082話 嫉妬
時計の長針が二度頂上を通過した頃、窓から差し込む明かりは眩しさを落としていた。
柔術、剣術、砲術、槍術。多岐に渡る武芸の教導を受けたアラン。ルカやミアムの見様見真似で失敗を繰り返し、しかし天賦の運動能力は成功へ近付くのも早期に及んだ。
逐次形となっていくアランの体験入部に、自主練習に励んでいた他の部員達の目も好奇に晒されていた。
「ふむ、素質はあるようだ! 次期副部長に任命するぞ!」
腕を組みながらアランの経過を観察していたミアムが実現しないであろう部長権限を行使する。
「いや、いらねえ。ルカがどんなことしてんのか知れただけで充分だ。俺にはダンスがあるから兼任なんて無理だ」
「どれも卒なくこなす辺り、流石アランだな。何が一番しっくりきた?」
調子、知名度が右肩上がりのゼロ・テュピアのリーダーであるアランを問答無用でスカウトする声はすげなく拒否される。駄目で元々なのか、言わば叶うなのか、思ったことは何でも口にするミアムは、だははは! と哄笑していた。
汗をかいた髪を掻き上げ、ルカの問いにアランは一番最初に選択したグローブを視界に入れる。
「そうだな、やっぱり俺はステゴロかな。武器があると動きが鈍ってなんかもどかしくてな」
「ステゴロ言うな。柔術と言え。過度な崩し言葉は武術への冒涜だぞ!」
「呪術?」
「じゅうじゅつだ!! 栄えある武術を眉唾物と一緒にするな!」
「蝿? 眉唾物?」
「会話が成立しないな!?」
補習組であるアランに説得を試みるミアムは、理解力の無いアランに「くぅっ!」と歯噛みする。武芸の事では譲れない、しかし言葉では通じない。そんな双人の呆れる程のやり取りの中、ルカはアランが柔術を吟選した事由に思い当たる節があった。それが以前戦ったラウニー・エレオスだ。
本物の殺意を宿し短刀を携えていながらも、ルカとの戦闘では素手に拘る場面が多かった。殺傷能力で言えば刃物に勝るものは無い筈なのに、だ。
当時ルカはラウニーが己を嬲り殺しにするために刃物を必要以上に装備しないものと考えていたが、アランの仔細を聞き確信へと変わった。平凡な己にはわからない、驚異の身体能力を持つ者達故の悩みなのかもしれないとルカは結論付けた。
「もういい……さてローハート、そろそろ模擬戦に付き合ってもらうぞ!」
珍しく折れたミアムは気持ちを切り替えるようにルカへと勇む。武芸部部長としてはアランの体験入部は喜ばしい事だったが、ルカとの交戦を何よりも楽しみにしていたミアムは滾る血を抑えきれないようだった。
「模擬戦? 対人戦でもすんのか?」
「そうだな。今日は元々そのつもりで脚を運んだ訳だし、武芸部に来る時はクラウンの御指名で毎回やってるからな」
ミアムの宣戦布告に対してルカは準備を進めていく中、アランは模擬戦の言葉に反応を示す。部員達がルカ対ミアムの名勝負を観戦しようとガラス越しに待機し始め、両人がグローブを着用して腕や肩の可動域を確認する作業が行われる。
「シルスタはそこで見ていろ!」
己の最大イベントを邪魔はさせないとミアムが指示したのは道場の壁際。
しかし遠慮の欠片も持ち合わせていないアランは。
「あん? ルカとやりたいならまず側近の俺を倒してからにしろよ。と言うかルカとやるのは俺だ」
「側近にした覚えはねえよ?」
己を差し置いてルカとの交戦を認める筈がなかった。
そのアランの挑発に流石のミアムも双眸を細め、一笑に付しながら答弁する。
「今日武芸を始めたシルスタが我に敵うとでも思っているのか? そもそも君のような新参者が我やローハートのような高次の武芸者と相見えようだなんて烏滸がましいな」
「高次でもなければ武芸者でもねえよ?」
ルカの反論虚しく、アランとミアムの口論は熱を帯びていく。
「だからそれを実力で証明してやろうって言ってんじゃねえか。工事だか何だか知らねえが、雨降って地固まるって言うくらいだ。足元疎かにしてっと掬われるぜクラウン先輩?」
「絶対に意味を理解して使ってないだろう。頭が悪く見えるぞ? いいか、武芸と言うのは読み合いも重要であり、身体能力だけでは――」
「あー、そう堅苦しいのはいいって。俺は感覚で動くタイプなんだ。頭が悪い事なんてわかりきってることだし、頭が良くなくても何とかなるだろ」
「数多の失敗と成功の経験を経て、ようやく感覚と言う要素が加味されるのだ。基盤も何も出来てない者が感覚に頼るなど笑止千万だ」
雲行きの怪しい棘が入り混じった熱弁の応酬に、ガラスの反対側で部員達が俄かにざわつき始める。
アランは確かに似た部分があると、同じ波長を感じた。しかし蓋を開けてみれば、武芸で数多くの挫折と苦渋を味わってきたミアム・アートクラウンと、ダンスで隆盛の如く知名度を増す成功体験真っただ中のアランでは物事に対する捉え方が違うのも無理はなかった。
熱意の量では同等かもしれないが、失敗を恐れないアランにミアムの声は届かない。
冷静ではあるようだが、ぎゃーぎゃーと近距離で主張を押し付け合う二人の姿にルカは大きな溜息をついた。
「あー……面倒臭い、だったら二人纏めてかかってこいよ。相手してやる」
嫌悪を感じた訳ではない。しかし互いに譲る気のない終わりが見えない討論に、ルカは悪役になることを辞さなかった。
その目論見は、まるで噛み合う筈のない歯車が奇跡的に噛み合ったかのように、ルカの予定調和として事態が動き出す。歯車が上手く嵌った音か、それとも癇に障った音か。カチンッと言う音が二人の同時に鳴り響き、視線は後方で腕を組み佇むルカへと傾注した。
「おいおいルカ、それは流石に傲慢ってもんじゃねえか?」
「連携も何も無い二人相手なら、感覚で何とかなるだろうよ」
「聞き捨てならんなローハートよ! 二対一とは武芸心に反意するが傲岸不遜のその言葉、後悔させてやるぞ! おっと、シルスタと共闘した勝利の暁には、勿論我の勝利にカウントさせて貰うがな!」
「言ってて虚しくならないか?」
二人の標的が己に向いた事でルカは得心を漏らし、半身の体勢を取る。前言撤回をしようとはしないルカの戦闘態勢を目に、ミアムが予備のグローブをアランに投げ渡す。
「勝利条件は相手の背もしくは臀部を地に付ける事。顔面への攻撃は禁止、それ以外なら自由だ」
グローブを着用しているアランへとミアムは簡潔に戦闘ルールを告げる。
開始の合図は無い。アランが着用を終えた時、無音の銅鑼が三者の中で同時に鳴り響いた。
戦端を切り開いたのはミアムサイド。ミアムは左側からの速攻、脚部の足払いで早期決着を狙う。対するアランは右側――ルカの利き腕ではない方から掴み投げようと左腕、胸を狙う。
右下、左上から襲い来る素早い攻撃にルカは。
「「っ!?」」
同時に攻撃を食い止めた。
右足裏でミアムの低滑空を揺らぐことなく防ぎ切れば、アランの豪腕を左手一本で往なす。多方向からの同時攻撃を防がれた二人は微かな驚愕に心を喰われ、ルカの攻転を許してしまう。
防御に使用した右脚でミアムの蹴りを弾くと、踏み込みと同時に右手でミアムの胸元を掴み、円弧を描いた左腕でアランの胴体へ掌底を放つ。
「うぐっ!?」
威力不十分により転倒まではいかないものの、アランに蹈鞴を踏ませるには十分な威力。僅かに開いた距離に好機とルカはミアムを力任せに投げ払おうと右腕に力を込める。
「させるか!」
強引な力を逃がす為ミアムはルカの腕へ掌底を放ち、右腕を解き放つことに成功した。敢行が失敗に終わったルカだったが、間髪入れず突貫してきたアランの蹴撃を低姿勢で躱せば、ミアムの掌底の反動を利用し捻り蹴りをミアムへ叩き込む。
「ぐっ!? 器用過ぎやしないか!?」
両腕でガードを完遂させたミアムは衝撃に腕を痺れさせながらルカの流麗さを認める。
ルカが引用したのはミュウの無駄の無い流れるような攻防。魔力を使用した異世界戦闘とは規模が異なるものの、常識外の攻撃が無いという条件であれば、ある程度の組み立てはルカにも可能であった。
しかし決めきれない攻転に、ミュウはよくサキノを含めて二人を相手取っていたなと感嘆する。
「シルスタ! 攻撃の手を緩めるな! 多勢に無勢! 手数で押し切るぞ!」
「言われなくともっ! ルカをやるのは俺だ!」
声を掛け合い団結する二人の動きに、ルカは早期に決着を付けられなかったことを惜しく思う。
ルカの現在能力を認め、一切の油断なく破竹の勢いで攻めるアランとミアム。腕を、脚を休める暇など、瞬き相当の時間も与えられず防戦に徹するルカ。
「流石にキツイな!」
「謝罪の一言でもあれば、部長継承の印を押すことで許してやろう!」
「尚更言えなくなったんだが!?」
窮地にかこつけてどこまで貪欲だよ、と。内心でツッコミながら、道場の広さを十二分に利用して適度な距離で交戦を継続していく。注意すべきは足場の確保。壁際に追い込まれれば回避のしようがない上、相手を転倒に追い込むことが難しくなる。波状攻撃の間を縫って立ち位置を把握しておかなければ、取り返しのつかない敗北を喫することになってしまうのだ。
(時間経過と共に二人が逆方向を陣取るように息が合ってきてるな。このままじゃ押し切られる……二人を相手にするのは流石に不利か。だったら数の多寡を利用しない手はないっ!)
ルカが察知したように、アランとミアムは己の攻撃が仲間の阻害にならぬよう対角を結ぶように位置取りを始めている。何より人間の体の構造上、前面を見ていれば後面は疎かになる絶対性を理解しているが故の包囲網だ。
ルカならではの順応力、視野の広さが功を奏し防ぎ切れてはいるが、いつ何時直撃を被るかわからない。数的不利の戦闘とは、常に弱所を衝かれながら戦うことを余儀なくされることを覚悟しなければならないのだ。
しかし。
その陣形は有利故に、時に敗因へ。
避けるべくして敷いた包囲網の筈が、弱点を浮き彫りに。
左方からの突貫、殴打蹴撃の嵐を見舞っていたアランの腕を掴んでは強引に引き寄せる。
「くっ!? いい加げ――え」
「なっ!? シルスタ!?」
転瞬、引き寄せによって立ち位置を入れ替えられたアランの眼前には、攻撃を繰り出そうとしていたミアムが。
ルカの策は、二人が最も避けなければならなかった仲間との衝突。攻撃の阻害。ルカへの決定打を狙い前傾で体重が前に乗っているミアムと、引き寄せで制御が効かないアランを交錯させること。
体格差の大きいアランとミアムが衝突すればただでは済まない筈だと。ルカはこの瞬間に勝機を見出した。
「うおっ!?」
「ぐぁっ!?」
ドンッ、と鈍い音が両者の間に発生し、ミアムがアランの巨体に吹き飛ばされる。しかし流石は武芸部功績取得者と言ったところか。簡単には転倒しないどころか、強靭な脚の筋力で一、二歩の後退で持ち堪えてみせる――が、それだけでは終わらない。
(まずは確実に一人!)
数の不利としては有り得ない筈の奇襲をルカは仕掛ける。
ルカ一人に傾注する視線が戦闘中に遮られることは無い。だが遮らせる事は出来る。
ルカの身体がアランの巨体を障害物とした隠蓑に身を潜め、陰から唐突に生えた左腕の掌底は。
ルカの姿を隠しながらミアムの右胸を穿った。
「なっ――!?」
もしミアムの実力が低度であったならば。
もしミアムが惜しまぬ努力を惜しんでいたならば。
もしミアムの筋力が今ほどに強靭でなかったならば。
ルカの腕は届くことはなかっただろう。
しかしミアムの闘争心が堰き止めた後退はルカの腕の長さに留まり、直撃を被ってしまった。
結果。
ミアムは吹き飛び、尻餅を着いてしまった。
「っ!? ローハート……お前はどこまでっ……!」
以前とは機転も闘争心も別人のように変化したルカにミアムは吃驚を隠せない。そして何より著しい心境に舌を巻かずにはいられなかった。
「クラウン先輩っ!?」
「アランお前もだ!」
ミアムの撃沈にアランは動揺し、その隙を逃さまいとルカはアランの背後にて連続撃破を企む。
(何で来る!? 足払いか!? 投げか!? 掌底か!?)
背後を取られたアランには数多くの選択肢が頭の中で斟酌を行っていた。
そう、武芸において背後を取られた事の無いアランには、背後を取った際の有効打が何であるのか、ルカが選択する技が何であるかの指標が無いのだ。
これこそがミアムの言う経験。経験者のみが培える失敗と予測の結晶。無数の選択肢の中から取捨選択する瞬時の決断力がアランには当然欠如していた。
だから。
「っ!?」
いや、だからこそ、アランはルカの追撃を瀬切る事が出来たのだろう。
「何だ、出来んじゃねえか」
様々な経験から来る予測ではなく、完全なる直感。感覚タイプだと豪語していたアランは一瞥だにせず、背後から振り回されたルカの右蹴撃を握り止める。その指はしっかりと脚に食い込み逃さない。
「おおおおおおおおっ!!」
アランは膂力任せに投げ飛ばそうと渾身の力を込め、ルカの体が宙に浮く。左手も加わった激烈な力にルカは成す術なく投げ飛ばされ――る筈がなかった。
右脚の自由を奪われたのならそれ以外で対抗すればいいだけだ。引力を有効利用し、左脚でアランの右脚を刈り取った。急激に不安定となった地盤は崩壊を引き起こし、アランの体勢が後方へと傾く。
投げるが先か、転倒が先か。
先に痺れを切らしたのは位置関係で不利なアラン。アランは背を打つことを嫌ってルカを手放し、転倒間際に左腕を地に着いた。瞠目するミアムの姿を一瞬視界に収めながら、頭部と左腕の力を使いバク転の要領で転倒を回避。そのアクロバティックな動きはまるでブレイクダンス。身体能力に長け、多様なダンスを謳歌しているアランならではの緊急回避だった。が。
「そう簡単に終わらないと思ってたぞアラン」
眼前には既に次撃の為に接近しきったルカの姿。気付いた時にはもう遅い。着地で体勢不十分のアランの巨体を、ルカは合気道の如く最少の力で投げ飛ばす。
腕を握られ、着地の反動も最大限に利用された、まるで風車のような優しい回転でアランは背を地に預けた。
ミアムはルカとアランの異次元の攻防に尻餅を着いたまま呆然としていた。何が起こったのか判然とせず横たわるアランを他所に、ガラスの反対側では激戦に大いに沸く。
その中にはいつの間に侵入していたのか金髪ツインテールの少女の姿も。真っ先に行動に移したのはやはり少女。
「ルカぁ! ほんっとカッコイイ……カッコ良過ぎ……ドキドキして死んじゃうよあたし!」
補習を終えたラヴィは眼も周囲の空間もツインテールも全てをハートで埋め尽くし、ピンク色の幻炎を充満させる。
汗を拭い、周りでうろちょろと絶賛するラヴィを等閑に、ルカは着脱したグローブを付近の保管箱へと返却した。
勝者の背を放心状態で眺め続けるミアムとアランの姿に、主に後者への意趣返しのつもりでラヴィが近付き口を開く。
「ふふん、いくら二対一とは言えル――むぐぅっ」
愛するルカの誇らしさを啓蒙する為、敗者達へ容赦のない言葉を口走ろうとしていたラヴィの口が、背後から歩み寄ったルカの手によって防がれる。
過度な説諭は煽りにしか聞こえない事を理解しているルカは、累を及ぼす事を忌避し無理矢理にでも言葉を遮ったのだ。
「ラヴィ露店でも行くか。頭使って疲れただろ」
「うんっ!! 行く行く!! 流石ルカ、あたしの事何でもお見通しだねぇ!」
少々強引に話題を変え、ラヴィの脳内を甘味で満たす。これで危害は二人には及ばないだろうと、ルカは先行して駆けて行ったラヴィを見送り踵を翻した。
「クラウン、アランありがとう。また闘ろう」
拳を交えた者達に敬意を表し、頭を垂れたルカは「ルカぁ?」と入口で顔を覗かせるラヴィの後を追った。
数的不利をものともしない強者の姿に敗北感が込み上げてきたのか、ミアムは拳を固く握り締め胸に宛がう。この敗北を忘れないように、武芸道に己の躍進を誓うように。
そして仰臥のまま呆気に取られていたアランは。
「……くそ」
大きな手で顔を覆い、もう片方の手で地を叩き下ろした。
青よりも青い瞳に昏い炎を宿しながら。




