088話 警戒すべき対象は
絶体絶命の窮地をルカ達の救援によって脱した男は恐怖と共に力が抜けたのかその場で項垂れる。
一方、ルカの死地演舞を目の当たりにした少女は桜色の唇の渇きを舌で拭う。細くきめ細かな柔肌が傷だらけの様相に、同性のマシュロは見兼ねてアイテムポーチから青色の液体が封入された小瓶を差し出した。
「大丈夫ですか? 回復薬です、使って下さい。それと貴方達の他に魔物に襲われている方は残っていませんか?」
低い位置から差し出された小瓶を前に、少女は波紋剣を鞘へと仕舞う。
「どうもありがとう。ええ、シュリアだけよ。一人はリフリアの方角へ逃げていったみたいだし、貴方達の様子を見るに助けを呼びに行ったってところかしら。一応助けてくれたことは礼を言うわ」
「一応って厚顔なやっちゃな」
全滅必至だった状況でありながら、救援の感謝を一応で済ませようとするシュリアと名乗る少女。そんな救世主達にも阿らず飄々とした態度にポアロは片眉を珍しそうに引き上げた。
「助けてくれだなんてシュリアは頼んでないもの。あんな危機的状況滅多に味わえない……とはいえヤバいかもしれないって思ってたのは事実だし、護衛依頼を受けた商人を死なせるわけにもいかなかったから一応」
「あの状況楽しんでた言うんかいな……とんだマゾヒズムやな……」
「あらМは悪いことではないわ。生があるから苦痛を感じられる、つまり苦痛は生ある証拠。生の実感を感じるには最適な性嗜好だと思うけど?」
ルカよりも先にシュリア達が危機的状況に瀕している光景を目撃していたポアロは、少女の口から飛び出た耳を疑う発言に思わず顔が引き攣る。
そんな少女は青の液体を飲み干し、己の性嗜好の正当化を口走る。
「それよりも」
少女は二人から目線を切ると、未だ周囲を見渡し魔物の気配の有無を探知していたルカへと近寄った。
「シュリアはシュリア・ワンダーガーデン。アナタ、お名前は?」
「ん、俺はルカ・ローハートだ」
礼を言うわけでもなく、唐突な自己紹介をルカにのみ告げるシュリアは微かに上気した顔を向ける。
「ルカ様、ね。魔物の中心に飛び込み危険を顧みず蹂躙する姿、とってもワンダーだったわ。シュリアと同種の匂い……はたまた性的嗜好の最果てにいるのかしら? とっても気が合いそうだわ」
「……? 一体全体何の話だ?」
「ヘンタイさん言われてんやで」
「助けに来ただけなのにどこで間違えた!?」
話の内容を掴めず呆然とするルカにポアロが補足を入れ、覚えのない虐げにすかさずルカは驚愕を作った。初対面でありながら雑な嗅覚を頼りに同族認定するシュリアを訝しげな顔で見つめたルカだったが、現状すべきことは名誉を払拭することではない。
「ともかくすぐにここを離れよう。未だに魔物の気配が消えない」
魔物の一掃と救助の完遂に安堵を拵えたいのは山々だったが場所が場所だ。魔物の巣窟であるゲトス山地に長居する理由もなく、ルカはリフリアへの撤退を求めた。
提案に首を横に振る者はおらず、皆が一様に脚を動かし始める中、商人の男だけがその場から立ち上がろうとしない。背後からの追従の気配を感じられずシュリアが振り向くと、全員の視線が男へと会した。
「す、すみません……腰が抜けてしまい……」
無理もない。戦士として武器を持ち戦場へと脚を運んでいる者と、仕事として否応なく死地へと赴かなければならない者とでは恐怖への耐性や覚悟は別物だ。幾ら護られているとはいえ、本物の死を直感した時、腰が抜けて動けなくなる事に不思議な事など一切ない。
そんな男につかつかと距離を詰めたシュリアは男の前で背を向けてしゃがみ込んだ。
「背にしがみ付きなさい。シュリアが運ぶわ」
「そう言うのは男がやるもんだろ。俺がやるよ」
「ルカりん紳士やなぁー」
一切の躊躇ないシュリアの行動に、世間的な『普通』を見識として持っているルカは代わりを買って出る。
しかし。
「いいえ、気持ちは有難いけど、この方の護衛依頼を受けたのはシュリアよ。ルカ様のお手を煩わせるわけにはいかないわ」
シュリアがルカの気遣いを呑むことはなかった。
一見変わった女の子のようではあるが芯はしっかりしているようで、ポアロは「へぇ」と感嘆を漏らす。話の方向性がシュリアの一声によって固まり、後は男が背負われるのを待つのみとなった。ところが男は中々シュリアの背に掴まろうとはしない。
「どうしたの? 早く掴まりなさい?」
「えっと……あの、その……」
歯切れ悪く視線をキョロキョロ。ルカやマシュロが首を傾げる歪な時間。
「うっかり触ってしまうことを危惧してるのかしら? 安心なさい。気にしないわ」
「いやでも……」
「気にしないって言ってるでしょう。もし魔が差して触った時は小間切れにするだけよ」
「ひぃっ!?」「怖」「小間切れですか!? 不穏です!?」「めっちゃ気にしてるじゃねぇか!?」
各々の反応が飛び交い、ガクガク震えながらも身体を預けようとしない男はやおらと重たい口を開く。
「魔物の血が……」
プチンッ。そんな音が静かな夜に響いた気がした。その音源は背中にべっとりと血液を付着させたシュリアの頭部。
「そう、だったら気にならないほどアナタも血塗れにしてあげるわ」
「あぎゃああああっ!?」
「ちょ、ちょっと、待って下さいっ!? 依頼人ですよね!?」
「アカンて! 一旦落ち着こな!?」
冷笑を浮かべながら波紋剣を引き抜こうとするシュリアを必死に宥めるマシュロとポアロ。シュリアの怒りもさることながら、依頼人を守るために身体を張っていたという理由を死線の体験によって忘却の彼方へ放り投げる商人も仕方が無いように思えた。
「遊んでないで早く行きたいんだが……」
背後に般若を幻視するほどのシュリアの威圧感に震えながらも空気を読まない男は己の発言の不当性を自覚することもなく、途方に暮れるルカの声だけが虚しく崖下へと落ちていった。
一悶着、いや二悶着くらいの末、ようやくシュリアに担がれた男は小刻みに震えていた。そんな事はお構いなしとばかりに先頭を行くシュリアの後ろにはルカが、その左方にマシュロ、最後尾に槍を肩に担いだポアロと並び、暗がりを行く。
「シュリアさん、他の護衛の方々はどうされたのですか?」
騎士団の規則――戦士達の依頼における鉄則を心得るマシュロは質問を投げかけた。
「いないわ、都市ラグロックからシュリア一人よ」
「ど、どうしてですかっ? 魔物出現区域での護衛は最低でも三人一組は定石、特にゲトス山地のような危険地帯であれば尚更の筈です」
リフリアからゲトス山地を越え西方へ向かうと辿り着く都市、それが鉱山都市ラグロックだ。今や魔界で生活の基盤となっている魔力を十二分に伝達させるための鉱石を採取し、更には加工する中規模な都市。鉱山、そしてゲトス山地に囲まれた鉱山都市ラグロックは他都市まで引かれている経路がリフリアしかなく、孤立都市でもある。そのためゲトス山地を経由して商人達が行き来するのはリフリアの住民であれば誰しもが知っている事実だ。
しかしマシュロが着眼したのはその護衛人数の少なさだ。マシュロの言うように魔物出現区域では基本的に三人以上の小隊を組むことが常識として定着しているのだが、今回シュリア達は非戦闘員を含めて三人で構成されている。それどころか護衛が一人に対して商人が二人と、なんとも心許ない――裏を返せば危険で無謀な行為にマシュロは声を上げずにはいられない。
「皆、死んだわ」
「……っ!」
そんなマシュロの正論にシュリアは全く声音を変えずに凄愴な現状を告げた。眼を見開くマシュロに一度も振り向かずシュリアは言葉を続ける。
「一か月程前、ラグロックは魔物の大規模襲撃に遭い、結界が持ち堪えらえずに半壊したわ。辛くも魔物の侵攻を喰い止める事が出来たんだけど、運悪く二度目の襲撃が重なってしまい、戦闘の心得がある者は一人、また一人と次第に殺られ、シュリアだけが生き残ったの。今では従来の五分の一ほどの土地で、半数になった民達が不安に怯えながら生活してるわ」
「……ごめん、なさい……」
ラグロックの実相にマシュロは俯きながら謝罪を呈する。よもや都市が滅びかけていようなどとは予期など出来る訳もなかったが、シュリア一人に護衛を任せると決断をした都市に冷徹な感想を抱いたマシュロは忸怩たる思いを抱かずにはいられない。
「謝らないで。シュリアしか戦える人がいないんだから仕方がないわ。シュリアが今回ゲトス山地に出張ったのは定期貿易の護衛、そしてラグロックの民達がリフリアへ移住する為の打診が目的よ」
「リフリアへの移住? ラグロックって都市は放棄するって意味か?」
「そうね。修復に伴う莫大な労力や費用、都市を存続させていく為の人材や対魔物技術、三度目の強襲への不安。皆にとって遺憾なのは間違いないけど都市の体力が持たないわ」
都市を放棄。それは想像を絶するほどの苦難が絡んでいるのだろうと、魔界に重き関係を持っていないルカにでも理解出来る。平和に慣れきってしまった下界ではありえない珍事に、沈黙を決め込んでしまったマシュロを含めて重苦しい空気が漂う。
だが、シュリアは幸先を切り開くかの如く言葉を繋げる。
「だけどリフリアにとっても悪い話じゃない筈よ。鉱物採取依頼はリフリアの優秀な騎士団へ出願、移住の暁にはラグロックの職人達が加工・生産を担う。利益をリフリアへ貢納することによってラグロックの民達は安全を確保しながら労働が出来、今までラグロックから買い取っていた製品も直接他都市への売買が可能になり都市は更に経済が回る。お互いにとってワンダーな提案なのは間違いないわ」
現状の悪環境から脱するための交渉材料ということなのだろう。リフリアにとっても人口が増える事は喜ばしい事ではあるだろうが、近隣都市の住人達が挙って移住となると話は少々単純ではなくなる。
しかし彼等にしかない技術と産み出される利益を考慮すれば、みすみす住民達を逃すという選択肢は限りなく少ないだろう。今や魔界で当たり前のように使われている魔力製品はラグロック産が七割以上を占めているのだから。
損益の面で言えばラグロック側が圧倒的に損を見ているだろうが、安全な環境で労働が出来て生活が営めれば多くは望まないと言うラグロック民の隠された真意に、今の状況が如何に逼迫しているのかが見て取れた。
どこか淡々と事情を告げていくシュリアと、沈黙を嫌った下界住まいのルカが会話をこなしていくという奇妙な光景にただ一人は静かに。
肩に巨大な槍を背負う男ポアロ・マートンはただただ静かに追尾する。
そんなポアロの動向を、両手を前で重ねて傘を握るマシュロは常に目端に留めていた。
マシュロの中ではココと同じく、ポアロの心証はあまり良くない。容姿で人を判断するのは愚かだと頭では理解しているものの、どこか掴みどころが無く裏があるような気がしてならないのだ。お喋りだという印象を与えているにも関わらず進行形で黙りこくっている姿を見ると尚更。
特にマシュロの警戒心を煽っているのは、都市を抜ける時、魔物の処理を託された時に面倒がっていたポアロが現在も巨大な得物を持ち歩いている事。自身の『アストラス』のように顕現・消失の自由が利かない得物なら違和感も呑み込めるが、ネックレスを槍へと昇華させたポアロが未だに労力を使う理由が思い当たらない。魔物の奇襲に備えて、そう言われればぐうの音も出ないが、何か別の理由があるように思えてならなかった。
(私の思い過ごしでしょうか……? はっ、ルカさんのお仲間を疑うのは失礼ですよマシュロ・エメラ! ルカさんも警戒してる様子もないですし、ルカさんが信じてるのなら私も信じるべきでしょ――)
そんなマシュロの自問自答を裏切るように変化が生じた。
若葉色の髪を一度掻き上げたポアロの双眼に戦意が宿り、巨大な槍を直上へと持ち上げる。
魔力を練る気配、その前方にはルカの背中。
(ほら見ましたか! 言った側からっ!!)
誰に言うわけでもなく己の勘の正当性を心で独り言ちたマシュロは、振り下ろされる槍とルカの間に身をねじ込んだ。
「ルカさんっ!!」
日照が無い時間帯ではマシュロの『絶対防御』は発動出来ない。しかし動かずにはいられなかった。無に帰すだろう渾身の魔力を練り上げたマシュロは傘を盾に、ルカを護ろうと体を張る。
しかし。
ポアロの槍はマシュロにさえ届かず眼前で空を斬り。
「ぐげえっっっ!?」
マシュロは地に叩き伏せられた。
「マシュロ?」
強大な力に圧し潰されているかのように平伏すマシュロの姿にルカは疑問を呈し、状況を理解していないシュリアは首を傾げる。
そんな混沌とした場にポアロは焦燥を顔に貼り付け、あたふたとマシュロへ駆け寄った。
「なんしてんねん! ちゃうわ、ごめんマシロん! 僕の重力、魔力に反応して無差別に潰してまうもんで巻き込んでもた! 練った魔力放棄せえ! ……ってそれどころちゃうねん!!」
「あぎぎぎ……」と呻吟する小さな体と仲良く寄り添う地面と上空に視線を往復させるポアロは。
バッ、と再度正面を振り向いたルカを含めた全員に向かって危険信号を吠えた。
「来るでえ!!」
ドォン!! と地を激しく揺さぶる激震は全ての者の視線を集め。
シュリアの前方、禍々しい圧を纏い空から降下してきた漆黒の巨体。
『グルアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』
耳を劈く大咆哮と共に悪夢が姿を現したのだった。




