095話 幸福と悲願
分厚い雲が再び空の元気を覆い隠す。晴れては曇り、晴れては曇り。夏を目前にした不安定な天気は下界のリフリアを重苦しく塞いでいた。
それは学園の一部も同じように。考査の全日程が終了し、一部は晴れやかに快哉を叫ぶ者もいるが表情が重たい者も多く存在する。
時刻にして午後三時。午前で考査が終了し銘々にクラブや打ち上げに勤しむ中、最も考査に不安を持っていた少女ラヴィリア・ミィルの姿は学園になかった。
「ラヴィ帰ったのか? せっかく赤点が無かった事、真っ先に教えようとしたのにな」
「ギリギリだったみたいだけれどね……ラヴィも用事あったんじゃないかな?」
ルカは打ち上げと言う名の武芸部に駆り出され、サキノは依頼で学園に滞在していた為、ラヴィの動向が掴めなかった二人は少女が行きそうな場所を手当たり次第に探したものの徒労に終わっていた。
普段であれば友人と教室で駄弁り時間を潰していたり、武芸部でルカの勇姿を眼に恍惚に浸ったりと、何だかんだ時間を潰すのが上手いラヴィが、珍しく行動範囲外にいることに首を傾げる。
別段今日中に伝えなくてはならない用件ではないため急く必要はなかったものの、ラヴィの奮闘を眼にしていたルカは――思えば大して時間は取れていない――いの一番に安心させてあげたいと思ったのだ。
しかし見つからないものは仕方がない。ルカとサキノは己の鞄を手に、帰宅の為の帰路へとつく。
「用事は用事でいいんだけど、何も言わずにいなくなったのが、珍しい事もあるもんだなって」
「あら、ちょっと寂しく感じちゃってる? いつもなら真っ先に飛びついてくるから物足りない?」
「いや、そういうわけじゃないが」
「……わ、私が今日だけラヴィの代わりをしてあげても、よ、よろしくてよ?」
「なんでちょっとお嬢様みたいになってるんだ。別にいいよ」
冗談半分、揶揄半分の意を込めて告げた微熱のサキノの厚意は、すげなく却下された。
「……そんな断固否定しなくてもいいじゃん……」
ぶつぶつと呟き黒紫の怒気渦巻くサキノを視界に入れないように、窓の外を意識的に眺めるルカはまた選択肢を間違えたのだと悟る。ポアロとの交戦の事もあり、相手の事を少しばかり意識するようになったルカだったが、女心は難しい……と既に諦念を抱きつつあった。
そんなサキノとの日常の一時の中、ピチャンッと。
異常と言っても差し支えないほど鮮明な水音がルカの脳内に木霊した。
「サキノ」
「な、何よっ!? 頼まれたって絶対してあげない――」
「秘境が来る」
「もぉーーー!! 何でこうもっ!?」
「何急に悶えてるの……」
うがー! と己だけが馬鹿みたいに盛り上がっていたのが恥ずかしくなったサキノは、羞恥を隠すように悶え始めた。しかし一度激情させた感情を急激に下げる事によって冷静を取り戻し、溜息をついては真摯にルカの瞳に向き合う。
「……うん、わかった、ありがとう。ココの所に行ってすぐに駆け付けるよ。待ってて」
「あぁ、先に行って待ってるよ」
二人の息の揃った首肯を機にサキノは昇降機へと駆け、ルカは時を待たずしてその場から忽然と消えた。
各々が別々の経路を、けれど目的地は同じく。平穏の日常も短く、それを嘆く暇も無く、二人は非日常へと脚を踏み込んでいく。
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時を同じくして、二人が探し求めていた少女は。
地上から二百メートルほど自力で上がらねば辿り付けない場所、北東展望台にいた。
フェンスに手を着き、何をするでもなく、膨大な雲が見下ろす縹渺たる下界のリフリアを俯瞰し、ただただ時を過ごす。
生温い風が二つに結われた黄金の髪を撫で、ラヴィは微かに双眸を細めた。
「流石リアちゃん、物寂しい様子ですら絵になるね」
「マートン」
キィ……と寂れた音を立てて開かれた展望台の扉から現れたのはポアロ・マートンだ。その姿を振り返り認めたラヴィは、キッと目付きを逆立てた。
「おっそい! マートンが呼び出しておいてなんで来るのが後なのさ!? 時間に遅れるかも、ってひーこらひーこら言いながら頑張って上って来たのにいないし! ルカに伝えて浮気かも!? って不安にさせるの嫌だから黙って来たのに!」
「ごめんごめん、これでも食べて機嫌直してよ」
ラヴィへと近寄ったマートンが袋から取り出したのはたい焼き。暴れていたラヴィも甘味を目の前に「くっ!?」と苦鳴を漏らしながらも鎮静を得る。
奪い取るように貰い受けたたい焼きをもぐもぐと頬張るが、情けない程に頬が緩み笑みが漏れていた。
甘味と言う魔力で少々機嫌が直ったことを確認したマートンは、ラヴィを呼び出した用件を聞き出すため口を開く。
「ゆっくり話していたいのはあるけれど、無駄話ばかりしていたらリアちゃん帰っちゃいそうだし単刀直入に聞くよ。リアちゃんはルカ君に告白したことはあるかい?」
まず一つは事実の確認だ。己で恋愛に疎いと断言していたルカが告白と捉えていないだけで、事実ラヴィは想いを伝えていた可能性は大いに有り得る。ポアロが「諦め悪いやっちゃな」と悪態を衝くものの、マートンは譲る事が出来なかった。
「ううん。あたし告白したことないよ?」
しかしラヴィはあっけらかんと否定を呈す。
その時点でルカが言っていたことも真実だということが確定し、完全にマートンの目論見は破綻したと言う事になる。
ともなると次はラヴィの行動が解せない。あれほどまでに好意を露呈しておきながら、想いを伝えたことがないラヴィに疑問を抱かずにはいられなかった。
「……何故想いを伝えないんだい?」
「あのルカだよ?」
何を今更、というように大きな碧眼を瞬きさせるラヴィに、一つの得心がマートンへ降りた。
「あぁ、なるほど。色恋に興味がないから無駄って事かな」
「そうじゃなくて」
「?」
首を横に振り否定するラヴィに、マートンは訝しげに首を傾げる。
「あたしが告白したら、それはもうすんなりおっけーしそうじゃん」
「……それのどこが不満なんだい?」
ルカからの返答を聞いていながらも、思惑を聞き出すためにラヴィを泳がすマートンは驚愕に陥る事となる。
「そこにルカの幸せはあるの?」
「……!」
ルカの幸せ。どれだけ相手の事を好いていようが、誰にも盗られたくはなかろうが、相手の幸せを優先して想いを告げずにいる。親友で満足しているわけでも、ルカの恋愛価値観に諦念を抱いているわけでもなく、ただただ相手の為を想い。
強い。自分の感情を優先することの無いラヴィの強さに、マートンは衝撃に穿たれたかのように偏見が霧散した。
「ルカが恋愛に関心が無いってのは見ててわかるし、それでもあたしを邪険にしないのは考えてくれてる証拠。そこにあたしが先走ってもそれは自己満足であって、ルカを困らせるだけでルカの幸せにはなり得ない」
「…………」
「そりゃ~ね、勿論付き合いたいし、その先もあたしは望んでる。誰にも譲る気なんて無いし、ルカとそういった関係になれれば超~幸せだけど、それはルカも望んで、選択してこその幸せだもん。だからあたしは好意を向ける事は止めないし、ルカに振り向いてもらうための努力は怠らないよ。例え、それが何年、何十年かかったとしても」
ラヴィの心からの想いを聞き、マートンは己がいかに二人の関係性を理解出来ていなかったのかを悟るった。
「……やれやれ、全部僕の杞憂だったってことか。参ったな……」
辟易するマートンをジトッと横目で薄く見るラヴィは何かに勘付く。
「……もしかしてルカに何か吹き込んだ?」
「……ごめん」
否定は出来なかった。決闘を仕掛けた事は流石に言えなかったが、ルカに干渉した事は間違いないのだから。
だがラヴィはそんな瑣末な事には拘らない。
「いーよ別に。どうだったルカは?」
「……君と同じく芯が通ってるって感じた、かな」
「そおでしょおっ!? ルカは絶対に折れない芯があって凄くてカッコイイんだよぉ!!」
瞳をキラキラさせながらまるで自分が褒められるよりも嬉しそうに惚気るラヴィに、マートンは苦笑が漏れた。
「ねぇ、リアちゃん。もしルカ君と出会ってなかったら、いつかは僕の気持ちに答えてくれた?」
「それはないかな」
「ふふっ、真っ直ぐだねリアちゃんは。一応、理由を聞いてもいいかな? ルカ君に出会ってなければ好きになることもないんだよ? 絶対に探し出す、とか?」
芸能人であるミュウの影響だろうか。恋愛映画のようにもしもの話を、そして世界中どこに居ても運命の人を探し出すという妄言を予感したマートンは尋ねる。
「ううん、例えルカを見つけられなくても、ルカという存在が世界に無かったとしても――」
バサッと一際強い疾風が屋上へ吹き込んだ。風に視界を奪われたマートンが目を開くと、全身を靡かせ凝然と幸樹を見つめるラヴィがいた。それはまるで天使のような美しさを誇り、見つめてしまうほどに。
「――あたしはルカに恋してた。それは変わらない、絶対に」
幸樹を眺める碧眼に一切の諧謔はない。
冗談でも幻想でもない。本気で言っているのだ。
まるで運命という言葉を全面的に否定するかのように、絶対に変わることの無い決意を秘めて。
「矛盾、してるよ……」
「そうかな。でもあたしの恋は絶対だよ」
「……本当にルカ君の事が好きなんだね」
「うん」
「そっかそっか。ま、だからと言って僕は諦めないけどね」
「……そこは諦めてくれないかなぁ……」
嫌悪と言う訳ではないものの、揺らぐことの無い返答をし続けることにラヴィは億劫を擁さずにはいられない。幸樹から眼を逸らしげんなりとしたラヴィの表情に、マートンは貴公子らしく、くすっと笑う。
「頑張って振り続けてよ。これは僕の悲願だから」




