託した想い
「じゃあまたね、カイ」
リリアーナは笑顔で、別れの挨拶をした。
「ああ……またな。約束忘れるなよ」
まっすぐに見つめるカイリウス。
(約束?あぁ……一緒に踊るって約束ね。そんなにダンスが好きなのかしら?)
「えぇ。忘れないわ」
――そして。
リリアーナには、どうしても伝えなければならないことがあった。
それは、とても大切なこと。
この世界の流れを、大きく変えてしまうかもしれない。
それでも――どうしても伝えなければならない。
その決意を胸に、リリアーナはこの場に立っていた。
「カイ……あのね。大事な話があるの。何も言わずに聞いて欲しい」
一度、目を伏せる。
そして覚悟を決めたように、顔を上げ、まっすぐカイリウスを見つめた。
「カイ……」
ゆっくりとカイリウスの耳元へ顔を寄せる。
「……っリリア?」
名を呼ぶカイリウスの頬が、わずかに赤く染まる。だが、リリアーナは気づかない。
「まぁ!」
「おい!」
遠くで、母・リュシアと、兄・ヴァルターの声が上がる。
それでも、リリアーナは意に返さなかった。
そっと、耳元で囁く。
「レグナード・ノクス公爵には気をつけて」
カイリウスの目が、大きく見開かれる。リリアーナの方へ思わず顔を向けた。
だがリリアーナは表情を変えずに、そのまま言葉を重ねた。
「彼が管理している農作物の倉庫を、すべて調べて」
カイリウスは、静かに息を呑んだ。
何も言えず、その場に立ち尽くす。
やがて――
リリアーナはゆっくりと顔を離す。
「リリア……」
目を見開き、動かないカイリウス。
リリアーナは、一歩だけ後ろに下がり、そしてにこりと微笑んだ。
「カイ……私を信じて」
突然一国の王女が口にした、突拍子のない話。
そう思われても仕方ない。
それでも――リリアーナは伝えたかった。
カイリウスに迫る危険を。
そして、すぐ側にいる敵の存在を。
(私は……カイに生きて欲しい。そしてアグリアの立派な国王になってほしい)
信じてもらえるような証拠は何もない。それでも、伝えずにはいられなかった。
(お願い……信じて。カイ……)
暫く呆然としていたカイリウスは、やがて静かに視線を落とす。
そして――
「あぁ……わかった」
短い返事。
だがその目の奥には、確かな決意が宿っていた。
その目を見て、リリアーナは安心したように小さく息をつく。
(どこまで信じてくれたかわからないけど、私にできるのはこれくらいだから……)
「一年後に、また会いましょう」
二人は固く手を握り合う。
そしてカイリウスは、馬車へと乗り込んだ。
多くの人々が見守る中――
アグリアの使節団は、ゆっくりとアルディアを後にする。
リリアーナは、その姿が見えなくなるまで、じっと見送り続けた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
(いっちゃった……)
アグリア使節団の姿は、完全にリリアーナの視界から消えた。
わずか数日の滞在。
だがその時間は、リリアーナにとって、時間以上に長く、そして濃密なものだった。
なかでも、カイリウスと過ごした時間は、何よりも強く心に残っている。
ここ数日の出来事が、次々と思い返される。
美味しそうに、芋料理を頬張っていた姿。
ある時は、小型魔獣『ラピフェル』のモルルと出会い、戦い、そして可愛いと笑ったこと。
花祭りでは、共に屋台を巡り、同じ時間を楽しんだ。
そして誘拐されたあの時も。
一国の皇太子として、弱さを見せることなく共に戦ってくれた。
初めて触れた「カイリウス」という人間は、もう――ただの他人ではなかった。
ゲームの中で、名前しか知らなかったアグリア王国の皇太子ではない。
血が通い、熱を持ち、確かにここに生きている――一人の人間だった。
「カイ……」
気づけば、その名を口にしていた。
胸の奥で、何かがすうっと抜け落ちていくような感覚。
喪失感――そんな言葉が、しっくりくる。
「リリア」
不意に肩へ手を置かれ、リリアーナの体がびくりと揺れた。
振り返ると、そこにいたのは兄・ヴァルターだった。
「お兄様……」
(びっくりした……)
まったくヴァルターの気配に気づかなかった。
それだけ自分が、カイリウスのことを考えていたのだと、改めて思い知らされる。
(……なんか、怒ってる?)
ヴァルターの表情は、どこか硬い。
「お前たち……いつの間にあんなに親しくなったんだ?さっきは何を話していた?」
現実へと引き戻される。
別れ際、カイリウスと話していた時に、母と兄が何か反応していたことを思い出した。
「ただ、体調に気をつけてくださいと、お伝えしただけです」
「本当か?」
疑うような視線。
内心ひやりとしながらも、リリアーナは笑みを崩さないように続ける。
「我が国で大変な目に遭われたのですもの。心配で……。それに、また危険な目に遭わないかと……」
ヴァルターは一度視線を落とし、ぽつりと呟いた。
「今のアグリアは、不安定だからな……」
独り言のような小さな声。
だが、リリアーナは聞き逃さなかった。
(お兄様は否定しなかった……やっぱりカイは、危ない立場にいるんだ)
不安が顔に出ていたのだろう。
それを打ち消すように、ヴァルターは表情を和らげた。
「リリアも見ただろう?皇太子殿下は並の大人たちより落ち着いてしっかりしている。きっと大丈夫だ」
「そう、ですね……」
リリアーナは小さく頷いた。
「リリア……」
顔を上げると、母・リュシアがすぐそばにいた。
「あなた……カイリウス皇太子殿下と、とてもいい雰囲気だったじゃないの」
胸の前で手を組み、きらきらとした目で見つめてくる。
(多分……ううん、これは完全に勘違いしてるわね)
「母上!リリアはまだ子供です。王女として、ただ皇太子殿下の体調を案じていただけです。深い意味などありません!」
「でも……それだけじゃなかったわよ?あんなに見つめ合って……距離だって、あんな近くに……きゃぁ」
言い終える前に、リュシアから興奮した声が漏れた。
抑え切れない様子だ。
ヴァルターは拳を震わせる。
「母上!はしたないですぞ!」
「だって……とてもお似合いじゃない?」
苛立つヴァルターとは対照的に、嬉しそうに声を弾ませるリュシア。
当の本人そっちのけで盛り上がる二人に、リリアーナは深くため息をついた。




