063話 ココロオドル
「おい、情勢は?」
四十キロメートル以上距離のある水下市場から一時間も要さず騎士団本拠へに帰還したラウニーは、螺旋状の階段を脇に備えた巨大なホールで呆然と立ち尽くしている団員達へ問いかけた。
「あ……お、おかえりなさい副団長……」
「団長だって言ってんだろ。ったく、どいつもこいつも」
状況説明を求めたラウニーだったが、中々口を開こうとしない団員達に呆れを催し、失笑しながら回顧した。しかし見渡す限りの本拠に惨劇は無く、鋭い目付きが更に鋭さを帯びる。三角耳を動かし視線を巡らせるも、状況を感知すればするほど沸いてくるのは疑問ばかりだった。
「どういうことだ……?」
通常、自分達の本拠が襲撃に遭ったとなれば、場は忙しなく周章狼狽に陥る。それも首脳陣が席を外しているともなれば殊更。慌ただしく迎撃に駆け回り、多くの団員が駆逐されている混沌とした場を想像していたラウニーにとってあまりにも拍子抜けだった。
それもその筈。内部の破壊箇所は最小限、戦闘痕は敷地内の雑木林が主要で、全くと言っていいほどに襲撃者の目的が掴めない。金銭目的や騎士団の凋落が狙いであれば内部は凄惨だろうし、闇討ちや抗争目的であれば団員達の身体が無事なわけがない。
何より、妙に落ち着きを払っている団員達にラウニーは猜疑心を孕んだ。中には安堵の表情を浮かべている者もいる始末。
襲撃者を捕縛し、騒動が解決したとあれば楽天な者もいておかしくはないのだが、カロンがわざわざラウニーを呼び戻すほどの実力者だ。報告にもあった通り、太刀打ち出来ない襲撃者を相手にして、この状況は明らかに異質と呼んでもおかしくはない。
「なんだァこの弛緩した空気は? 侵入者は捕らえたんだろうなァ?」
「……すみません、逃げられてしまいました……」
微かな空白を刻み、意を決した一人の男小熊猫が返答する。
たった一人の襲撃者相手に醜態を晒した団員達へラウニーの苛立ちが頂点に達し、踏鳴で怒りを露わにした。衝撃はビリビリと建物を震わせ、天井の照明が暗転を刻む。
「本拠が襲撃されたってのに舐めてんのかてめェ等はァ!! あァ!?」
常より威圧を込めて叱咤するラウニーの姿に、団員達は怯え、恐怖に涙する女性達も現れ始める。そんな圧倒的弱者を見かね、勇ましい男小熊猫達は彼女達を守るように背後へと隠す。
ラウニーは彼等の姿が、マシュロと子供達を守る忌々しき元団長と重なり、増幅する苛立ちを舌打ちで塗り潰した。
「チッ! てめェ等に期待するだけ無駄だったな。俺様が見つけ出してブチのめす。襲撃者の特徴を覚えてる奴はいるか!?」
憤激を雲散させ、諦念を滲ませるラウニー。その問いに誰もが同様に口を閉ざす。
沈黙は悪手だ。成果どころか情報の一つすらも上げられない団員達に、ラウニーがピキッと青筋を浮かべて激怒を放とうとした時、一人の男が前に進み出た。
「ちょっ……クレアさん!?」
女小熊猫のチコが声を張るが、クレアは片手を挙げて制止を拒む。
「ふ……団長、侵入者の特徴は黒髪の人族です。これといって目立った特徴がなく申し訳ありません。どうか怺えて頂けないでしょうか。何かありましたら責任は全て私が負います」
頭を下げて懇願するクレアは毅然としていた。その後ろ姿を他の団員達が憂いながら眺め、ラウニーの決断を待つ。
「充分だ」
やけにあっさりと許容したラウニーに顔を上げたクレアは目を丸くした。他の者達も反応は同様に。
確かに魔界で黒髪の人族と言われればかなり限定的になるだろうが、他の容姿――主に身丈や顔付き――や戦闘方法などの詳細を問い詰められると予期していたからだ。
しかしラウニーにとって己に因縁のある黒髪の人族は一人しかいない。故にそれ以上の情報は必要がなかったのだ。
(昨夜の雑魚か。目的は定かじゃねェが関係ねェ、今度こそぶっ殺してやる)
踵を返すラウニーの顔には凶笑が張り付いていた。
本拠や団員の被害が少ないことも、逃走に踏み切られたことも、昨夜対峙した男の犯行だと考えれば何となく辻褄が合うことにラウニーは得心する。
去り行くラウニーの背中を見つめていたクレアは背筋に震えを感じ、ゆっくりと瞑目した。
巨大ホールで多くの団員が無言で時をやり過ごし、そして。
バタンッ、とラウニーの退室と共に巨大な扉が隔てられたのだった。
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冷たい夜風が自由を唄う。
暗殺事件という世間の危惧も厭わず営業していた稀少な居酒屋等が軒並み店仕舞いを始める頃、紅髪の少女は持ち手の付いたビニール袋を引っ提げ夜の都市を歩いていた。魔力の込められた青色の街灯が雅やかに少女の顔を照らす。どこか楽し気なその表情は満悦、もしくは期待。
「待たせたの、ルカ・ローハート。気の利く妾が晩餐を買うてきてやったぞ。存分に感謝するがよい」
周囲一帯に響き渡る玉のような声音を上げるミュウ。しかし静かな夜の空気が呑み込むだけで返事は無い。
キョロキョロと四顧しながら歩みを進めるものの、目的の人物が見当たらず脚が止まる。
「おらんのかルカ・ローハート! ……ま、さもありなんと言ったところか」
もう一度声を張り上げたミュウは、しかしけろっと一瞬にて捜索を諦めて近くのベンチに座す。横に置いた袋から透明なパックを取り出し開封、ソースと鰹節が乗った球体――たこ焼きを眼下に広げると、ふわっと良い香りと湯気が立ち上がり、ミュウの馥郁がより一層刺激された。
一つの球体に刺されていた爪楊枝を確認するとミュウは静かに両手を合わせる。
「いただきます。予想はしておったが、やはりじっとはしておれんか熱っっっっ~~~!?」
小さな口で齧りついたもののたこ焼きの逆襲を浴び、涙目になりながらパックに落としたたこ焼きをふーふーと冷ます。
黒を基調にした上着、青緑色のネクタイ、白色のスカート、翼の代わりに大きなリボンが腰に付いており、まるでどこぞの学生服のような清楚とした格好を身に纏っている。戦闘服を解除したミュウの姿は至って普通の女の子のようだった。
ミュウがいとも簡単にルカの捜索を断念した理由、それは戦闘指南を中断した後にある。
長時間の模擬戦闘を繰り返し、互いに疲労が溜まったと感じたミュウは一度秘境を解除した。一切の休憩も挟まずスパルタのように続けられていた戦闘指南が、秘境の解除によって中断されたことを悟ったルカは地面に倒れ込んだ。息切れするルカを他所に、魔力の大幅消費による体の重圧をひしひしと感じるミュウは、しかし疲れを見せないよう気丈に振る舞った。
『こ、この程度で音を上げるなんて、片腹痛いのう!? 妾は晩餐の買い出しに行く! 万能薬でも飲んで、お主は次の修行に備えておけっ!?』
大腿部に添えたホルダーから黄色の液体が入った小瓶を放り渡し、ミュウはその場から離れていった。そして晩御飯の調達を終え現在に至る。
ミュウの想定ではルカがこの場に大人しく残っている可能性は半々だった。というのも、戦闘を中断したのは休息のためとはいえ、ミュウにはもう一つの目的があったのだ。
それはルカに逃亡の機会を与えること。
聞こえは良くないがミュウはそう考えていた。つまりルカはマシュロを救うために行動を取っているのであって火急の用件であることは間違いない。ルカ自身も「のんびり鍛えてる時間は無い」と公言していたことからミュウも理解はしている。
だからミュウはルカの拘束を解き、自由となる時間を作ったのだ。
ルカが打倒ラウニーのために実戦を積むつもりで残っていたのならばそれもよし。肝要な戦闘の心構えを得たことから戦闘を切り上げ再度行動するもよし。ミュウは行動の選択権をルカへと嘱したのだった。
「しかしまぁあやつには驚かされるの。前回とは全くの別人……いや、指南開始時から比べても、か。成長速度の速さ……いや、もっと根本的な何かじゃろうか?」
ぶるっと震撼する感情を押し殺すように冷ましたたこ焼きを口に放り込んだ。
ミュウがルカに驚異を抱くのはルカの成長速度。以前敵対した時はまるで赤子のように拙く、感情が欠落している故の思い切りの良さだけが取り柄の存在だった。能力を満足に駆使出来ず後手に回り続ける戦闘はミュウに戦闘を楽しむ余裕すら生みださせていた。そんな微かな余裕が決定機を生み、敗北に直結したのは間違いないのだが、ミュウからすれば恐れるに足らない存在だった筈だ。
それが今回の交戦で認識は改まる。
有効な武器の選定、間合い、能力の使い分け、全てが以前とは一線を画していた――どころか、指南を始めた頃よりも、時を追う毎に顕著なまでに成長していた。
成長幅に無限の可能性がある未熟者とはいえ、いくらなんでも成長速度が速過ぎると戦慄が走る。
「あやつの可能性は端倪すべからぬのう、くふふふ……」
故に満悦、故に期待。
己の色欲に揺らぐことなく、どこまでも己を楽しませてくれる存在。どこまでも興味の尽きない男子の存在がミュウの期待を煽動する。
時間経過によって食べ進めやすくなったたこ焼きを少しずつ口に頬張り、ミュウは自然と胸が高鳴っていることを自覚した。
「正直、策なしで過ちを繰り返す愚か者かと思ったが……意外と渡り合えるかもしれんの。面白い。じゃがルカ・ローハートよ、ラウニー・エレオスは強いぞ? 『夜昇』の能力を解放した身体能力だけで言えば、都市で五本の指には入るかもしれんの」
同じ嗜欲の血眷として実力を認めながらミュウは独白を続ける。
「屈強な身体、俊敏な動き、強固な傲慢。どう攻略するか見物じゃな。楽しませてもらうぞ」
くふふふ、と小悪魔的に笑うミュウはたこ焼きのパックに視線を落とし、次なる球体に爪楊枝を刺そうと試み――月が揺らいだ。
「!」
手に持ったパックを閉じその場から脱するミュウ。
爆音を奏でベンチは破壊、周囲の地も罅割れ、一瞬の惨劇が頭上から降り注いだことを悟る。その中心地には外套を被った一人の人物。
「……なんじゃお主は。妾の晩餐を無駄にしてくれおって」
無惨に地に転げひしゃげたたこ焼き達が悲しげにミュウを見つめる。
ただ事ではない状況にミュウは睨み付け、手元に残ったたこ焼きをパクパクと口に運ぶ。勿論ハフハフと熱さに負け悶えていたが。
「っんで避けんだよ……エレオス様にはどやされるわ、気散じは上手くいかねぇわ、イライラすんなぁクソが」
瓦解した地盤から立ち上がり木製のベンチ片を蹴り砕く人物。声は低く、外套で正体を隠秘しているが男性だと推測出来た。
若干涙目になりながら共に退避した晩餐を完食したミュウは目を細め、手に持っていた透明のパックを糸で縛り付け丸く圧縮した。
「此度の奇襲、何用じゃ? 返答次第では妾の愉悦を侵した代償は高くつくぞ?」
「キャンキャンうるせぇなぁ。人族の癖によぉ」
隠しきれない鬱憤を秘める男はミュウの質疑に答えることはない。まさに己の感情だけを自己中心的にぶつける言動に、ミュウの鼻から空気が漏れた。
「くふふ……人族を見下すか。っと、魔界ではそのように申されることも拠無きじゃったか」
「崇高なる小熊猫を前に、何余裕ぶっこいて笑ってやがる……非力な雑魚共は小熊猫の前に平伏してろ」
男の体に黄金色の光が収斂を始める。
『夜昇』。明確な敵意。
そんな一方的な敵意ですら心地良いとばかりにミュウは笑みを深め、肌面積の多い戦闘服へと着衣変化した。
「はかとなくラウニー・エレオスに類似した言葉遣い、種族を過信し驕り高ぶった言動、突如の襲撃……よもや疑う余地もないがお主、巷を騒がせておる暗殺犯じゃな?」
独自に集めた情報を基に、総合的に下した判断は男の動きを微かに動揺に導いた。
「これから死ぬ人族が知ってどうなる? 人族如きが探偵ごっこなんて笑わせんじゃねぇ」
奇襲が失敗した時点で大方の奸計を発露してしまったようなものだと、否定もせず開き直る男。
ミュウからしてみれば理不尽なことこの上ないが、相手が暗殺犯であろうと大した問題でもなければ興味もなかった。
ただ少しだけ胸のしこりが気になると言えば、己の心境の変化との齟齬であろう。
「人族人族五月蠅いのう。全く……奴等との一件より他種族への偏見を斟酌しようとしておったのじゃがな……出逢いに恵まれんのでは取捨選択すら出来んであろう」
ミュウが独白に絡め想起するのはルカとサキノとの交戦。何より他種族混血であるサキノを擁護したルカの言葉だ。
『過去の出来事の真偽がどうだろうが、種族の枠組みでサキノの器は測れないだろ。俺は俺が見てきたサキノ・アローゼが未来を正せると信じて手を差し出すだけだ』
世間が常識だと誤認してしまっている他種族嫌厭。偏見による悪。
枠組みで見るのではなく、個を見ろというルカの言葉。
その言葉達の正当性は勝者の特権であり、確かにミュウに届いていた。彼女もまた、サキノと同様に思想に変化をもたらされていたのだ。
(妾の世を滅亡させたいとの切望とは一切に関係ないが……ルカ・ローハートが正しいのかどうか見定めるのもまた一興。ま、今回ばかりはどう見繕っても『良』ではない故、叩き潰させてもらうが)
内なる願望は委細変わらず。
ルカの言う個を洞察するも、相手が悪質では審判の価値すらないとミュウは打倒の決意を固めた。
「もういい、死ね人族」
ミュウの余裕に陰が深まる男だったが、夜に映える黄光は自信と種族尊重を膨張させる。声すら上げることの出来ない清風や岩盤達が震えを発し、一帯がどす黒い魔力で席巻された。
対してミュウは空中から引き抜いたかのように一瞬で魔鞭を形成し身構える。
「種族に溺れし愚か者よ、憂さ晴らしの人選を悔いるがよい」
バチンッ! と鞭を引き絞る音を皮切りに両者の脚が同時に動いた。
真夜中の死闘が、魔界リフリアで静かに始まったのだった。




