、そのまま駆け出し、ルシアンの胸に飛び込む。
「おっと……」
軽く身を屈め、受け止めるルシアン。
背に回された手が、優しくリリアーナを撫でた。
(……ようやく、ここまで来たわ)
胸の奥から、熱いものが込み上げる。
(カイが苦しんでいた時、私は何もできなかった。でも――)
(これでまた一歩、前に進めたわ。カイ……次に会う時は、胸を張ってあなたの前に立つわ)
カイリウスがアルディア王国を去ってから――三ヶ月が経とうとしていた。




