090話 ポアロとマートン
ガーゴイル討伐後、都市への帰路で散発して現れる魔物を難なく退け、疲弊した一同は時間をかけてリフリア西門を暗闇の彼方に見出す。閑散地の西部とはいえ疎らに灯る光を遠目に、マシュロは大きな安堵を口から漏らした。
そんな前方を進むマシュロの様子に、何かを思い出したかのようにポアロが少女の隣へと早足で進み並んだ。
「そういえばマシロん」
「はい、何でしょう?」
「さっき僕がガーゴイル撃ち落とそうとしてた時、何してはったんや?」
「……? あっ!? そ、それはっ!?」
上空に陣取るガーゴイルを撃墜させるために重力を使用したポアロと、無防備な背中を晒していたルカの間に割って入ったマシュロ。行動の意図を理解していながらも敢えて尋ねるポアロはニヤニヤと。
「ルカりん庇ってたみたいやけど、僕がルカりん襲うとでも思ってたんかいな? なはははは! ほんまおもろいわぁ」
ガーゴイルの乱入によって自然消滅していた己の痴態を掘り返されたマシュロはかぁーっ、と羞恥に顔を赤面させ、バシバシと傘でポアロの脚を叩く。
「あ、アポロさんのナリが怪しすぎるのが悪いんです! 仲間に勘違いさせる格好はどうかしてると思います!!」
「おおきに」
「どこをどう受け取ったら褒め言葉に聞こえるんですかっ!?」
「怪しいは褒め言葉や。それにマシロんが仲間って認めてくれたみたいやしなぁ」
「認めてませんっ!!」
「今自分で言ってたで」
「気のせいです。幻聴でしょう。悪いのは耳ですか? それとも頭ですか? 病院行こか?」
「何で僕が悪い風になってるん!? それにその言葉さっき僕が言った言葉や! ルカりんと言いマシロんといい人の言葉で遊び過ぎやで? ええけど」
「「ええんかい」」
してやったりという風にクスクスと笑うマシュロの姿に、以前の逃亡中のような翳を孕んだ面影は無い。自責と後悔に圧し潰されそうになっていたマシュロとは別人のような振る舞いに、ルカは自然と口角が緩んだ。
「それにしてもルカりんと初めて共闘したけど、何も違和感あらへんかったなぁ。最初は探り合いっちゅーか、能力把握してても噛み合わんのが普通なんやが」
「普通、ねぇ……」
単なる素手での取っ組み合いならまだしも、異能力を使用する魔界では連携を取れるようになるまで時間と経験は絶対に必要だ。能力の規模、攻めと引きのタイミング、緩急や個々に思い描く策略の共有。所詮他人である者と全てが一致する事などあり得ない。だからこそ、その溝を限りなく埋めるために時間をかけ、経験を積み、思考の水準を無へと近付ける必要があるのだ。
しかし受動的であるルカには他者との懸絶が元から限りなく少ない。人に合わせる事に慣れたルカならではの受動的という短所が思わぬ場所で牙を剥いたことにポアロは驚嘆を忍べないのだ。
「ルカさんの順応力は殊勝とも言えるべく唯一無二の武器ですから。ガーゴイルを倒せたのもルカさんが居てこそなんですし、決して悪いことではないですよ」
マシュロが鼻高々にフォローを入れるが、普通を冀求するルカとしては少々複雑な思いであった。良かれと思って人に合わせてきた戦闘も間違いだったのでは? と普通を知らないルカは錯誤してしまう。
しかし結果は犠牲者も、取り返しのつかない負傷者も出てはいない。結果論で語るのは好ましくないが、終わったことはいいだろうとルカは異端の件を頭の隅へと追いやった。
(ふぅん……順応力、な……それが仇にならんときゃええけどな)
デレデレとルカへ賛辞を作るマシュロを見下ろす少年の横顔を見て、ポアロは眼を眇めた。
剣呑という昏い光を纏い。
「姉ちゃん! ルカ兄ちゃん! ポアロさん!」
リフリア西門を潜った先、真っ先に彼等に反応を示したのはゼノンだった。憂いを帯びた顔で駆け寄るゼノンは、三人の姿を、そして女騎士シュリアとその背の商人の姿を確認して肩から緊張が抜け落ちたようだった。
「無事だったか。よく帰って来たなマシュロ」
「団長……すみません」
時刻にして既に日付を回っているだろう西区には、出立準備を整えいざゆかんとする十名ほどの小熊猫の集団が。ルカ達三人が救援へと向かった直後、ゼノン、クゥラ、チコは【夜光騎士団】本拠へと走り団員を招集、団員伝にマシュロがゲトス山地へと向かった旨を耳にしたキャメルは至急捜索隊を編成した。
夜間護衛依頼で空席にしている団員を除き、可能な限りの準備を行ったものの無駄骨に終わり、同時にゲトス山地の魔物達の強さを知るキャメルは無事に帰還したことに安堵の表情を向ける。
「しかし少数で先走った事は頂けないな。ゲトス山地の魔物が凶悪である事はマシュロも知っているだろう。本拠にいる私達に救援を求めて指示を仰ぐ方が団員としての優先行動だ」
しかし団長として団員が無謀に近い行動を取ったことを叱責せずにはいられなかった。悔しいことにポアロが出発直前に言った言葉は正論で、マシュロは再度謝罪をしながら項垂れてしまう。
「確かにその方が危険は少なかったでしょうね、この子達にとっては。けどシュリアと商人の方が無事なのはルカ様と彼女達が一刻も早く駆け付けてくれたおかげであるのは間違いないわ。それを一概に叱咤するのは間違ってると思うわよ」
しょぼくれたマシュロを庇うように容喙したのはシュリア。先にリフリアへ辿り着いていた小太りの商人へ未だ気絶したままの男を預け、キャメルの説教へと介入した。
「団長は団員の安全を守る義務がある。危険な行動を軽視は出来ん」
「じゃあ危険じゃないと言い切れる条件は? ゲトス山地とは言え、彼等は三人一組に則っていたわけだけど、何人いれば危険じゃないと言い切れるの?」
「三人一組は偶々やけどな」
「アナタは黙ってて」
「はい、すんません」
キャメルとシュリアの雲行きの怪しい問答を緩和させようとしたポアロが下手な口を突っ込むが、シュリアの棘ある一声に一蹴される。
「根底が違う。うちの団員を勝手に連れ出したのが問題だと言っているのだ。【夜光騎士団】だけで編成するのであれば十分な戦力を整え、危険を減らした形で向かうと言っているだけだ」
「今の今まで出撃準備に時間を掛けておいて、救える命を救えなくてもいいと?」
片や団員の安全を守るための規則を咎め、片や迅速な決断による功績を少なくとも褒めるべきだと。両者論点の齟齬に、しかしキャメルはシュリアの人命を天秤にかけた質疑に空白を作る。
「しゅ、シュリアさん、もう大丈夫です……! 私の独断でルカさんに付いて行くと言ったのが悪かっただけなので……」
この空気に耐え切れなくなったのは板挟みに合うマシュロだった。シュリアが自身を擁護してくれているのは分かっているが、キャメルの言う事も騎士団員として尤もだと理解している。故に無関係な両者の言い合いが心苦しかった。
ところがマシュロの呼名に、一度は聞き流した名をキャメルは再度拾い上げる。
「シュリア? 貴様、もしかしてラグロックのシュリア姫か?」
「姫と呼ばないで。今や崩落したラグロックでは姫の称は何の意味も持たないわ」
「……なるほど、一国を執る姫であれば強気な態度も納得だな。非礼を詫びよう」
淡々と事実を隠さず告げるシュリアに、キャメルは得心を抱いた。他都市の姫という崇高な存在に言い合いなど不毛だと判断したキャメルは自身の否を取り下げようとするも。
「詫びなくていいわ。まだ問答について決着はついてないもの」
シュリアは譲らない。
だが、シュリアとキャメルの二律背反に終わりが無いことを危惧したルカが辟易しながら口を挟む。
「その辺にしとけシュリア。交わらずとも互いの意は尊重し合うべきだ」
「はい、ルカ様」
「「「「「!?」」」」」
一同の頭上に同じ記号が一斉に浮かんだ。
(え、何でルカさんの言う事だけ聞くの……?)
(……ルカお兄ちゃんってもしかして好色家……?)
(何ですかこの胸騒ぎ……ライバルなんて私は認めませんよ……)
「ローハート、貴様……」
「待て待て! 何で俺が睨まれてんの!?」
マシュロに続き他国の姫まで籠絡しているのか、と普段は丸く可愛らしい眼を持つ小熊猫達が、キャメルを筆頭に強い眼力でルカを睥睨する。睨まれる覚えのないルカには理解不能だったが。
不穏な空気の中、ただ一人ポアロだけは腹を抱えて必死に笑いを押し殺していた。
「……まぁいい、何事もなかったと言う事で大目に見よう。ご苦労だったなマシュロ、よくやった。ゆっくり休め」
「っは、はいっ!!」
最後に団長として称賛の声をマシュロへと送り、キャメルはルカへの謝礼の言葉をまた忘却しながら騎士団へと戻っていった。きっと言える時はこないだろうが。
団長の無言の解散の合図に、団員達もマシュロやルカに一声かけながら本拠へと帰っていく。
「シュリアもこれで。ルカ様、また近々お会いしましょう」
「……? あぁ、気をつけてな」
姫と聞くとそれなりに凛とした歩行をルカ達は見送った。
程なくして憂慮が抜けた子供達が大きな欠伸を虚空へ放ち、マシュロとチコはくすりと笑う。ルカに礼と別離の言葉を送り、四人は騎士団内へと消えていった。
「俺達も帰るか」
「僕も眠いわぁ。ルカりんおんぶー」
「余力残ってるだろ……頼むから自分で歩いてくれ……」
「冗談や。怪我もしてへんのにおぶられる趣味は無いで」
「だったら最初から言うなよ!?」
消耗した体力気力を更に削がれるやりとりに、最後までルカの疲労蓄積が止むことは無かった。
酒場や歓楽街、夜の活気を取り戻しつつある魔界の街並みを、ルカとポアロは再び長い時間をかけて下界へと戻っていくのだった。
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すかー、すぴー。
夜更けを越えた深夜。自宅に辿り着いたルカを待ち受けていたのは、ソファの上で横たわり夢の中へと旅立っているラヴィリア・ミィルだった。
「……何でラヴィが家にいるんだ……」
普段の金髪のツインテールは下ろされ、パジャマを着ている。胸元、肩口が開けて無防備にも程があるが、半眼で見下ろすルカに効果はない。今、ここに、ラヴィが居る事がルカの困惑の材料であった。
小さな溜息を吐き、机の上に視線を移すと勉強道具が置かれていた。どうやらルカの帰宅を待っている間勉強を行っていたようだ。ノートの半頁にも満たない学習量であったが。
「ざっと二十分ってところか。仕方ないな……」
例え続かなかったとはいえ、勉強嫌いなラヴィが自主的に勉強を行おうとした姿勢は褒めるべきだろう。今更起こすのも忍びないルカはラヴィを抱え、ベッドのある寝室へと向かった。
全く起きる様子の無いラヴィをベッドに寝かし、毛布を掛け、ルカはその場を離れようと踵を返す。――が。
ぐるんっ、と。まるで意思を持っているかのように黄金色の髪が腕に巻き付き、ルカの自由を奪う。
「……またかよ!? 固っ……全然解けないし……」
憎たらしい程安らかに眠るラヴィとは裏腹に、金髪と格闘を繰り広げるルカ。
数分の格闘の末、一向に進展の無い状況にルカは遂に折れた。「やれやれ……」と呟きながら涎を垂らすラヴィの額を軽く弾く。「ぅゅが」と奇妙な声を漏らすラヴィを背に、ルカはベッドを背もたれに下へと腰を下ろした。
電気もカーテンもそのままに、ルカは本日の疲労を取るため瞑目し、浅い眠りへとついた。
一方、夜幸樹を肴に酒盛りで賑わう北西展望台では、ルカ宅の方角を背後に置き、金網に背を預ける男の姿。首では一枚羽のネックレスがチャラと音を立て、瞑目しながら会話に耽っていた。
「半日程度見とったがルカりんの人間性、相当厄介やで。こんな僕への警戒心も希薄やし、必死に繕おうとしとるみたいやけど受動的な部分が隠しきれてへん。このまま放っておいたらルカりんとリアちゃんがくっつくのも時間の問題な気ぃすんなぁ……」
夜風が後ろ髪を靡かせる。生温い風が展望台で渦を巻き、心地の良い場所を奪っていく。
「二人がくっつくのはおもろないなぁ……で、お前はどうしたいねんマートン」
男の周りには誰もいない。客観的に見れば怪しい独白を零しているだけだが、まるで見えない相手と喋っているかのように口は閉ざされない。
「はぁ? 僕はお前に聞いとんねんぞ。何で質問で返すんや。って言っても一体の僕等じゃ、答えは違わんやろけどな。けど、ええんかほんまに。周りの環境全部ぶっ壊すかもしれんで?」
おくびも周囲に気取られることを厭わず独り言を続ける男に、楽しい酒の席も不気味さに水を差されたと一組、また一組と帰路へ着いて行く。
付近の騒々しさも鳴りを潜め、男だけが孤立したかのような世界で独りの会話は閉じられる事となった。
「ま、僕等の本懐を遂げる為にはしゃーないか。相当荒いやり方やけど――堪忍なルカりん」
眼を見開き肩口から背後を顧みるポアロ・マートン。
その視線の先は十キロ以上離れた光を伴うルカの自宅。
一つの決意が華やかに煌めく北西展望台で秘められたのだった。




