第28話 存在しない援軍
ネオセカンド軍の中央が崩れ始めていた。
バルガスはソニルに敗れ、八百の騎兵も思うように動けていない。さらにアフラの策によって中央部隊まで混乱し、五千という兵力差はすでに十分な意味を持たなくなりつつあった。
それでも、戦いが終わったわけではない。
「敵中央、少しずつ立て直しています!」
兵士からの報告を聞き、アフラはネオセカンド軍全体へ視線を向けた。
確かに敵は混乱している。
しかし、まだ数では圧倒的に向こうが上だ。
こちらの兵士たちも限界に近い。ここから敵が態勢を立て直し、数に任せて攻めてくれば、再びスギルヨワ軍が不利になる可能性は十分にあった。
「アフラ殿、このまま押しますか?」
「いや」
「では?」
「これ以上、まともに戦う必要はない」
兵士が意味を理解できず、アフラを見る。
「敵はまだ三千以上戦えるはずです。それを相手に、戦わないのですか?」
「ああ。三千人を倒す必要などない」
アフラは静かに答えた。
「三千人全員に、自分たちは負けたと思わせればいい」
「…………?」
兵士はますます分からないという顔になった。
アフラは少し考えたあと、後方を指差す。
「余っている旗はどれくらいある?」
「旗ですか?」
「部隊旗でも国旗でも構わない。使えるものを全部集めろ」
「おそらく二十本以上はありますが……」
「足りないな。布は?」
「布?」
「何でもいい。遠くから旗に見えればそれでいい」
兵士は首を傾げながらも頷いた。
「集めれば、かなり用意できると思います」
「なら全部集めろ。それと動ける兵を五十人ほど、俺のところへ」
「五十人で何を?」
「援軍になってもらう」
兵士の顔が明るくなる。
「援軍が来ているのですか!?」
「来ていない」
「……はい?」
「援軍などいない」
アフラは平然と答えた。
「…………」
「どうした?」
「いえ……では、その五十人は?」
「五十人を五百人に見せる」
兵士が完全に固まった。
◇
「旗を集めろ!」
「布でもいい! 棒につけろ!」
「何に使うんだ?」
「知らん! アフラ殿の命令だ!」
スギルヨワ軍の後方が慌ただしくなった。
壊れた荷車に積まれていた布。予備の部隊旗。負傷して使えなくなった部隊から回収された旗。
使えるものが次々と集められていく。
そこへタローがやって来た。
「何してんの?」
「アフラ殿の命令で旗を集めています!」
「なんで?」
「援軍を作るそうです!」
「援軍?」
タローの顔が明るくなる。
「援軍来たん!?」
「来ていません!」
「どっちやねん!」
タローが思わず突っ込む。
そこへアフラが歩いてきた。
「ちょうどいい。タロー、お前にも手伝ってもらう」
「何を?」
「援軍を作る」
「いや、さっきから意味分からへんねんけど。援軍おらんのやろ?」
「ああ」
「ほな作られへんやろ!」
「作れる」
アフラは当然のように答える。
「敵から見て、援軍がいるように見えればいい」
「……なるほど」
タローもようやく意味を理解した。
「ハッタリ?」
「そういうことだ」
「それやったら最初からそう言ってや」
アフラは集められた旗を見る。
「五十人を森の中へ入れる。できるだけ間隔を空けて旗を持たせろ」
「それだけ?」
「いや。十人ほどに馬を走らせる。残りは枝を引きずって走れ」
「枝?」
「土煙を上げる」
タローが森の向こうを見る。
確かに敵軍からは、森の中まで詳しく確認することはできない。
大量の旗。
馬の足音。
土煙。
遠くから見れば、大勢の兵士が接近しているように見えるかもしれない。
「でも五十人やろ?」
「敵に数える時間があると思うか?」
「…………」
「戦場で重要なのは、実際に何人いるかではない。敵が何人いると思うかだ」
タローはアフラの顔をじっと見る。
「やっぱ今日のお前、なんか怖いわ」
「そうか?」
「めちゃくちゃ褒めてる」
「なら受け取っておこう」
◇
ネオセカンド軍の本陣では、指揮官が必死に軍を立て直そうとしていた。
「中央を下げろ! 騎兵は一度集結させろ!」
「はっ!」
「左翼を中央へ寄せろ! 数はこちらが上だ! 態勢さえ戻せば押し切れる!」
その判断自体は間違っていなかった。
ネオセカンド軍には、まだ十分な兵が残っている。
バルガスを失ったとはいえ、五千の軍が一度の混乱だけで完全に敗北したわけではない。
指揮官もそれを理解していた。
「敵は千人程度しか残っていない! 焦るな!」
周囲の兵士たちへ声を張り上げる。
「落ち着けば勝てる!」
少しずつ兵士たちが集まり始める。
その時だった。
「……あれは?」
一人の兵士が遠くを指差した。
戦場の後方。
森の向こう。
何かが動いている。
「旗?」
一本ではない。
何本もの旗が木々の隙間から見え隠れしている。
さらに。
その奥から土煙が上がり始めた。
「なんだ?」
「部隊が来ている?」
兵士たちがざわつく。
やがて馬の足音まで聞こえてきた。
「まさか……」
一人の兵士が呟いた。
「スギルヨワの援軍じゃないのか?」
その一言が周囲へ広がった。
「援軍?」
「まだ兵がいたのか?」
「聞いてないぞ!」
「どれくらいいる!?」
「分からない!」
指揮官が叫ぶ。
「騒ぐな!」
しかし、一度広がり始めた不安は簡単には止まらない。
兵士たちから見えるのは、大量の旗と土煙だけ。
実際に何人いるのかは分からない。
だからこそ、想像が勝手に膨らんでいく。
「千人か?」
「もっといるんじゃないか?」
「王都から来た軍かもしれない!」
「そんな馬鹿な!」
指揮官が歯を食いしばる。
「偵察を出せ! 正体を確認しろ!」
「はっ!」
だが、アフラが欲しかったのは援軍の存在を完全に信じ込ませることではなかった。
一瞬でも。
敵が後ろを気にすれば、それで十分だった。
◇
「見始めたな」
アフラが敵軍の様子を確認する。
ネオセカンド軍の兵士たちが、何度も後方へ視線を向けている。
「ほんまに引っかかった……」
タローが感心する。
「でも偵察出されたらバレるんちゃう?」
「その前に終わらせる」
「どうやって?」
アフラは敵本陣を指差した。
そこにはネオセカンド王国の大きな軍旗が立っている。
「あれを落とす」
「軍旗?」
「ああ」
「どうやって?」
「ソニルに頼む」
「…………」
タローが少し黙った。
「それ作戦って言うん?」
「最も成功する可能性が高い方法を選んだだけだ」
「ソニルの使い方、だんだん雑になってへん?」
「適材適所だ」
「便利な言葉やな」
アフラは近くにいた伝令を呼んだ。
「ソニルへ伝えろ」
「何と?」
「敵将を追う必要はない」
アフラは敵本陣の軍旗を見つめる。
「あの旗を落とせ。それだけでいい」
◇
「旗?」
伝令から命令を聞いたソニルが、敵本陣を見る。
「はい! アフラ殿からです!」
「敵将は?」
「倒す必要はないと!」
「そうか」
ソニルは少し残念そうな顔をした。
「そっちの方が面白そうなんだが」
「え?」
「何でもない」
ソニルは長柄武器を肩へ担ぐ。
目標は遠い。
敵本陣までは数百人の兵士がいる。
普通なら、一人で到達できる場所ではない。
「分かった」
ソニルが歩き出す。
「行ってくる」
「いや、軽いな!」
伝令が思わず叫んだ。
次の瞬間。
ソニルの身体を闘気が包む。
地面を蹴った。
「なっ!?」
凄まじい速度で前へ飛び出す。
「敵だ!」
「止めろ!」
ネオセカンド兵たちが一斉に武器を向ける。
ソニルは止まらない。
正面から来た槍を弾き、そのまま兵士の横を抜ける。
別の兵士が剣を振るう。
身体を僅かにずらして避ける。
さらに前へ。
「止めろ!」
「本陣へ行かせるな!」
敵兵が集まってくる。
だが、ソニルは必要以上に戦わなかった。
目的は敵を倒すことではない。
軍旗を落とすこと。
「邪魔だ」
進路を塞ぐ兵士だけを薙ぎ払い、一直線に本陣へ向かう。
「来るぞ!」
「守れ!」
本陣の護衛兵たちが壁を作った。
ソニルはその正面へ飛び込む。
「うおおおおっ!」
何本もの槍が突き出される。
その瞬間、ソニルは長柄武器を大きく振るった。
激しい衝撃音とともに槍が弾き飛ばされる。
「なっ!」
開いた中央を突破。
そして。
目の前に。
巨大な軍旗があった。
「これか」
ソニルが長柄武器を振り上げる。
「やめろ!」
敵兵が叫ぶ。
だが遅い。
強烈な一撃が旗を支える柱へ叩き込まれた。
バキッ!
太い柱が折れる。
ネオセカンド王国の軍旗が、ゆっくりと傾いていく。
「…………」
本陣の兵士たちが、その光景を呆然と見つめた。
そして軍旗が地面へ倒れた。
◇
「旗が!」
前線の兵士が叫んだ。
「本陣の旗が落ちた!」
「何!?」
「本陣がやられたのか!?」
ネオセカンド軍の動揺が一気に広がる。
ただでさえ後方には、正体不明の援軍らしき部隊が現れている。
さらに本陣の軍旗まで消えた。
「本陣が落ちた!」
「援軍が来ている!」
「包囲されるぞ!」
「逃げろ!」
誰が最初に言ったのか。
もう分からない。
だが、一人の兵士が後ろへ走り出した。
「待て!」
指揮官が叫ぶ。
二人目が続く。
「逃げるな!」
十人。
数十人。
そして百人。
「本陣は落ちていない!」
指揮官が必死に叫ぶ。
「軍旗を落とされただけだ! 敵の援軍も確認されていない!」
しかし、もう遅かった。
戦場の端にいる兵士には、指揮官の声など届かない。
彼らに見えるのは。
倒れた軍旗。
後方に並ぶ大量の旗。
舞い上がる土煙。
そして、自分たちの横を走って逃げていく味方だけだった。
「負けた!」
「撤退だ!」
「逃げろ!」
恐怖は伝染する。
数百人が走り始めれば、事情を知らない兵士まで逃げ始める。
さらにその姿を見た別の部隊が、自分たちも取り残されると思って後退する。
五千の軍が。
内側から崩れていく。
◇
「……すご」
タローは目の前の光景を見ながら呟いた。
ネオセカンド軍が逃げている。
さっきまで自分たちの三倍以上いた軍勢が、まともに戦うこともなく次々と撤退していく。
「援軍、ほんまに一人も来てないんやんな?」
「ああ」
アフラが答える。
「五十人だけ?」
「ああ」
「旗立てて土煙上げただけ?」
「それだけではない。ソニルが軍旗を落とした」
「いや、それも大概やけど」
タローは逃げていく敵軍を見る。
「これ……五千人が五十人にビビって逃げてるってこと?」
「正確には違う」
「何が?」
「五十人を恐れたんじゃない」
アフラは静かに言った。
「自分たちの想像を恐れたんだ」
「…………」
「人間は、分からないものを勝手に大きく考える。まして戦場で余裕を失っていれば、なおさらだ」
タローはしばらく黙っていた。
「アフラ」
「何だ?」
「やっぱ今日のお前、怖いわ」
「さっきも聞いた」
「さっきより怖なった」
◇
「敵軍、敗走!」
「ネオセカンド軍が退いていくぞ!」
スギルヨワ兵たちから歓声が上がった。
「勝った!」
「俺たちが勝ったぞ!」
疲れ切っていた兵士たちが武器を掲げる。
五千対千五百。
誰もが絶望的だと思っていた戦いだった。
しかし。
最後まで立っていたのはスギルヨワ軍だった。
「追撃しますか?」
兵士がアフラに尋ねた。
アフラは逃げていくネオセカンド軍を見つめる。
「いや。追うな」
「ですが今なら!」
「こちらも限界だ。追撃して敵が立て直せば、逆に被害が増える」
「……分かりました」
「それに」
アフラは遠ざかっていく敵軍を見る。
「今日の目的は十分果たした」
敵を全滅させる必要はない。
スギルヨワ王国から追い払えば、それでいい。
◇
しばらくして。
ソニルが戻ってきた。
「終わったぞ」
「お前ほんまに旗だけ落として帰ってきたん?」
「ああ」
「敵何人おった?」
「知らん」
「数えてへんの?」
「数える必要があるのか?」
「普通は気になるやろ!」
タローが突っ込む。
アフラはソニルを見る。
「助かった」
「もう終わりか?」
「ああ」
「そうか」
ソニルは少し残念そうだった。
「もう少し戦いたかった」
「お前はお前で怖いねん」
タローが二人を見る。
今日の戦いが始まる前とは、明らかに何かが違っている。
ソニルは以前から強かった。
アフラも以前から頭が切れた。
しかし今の二人は、その延長だけでは説明できない。
「なあ」
タローが二人へ声をかけた。
「なんだ?」
「何だ?」
二人が同時に振り返る。
タローは少しだけ考えた。
聞きたいことは山ほどある。
だが、周囲には兵士たちがいる。
「……いや、今はええわ」
「そうか」
「でも」
タローは二人を指差した。
「今日の夜、二人とも逃げんなよ」
「なぜだ?」
「話あるから」
ソニルとアフラが顔を見合わせる。
「絶対なんか隠してるやろ」
タローはそう言い残し、負傷兵たちのところへ戻っていった。
その背中を見送りながら、ソニルが小さく口を開く。
「どうする?」
アフラは少し考えた。
二人が思い出した過去。
呂布奉先。
諸葛亮孔明。
いつまでも隠し続けられるものではない。
「話すしかないだろう」
「全部か?」
「ああ」
アフラは遠ざかるタローの背中を見る。
「少なくとも、あいつにはな」
こうして。
五千のネオセカンド軍との戦いは、スギルヨワ王国の勝利で幕を閉じた。
そしてその夜。
タローは初めて知ることになる。
自分がこれまで一緒に旅をしてきた二人が、いったい何者だったのかを。




