084話 門番としての警告★
息を切らし、汗を湛え、鼓動が逸る。幸樹広場から快速を飛ばして走り続けるのは、下界の能力値じゃ流石に無理があった。道中ペースを緩め、ポアロの「ちょ……待ってやぁ!」という制止の声に脚を止め、酸欠に反抗しながら辿り着いた二人は膝に手を着き、呼吸を野放しにする。
「遅い。二十八分の遅刻よ。私の二十八分の読書時間、どう返してくれるつもり?」
人気のない校舎裏、アスファルトにハンカチを引いて腰を下ろす幼女はまるで絵本の住人。小さな体躯でこぢんまりと座る姿は童話のような神聖さと無垢を兼ね備えていて、頁を捲る度に微風が亜麻色の髪を神秘的に揺らす。
「はっ、はっ、これでも、飛ばしてきたんだ、大目に見てくれ……って言うか今も読んでんじゃねぇか!」
到着したルカ達に目もくれず、読書を続ける無愛想性を除けば。
「無為に待つ時間が無駄なんだから当たり前。待ってた事には変わりないんだから責任を取るのは人として当然だと思うけど? 時間を返すのが無理だって言うのなら腕でも置いてく?」
「怖っ!」
意識の断片だけは向けられているのか、会話を続けながらも読書の眼を途切れさせないココの愛読っぷりにルカは感心を抱く。その隣では出会って数秒で不穏な発言を耳にしたポアロが恐怖の二文字を叫んでいた。
過剰な二酸化炭素と新鮮な酸素の交換を遂げたポアロは、最後に一度大きく深呼吸をしてココへ向き直る。
「ふぅー……しっかしまぁ、ルカりんが門番言うてたからどんなゴッツイモンかと思てたら、えらいちんちくやのう。いくら年齢不問とは言え――」
ブォンッ!!
「――うわぉ! そないな分厚い本の角で殴ったら重傷やで!?」
座っていた筈のココは眼にも見えぬ速さで失言を排したポアロに接近。豪快な風切り音が続きの言葉を裂きポアロに肉薄したが、反射的に屈み込んだ事によって九死に一生を得た。
「致命傷までなら大丈夫。だから安心して鉄槌を喰らいなさい」
「アカンて! 命に関わるから致命傷なんやで!?」
「だから何? 本の角で死ねるなら願ったり叶ったりでしょ? そもそも学年だったらローハートより私の方が上だし御姉様なんだけど?」
「僕、この子と仲良う出来る気せぇへんわ……」
「……今のはアポロが悪い」
這う這うの体でルカの背後へと隠れたポアロは、鬼神の如く幻炎を放つ図書委員長に恐れをなす。
初対面とは思えない物騒なやり取りに、ルカは先行きに難航を感じた。ともかく今回の目的は、ポアロの魔界行きを許諾を貰う事だ。心証最悪のポアロと敵対心剥き出しのココを斡旋すべき立場のルカは、辟易しながら下手に回る。
「御姉様、妖精門の開門をお願いしたく参った所存なのですが」
「は? 気安く姉呼ばわりしないでくれる? 出来の悪い弟なんて要らないの」
「立場誇示して呼ぶなって、ツンデレやなこの子」
「ここまでデレが想像できないツンデレは見たこと無いけどな」
ルカの短絡的な作戦も撃沈に終わる。何を目論んでも八歩塞がりのような剣呑な空気に、流石のルカも諦念が沸き立ち始めていた。
そんなルカの心労を察したのか、ココは小さな溜息を一つ溢すとポアロについての質疑を始める。
「で、アンタは誰? 魔界に行く目的は?」
「僕はポアロ・マートン。メノ・アカデメイア所属の十八歳や。魔界に行きたいのは単に興味本位やな。下界と異なる世界を見て、何かの経験になればと思っとる程度や。因みにルカりんにも説明したけど、秘境にも少々踏み入っとるで」
ルカの背後から全貌を現したポアロは冷静沈着を纏い、淡々と説明を展開する。その中でココが反応を示したのは。
「サキノが魔界に行ってる間に出現した秘境の反応が無くなってたのはアンタだった訳ね」
やはり秘境についての情報だった。流石は門番としての役割を担っているだけあって、誰何は判然としなかったようだが把握は出来ていたらしい。
裏方で幻獣を討伐するという誇るべき功績に、しかしポアロは肩を竦める。
「しゃーなしやで? 気紛れみたいなもんやし感謝は要らん。感謝されて今後の期待値上げられてもおもんないし」
「別にするつもりはないけど?」
「そうでっか。堪忍な」
「二人共本音なのか素直じゃないのかどっちだよ……」
ココの反論に謝罪の意を表すポアロ。そして両名の真意が読めないやり取りに、煩わしそうなルカの声が重く垂れる。しかしこのポアロの発言にルカは一つの事実を抜き取ることに成功していた。
ルカが知り得る中で幻獣討伐に関与している人間はサキノ・アローゼただ一人であり、幻獣による下界と魔界の合併を防ぐために率先して討伐を行っている。ルカもそんなサキノを一人で戦わせないために、サキノの負担を減らせるようにと、サキノと同じ心意を掲げて危険を承知で討伐に励んでいた。
しかしポアロは幻獣討伐に能動的では無いようだった。己に戦う術があることは既知の上であるが、自由主義のポアロは明確な目的を持って討伐をしていない。大方ストレスの発散、恣意的、そんなところだろう。
それでも協力が無いよりかは幾分か後見的ではあるが、己の命を顧みず、真摯に臨むサキノと類比してしまうとどうしても遺憾に思ってしまうところはあった。
とは言え強制出来ない事もまた然りなのだが。
「それにしてもマートン、ね。どこかで聞いた事ある気が……」
「マートンなんてそこら中におるやろうしな。特に珍しい名前でもあらへんやろ?」
うーん、と腕組みをしながら思考に耽るルカを他所にココは更なる追究点を課題に引き上げるが、ポアロは大した名前ではないと論ずる。が。
「…………ラヴィリア?」
長い空白の末、捻り出した答えにピクッと。
ポアロの片眉が揺れた。
「何やココるんもリアちゃんと知り合いかいな! 世間ってほんまに狭いなぁ!」
「は……? ココるん……?」
しかしどこか繕うように明るく振る舞うポアロにルカは違和感が否めなかった。そんなルカの暗闘の中、ココは半眼の圧を更に強化。声音すらも鈍重なものへと成り果てる。
「愛称や愛称! 可愛らしくてええやろ?」
「良くない。二度とその名で呼ばないで」
「ええやんココるん~! 僕等もう友達やろ? 仲良うしたいねん!」
強引に話を進めていくポアロはココの隣に並び立ち、小さき少女の肩に腕を回そうとして――。
「気安く触らない、っでッ!!」
「顔が痛いッッ!!」
巨本の背表紙の猛襲を受けた。
顔を抑えながら悶絶して地を転げ回るポアロに更なる鉄槌を振り下ろそうとするココ。流石に見兼ねたルカが上部で本を取り押さえ、ココの体が宙に浮く。
バタバタと藻掻く少女にふぅ、とルカが吐息を吐いた瞬間。
「ふんっ!!」
「何で俺までっ!?」
宙吊りにされたココの逆蹴りがルカの胴に直撃して吹き飛ぶ。
誰だ大人しそうな図書委員長だと流布してたのは、と学園の噂を流した名も知らぬ人物を恨みながらルカが擦過する。
偶然通りかかった一組の男女が目にした光景。男二人が地に倒れ伏し、小さき少女がコオー……と気炎を吐く姿。まるで地獄絵図だ。見てはいけないものを見たかのようにそそくさとUターンしていく。
戦場唯一の勝者ココ・カウリィールはパッパッと、汚れても無いスカートを払いポアロを見下す。
「仕方ない、許可するわ」
「ほんまか! ココる――」
眠たそうな眼で魔界行きを許可したココに飛びつく勢いで再起したポアロだったが、炯々と宿る「その名で呼ぶな」という圧が多量の汗を誘発し。
「――ココサン。アリガトウゴザイマス」
ぎくしゃくと視線を横へ流して感謝の言葉を述べた。
「ここじゃ人目に付く危険性がある。マートンは先に奥の用具庫に――」
「はいな姐さん!」
「…………」
風も追い付かせぬ速度で走り去っていく心躍る純情少年にココは動きが固まらざるをえない。
愛称呼びを止めさせたまでは良かったが少々やり過ぎたかもしれない、と姐さん呼びへと昇格したココは少し、ほんの少しだけ後悔した。
そして亜麻髪を翻し、背後で倒れ伏している黒髪の少年を目に留める。
「で、ローハートはいつまで倒れてるつもり?」
微動だにしなかったルカが、ココの声と共に起き上がる。
「や、何か伝えたい事あったんじゃないのか?」
「……目聡いわね」
ルカがそう判断出来たのはココらしからぬ反撃。制止の処置に怨嗟を抱いたと言われればそれまでなのだが、吹き飛ぶほどの威力を押し付けておきながら胴部にはまるで痛手無し。思い違いかもしれないが、ココなりのメッセージのように思えたのだ。
埃を払うルカへ近付いたココは、周囲に人気が無いにも関わらず両者にしか聞こえない声で用件を述べる。
「何も無いとは思うけど、一応彼を警戒しておいて。何か臭う気がするわ」
「……わかった」
門番ならではの嗅覚。警戒するには越したことはないとココは忠告を発する。
疑いたくはないが、知り合って間もない間柄だ。一日の長であるココの忠告を受け止め、ポアロを引き連れたルカは魔界へ赴くのだった。




