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062話 真相

 恐怖を喚起する声音が細胞を粟立てる。舌の渇きに多量の発汗、映像回帰(フラッシュバック)するのは眼前で噴出する鮮血。

 自然と傘を握る手に力が籠り、身体が微動の連続に侵される。

 逃げ出したい。けれど逃げられる筈がない。尊敬する団長を殺めた憎き相手が、小さな少女の退路を何一つとして見出させない。



「エ、エレオス、副団長……」



 腹の奥底から絞り出した言葉はただの呼名に過ぎなかった。喉も口唇も全てが縮こまっているマシュロにはそれが限界だった。

 土砂を踏み付ける音を静謐な月夜に打ち放しながらラウニー・エレオスはマシュロへと接近する。

 凶笑を浮かべながらファーコートを揺らす男の影に、マシュロは村壁を右手に一歩後退した。



「元、な。今は団長だ、間違えんじゃねェ」



 半年前から何も変わっていない。(ラウニー)が団長を手にかけた癖に、死人に口なしとばかりにマシュロへ罪を擦り付け、団長を名乗る傲慢さ。

 弱者に選択権はないと知っている強者故の横暴な情報操作が、肩身が狭いながらも変哲のない騎士団生活を歩んでいたマシュロの人生を狂わせた。


 恐怖はいつしか憎しみへ。マシュロは痛いほどに傘を、拳を握り締めていた。

 とはいえ相手は畏怖の意味を込められ流布されている【暴君】であり、都市が認める実力者。圧倒的弱者の立場にいるマシュロは、言いたいことも言えず言葉を呑み込んだ。



「な、何の用ですか……」



 震える声音で問うマシュロの体は依然として震えている。一つ質問を間違えれば――ラウニーの機嫌を損なえば自身など一手で首を飛ばされてもおかしくはない。

 そしてここは非常に不都合なことに都市外だ。仮に最悪の事態――殺傷事件が起きてしまったとしても、都市の内であれば人目に付くことで他の騎士団が駆り出され犯人の特定、並びに厳重な処罰が下されることもある。しかし都市外であるということは人目に触れにくい上、目撃者の可能性は皆無に等しい。魔物の犯行だと断定されてしまうことも大いに有り得る。


 なによりマシュロは第一級犯罪者の汚名を被らされた逃亡者だ。遺体が発見されたとしても、誰も擁護しようとは思わないだろう。

 都市外でのトラブルは、誰もが用心しなければならない心得の一つなのだ。

 そんな生殺与奪の権を握っているラウニーはマシュロの質問を鼻で笑い捨てる。



「聞かなきゃわかんねェ程平和ボケしてんのかその頭は。俺様がわざわざ出向いてやったんだ、理解に及ばねェなんてこたァねェだろ」



 毎日追手の気配に怯え、人目を避け、日陰でこそこそと生き、どこが平和なものか。

 陽のある内は満足に活動出来ず、夜は警戒心から満足に眠れず、地獄と言っても大仰ではない。

 弱者の、社会的立場の弱い人間を何一つ理解しようとしないラウニーは、マシュロと十歩分の距離を開け立ち止まる。



「ガキ共はどこだ?」



 用件を理解はしていても自ら発信しないマシュロに変わり、ラウニーは単刀直入に問う。

 しかしそれは言えない。言える筈がない。



「……言えません」

「あァ?」



 瞬間、マシュロの視界が明滅した。チカチカと照る世界、急激に困難になる呼吸に、マシュロは傘を地に落とし、手は自然と『首元を締め付ける何か』へと会した。



「がっ!? っっつ!?」

「俺様はどこだと聞いたんだ。さっさと言え」



 自身の目線より低所にあるラウニーの鋭い眼光に、己が首を絞め上げられていることをマシュロはようやく理解した。

 じたばたとマシュロは足掻くも、屈強な筋骨によって繰り出される絞力は並ではない。非力なマシュロの抵抗など塵芥だとラウニーは締め付ける力を強めていく。


 ――絶対に言いません! 何があっても!!


 酸素を欲する脳が思考を停止させていく傍ら、マシュロの決意は固かった。

 それは自己犠牲。マシュロは土壇場で自身の命と子供達の命を天秤にかけたのだ。

 何も無い自分と、突出した才能を持ち未来がある子供達。どちらの命が重いかなど一目瞭然だった。


 マシュロがこの場で命を落としてもラウニーに何も利点は無い。子供達の情報が詰め込まれた媒体(マシュロ)を潰すことで子供達への手がかりを得られず、捜査は一からやり直しだ。

 自分がこのまま口を閉ざした状態を保てば、自然と子供達は守られるとマシュロは思考に片を付ける。


 ここまでの人生に悔いはないと言えば嘘になるが、何もない、何も出来ない自分が最後に子供達を守れたのならば、きっとマシュロ・エメラという命の価値はあったのだろう。

 次第に脱力していく力と相反的にマシュロは溜飲が下がる思いで歯を噛み締め、最期までラウニーを睨め付けた。



「あ、が……ぐ、ぅ……」

「…………」

(こいつ、諦めてやがるな。面倒臭ェ)



 吊り上がる大きな黄金の瞳の奥。大きな決意、ある種の諦念を、ラウニーは目聡く察知する。

 命を引き合いに出せば情報を引き出せると踏んでいたラウニーは少々の苛立ちを覚え、縊る手の出力を強めた。



「……っ、ぁ、ぉぉ、っ」



 言葉にならない呻き声を上げるマシュロの意識が断線しようとした、その時。

 急速に駆け巡る酸素と共に、腰を地面に打ち付ける痛覚がマシュロを襲った。



「げほッ! ゴホっっ!! はっ、はっ! はっっ……!?」



 手を離した体勢で固まるラウニーは、咳き込むマシュロを見下す。

 絶命を覚悟していたマシュロはラウニーの行動に疑問を抱いたが、足元に転がる傘を拾い、息を切らしながらずるずると後退りをした。

 そんなマシュロの様子に、くくく……と妖しく笑うラウニーはポケットに手を突っ込み、マシュロの周りを周回し出す。



「仕方ねェな……てめェに選択肢をくれてやる。俺様が選ぶ権利を与えるなんて生涯に一度――いや、てめェみたいな雑魚如きにはねェだろう。そんな貴重で、重大で、慈悲深い選択をてめェにくれてやる」

「は……な、何を、言って……」



 困惑に暮れるマシュロへラウニーは高圧的に選択肢を語り出す。



「ガキ共の居場所を教えろ。そうすればこの事件の真相を『修正』して、てめェは何一つ悪くなかったという()()を公にしてやる。悪いのは全てガキ共だ、団員も説得してやるよ。てめェは騎士団に戻ってくればいい。全て元通りだ」

「こ、子供達をどうするつもりですか!?」

「なに、殺しはしねェよ。少しばかり行方不明にはなるかもしれねぇがな。ま、今も行方不明扱いだ、変わらねェだろ」

「馬鹿げています! そんなの(わたくし)が認める訳ありません!」



 自分の命を犠牲に子供達を守ろうとしていたのだ。マシュロの決意は変わらないだろう。

 そんなもの交渉材料になりはしないとマシュロは地面に向かって大声を張り上げるが、凶笑を漏らし続けるラウニーは依然として周回を続けた。

 そして、ピタッと。

 マシュロの背後で立ち止まる。



「いいのか? 俺様はまだ『二つ目の選択肢』を言ってないぜ?」

「え……?」



 顔を上げたマシュロの耳元、しゃがみ込んだラウニーは凶悪な笑みを浮かべていた。



「一つ目の選択肢を呑まなければ――てめェに関与する人物を全て殺していく。てめェは勿論、ガキ共も見つけ次第に殺す。後は顧客、依頼主、行きつけの店主……そういえば最近知り合った男もいたなァ?」

「な――ルカさんは関係ないでしょうっ!?」



 暴虐的な提案に背後へ傘を振り回すが、ラウニーは軽快な足取りで後方へと回避した。

 子供達だけではなく顧客やコラリエッタにまで火の手が及ぶとラウニーは脅迫しているのだ。それはルカも例外ではない。

 一番恩がある人物に恩を返さず、恩を仇で――いや、死で返すなど以ての外だ。マシュロは何よりルカの身を案じた。



「てめェに関与してる時点で関係大アリだ、温ィこと言ってんじゃねェ。で、てめェの反応から見るに一番殺されたくない奴はその男みてェだなァ? 最初はその雑魚からにするか?」

(わたくし)ならどうなっても構いません! 他の方々に手を出すのだけは止めてください!」

「てめェの身に価値があると思ってんのか? そんな無価値な身で交渉出来るわけねェだろ。嫌ならガキ共の居場所を吐けって言ってんだ」



 立ち上がり叫ぶマシュロの懇願は一切届かない。

 自身の価値など嫌でもわかっている。一つの命で救えるものがあるのならいくらでも犠牲になろうと。

 しかしラウニーが求めるものは代替そのものが利かない代物『情報』なのだ。それが手に入らないのであれば全てを壊す以外にはないと言い切る。



「教える訳がありません! 行方不明でも許容出来ませんのに、命までは取らないと言う貴方の言葉、団長を裏切り、殺した貴方の何を信じればよいと言うのですか!?」



 マシュロは恐れている。

 陳列した言葉の先には、ラウニーという極悪非道な人物が子供達の安否を空手形にする可能性を。

 ラウニーの言う行方不明、それは絶命と同義である可能性をマシュロは捨てきれなかった。



「裏切りとは勘違いも甚だしいなァ。俺様とキャメルの奴の関係なんざ、元から団長の座の奪い合いの仲だっただろ。弱ェ奴が負けて、()()命を落とした。あれは単なる『事故』だろ?」

「何が偶然ですか……何が事故ですか……っ! (わたくし)に罪を擦り付けておいて!」



 ラウニーと【夜光騎士団】元団長キャメルの関係は険悪だった。騎士団の立ち上げに際し、キャメルが直々にラウニーを勧誘(スカウト)したことから二人の関係性は始まったが、強さ、地位に欲深いラウニーは常に団長の座を狙っていた。

 衝突を繰り返す二人だったが、キャメルはその行為を咎めようとはしなかった。どうやらキャメルがラウニーの勧誘において、団長の座を狙い自身(キャメル)への下剋上可という条件を呑んだことが理由らしい。


 夜襲や奇襲こそなかったものの、ラウニーとキャメルの団長の座を賭けた交戦というのは騎士団内でも周知の事実になっていたのだ。

 そこに付け込んだラウニーは半年前のあの日、団長の座を奪い取るために、偶然に見せかけキャメルを殺害した。

 ヘラヘラと詭弁を排するラウニーへ、怒りを露わにするマシュロには既に恐怖など欠片もなかった。



「弱者は強者に利用されるのがこの世の摂理だ。キャメルが死んだのもてめェ等みたいな何も出来ねェ雑魚を庇ったからだぜ? 呪いたけりゃてめェの弱さを呪え」

「……っ!」



 自分の弱さを自覚するマシュロは押し黙ってしまう。

 真の強者から放たれる事実は凶刃に等しく、容赦なく柔らかな心臓を突き刺した。



「それと……てめェはさっきからガキ共の身を案じてやがるが、依頼の真相を知らねェ奴が正義面してんじゃねェよ」



 男の発した不穏な単語にマシュロの顔が曇る。



「真、相……? 何を言っているんですか……? 子供達の保護、それ以外に何があるというのですか!」



 鋭利な犬歯を剥き出しにするラウニーの顔には凶笑。それは真実を知らずに躍らされる弱者の無知への嘲笑だ。



「ガキ共の暗殺依頼。それが()()()受理した極秘任務だ。ガキ共の保護なんぞ依頼の内容にはねェ。キャメルの奴が勝手に内容を置換しただけだ」



 脈が一際大きく高鳴った。

 団長の勅命で動いていた筈の任務。その真相は劣悪で、信じ難い依頼内容だった。

 事件当日の夜、マシュロがラウニーに感じた違和感は勘違いなどではなかったのだ。明確な殺意を持って子供達に接近していたのだ。

 だからこそ悪逆な依頼を申請した人物をマシュロは許せなかった。



「そん、な……一体誰がそんなことをっ!?」

「馬鹿かてめェは。極秘任務の依頼主を明かすことは禁句(タブー)だろ。だがこの任務の成功報酬は他の任務とは比べ物にならねェ。莫大な富、騎士団ランクの昇格、今後の騎士団活動の支援。ガキ共の命二つで願ったり叶ったりの恩恵だ。見逃す手はねェだろ?」

「人の命を何だと……」

「てめェのような知見の狭い世界じゃ知らねェ『日常』もあるってことだ――と、無駄話が過ぎたな。本来の依頼内容はガキ共の暗殺。てめェがしてることは俺様の邪魔だって事が理解出来たか? だからガキ共の居場所を言わなければ順に始末していく。言えば元通りだ」



 客観的に見ればどの騎士団も垂涎の依頼報酬だ。しかしその犠牲は未来ある子供達二名の生命の終焉。

 本来の依頼内容を知ったとは言え、はいそうでしたか、など無責任に言える筈がない。

 ただの一般人が知らない世界というのは確かに存在するのかもしれない。覇権争い、人権を無視した地位の略奪、そういったものは不知なだけでこの世界にあって然るべきなのだろう。

 けれど認めるわけにはいかない。

 そんな世界が実在していようとも、知らない自分が簡単に命のやりとりを見過ごしていいわけがない。



「……ッ」

「さっさと選べ」



 無言を貫くマシュロにラウニーの苛立ちは次第に募っていく。

 子供達を売るのは言語道断、選択肢にはない。けれど対の選択肢はもっと多くの人達の犠牲が付き纏う。

 決められない、決められない、決められない。


 絶対に答えの出ない葛藤がマシュロに頭痛を引き起こさせ、忘れかけていた体の震えが再開する。

 寒い。

 マシュロの上に新たに降り積もるは、全身真っ黒な犠牲者達。

 姿も形も数も判然としない自身の選択によって失われる命の塊。

 自身とは釣り合わない彼等の人生の価値(おもみ)は、マシュロの心の臓を際限なく圧迫する。いつの間にか乱れている呼吸にも気付かず、双眸から雫を落とし眼前は揺れていた。


 どれほど時間が経った? あとどれだけの猶予がある? 短気かつ横暴なラウニーの度量の限界まであとどれだけ?

 絶対に決着のつかない選択肢に焦燥感ばかりが膨れ上がっていく。


 ポケットに手を突っ込んで待機していたラウニーだったが、時間だけを浪費するマシュロの優柔さに大きな溜息を吐き、地を蹴ろうと脚先に力を込めた。

 その時。



「団長! 至急本拠(ホーム)にお戻りを!」



 ザッ、と土砂を削る音と共に跪く一つの影。金色の薄光を全身に纏った男小熊猫(ヒーレスパンディア)が二人の無言の応酬に波紋を投じた。

 今まさに少女へ裁きを下そうとしていたラウニーは、怪訝な面持ちで足元の団員を睥睨する。



「時宜が悪ィぞカロン。……チッ、まァいい、何があった?」

「敵襲です。賊が攻め込んできました」

「敵襲だァ? 俺様の不在時を狙ってきたか……? 相手はどこの騎士団だ?」



 団員の報告にラウニーはスッと全身の力を抜いて耳を傾ける。



「それが……一人の襲撃のようです。外套(フード)を被っていて正体が判然としないのですが、残りの団員達では太刀打ち出来ないほどに強く……」



 途端に推移した優先事項にマシュロは呆然と立ち尽くす。よく見れば証言通り団員(カロン)の身体には殴打の跡が刻まれており、ラウニーを求めて辛くも駆け付けてきたのだと推測した。

 ステラⅢ【夜光騎士団】団員達のお株である『夜昇』の能力を持ってしても太刀打ち出来ない脅威の存在の出現に、ラウニーの表情が一変する。



「チッ……先に本拠(ホーム)に向かえ」

「はい、申し訳ございません」



 半年ぶりの再会を懐かしむ様子もない団員の行動をマシュロは目で追う。それはある種の救済の懇願ではあったが通じる訳もなく、一瞬にて消えた団員にマシュロは絶望が再来したのだった。

 しかしこの状況はその場凌ぎにしかなり得ないが、マシュロにとって渡りに船となる。



「決められねェてめェに構ってる暇はねェみたいだ。答えを引っ提げて明日(みょうにち)、日没までに『夜光修練場』に来い。来なければ周りの奴から始末していく。助けを求めることも許さねェ」



 悩む時間はくれてやる、しかしこれが最終通告だと迂遠に言い置き、ラウニーはその場から跳び発った。

 地盤が罅割れるほどの初速にマシュロは反応することすら許されない。

 逼迫した空気が弛緩を始め、同時にマシュロも全身から力という力が失われる感覚を知覚し、その場にへたり込んだ。

 覚悟を決めなければならない。明日の日没までに。

 普段より近い地面にポタポタ涙を垂らし、一人の非力な少女は深く、暗い懊悩に沈んでいくのだった。


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