第6話 ソニルのステータス
翌朝。
「……痛い」
タローは目を覚ますなり、全身の痛みに顔をしかめた。
昨日スライムに吹き飛ばされ、斜面を転がり落ちた代償が、一晩経ってまとめてやってきたらしい。
「肩痛い。腰痛い。足も痛い……」
身体を起こすたびに、あちこちが悲鳴を上げる。
「二十歳の身体でも筋肉痛はあるんやな……」
「朝からうるさいぞ」
隣から声がした。
見ると、もう一つのベッドにソニルが座っていた。
「起きてたん?」
「ああ」
「何時から?」
「分からん」
「時計ないもんな」
昨日、二人は安い宿を見つけた。
ソニルが持っていた金で一部屋を借り、ベッドが二つあるだけの簡素な部屋で一晩を過ごした。
タローとしてはありがたい限りだった。
「しかし……」
タローはソニルを見る。
「ほんまにお前、昨日三人相手に無傷やったん?」
「ああ」
「俺なんかスライム一匹でこれやぞ」
「お前が弱すぎるのではないか?」
「朝一番から傷つくこと言うな」
「事実だろう」
「否定できへんのが腹立つわ」
タローはベッドから降りる。
そして、ふと思った。
「なあ、ソニル」
「なんだ?」
「昨日ちょっとだけ見せてもらったけど、お前のステータスちゃんと見てええ?」
「構わん」
「ええん?」
「ああ」
あまりにもあっさりした返事だった。
「普通、ステータスって人に見せたらあかんとかないん?」
「見せたくない者は見せなければいい」
「なるほど」
「俺は別に困らん」
「じゃあ見せて」
「分かった」
ソニルが手を前へ出した。
「ステータス表示」
ポンッ。
半透明の板が現れる。
「おお」
タローは横から覗き込んだ。
【名前:ソニル】
【種族:ヒト族】
【年齢:不明】
【職業:戦士 Lv1】
「ほんまに戦士レベル一なんやな」
「ああ」
「昨日の強さ絶対おかしいって」
「そうか?」
「そうや」
タローはさらに下を見る。
そこで。
「…………」
止まった。
目を擦る。
もう一度見る。
「…………」
「どうした?」
「ソニル」
「なんだ?」
「これ壊れてへん?」
「何が?」
「ステータス」
「知らん」
タローは指を差した。
【筋力:∞】
【耐久:∞】
【敏捷:∞】
【知力:38】
【精神:∞】
【魔力:0】
【器用:35】
【洞察:41】
【判断:46】
「…………」
タローは無言で自分のステータスを開いた。
【筋力:12】
ソニルを見る。
【筋力:∞】
自分。
【耐久:11】
ソニル。
【耐久:∞】
自分。
【敏捷:13】
ソニル。
【敏捷:∞】
「…………」
タローは静かに自分のステータスを閉じた。
「どうした?」
「ちょっと待ってな」
タローは窓際まで歩いていった。
外を見る。
朝のメイジン。
人々が行き交っている。
深呼吸。
そして。
「なんでやねん!!」
振り返って叫んだ。
「なんでお前だけ無限やねん!」
「俺に聞くな」
「筋力無限ってなんやねん!」
「知らん」
「耐久も無限!」
「ああ」
「敏捷も無限!」
「そう書いてあるな」
「精神まで無限!」
「そうだな」
「俺、全部十台やぞ!」
「そうなのか」
「しかもお前、なんでそんな冷静やねん!」
ソニルは首を傾げた。
「強いなら困らないだろう」
「そういう問題ちゃう!」
タローは頭を抱えた。
この世界のステータスは基本的に百が上限。
百に近づくほど、その分野では人間離れした能力を持つ。
それなのに。
「百飛び越えて無限って……」
タローはもう一度見る。
何度見ても、
【∞】
である。
「神様」
タローは天井を見上げた。
「チート能力、配る相手間違えてへん?」
「神?」
「こっちの話」
ソニルは気にする様子もなくステータスを眺めている。
「でも魔力はゼロなんやな」
「ああ」
「俺と一緒や」
「そうなのか?」
「そこだけ急に親近感湧くわ」
タローは少し嬉しくなった。
「俺も魔力ゼロやで」
「そうか」
「魔法使えへん仲間やな」
「別に使えなくても困らん」
「お前はな!」
筋力無限の男に魔法など必要ない。
「俺は困るねん!」
「なぜ?」
「スライムに勝てへんから!」
「殴ればいい」
「その殴る力がない!」
会話が噛み合っているようで噛み合っていない。
タローは再びステータスへ目を向けた。
「……あれ?」
「なんだ?」
「器用だけ三十五なんやな」
「ああ」
「筋力とか敏捷は無限やのに」
「何か問題があるのか?」
「いや……」
タローはソニルの手を見る。
「細かい作業とか得意?」
「細かい作業?」
「裁縫とか料理とか」
「知らん」
「やったことないん?」
「覚えていない」
「そっか。記憶ないんやったな」
タローは少し考える。
身体能力はどう考えても規格外。
しかし、何もかもが無限というわけではないらしい。
「ちょっと安心したわ」
「なぜだ?」
「全部無限やったら同じ人間と思われへんから」
「今は思っているのか?」
「ギリギリ」
「そうか」
「気にせえへんのかい」
タローは笑った。
「しかし……」
改めてステータスを見る。
「∞って実際どれくらいなん?」
「知らん」
「試してみたことある?」
「ない」
「昨日人間投げたやん」
「あれは軽く投げただけだ」
「軽く……」
タローは考えた。
「ちょっと外行こう」
「なぜ?」
「試したい」
「何を?」
「お前がどれくらい強いか」
「別に構わん」
相変わらず素直だった。
◇
二人は町の外れまでやって来た。
人通りの少ない場所。
大きな岩がいくつも転がっている。
「これとかどう?」
タローが指差した。
腰ほどの高さがある岩。
どう考えても一人で持てる大きさではない。
「持てる?」
「分からん」
「やってみて」
「分かった」
ソニルが岩へ近づく。
片手をかける。
「ちょっと待って」
「なんだ?」
「両手でやった方がええんちゃう?」
「必要か?」
「普通はな」
「そうか」
ソニルは両手で岩を掴んだ。
「いくぞ」
「おう」
持ち上げる。
「…………」
「…………」
岩が浮いた。
あまりにも普通に。
「…………」
ソニルは頭の上まで岩を持ち上げた。
「これでいいか?」
「…………」
「タロー?」
「ちょっと待って」
「重くはないが」
「それ言わんといて」
「なぜ?」
「俺の自信なくなるから」
ソニルは岩を地面へ戻した。
ドンッ。
地面が少し揺れた。
「……ほんまに化け物やん」
「昨日も言われた」
「ごめん。それ嫌やった?」
「別に」
そう答えた。
だが。
ほんの一瞬。
ソニルの表情が曇ったように見えた。
タローは気づいた。
「…………」
何かある。
記憶を失う以前。
ソニルは似たような言葉を誰かから言われていたのかもしれない。
「まあ」
タローは笑った。
「強いことはええことやろ」
「そうなのか?」
「そらそうや。俺なんかスライムに負けるんやぞ」
「またその話か」
「俺の異世界人生最大の屈辱やからな」
「まだ一日しか経っていないだろう」
「それでもや」
タローは笑った。
ソニルもほんの少しだけ口元を緩めた。
「じゃあ次」
「まだやるのか?」
「せっかくやから」
タローは少し離れたところにある岩を指差した。
「殴ってみて」
「岩を?」
「うん」
「壊していいのか?」
「……壊せる前提なん?」
「分からん」
「まあ、人おらんし大丈夫やろ」
「分かった」
ソニルが岩の前へ立つ。
拳を握る。
タローは少し離れた。
「本気でやる?」
「いや」
「なんで?」
「何となく危ない気がする」
「お前にも危険察知能力あるんやな」
ソニルは軽く拳を引いた。
「これくらいでいいか」
「おう」
拳を振る。
ドンッ!!
「うわっ!」
轟音。
タローは思わず耳を塞いだ。
岩に亀裂が走る。
次の瞬間。
バキッ!
巨大な岩が真っ二つに割れた。
「…………」
タローは固まった。
「こんなものか」
ソニルが拳を見る。
「…………」
「タロー?」
「ソニル」
「なんだ?」
「お前絶対、人前で本気出すなよ」
「なぜ?」
「怖いから」
「そうか」
「あと建物とか絶対殴るな」
「分かった」
「人も本気で殴るな」
「分かった」
「ほんまに分かってる?」
「ああ」
タローは割れた岩を見る。
「俺……」
少し考える。
「めちゃくちゃすごい奴と出会ったんちゃう?」
昨日。
たまたまチンピラに絡まれ。
たまたまソニルが通りかかり。
たまたま助けてもらった。
偶然。
そう思っていた。
「…………」
だが。
何か引っかかる。
「なあソニル」
「なんだ?」
「お前、なんで昨日あそこにおったん?」
「分からん」
「分からん?」
「歩いていたら、あそこに着いた」
「目的地は?」
「ない」
「俺を助けた理由は?」
「お前が困っていたからだ」
「それだけ?」
「ああ」
タローは首を傾げた。
「変な奴」
「お前に言われたくない」
「俺は普通や」
「職業《生物》なのに?」
「それ言うな!」
二人は笑った。
◇
町へ戻る途中。
タローは考えていた。
問題が一つある。
「金やな」
「何が?」
「俺らの金」
「まだあるぞ」
「どれくらい?」
ソニルが小さな袋を取り出す。
中を見る。
「……これ何日持つ?」
「宿と飯なら二、三日だろう」
「やっぱり」
タローは腕を組んだ。
ソニルは強い。
圧倒的に強い。
だが、それだけで金が勝手に増えるわけではない。
「仕事探さなあかんな」
「働くのか?」
「当たり前やろ」
「何をする?」
「それを考える」
昨日見た掲示板を思い出す。
荷物運び。
農作業。
討伐。
護衛。
「ソニルなら何でもできそうやけどな」
「お前は?」
「…………」
「タロー?」
「相づち」
「仕事なのか?」
「違うと思う」
「聞き上手」
「それもたぶん仕事ちゃう」
「なら何ができる?」
「…………」
タローは立ち止まった。
「改めて言われると腹立つな」
「聞いただけだ」
「分かってる」
だが。
何かあるはずだ。
元の世界で営業をしていた。
人と話すことには慣れている。
特別優秀ではなかった。
それでも長年仕事は続けてきた。
「まあ、探したらなんかあるやろ」
「そうか」
「うん」
「なら探そう」
「お前ほんま素直やな」
その時だった。
「そこの二人」
後ろから声をかけられた。
振り返る。
一人の男が立っていた。
身なりがいい。
昨日のチンピラとは明らかに違う。
「仕事を探しているのか?」
タローとソニルは顔を見合わせた。
「まあ……探してますけど」
「ちょうどいい」
男が笑った。
「簡単な仕事がある」
「簡単な仕事?」
「ああ」
「何するんです?」
「少し荷物を運んでもらうだけだ」
「荷物?」
「それだけで銀貨五枚払おう」
「銀貨五枚?」
タローにはまだ相場が分からない。
ソニルを見る。
「高いの?」
「かなり高い」
「マジで?」
男が笑う。
「どうだ?」
タローは少し考えた。
「荷物運ぶだけ?」
「ああ」
「危険は?」
「ない」
「どこまで?」
「町の外にある倉庫までだ」
「…………」
簡単な荷物運び。
危険なし。
報酬はかなり高い。
「めっちゃええ仕事やん」
「ああ」
ソニルも頷いた。
「やろ?」
「金も必要だ」
「そうそう」
タローは男を見る。
「やります」
「そうか」
男の口元がわずかに上がった。
「では、ついてきてくれ」
「はい」
男の後ろを歩き始める。
タローは上機嫌だった。
「ソニル」
「なんだ?」
「俺ら運ええな」
「そうだな」
「仕事探し始めた瞬間向こうから来たで」
「ああ」
「これでしばらく宿代も困らんな」
「そうだな」
二人は疑わなかった。
なぜ。
荷物を運ぶだけで、相場より遥かに高い報酬が支払われるのか。
なぜ。
男はわざわざ、町に来たばかりの二人を選んだのか。
そして。
なぜ男が歩きながら、何度も周囲を確認しているのか。
タローには《洞察》がある。
だが、それはまだ十七。
そして何より――。
人を疑うという経験が、圧倒的に足りなかった。
「楽勝やな、ソニル」
「ああ」
二人は笑った。
その様子を。
少し離れた場所から、一人の青年が見ていた。
「…………」
整った顔立ち。
細身の身体。
粗末な服装。
手には一冊の古びた本。
青年はタローたちではなく、先を歩く男を見ていた。
「……あの男」
目を細める。
「またやっているのか」
そして小さくため息をついた。
「今度の二人も……随分と騙しやすそうだな」
タローとソニル。
二人はまだ知らない。
自分たちが今まさに、詐欺に引っかかろうとしていることを。
そして。
その危機を見抜いたこの青年との出会いが――。
三人目の仲間との出会いになることを。




