083話 不穏の幕開け
屈託のない笑顔で子供のように何度も翻す金髪。手を振りながら低身長を雑踏の中に埋もれさせて行くラヴィを見送り、ルカは都市中央へと脚を向けた。
勉強によって消費した思考能力を補うように露店商で甘味を補給していたラヴィは至極満悦のようだったが、ベンチから見える光景にルカはほんの僅かな――気のせい程度の違和感を感じていた。
『幸樹』。
のべつ幕なしに展開されるラヴィの会話に意識半分、もう半分に割いていた意識が煌々と多々の色彩を灯す幸樹だ。天衝く巨木は普段と比較しても別段変化はない。人々の幸福の象徴であり、遠くに居ても幸樹を指差し眺望する観光客達が絶えない下界のリフリアの名物。
そんな幸樹の呻吟が聞こえた気がした。
遠く、遠く、遠く。世界の裏側から発せられた微声が鼓膜に、脳に侵入したかのように。
ラヴィに聞いても「全然聞こえなかった」と首を振るだけで、違和感の正体は判然としなかった。だからルカは思い過ごしでもいいからと、自分の目で確認せずにはいられなかったのだ。
まだまだ人通りの多い北主要大路を多くの人族とすれ違いながら石畳の上を歩く。
既に声は聞こえない。風の音や下界リフリアの生活音だったのかもしれないと、疑念が心中を渦巻く中、しかしルカにはどうしてか無根拠な確信があった。今、幸樹の元に脚を運んでも何の意味もないことも。
ルカを突き動かすのは懸念、気懸り、もしくは使命感。誰にも伝わらない、誰にも汲み取って貰えない極彩色の叫びを唯一受け取ったような気がしていたから。
のらりくらりと人の波を躱しながら、追い越しながら足早になるルカは大勢の人で賑わう幸樹広場へ辿り着いた。妖精のような多色の泡沫が漂う幻想空間でルカは周囲をキョロキョロと四顧しながら歩みを連ねる。
見上げれば見上げるほどに全貌が見えない荘厳な樹木は常に視界に映り続けるほどの目立ちたがり。とはいえ付近で観察を試みても視野、空気感、存在感に異常は見当たらない。
試しに幸樹の根元で巨大も巨大な胴体に触れては見るものの時間だけが過ぎていく。
「何してんねんルカりん。そこからは流石に魔界には行けへんやろ?」
「……は? ……確か、マートン? ルカりんって、と言うか魔界?」
突如背後から浴びせられた声――ポアロ・マートンの言葉にルカの情報が渋滞を引き起こしていた。
闡明にすべき事項が多過ぎて頭一杯にクエスチョンを浮かべるルカに、ポアロは手首のスナップを利かせて右手を振るう。
「アカンアカン! そんな堅っ苦しい名で呼ばんといてや。ポロアでもアポロでもええさかい、親し気に名前で呼んでや」
「いや、呼び名の事はいいんだが……前回ミュウと一緒に会った時と別人過ぎだろ……」
相変わらずアロハのような着衣は変わらない。一度見れば印象の強い格好を好んでいるポアロの事だ、外見ではルカにも同人だと判断が付いたが、言葉遣いが砕けている。砕け過ぎている。
丁寧語を使用してミュウを驚愕させたように、逆もまた然り。二度目の対面でありながら前回の印象を跳躍し、関西弁を口走るポアロに困惑を隠せない。
「流っ石ルカりん、ええとこ着目すんなぁ」
「その変わり様で指摘しない方が無理だからな!? キャラがブレすぎなんだよ!」
「古い! 古いでルカりん! これからの時代は内なる自分を複数持つ時代や! いつまでも過去の自分に囚われとったらアカンで! とまぁ、自分の負を過剰に巧言した詭弁なんやけどな。本当の事言うと、僕、多重人格者やねん」
抑揚の高低差が激しいポアロに半眼を向けるルカ。疑心と言う訳ではないが、普通とは異なる事情をおくびも隠さずに公開してくるポアロに妙な違和を感じた。
「しれっと重大事ぶっこんでくるな……まだ双子の兄弟とかって言われた方が説得力が出るんだが」
「信じるか信じんかはルカりん次第やけどな。会ったことあるやろうけど、もう一人の僕は必殺仕事人みたいなお堅い奴や。お気楽主義な僕とは合わへん」
事実は述べた。最終判断はルカに任せると、ポアロはケラケラ笑う。
その様子を見て己が周囲と離隔しているとの自覚はあるものの、さして気にしていないようにも感じられる。もう一人の人格――カフェ『あうる』で会話を交わした少年の事を、本人ですら相性が悪いと談じる始末だ。
正体に霞がかったかのように妙に裏がありそうなポアロを、ルカは腕組みをして憶測を働かせるが。
「まぁアポロが気にしてないんならいいさ」
追究を止めた。
というのも、ポアロの実状も気懸りではあったが、先程発した単語がルカの頭に爪痕を残していて仕方がなかったのだ。
「それよりさっき魔界って言ってたよな? どうしてそれを知ってる? どこまで知ってる? お前は一体全体何者だ?」
「ちょいちょいちょい! 色んな事いっぺんに聞きすぎや! そもそもそないな事聞かんでも英明なルカりんなら僕が異世界事情に一枚噛んどる事くらい察しとるやろ?」
初めて異世界事情共通者だったサキノと立場が逆転したかのように、口早に質問攻めをしたルカは自若を引き戻す。
ルカが懸念していたのはミュウ・クリスタリア、ラウニー・エレオスのような嗜欲の血眷の存在。どうにもここ一月程の間で強敵との戦闘が連続しているルカは可能であれば交戦を回避すべきとして、先んじてポアロの立ち位置を確立させようとしていたのだ。
敵対するのであれば慣れ親しむ道理はないと一歩距離を置くが、ポアロはのらりくらりと言及の波を躱していく。
「そりゃあ……魔界って単語が出てくるくらいだからな。只者じゃない事は推して知るべしだろ」
「せやな、と言う訳で僕に魔界の案内してくれへん?」
「何が、と言う訳で!? 脈絡無さすぎるんだが!?」
「詳しい事は魔界で話すし、僕が何やら怪しい動きしてんなぁ思ったら、ルカりんが実力で止めたらええ。ミウらん撃退させたルカりんなら余裕やろ?」
ミウらん。撃退。恐らくポアロの関係性からミュウの事を言っているのだろうと推測したルカは、何故その事を知っているのかとポアロの掴みどころの無さに警戒心が加速する。
「あーっと、何か勘違いさせとるみたいやからこれだけは先に言うとくけど、僕ぁ秘境の事しか知らんで。直接会うたんは『あうる』が初めてやが、サキるんが幻獣討伐勤しんでたんも知っとる。こう見えて、サキるんが来れへん時は僕も何度か幻獣討伐してたんやで?」
「サキるん……サキノか」
身ぶり手ぶりで説明するポアロの発言を聞いて、ルカは幾分か猜疑心が希薄になった気がした。話を聞く限りでは己よりも先に秘境に携わっていたのかもしれない。いや、携わっていたのだろうとルカは確信に及ぶ。
そしてサキノの働きを知っていながらも、ミュウのように邪魔だてすること無く陰から支援していたところを鑑みると、敵対が目的のようには見えなかった。
全ては外見からくる怪しさであって、悪い奴ではないのかもしれないとルカは心の鍵を一つ解錠した。
「悪意が無いことは何となくわかったが……魔界に行きたい理由は?」
「ルカりん、それ聞くんか?」
ニヤリ、と。口端を歪ませるポアロに、ルカは前言撤回の意思を駆られた。
下界の出来事に大した興味を示さずとも魔界に用件があるのかと、ルカがまた心の鉤に施錠をしかけた時、ポアロが喉から言葉を送り出した。
「興味本位や」
まるで観光。思いもよらない返答にルカは呆気に取られ、口を開いたまま硬直する。
「そりゃー気になるやろ! 異世界共生譚で分断された伝承の世界! この世界とは種族割合の逆転した仮想のような光景! 男の子の浪漫や! 頼む! ルカりん! この通りや!!」
「この通りって言うくらいなら頭くらい下げろよ!?」
直立不動で姿勢を正しただけのポアロに厳しい指摘が入る。
挙動が一々怪しく「見た目で損してんなコイツ」と変な勘繰りをしたルカは大きな溜息をつき。
「わかったよ……って言っても俺も大して魔界に詳しいわけじゃないからな?」
「ぃよっしゃあー! 構へん! この世界と異なる非日常を拝めるだけで僕ぁ満足や!」
まるで一大イベントが決定した学生相応に喜ぶポアロの姿に、ルカは微かな笑みが零れた。
怪しいのは姿形だけで、根は純情な少年なのかもしれない。
そんな淡い期待をポアロに抱き、ルカは携帯電話を取り出して門番へと電話を掛けた。
プルルルルル、プルルル。
『何?』
まるでお手本のようなツーコール以内の受話に、無愛想な二文字。ルカが電話を掛けた先は下界、魔界、秘境を繋ぐ門番ココ・カウリィール。
幸樹の色彩豊かな泡沫と戯れるポアロを隣に置き、ルカはココへ妖精門開門の申請を届け出る。
「魔界に行きたいんだが離れてても開門って出来るのか?」
「ん? 何やルカりん一人で行けへんのかいな?」
これまでルカが魔界に行く際は秘境の妖精門を経由するか、ココの元へ直接向かわなければならなかった。現在地は程々に学園から距離のある幸樹広場であることから、可能であれば徒労を省きこの場から魔界へ発ちたいというのは当然の真理だった。
そんな都合を知る由もないポアロは、ルカが魔界に赴くために幸樹広場へ来たのではないと悟り、同時にルカが一人で魔界へ出入り出来ないことに疑懼の念を呈した。しかしそれがまずかった。
『可能。……だけどローハート、そこに誰かいるの?』
反対側のココにポアロの声が届いており、表情は見えないが雲行きが怪しくなったような気がルカにはした。
「あぁ、少し怪しい奴が一人」
「辛辣やなぁ! けど言われ慣れとる僕にとっては褒め言葉みたいなモンやで!」
『ウザ……』
「なはははは! お相手さんも正直やなぁ! 嫌いやないで!」
事実の通りにココへ簡略に説明するルカは脚の重心を反対へ移す。もう少し体よく繕えば良かったかと悔悟を脳に掠らせる。
しかし全く気にしていない様子のポアロはずけずけとココへと踏み込んでいくが、対面していなくともココの警戒心は限界突破しているようだった。
『……はぁ。魔界に行くのは構わないけど、正体が判然としない人を連れて行くのは感心しない。そこにいる人も連れて行くつもりなら、一度私のところへ連れてきて』
全くもってココの言う通りだ。ルカも粗方の事情を質すまで、魔界へ帯同するのは若干気が引けていたのだ。門番であるココなら殊更のことだろう。逆に考えれば魔界へ向かう前にココに察知されて良かったとも言える。
ところが、ルカの中には問題が一つ。
「学園の人間じゃないから天空図書館に入れないんだが……」
一般の都市民が学園へ入ることが出来るのは商業施設である三階まで。四階以上の階層は防犯目的も含有しており生徒証が必要となる。ミラ・アカデメイアの生徒ではないポアロが最上階の天空図書館に踏み入る事は不可能なのだ。
『じゃあ諦めなさい。切るわよ』
「ココ待って――」
『冗談よ』
「なはははははははははははははははははははは!! ルカりん弄ばれてるやんけ!」
「笑い過ぎだろ」
ココの嗜虐心が活動を始めた。
何だかんだ言って事情を汲み取ってくれる辺り、冷徹ではないのがココ・カウリィールだ。
『校舎裏、二分、それ以上は待たない。それじゃ』
「嘘だろ!?」
ルカが叫ぶものの、ツーッ、ツーッと電話が切られた音が耳朶を揺らした。
どこが冷徹ではないだ。誰だそんな事を言った奴は、とルカは自問自答しながら携帯電話を片す。
「なはははははははははは!! お茶目な子やなぁ」
「だからいつまで笑ってんだよ。流石に二分じゃ無理だが、魔界に行きたいのならとにかく急ぐぞ」
「はいな了ー解」
腹を抱えて笑いこけるポアロをルカは煽動する。
ココの要求は流石に無謀故に言葉通りではないと願いたいが、急ぐに越したことはない。二人は人族がごった返す幸樹広場を縫い、その場を駆け出す。
そのルカの心中には、幸樹の呻吟の残滓は既に残ってはいなかった。




