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065話 最後の慈愛

 サラサラと木の葉が揺れ、木漏れ日が影に波を作る林地。灌木、巨木、二股に分かれた樹木、不揃いな木々が生え揃う、まるでとある国の『シノビ』達が修練を行うかのような広大な演習場の一角に男はいた。

 頂点に差しかかる間際の陽光を厳めしくも頑強な肉体に浴び、胡坐で瞑目する姿は歴戦の戦士。

 場は『夜光修練場』。目的はマシュロ・エメラの決断。【夜光騎士団】団長ラウニー・エレオスは盤石の上で背筋を伸ばし、時を待っていた。



「エレオス様、カロンの奴がどうやら暗殺犯の容疑で拘束されているみたいですが」



 木々の間隙から姿を現したもう一人の男、バウム・ヴィスタローグは波及した一団員の騒動を団長へと報告する。裏稼業が情報屋とはいえ独りでに広まっていく情報を先に掴むことは叶わず、事後報告のようになってしまったことにバウムの顔には陰影が落ちた。



「ほっとけ」

「よろしいのですか?」



 しかしラウニーはバウムの報告にも、団員(カロン)の結末にも興味がなさそうに切り捨てた。

 小揺るぎもしない巨漢は威圧の籠った双眸を開くこともなく、瞑目を続ける。



「あいつの暗殺(ほんのう)にどうこう言うつもりはねェ。やらかしがバレて捕まったのはあいつの落ち度だ。ここで俺様が庇ったりしたら【夜光騎士団】の立ち位置までもが危うくなるだろうが」



 咎めもしないが庇いもしない。同じ騎士団としての仲間を見捨てる方針をラウニーは表明する。

 冷徹なまでの判断だったが、バウムも心中は同じであった。いくら好戦的な小熊猫(レスパンディア)とはいえ、暗殺を執行していたとあらば流石に庇いきれないのは揺るがぬ事実だ。


 何より現場を受け持っているのが【クロユリ騎士団】では、場を襲撃し、混乱に乗じて救出するなどという暴挙は通用しない。『夜昇』が発動可能であれば僅かな望みに賭けることも可能だが、日中では団員達のほぼ全員が制圧されることだろう。

 下手をすれば【クロユリ騎士団】どころか都市全体を敵に回す危険性も考慮すべきだった。


 救出に賭ける成功率の低さ、私欲に塗れたカロンの蛮行。総合的に判断しても救いの手を伸ばすほどの価値があるとは到底思えなかった。

 騎士団を治める団長としてラウニーの判断は正しい。

 事後処理としては。



(ここまで冷静にいられるのは……エレオス様も黒か)

「わかりました。失礼します」



 強大な力を秘めた孤高の首領に、恭順なバウムは頭を軽く下げてはその場から離れる。その瞳には昏い落胆が宿っていた。

 団長として団員の暴走を止めるべきだったのだ。暗殺(ほんのう)を看過せず、権力でも武力でも用いて。

 それをラウニーは怠った。団員を一切顧みず野放しにし、統治責任を放棄した。

 元々群れる質ではないラウニーだが、部下の放任は騎士団としての規律を乱す。結果、歯止めが利かなくなったカロンは逸脱してしまった。

 ラウニーの超実力主義が団員を狂わせてしまったのだ。



夜光(ここ)はもう駄目だな……」



 暗殺が真実であれば【夜光騎士団】の評判は確実に落ちる。信頼が不可欠の情報屋として致命的であるとバウムは判断した。

 団員達は護衛任務や魔物討伐等で堅実な働きをしているが、ラウニーの放任主義を基盤にしていては好戦的な団員達(レスパンディア)がいつ問題を起こすかわからない。

 このまま騎士団に与していても己の仕事がやり辛くなるだけだと結論付けたバウムだったが。



「問題はどう騎士団『移籍』の話を切り出すかだよなあ……便利屋扱いの俺をエレオス様は手放さないだろうし……全く、面倒臭い騎士団になったもんだぜ」



 騎士団の『移籍』。それは団員達による救済措置である。

 魔界リフリアでは効率的に稼ぎ、信用を得るには騎士団の加入が不可欠だ。その際大抵の者は熟考し、自分に合う職業や依頼任務を参考にして騎士団を選択する。勿論騎士団側の承認が必要となるが、団員が多ければ多い程に騎士団の実力となり効率の良い稼ぎが期待出来るために、騎士団加入の成功率は半々といったところだろう。


 ところが加入したはいいものの、内部に問題のある騎士団も少なくはない。想像していた騎士団との相違や、自分のスタイルと合わなかったと悲嘆する者もいることから、加入し一年が経過すれば『移籍』をすることが可能だ。

 しかし『移籍』には条件があり、『最大三名の首脳陣の過半数以上の承認』が必要なのである。これは有力な人材を簡単に他所の騎士団へと流さないための『騎士団側の救済措置』であり、長年の功労者や、特殊な能力の持ち主は首脳陣に承認されにくいという難点がある。


 他にも少々強引な『移籍』の方法は存在するが、今回バウムが懸念している点はやはりラウニーの不承認だった。バウムの情報屋としての収集能力は騎士団内で右に出る者はいない。大抵情報屋から情報を買う時は金銭が発生するが、自派閥の団員をこき使い無償で情報を仕入れられるほど便利なものはない。

 故にラウニーが手放すわけがなく、最悪の場合、超実力主義のラウニーと戦闘が発生する恐れすらあった。

 

 現状維持も地獄、変化を求め行動も地獄と言った板挟みに、バウムは大きな溜息をつく。

 まるで呪印のように左の手の平に刻まれた、牙を模した杯の上に満月が映える誓印をぎゅっと握り締め、バウムは騎士団本拠の扉を開ける。

 そこには十数名の団員達が心配そうにバウムの帰還を待っていた。



「どうだった……?」



 黒みが混在した黄金色の髪を持つクレアが前に出て真相を尋ねる。



「どうやらエレオス様は知ってたみたいだぜ。その上でカロンの暗殺を黙認してた」

「そんな……」



 バウムがラウニーの元へと向かったのは団員達の懇願によるものだった。一切利益のない行動にバウムは最初は断固拒否していたが、団員達からこれでもかと懇願されて渋々折れたのが事の発端だ。というのは建前だったが。

 バウムは情報屋、勿論カロンの暗殺を前々から認知していた。その上で団長(ラウニー)が黙認しているのか、どのような判断を下すのか、そして己が騎士団に見切りをつけるべきか否かの判断を己の眼と耳で知りたいと思った上での合意である。

 利益は無いに等しいが、今後の己の方針を企てるには十分すぎる対話であったと。



「「「…………」」」



 バウムの報告を耳にしてからは誰もが口を閉ざす。

 自派閥から犯罪者が出たこと、ラウニーの黙認、カロンの処置、そして先行きの不安。

 報告を終えたバウムは立ち去ろうとしたが、何かの間違いだと言いたげな団員達の重苦しい表情に、思わず溜息をつき二の句を上げる。



「庇おうなんて思うんじゃねえぞ」

「っ!?」



 バウムの低声に皆が顔を振り上げた。



「そもそも小熊猫(レスパンディア)なんて暗殺に特化し、各地で暗殺業を生業とする種族だろ。お前等の中にもそれが嫌で都市や村を飛び出してリフリアに流れてきた奴だっている筈だ。だから多くの奴は知ってる筈だぞ。『鈍物庇護すべからず』という掟をな」



 バウムの言う通り『夜昇』という特別な能力を持つ小熊猫(レスパンディア)は各地で暗殺を遂行する者として重宝されている。誰にも出来ない仕事を彼等が率先して行い、その存在価値を証明することで種族の名を馳せ莫大な金銭を要求する。そのため種族としての威厳が高く、多くの者が慢心を抱くのだ。


 バウムが金銭に貪欲なのは幼少期の親族達の影響が大きく関係する。裕福な暮らし、金と酒が毎日のように沸いてくる光景をバウムは日常だと覚えてしまったから。

 多くの小熊猫(レスパンディア)は皆同じような暮らしを経験してきている筈だ。

 そんな暮らしを続ける上で、小熊猫(レスパンディア)繁栄のため暗殺に関する知識が叩き込まれる。


『暗殺は世直し』『我らが居なければ救える者も救えない』『小熊猫は最高種族』


 他者が聞けば詭弁にしか聞こえない暴論をさも当たり前のように幼少期に植え付けられるのだが、その中でも蹉跌に関しての掟は手厳しいものがあった。それが『鈍物庇護すべからず』。

 失敗するような鈍き愚か者は庇い護るに値しない、という意味だ。単純な話、一度の失敗が命取りの世界で任務を遂行出来ない者は切り捨てられるのが彼等の『日常』なのだ。


 バウムが口にした掟に身に覚えがあるのか身体を震わせる者もいれば、唇を噛み締め悔悟を抑制する団員までもが散見された。



「【夜光騎士団】本拠が都市の端に追いやられてるみたいに、世間の認識は俺達が思ってるほど小熊猫(レスパンディア)に優しくなんかねえ。【夜光騎士団】は危険な騎士団だってことを再認識されることになるだろう。恐らく今回の一件で今まで積み上げてきたものもブッ壊れちまったかもしれねえな。それだけ小熊猫(おれ)達の種族に課された(つみ)ってのはでかいらしい」



 先達が栄光だと誤謬した功績(つみ)は付き纏う。道徳を無視したしきたりを嫌厭して各所を逃げ出してきた彼等にも同様に。

 彼等が最高種族だと自負しているのは単なる種族特有の肩書にしか過ぎないのだ。



「それにお前等も薄々気付いてるだろうが、何も知らない都民達は未だにエメラが暗殺犯だと認識してる奴も多い。カロンを庇うってことは誰かが罪を被らなきゃならねえ。庇う相手を間違えるなよ」



 バウムは理解している。逆らえない権力の勅命によってあくまで団長殺しの容疑者としてマシュロを追っていただけであり、マシュロが世間を脅かしていた暗殺犯ではないということを。



「……まあ俺には関係のないことだ。後は好きにしろよ」



 バウムは仲間になど興味はないと言いたげに言い捨て、同種族達から背を向けて外へと出ていった。

 残された者達は言い渡された真実に言葉を発することが出来ず、ただただ眼を伏せ合う。

 そして。

 覇気を持つ者など誰としておらず、ぽつりぽつりと悄然な姿を伴い、各自室へと戻っていったのだった。






± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ±






 空が淡く朱色へと移行の意を見せ始める。

 明るい外界に、明るい都市の空気。閉ざされた廃教会の地下には届かないが、暗殺犯拿捕という吉報が都市を駆け巡っていた。

 元気と活気を取り戻していく都市とは裏腹に、そんな吉報を耳にすることすらなくマシュロは昏い思考の淵に落ちていた。


 時というのは残酷だ。

 どれだけ抵抗しても、どれだけ願っても、遅らせることも止めることも不可能で、生物に、無機物に、自然に平等に授けられる。そして失う速度も対等に。

【夜光騎士団】現団長ラウニー・エレオスが与えた猶予は残り一刻。

 決断の時は確実に迫っていた。



「――ゃん」



 理不尽なまでの選択が思わぬ騎士団襲撃事件により先延ばしになったが、恐怖と混乱が綯い交ぜになった感情はどうやら面にも出ていたらしい。水下都市(アンダーマーケット)での用事を終え帰ってきたコラリエッタは、蒼白な顔をしたマシュロへと何度も心配を見せた。


 ラウニーが言う己に関わった人物の掃討は勿論コラリエッタも含まれていることから、まともに顔を見ることすら出来ないマシュロは無理に笑う。数刻前の出来事を正直に告げることすらも出来ず、コラリエッタの背を押して都市への帰還を急いだ。きっとコラリエッタには不審感を抱かれたことだろう。けれどもういいのだとマシュロは開き直り、これまでに見せたことがない程元気に振る舞った。笑顔を作り、矢継ぎ早に口を開き、まるで別人のように。


 都市に帰還しコラリエッタと別れた後、その鍍金(メッキ)は一瞬にして剥がれた。身体は恐怖に震え立つことすらままならず、胸も喉も破滅的な圧迫感が呼吸を過多にし、眼前は大量の水分で眩んだ。

 消えてしまいたい。逃げることが出来れば、存在を消滅してしまえばどれだけ楽になれるだろうか。そんな負感情が鯨波の如くマシュロを襲った。

 しかし現実は既に進んでしまっている。ゲームのようにやり直しは利かない。

 自分が逃げれば多くの人達が傷付き、命を落とす。それだけがマシュロの中で一番怖かった。


 一人になることを恐れ、流されるままに過ごしてきた筈だった。

 けれどどうだ、蓋を開ければ一人になるどころか関与してきた人達が凶刃を添えられているではないか。

 自分の行動は間違っていたのだ。何もかも全て。


 失意に呑まれる意識。しかしここで誰かに見つかり、捕らえられ、明日の日没までに指定場所へと辿り着けなかった場合、ラウニーは事情を鑑みることなく鉄槌を下し始めることだろう。

 溢れる涙を振り払い、マシュロは自制の利かない脚で壁伝いに身体を預けながら塒へと戻った。


 寝静まった廃教会地下室。椅子に座りながら眠る二人に驚愕したマシュロだったが、よっぽど疲弊していたのだろうと、一人ずつ布団へと抱え運んでいった。全く起きる気配のない二人にくすっと笑みが漏れ、マシュロは暫くの間寝顔を享受した。

 そして流れる涙。


 ――悔しい。悔しい悔しい悔しい!


 何故この二人が命を狙われなければならないのか。

 どうして選択肢にはこの二人が失命を回避する方法がないのか。






 ――どうしてこの二人を守る人物が、弱いマシュロ・エメラ(じぶん)なのか。




 ラウニーに屈しない人物だったなら守り切れただろう。こんな悲惨な運命を強要されなかっただろう。

 この時ばかりは護る力のない自分が何よりも憎かった。

 二人を抱き締めながらマシュロは涙を流し続けた。

 泣き疲れ、自然と眠りにつくまで。



「ルカ兄ちゃん毎度ー」

「ルカさん!?」

「おい」



 ゼノンの冒頭のたった二文字の単語に、朝方の出来事に沈没していた意識を引き上げられたマシュロは椅子から立ち上がり周囲を見回す。無意識に髪を手で梳かして見た目を気にする姿に、嘘を吐いたゼノンの眼が半分閉じられた。勿論クゥラも同様だ。

 目的の少年の姿がないことを把握したマシュロはきょとんと小首を傾げたが、急激に羞恥が熱を持ち始め赭面しながら椅子へと着席した。



「もしかして……何回も(わたくし)の事を呼んでいました……?」

「……うん、十回くらい。でもルカお兄ちゃんの名前を出したら一回で反応した」



 両手を広げ十を表現するクゥラに、マシュロは今すぐ地下室を逃げ出したい衝動に駆られた。

 幾度の呼名に気が付かないほどに深く落ちていた意識が、少年の名前だけは明確にはっきりと掴み取った事実に、ぷしゅ~と白煙を焚きながらマシュロは机に顔を伏せる。



「ゴメンナサイ……」



 好都合(ポンコツ)過ぎる耳を垂れ、次に続く罵倒を遮断するマシュロだったが。



「姉ちゃんどうした? なんだか元気もねぇし、心ここに在らずだし。何かあったのか?」



 次に飛んできたのは普段の心無い罵倒ではなく、姉を心配する憂慮の声だった。

 顔を伏せたまま熱の引き潮を感じたマシュロは、やはり滲み出る不安を押し隠せていないことに自責する。年端も行かない子供達にまで悟られるなどあってはならない筈だと、毅然を装い顔を上げた。



「ごめんなさい。この後の依頼に向けて少々考え事をしてました」



 告発することを許されない少女は当たり障りのない嘘を平然と吐く。

 マシュロが抱える問題はまるでトロッコ問題だ。誰かを救えば誰かが犠牲になり、それも子供達の犠牲の上で成り立つ救済。

 双方共不正解の選択を強要されているのだ。正解などそこにはなかった。


 例え半年とはいえ、マシュロと子供達は毎日を共に送ってきた関係だ。苦楽――苦しみが蔓延する生活の中に落ちている小さな楽しみを分かち合ったマシュロが情を秘めるもの至極当然だった。



「何の依頼だ? 内容は?」

「……貴方達には関係ないわ。ただの……ただの護衛依頼よ」



 普段は依頼の詳細など追究してこないゼノンにマシュロは言葉が一瞬詰まるも、生煮えな返答であしらう。

 護衛。遠からず間違いではないと自分を言い聞かせ、マシュロは己が作ることの出来る最大限の笑顔を満面に貼り付けた。

 これ以上心配などかけさせない。これ以上弱い自分を見せたくない。

 子供達の記憶に残る自分がいつまでも笑顔であるように。


 ――そう、これは自分が送ることの出来る最後の表情だから。


 一人で抱える絶望を押し殺し、静かに立ち上がったマシュロの手は自然と二人の頭部へ。



「大丈夫、何も心配するようなことはありません。心配してくれてありがとう」



 姉の過去一番の笑顔を目の当たりにしたゼノンは、クゥラと共に頭を撫でられながら双眸が引き上げられた。

 違う。こんな取ってつけたような笑顔が見たいんじゃない。

 違う。姉の悲痛な笑顔が見たくて一緒にいたんじゃない。

 違う。姉に真の笑顔を与えられるのは自分達じゃない。

 きっとこの関係を終わらせない限り姉に笑顔はない。


 ゼノンもまた、姉と同じように悔しさを秘め、震える手を誤魔化すような愛撫を瞑目して享受した。

 子供達を充分に堪能したマシュロは大きく息を吐き、外套を羽織り、壁に立てかけてあった仕込傘『アストラス』を手にする。



「それじゃあ、行ってくるわね」



 最後まで笑顔で。

 こんな決断しか出来ない自分をどうか許して欲しい。



「ごめ、っなさい……さようなら……」



 溢れる涙と誰にも届かない別離の言葉を扉の開閉と共に溢し、マシュロは二人の前から姿を消したのだった。

 確かな温もりを二人に残して。


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