066話 伝播する決意
建物の外観も、羊のように群がる叢雲も、都市の中央に聳立する幸樹も、日常は多彩な色で世界を彩り、立役者達は一様に夕の陽に感化されていた。少女の情報を護り隠す外套もまた同じように。
噂では片がついたようだが念には念をと夜の暗殺騒動に向けて人々は帰宅を進めていくものの、都市は近頃の不穏さを取っ払ったかのように賑わっていた。一過する人々の顔には笑顔が咲いており、夜間営業を再開しようと準備に勤しむ居酒屋の店主達が豪快に酒樽を担いでいる。
普段に比べ交通量の多い街路を歩くマシュロだったが、その幸せの都市の姿は彼女の眼中に一切なかった。
雑音に紛れ、下を向きながら歩く悄然とした靴音は次第に都市の西方へ。最西端へと近付けば近付くだけその靴音は鮮明な音へと変貌していき、まるで樹海のような樹木の集合地帯を目前にした時には、既に周囲に市民は一人もいなかった。
小さな吐息を一つ漏らし、マシュロは何の躊躇もなく森の中へと踏み込んでいく。木々の間から見える尖塔には目もくれず、大外を回りながら目的地へと進んだ。
鼓動が逸り、脚の回転は鈍る。それでも進まなくてはならない。
傘を持つ手が強張るが、脳内は澄明。決別は済ませてきた。
終焉の音と誤聞する足音だけが林間を席巻する中、マシュロは脚を止めることを許されない。
そして辿り着く【夜光騎士団】本拠の裏手。敷地内の密林と類似こそしているものの、整備が行き届いた広漠な『夜光修練場』。その一角、岩盤に座し酷烈な幻炎を纏う一人の男を遠目に発見する。
最後に一度大きく深呼吸をしたマシュロは依然として歩みを再開し、男との距離を詰めていく。
マシュロの接近に気配を感じた男は小熊猫にしては珍しい三白眼の双眸を開き、岩盤の上から跳躍を以て飛び降りた。
超人的な身体能力から一気に距離を詰めたラウニーによって、遂に二人は対峙する。
「逃げなかったことだけは褒めてやる。答えは決まったかポンコツパンダ」
「はい」
「聞かせろ」
恒常的なまでに上からの物言いに、マシュロは外套のフードを取り払い返答した。空色の波髪が宙に溢れ、白みがかった空色の三角獣耳がぶるぶるっと大きく振るわれる。黄金の大きな瞳には昏い罪悪感と決然たる決意が攪拌していて、小さな少女が抱えるには重すぎる問題の行方が渦巻いていた。
「一つ確認しておきたいのですが、私が居場所を白状すれば、何があっても約束は絶対反故にしないと誓っていただけますか?」
「あァ、いいだろう」
「子供達の命の保安、そして大切な方々へ危害を加えないことを絶対にしないと、何があっても誓えますか」
「しつけェ。てめェがガキ共の居場所さえ言えば守ってやるよ」
「ありがとうございます」
繰り返し執拗に確認するマシュロへ悪態をつくが、マシュロからすれば団長を裏切り殺害した前科があるラウニーが約束を空手形にする恐れの排除が目的だった。
(あの子達の頭脳なら生きてさえいれば何とかしてくれる筈……ゼノン、クゥラ……本当にごめんなさい)
想起する金髪の少年少女へ心からの謝罪を告げたマシュロは小さく息を吸った。
「子供達はミラ廃教会にいます」
――弱い決断しか出来ない私をどうか許してください。
「…………っく、ははは! あっさりとガキ共を売ったなぁ!? 自分の身が可愛かったか!? そんなにも男が大事だったか!? 何の信念もありゃしねェ! だからてめェは――」
――だから。
嘲りの笑いを堪え切れない因縁の相手に、マシュロは銃口を向け号砲を解き放った。
地を掘削する蒼き電磁砲は数多くの木々を薙ぎ倒し、驚異的な身体能力で回避したラウニーの後方へと消える。
「あァ?」
――私に出来る償いは全て致します!!
後に引けない状況、居場所を告白しなければ周囲に危害が加わる。しかし裏を返せば、居場所さえ白状してしまえば周囲の人達の安全は確保出来る。
失うものをゼロには出来ないのであれば子供達の頭脳の高さに賭け、被害を最小限に抑えるというものだった。
その贖罪として、苦渋の決断を下したマシュロは強敵ラウニーへ明確な敵対を示した。
「子供達の命の保証と知人達の安全さえ約束して頂ければ十分です。誰かが何かを失わなければならない択であるというのならば――私だけ何も犠牲にせず、のうのうと生きていくことなど出来ません! 私は……ここで命を賭けます!!」
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マシュロが住処を発ち一刻が経過、廃教会という閉鎖空間にて二人は無言で時に乗じていた。薬品作りに興じるわけでもなく、晩餐を取るわけでもなく。
行儀悪く椅子の上で胡坐をかき、机上に置かれた木箱をただただ見つめるゼノン。
気付いてしまった自分達の立ち位置。愛する姉が心から笑えないのは自分達のせいだと自覚してしまった。
本当はわかっていたのだ。見て見ぬ振りをして、こんな自分達にでも姉を本当に笑わせることが出来るのだと信じてやまなかった。そう、真実を偽りたかったに過ぎないのだ。
しかし現実は無情にも、笑顔を奪っていたのは自分達だった。姉を一番苦しめていたのは自分達だった。姉の心からの笑顔を見たいというのは、決して叶うことのない独り善がりだった。
自分達には姉を笑顔にする資格などなかった。
この関係性のままでは。
「…………」
普段ならば指示を仰いだり、兄の不審さに声をかけるクゥラも、この時ばかりは胸の辺りで手を握り締め不安そうに側で見守る。言葉にせずとも二人の心中は同じだ。
変えなければいけない。変わらなければいけない。
決断しなければいけない。解決しなければいけない。
自分達を護ったが故に地の底のような生活へと転じさせてしまった、畏敬する姉のように。
「いつまでも甘えて駄々こねてるわけにもいかないよな。クゥラ清浄薬を――」
「……はい」
まるで見透かしていたかのように、ゼノンが言い切る前に透明な小瓶をクゥラは差し出す。「流石だな」とはにかみ、ゼノンは受け取った小瓶の栓を抜き、頭から中の液体を被った。
少量でありながら体を纏い覆っていくように不自然な動きを見せる液体は、見る見る内にゼノンの体に異変を齎していく。
くすんだ金髪は輝きを取り戻し、薄汚れた肢体の汚れは浄化、顔には生気と活気が満ち、まるで逃亡を要され裏で生きる人物像には似つかないほどに端麗な容姿を作り上げた。
『清浄薬』。
無臭剤に引き続き、身体の汚れや不快感がどうしても気になったクゥラが発明した、身を清める効果を持つ薬品だ。シャワーのようにリラックス効果があるわけではなく、身体自体も完全に綺麗になるというわけではないため、あくまで応急処置のようなものだが、存外マシュロもクゥラも満足していた一品だ。
碌に散髪をする機会もなく、雑に伸びた襟足をゴムで纏め、まるで囚人のように汚れた襤褸服を脱ぎ捨てたゼノンは大きく息を吐いた。
「クゥラやるべきことはわかってるな?」
「……うん。勿論」
「ここから先はお互い別行動だ。全ての因縁にケリを付けに行くぞ」
「うん!」
士気を高めたクゥラは扉を勢いよく開き、地下室から飛び出していった。早足で階段を駆け上る音が遠ざかっていく傍ら、もう一度大きな吐息をついたゼノンは木箱を空ける。
二度と対面することはないと誓った筈の代物。しかし引越しの際には必ず持って歩き、捨てきれなかった代物。
ゼノンは因縁の相手と対峙するため、まるで呪縛の象徴とも言える代物と対面したのだった。




