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067話 絶対防御

「くっ……くははははは! 万が一にも俺様に勝てれば何も失わずに済むとでも思ったか!? てめェみたいなポンコツパンダが!?」



 依然として銃口を向けるマシュロの決意を、浅薄だと哄笑するラウニーの声は愉快に塗れていた。

 しかし空気は一変。



「ナメてんじゃねェぞ」



 一瞬にて不愉快が前面に押し出てきた重声にマシュロの身の毛がよだつ。

 強者を自負するラウニーにとって、半端者もいいところの相手が一縷の勝利に望みを賭け、牙を剥いてきたのだから憤るのも無理はないだろう。それも自身達の誇りである種族(レスパンディア)の異端児ともあれば殊更。

 威圧だけで制することが出来るとばかりにラウニーは怒気を孕ませ凄んで見せるが、マシュロは震えを制してみせる。どす黒い幻炎(オーラ)が暴風雨の如く吹き荒ぶが、決死の覚悟を宿したマシュロは一筋の汗を湛えるだけで毅然とした態度を崩さない。



「副団長に勝とうなどとは思っていません。寧ろ勝てるなどとは微塵も。ですがただ傍観しているだけでは何も変えられません。行動を起こす前から諦めるのは違うと、そう教わりました」



 白銀の重責(ゆき)の上に立つ一人の少年、ルカ・ローハートを想う。誰もが同行を拒否するであろう禁足地に一つ返事で乗り込んでくれた少女の英雄。

 広大すぎるヒンドス樹道で誰が子供達を見つけられると思っただろうか。

 護身の術を持たない子供達が生きている内に助けられると誰が希望を持っていただろうか。

 迷い込んだが最後の迷宮を一人も欠けることなく脱出に成功するなど誰が予想しただろうか。

 知識を持つ者ならば誰もが手遅れだと匙を投げる出来事に、ルカは最後まで諦念を持つことはなかった。

 だからマシュロ・エメラも倣わなくてはならない。

 愛する子供達を護るために。

 思慕を抱いた少年が語ってくれた『護る力』を証明するために。



「変えられる力を持たねェ雑魚が何をしたって無意味だろうが」

「無意味を無意味と受け入れてやる前から諦める、それが弱き者です! 私は変わりたい!!」

「自分の立場すらもわからねェ雑魚が夢見てんじゃねェぞ!」

「団長然り、仲間然り、私より遥かに強い彼等が傷付くところを何も出来ずに見ているだけは嫌なんです。弱いままじゃ――嫌なんです!!」



 マシュロは今、雪下で藻掻き始める。

 強気の言い合いの末、銃口に魔力を傾注したマシュロは臨戦態勢に入ったラウニーを狙撃した。明確な敵意を含有した光線は土砂を巻き上げながら一直線にラウニーへと肉薄するが、単調な軌跡はいとも簡単に空を切る。

 射撃の勢いを利用し後方へと跳んだマシュロへ、獰猛な目付きを引っ提げ驀進するラウニーは寸陰にて距離を詰め上段蹴りを見舞う。

 丸く大きな瞳が戦士の眼光へと変貌したマシュロはギリギリで左腕を滑り込ませ、直撃を介することに成功する。



「あァ?」



 塵を蹴り払うが如く吹き飛ばし一撃にて決する未来を想像していたラウニーは、自身の攻撃を無傷で完璧に防いだ少女に思わず怪訝な声が漏れた。



「あああああああ!」



 一糸にも及ばない勝機がマシュロにあるとすればラウニーの油断に付け入るしかない。想定外の防御の一瞬に生まれた強者の困惑に、マシュロは超至近距離から自身を巻き込むことも厭わない特大の電磁砲を放った。

 風圧で体は後方に流れ、気流によって空髪は暴れ狂う。

 バサバサと外套が悲鳴を上げながら破れ、軍服に似た戦闘衣が華奢な身体に張り付いていた。

 眼前は木々の倒壊や土埃の大嵐によって視界の確保すら危うい戦場。

 この一瞬に勝負の命運を賭けたマシュロは儚い勝利を期待した。

 しかし。

 汚い霧が整然を許可すると、どこまで強者としての威厳を示せば満足するのか、ラウニーは涼し気な顔で難なく回避を成し遂げていた。



(ありえないっ!? どうして躱すことが出来るんですか!?)



 何もマシュロは捨て鉢にラウニーへと戦闘を仕掛けたわけではない。ゼノンやクゥラ、騎士団員達、ひいては団長にも明かしたことの無い、己の隠された『能力』を切り札に超短期決戦に望みを託していたのだ。

 勝利に必須の条件が『相手の思惑を超える』ことであれば、マシュロが手札を隠していたことはラウニーにとっては想定外だったと言えるだろう。

 それがどうだ。マシュロの小細工を強者故の余裕を持ってラウニーは容易く握り潰した。

 では何故マシュロに勝利が傾かなかったのか。答えは単純明快。


 ――マシュロの切り札は、あくまで『護る力』だったに過ぎないからだ。


 想像を絶するラウニーの身体能力に、決まり手を欠いたマシュロは一気に焦燥が沸き上がった。



「何を驚いてやがる。てめェ如きが何をしたって無駄だと言っただろうが」



 稲妻のように木々を蹴りつけ錯乱、少女の上空へと躍り出たラウニーは動揺に暮れる標的へ踵を振り翳した。一撃で脳天を破壊する断頭台の直撃を次こそ確信したが、転瞬、勢いよく眼前に円陣の遮蔽物――黒色の傘が花を咲かせた。



「ウザってェ!!」



 防御ごと蹴り壊してやる、と渾身の力で振るった脚刃は、しかしまたもやか弱き少女に食い止められる。



「うっ……!」



 呻吟を漏らすマシュロは強撃に足を地に埋めながらも歯を食い縛る。

 浅い戦闘経験ながらも利く機転、傘を回転させ迫り来る衝撃を下方へと受け流した。爆発のように弾ける土砂、余威で陥没する足場を脱し、追撃が訪れる前に四顧しながらラウニーから距離を置いた。

 閉じた傘を構えながらタタタタと離脱する少女に、ほとほと面倒臭そうにラウニーは首を鳴らすと、威力重視を切り捨て神速の速さで乱撃を開始する。



「うくっ、ぐぅぅ……効き、ませんっ!」

(何故攻撃が通らねェ? 魔力を練ってる気配はあるが……)



 攻撃自体は直撃しているものの、やはりマシュロにダメージが通る気配はない。

 真正面からの怒涛の連撃に、脆弱であった筈の少女が辛くもダメージを蓄積しないという奇怪な様にラウニーは目を眇めた。

 


「チッ!!」



 盛大に舌を弾かせたラウニーは、防戦一方のマシュロからバク宙で助走距離を取った。予備動作に続く俊敏な接近、快速を飛ばし速度を乗せた右ストレートに反撃も許されず、マシュロは防御を試みる。

 しかしそこに衝撃が訪れることはなく、背後からさも強烈な蹴撃が身体を襲った。



「ううぅ!?」



 フェイント。眼前に注意を引きながら背後に一瞬で回り込んだラウニーの、回転を加えた強力な回し蹴り。依然変わらずマシュロから苦悶を引きずり出すに留まるが、背後からの奇襲はマシュロに蹈鞴を踏ませる。



「どうなってやがる……」



 ラウニーは希望的観測を持たずに追撃を執行するが、しかしマシュロは全力の輾転で()()を敢行した。



「あ?」



 連撃によって原型を留めていない外套どころか戦闘衣までもを土塗れにする無様な奇態に、ラウニーの眼が鋭く光る。そして何よりマシュロの視線が捉えていたものが、次に起こした行動が、ラウニーの猜疑を確信へと導く。

 赤く照らされた体を黒色に塗り替えるように、マシュロは五メートル先の木の下へと体を潜り込ませたのだ。



「もういい。わかった」

「……なに、を――」



 どうにか反撃の機会を作り出さねばと傘先をラウニーへ向けるマシュロ。だが次の瞬間、ラウニーの急迫はマシュロを目がけてではなく隣の巨木へと。

 自身ではない標的にマシュロは困惑したが、巨木の倒壊に危機が全身を席巻する。



「まずっ――!?」



 射し込む夕陽に呑まれるマシュロは息を呑み、慌てて移動を開始するが。



「雑魚が知恵を振り絞りやがって」



 並走し、少女の横に張り付いたラウニーは容赦なく肘打ちを叩き込んだ。



「ぃぎっっ!?」



 敵前逃亡中の横顔に吸い込まれた肘撃は、先程の攻撃群に比べれば幼児のような攻撃で。しかしマシュロは今度こそラウニーの攻撃の無力化に失敗していた。

 吹き飛ばされた先で体勢を立て直そうとするマシュロが見上げた時には既に遅い。巨大な影が次撃の長脚を振り始めていた。



「かはっっ――」



 腹部にめり込む凶撃は、両者に確かな手応えを感じさせるには十分な一撃だった。

 骨及び内臓への衝撃にマシュロは血を吐き出しながら立木へ衝突。強烈な目眩と、身体の奥底から決壊するかのような痛覚を伴い倒れ伏した。



「ゲホッ!! が、あぁぁぁあ……」



 耳鳴りが近付く足音を雑音へと変え、体中を襲う痙攣に悶え苦しむ。



「てめェの能力は()()でのみ魔力を防御力に転換ってところか。小熊猫(レスパンディア)でありながら『夜昇』を使えねェ落ちこぼれにぴったりの陰険な能力だなァ?」



 一騎士団の高位に君臨するラウニーの洞察眼による推理は正鵠を射ていた。


『絶対防御』。

 魔力の練度により攻撃の相殺が可能な、小熊猫(レスパンディア)にとって類を見ない異質の能力だ。ただし影場でのみという条件付きの。基底的に言うのであれば天候が左右し、陽の出ている『日中』にしか発動出来ない、何とも使い勝手の悪い能力だ。


 ヒンドス樹道で子供達を狙ったミノタウロスの一撃を無効化出来ていたのも、樹木で塞がれた天蓋が発動条件に達していた為である。

 そして夜光修練場では生い茂る木々が多くの影を作る。影に支配されたヒンドス樹道ほどではないが、マシュロが『絶対防御』を駆使するには絶好の場と言えた。


 しかしラウニーが指摘するように『夜昇』の恩恵を持ち、攻撃に特化した小熊猫(レスパンディア)からすれば欠陥品もいいところだ。ましてや各地で暗殺業を受け持つ種族として、絶対的な防御など無用の長物にしかならない。

 異端はあくまで異端。臆病なマシュロの劣等感(マイナス)はどこまでも戦闘に不向きだった。


 呼吸を詰まらせ言い返すことすら出来ないマシュロへラウニーは歩いて接近するが、眼前の少女の姿に双眸を細めることとなる。



「なんだァ、その眼は……」



 圧倒的戦力差を見せつけながらも、マシュロの戦火は黄金の瞳で渦巻いている。それはまるで降り積もった豪雪(よわさ)を熱し溶かすかのように。

 ふらつく右腕でラウニーを照準し発砲。奇襲も作戦も何も無いただの悪足掻きは平易に躱され、背後で瓦礫を爆散させた。


 見直すことはない。認識が変わることなどない。しかし弱者であった筈の少女の衰えぬ眼光に苛立ちを覚えたラウニーはマシュロを蹴り飛ばす。



「あがぁっっっ!?」



 転がりながら擦過するマシュロを睨め付けるも少女は変わらない。辛うじて上体を起こすマシュロは負けじと睨みを利かし、戦意を絶やすことはしなかった。

 命を懸けこの場に留まるマシュロへ更なる蹴撃を薙ぎ払う。しかし少女は仕込傘『アストラス』を防御攻撃に使用するのではなく西側へ解放。咄嗟に身を覆った影に打擲された攻撃は、またしてもダメージを霧散させた。



「はっ、はっ、っ……」

「あァ……そのための『日傘』かよ。だったらてめェの魔力が尽きるまでなぶり殺しにしてやる」



 苛立ちを発散させるかのように、少女の根気を試すかのように。

 反撃どころか体勢維持すらままならないマシュロへ、防御の上から仮借ない連撃を見舞っていくのだった。




± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ±




 ドォンッッ!! と烈々な衝撃音と同時に多大な揺れと困惑に包まれる黒き尖塔。

 夜の商人護衛依頼に向けて支度を始めていた多くの騎士団員達が剣呑な空気を携え、次々と衝撃のあった上階へと会していく。



「何だ敵襲か!?」



 精悍な男小熊猫(ヒーレスパンディア)のクレアもその内の一人だ。長い階段を登り、一足遅れて『旧マシュロ・エメラの寝室』に飛び込んだ彼は、壁に開いた大穴とそれを取り囲む団員達の姿を目撃した。

 ナイフの柄に手を添え歩み寄るクレアは、団員達の殺伐でない空気にどうやら敵襲ではないことを悟る。



「クレアさん……」



 綺麗に整頓されていた寝室には数多の道具が飛散し、修復が難しいほどに大穴が口を開く凄惨な有り様。上空で気流を作る風が、丸っこい筆跡を辿る大量の書類を紙吹雪のように吹き飛ばしていた。

 夕陽が射し込むただ事ではない一室で、言葉を捻り出そうにも上手くいかない様子のチコ。逸らされた視線の先をクレアは眉を顰めながら釣られて眺める。

 鼻腔が若干の焦げた臭いを捉えながら大穴の先を眺望し、遠方にピントがあったクレアは遂にその光景を目に収めた。



「あれは副団長と……マシュロ!? どうしてあいつがここにっ!? いや、それよりなんで副団長と戦ってるんだ!?」



 朝から不在だったラウニーと半年間消息を絶っていたマシュロの姿。

 揃いも揃って畏怖する実力者ラウニーに明確な敵意を持って挑み続けている奇怪な光景に、誰もが驚倒の彼方に攫われる。

 そんな騎士団員達の中にクレアの疑問に答えられる者はいない。


 一方的な狼藉を執行するラウニーに敵対し、吹き飛び、転がり、耐え続ける弱き異端の少女は間断ない攻撃の隙間を縫い、砲撃の手綱を手放した。

 電磁を纏った蒼い銃閃は難なく一過し、大勢が俯瞰する尖塔へと再び迫る。



「避けろッ!」



 着弾。



「くわっ!?」「うっ!?」「きゃあああ!」



 疲労が効いているのか、いくらか控えめになった砲撃はビリビリと建物を揺さ振る。瓦解した岩盤が降下していく様を一同息を呑み、悚然と見送った。



「大丈夫か!?」

「お、おい! 止めなくていいのかよ!?」



 クレアの叫びに、我に返った男小熊猫(ヒーレスパンディア)が騎士団の仲間同士で紛うことなき死闘を展開していることに声を張る。

 しかし我先にと制止に飛び出して行く者はいる筈もなく。誰もが立ち呆けながら静まり返ってしまう。



「止めるって言ったって……止めることの意味を分かってるの……? 副団長と敵対なさるつもりで……?」

「……出来る訳ないだろ……副団長と戦う勇気なんざある訳……」



 魔術師の大きな帽子を被った女小熊猫(シーレスパンディア)が懸念しているのは騎士団員としての行動の意味だ。ラウニーの所業を制することは、その代償までをも考慮しなくてはならない。

 干渉せず、干渉させず。暗殺犯カロン・アテッドがそうであったように、相互干渉はしないが全て自己責任。それがラウニー率いる【夜光騎士団】の方針なのだ。

 騎士団に依然として身を置きたいのならば決して口出し手出しはしないこと。破れば実力者による鉄槌が下されることになろう。

 傲慢なまでの権威には逆らえず、保身に走る誰もが『仲間』を救うための一歩を踏み出せずにいた。


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