第26話 目覚める記憶
八百の騎兵が地面を揺らしながら迫ってくる。
アフラはその光景を見つめながら、必死に頭の中で状況を整理していた。
スギルヨワ軍はすでに多くの負傷者を出している。戦える兵は千人ほどまで減り、対するネオセカンド軍にはまだ十分な兵力が残っている。そのうえ敵には八百の精鋭騎兵までいる。
正面からぶつかれば、まず勝てない。
「アフラ! 騎兵が来ます!」
「分かっている!」
兵士の声に答えながら、アフラは戦場全体へ視線を巡らせる。
右翼に槍兵三百。丘には弓兵。中央には残りの歩兵がいる。
このままでは足りない。
「右翼の槍兵を二列に分けろ!」
「二列ですか?」
「前列は槍を構えたまま動くな。後列は少し下がって待機!」
「はっ!」
「丘の弓兵は騎兵を狙うな!」
兵士が驚いて振り返った。
「騎兵を狙わないのですか?」
「馬を狙え。人間より大きい。走っている馬を一頭でも倒せば、後ろの騎兵も巻き込める!」
「なるほど!」
命令が次々と伝わっていく。
アフラ自身も気づいていた。
判断が明らかに速くなっている。
以前ならもっと考える時間が必要だったはずなのに、今は敵の動きを見ただけで次の手が浮かんでくる。
「右翼の後ろに三十人!」
「何をさせますか?」
「縄を持たせろ!」
「縄ですか?」
「急げ!」
なぜそんなことまで思いつくのか、自分でも分からない。
だが、この地形なら使える。
敵騎兵が一気に加速した。
「来るぞ!」
八百騎すべてではない。
先頭の二百ほどが、スギルヨワ軍の右翼へ突撃してくる。
「弓兵、放て!」
アフラの号令と同時に、矢が空を覆った。
狙うのは騎兵ではなく馬だった。
何本もの矢が馬へ突き刺さり、先頭を走っていた数頭が激しく転倒する。騎手が投げ出され、その後ろを走っていた騎兵も避けきれずに次々と衝突した。
「今だ! 槍兵、前へ!」
「おおおおおっ!」
三百の槍兵が一斉に前へ出る。
勢いを失った騎兵へ槍を向け、最初の突撃を食い止めた。
「止めた!」
兵士たちから歓声が上がる。
しかし、アフラはすぐに叫んだ。
「喜ぶな! 次が来る!」
残りの騎兵が左右へ広がり始めていた。
「やっぱり来たか」
アフラが低く呟く。
正面が駄目なら側面へ回る。
当然の判断だった。
「縄を持った兵を前へ!」
「はっ!」
三十人の兵士たちが走り、森と街道の間に太い縄を低く張っていく。
「まさか、馬を転ばせるつもりですか?」
近くにいた兵士が気づいた。
「全部は無理だ。数頭でいい。先頭が転べば、後ろも必ず詰まる」
アフラは敵騎兵の動きを見ながら答えた。
その瞬間だった。
また頭の奥に、知らない光景が浮かぶ。
敵の進路を読み、地形を利用し、少ない兵で大軍を止める。
そして、自分の命令を待つ無数の兵士たち。
「……っ」
アフラが額を押さえた。
今までより鮮明だった。
だが、まだ届かない。
「俺は……何を思い出そうとしている?」
◇
その頃。
ソニルは敵の精鋭部隊と真正面からぶつかっていた。
「囲め! 一人だ、数で押し潰せ!」
十人以上の兵士が一斉に迫る。
ソニルは長柄武器を握り、正面の兵士へ踏み込んだ。
一撃で敵の武器を弾き、その勢いのまま身体を回転させて横から迫った兵士を薙ぎ払う。
「ぐあっ!」
さらに背後から別の兵士が迫る。
だがソニルは振り返らなかった。
長柄武器の石突を後方へ突き出し、背後の敵を正確に打ち倒す。
「がっ!」
ソニル自身が一番驚いていた。
見ていない。
それなのに、後ろに敵がいることが分かった。
右から来る敵を避け、左から来る敵の武器を弾く。正面の敵には自分から踏み込み、相手が攻撃へ移るより先に倒していく。
考える必要すらなくなっていた。
身体が勝手に戦っている。
「なんだ、こいつ!」
「本当に人間か!?」
敵兵たちが怯み始める。
ソニルはそんな敵を見ながら、なぜか笑っていた。
疲れているはずなのに、戦えば戦うほど身体が軽くなる。
「もっと来い」
「なに?」
「まだ足りん。もっと強い奴はいないのか?」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥が激しく震えた。
「……っ!」
まただ。
知らないはずの光景が頭の奥に浮かぶ。
大勢の敵。
自分を恐れて後退する兵士たち。
その中を一人で進んでいく自分。
「俺は……」
ソニルの動きが一瞬止まった。
その隙を見逃さず、敵兵が背後から斬りかかる。
「死ね!」
「ソニル、危ない!」
離れた場所からタローが叫んだ。
しかし、ソニルは振り返らなかった。
身体を少しだけ沈めると、剣が頭上を通過する。
次の瞬間には長柄武器を背後へ突き出し、敵兵の腹へ叩き込んでいた。
「ぐっ!」
タローは口を開けたまま固まった。
「いやいやいや……絶対おかしいやろ、あいつ」
◇
後方では、タローが負傷兵たちをまとめていた。
「歩ける人はこっち! 重傷者を先に運んで!」
「こいつの血が止まりません!」
「治療できる人!」
「私が!」
「お願い!」
タローは休む暇もなく走り回っていた。
敵を倒すことはできない。軍を動かすこともできない。
それでも、やれることはある。
「水が足りない!」
「後ろの荷車にあった!」
「誰か二人、取りに行って!」
「分かった!」
タローの指示というより、ほとんどお願いに近い。
それでも人が動いてくれる。
負傷した兵士の話を聞き、まだ動ける者には仕事を頼む。恐怖で震えている者には無理に戦わせず、今できることを探す。
「もう無理だ……」
一人の兵士が地面へ座り込んでいた。
「足怪我してる?」
「違う」
「じゃあ立てる?」
「怖いんだ。身体が動かない」
「俺も怖いで」
タローが隣へしゃがんだ。
「こんなん怖くない奴の方がおかしいって」
「でも、戦えない」
「ほな一回、戦うのやめよ」
「え?」
タローが少し離れた場所を指差した。
そこでは数人の兵士が負傷者を運んでいる。
「人足りてへんねん。あれ手伝ってくれへん?」
「俺が?」
「うん。戦わんでいいから。あれならできそう?」
兵士はしばらく黙ったあと、小さく頷いた。
「それなら……」
「お願い」
兵士が立ち上がる。
タローはその背中を見送った。
その時。
視界の端に文字が浮かぶ。
【《聞き上手》の熟練度が上昇しました】
【《相づち》の熟練度が上昇しました】
「今!?」
思わず声が出た。
「いや、戦争中やぞ!」
近くにいた兵士が不思議そうな顔をする。
「どうしました?」
「なんでもない!」
タローはすぐに次の負傷兵へ向かった。
「ほんま俺だけ戦争の方向性ちゃうやん……」
◇
スギルヨワ軍の右翼。
アフラの策によって、敵騎兵の最初の突撃は防いだ。
だが、八百騎すべてを止められるわけではない。
「アフラ! 今度は左から来ます!」
「分かっている!」
騎兵の一部が大きく迂回し、スギルヨワ軍の左翼へ向かっている。
さらに正面では、ネオセカンド軍の歩兵が再び前進を始めていた。
三方向からの同時攻撃。
「どうしますか!?」
兵士たちの視線がアフラへ集まる。
右翼を守れば左翼が薄くなり、左翼へ兵を回せば中央が危ない。
絶対的に兵力が足りない。
「…………」
その時、アフラの目が丘へ向いた。
次に川を見る。
敵の中央部隊、騎兵、自軍の位置。
そして前線にいるソニル。
「使える」
「何がです?」
「全部だ」
アフラの口から自然と言葉が出た。
「右翼はそのまま耐えろ。左翼は敵騎兵と戦うな。接触する直前に中央へ下がれ!」
「逃げるのですか?」
「違う。道を開ける」
「道を?」
「騎兵は速度が武器だ。なら、その速度を利用する」
アフラが川沿いの地面を指差した。
「左翼を下げて騎兵をここへ誘導する。弓兵は丘から進路を限定しろ」
「その先には何が?」
「ソニルがいる」
兵士が固まった。
「まさか、あいつにぶつけるつもりですか?」
「ああ。ただし八百騎全部じゃない。分断する」
アフラの頭の中では、すでに敵軍の動きが見えていた。
「中央の兵二百を前へ出せ。敵歩兵を少しだけ押し返したら、すぐに左右へ分かれろ」
「そんなことをすれば中央に穴が開きます!」
「開けるんだ」
「何?」
「敵に見せる。中央を突破できると思わせるんだ」
アフラの目が鋭くなる。
「敵中央を誘い込み、その側面へ騎兵が入るよう進路を重ねる。敵自身を邪魔に使う」
「そんなことが……」
「できる」
迷いのない即答だった。
自分でも驚くほど、頭の中ではすべてが繋がっている。
「伝令!」
「はっ!」
「全軍へ伝えろ。ここから反撃する!」
◇
命令通り、スギルヨワ軍が動いた。
左翼が後退すると、ネオセカンド騎兵が追撃に移る。
「逃げたぞ! 追え!」
同時に中央も開いた。
「中央が崩れた! 突っ込め!」
敵歩兵も勢いに乗って前へ出る。
すべてがアフラの狙い通りだった。
「まだだ……」
アフラは敵の動きを見続ける。
騎兵が進み、歩兵も前へ出る。
少しずつ両者の距離が縮まる。
「もう少し」
周囲の兵士たちが息を呑んだ。
「アフラ、まだですか!」
「まだだ!」
騎兵がさらに加速する。
その先にはソニルがいる。
◇
「なんだ?」
ソニルもようやく気づいた。
大量の騎兵が、自分へ向かってきている。
「ソニル!」
遠くからタローが叫んだ。
「逃げろ! めっちゃ来てるで!」
「見えてる」
「ほな逃げろや!」
だが、ソニルは動かなかった。
長柄武器を握り直す。
馬の足音が近づいてくる。
百を超える騎兵が、自分へ向かって全速力で突進している。
その光景を見た瞬間。
ソニルの頭の奥で、これまでとは比較にならないほど強い衝撃が走った。
「ぐっ……!」
視界が揺れる。
今いる戦場と、知らないはずの戦場が重なった。
馬。
兵。
怒号。
無数の敵。
そして、それらを前にして一人で立っている自分。
「俺は……」
何度も見た。
こんな景色を。
何度も戦った。
大軍を相手に。
強敵を相手に。
武器を振るい続けた。
「……そうか」
これまで途切れていた何かが、少しずつ繋がり始める。
◇
「今だ!」
アフラが叫んだ。
「左翼、反転! 中央も閉じろ!」
逃げていたスギルヨワ兵が一斉に向きを変え、左右へ分かれていた兵士たちも再び中央へ集まる。
「なっ!?」
ネオセカンド軍が混乱する。
前へ出すぎた歩兵と、横から迫る味方騎兵の進路が重なった。
「止まれ!」
「後ろが詰まっている!」
「馬を止めろ!」
戦場が一気に乱れる。
「弓兵、放て!」
アフラが右手を上げる。
丘から大量の矢が降り注いだ。
完全に流れが変わった。
「すごい……」
近くにいた兵士が呟いた。
「本当に全部読んでいたのか?」
アフラは答えなかった。
いや、答えられなかった。
頭が痛い。
知らない記憶が次々と流れ込んでくる。
軍勢。
戦。
策。
敵と味方。
自分の命令を待つ無数の人間。
「ぐっ……!」
アフラが膝をつきそうになる。
「アフラ!」
「来るな!」
頭を押さえながら、それでも戦場から目を離さない。
戦いはまだ終わっていない。
だが、もう止められない。
何かを思い出そうとしている。
そして、その答えはすぐ近くまで来ていた。
◇
敵騎兵がソニルへ迫る。
「踏み潰せ!」
先頭の騎兵が武器を振り上げた。
ソニルは動かない。
あと二十歩。
十歩。
そして、もう目前まで迫ったところでソニルが一歩踏み込んだ。
長柄武器が凄まじい勢いで振るわれる。
「なっ――!」
先頭の騎兵が馬上から吹き飛んだ。
続く騎兵へ向けて、ソニルは止まるどころか自分から突撃の中へ入っていく。
一人。
二人。
三人。
次々と騎兵を薙ぎ倒す。
「なんだこいつ!」
「止めろ!」
「囲め!」
怒号が響く。
だが、ソニルにはその声さえ懐かしかった。
頭の中で、何かが完全に開いた。
遠い記憶。
自分が誰だったのか。
どんな戦場を駆け抜けてきたのか。
何を求めて戦い続けていたのか。
無数の光景が、一気に蘇ってくる。
「……そうだった」
ソニルがゆっくり立ち止まった。
周囲にはネオセカンドの兵士たちがいる。
それでも、誰もすぐには近づけなかった。
先ほどまでとは明らかに雰囲気が違う。
「俺は……」
◇
同じ瞬間。
アフラの中でも、最後まで欠けていた断片が繋がった。
戦場。
大軍。
策を巡らせる自分。
国。
主君。
そして、自分自身の名。
「…………」
アフラはゆっくりと立ち上がった。
「思い出した」
近くの兵士が振り返る。
「何をです?」
アフラは答えなかった。
遠く離れた前線では、ソニルも長柄武器を握り直しながら静かに顔を上げていた。
二人の中で眠っていた記憶。
それは偶然にも、同じ時代へ繋がっていた。
ソニルの口から、忘れていた名が静かに零れる。
「呂布……」
そしてアフラも、自分の中へ戻ってきた名を確かめるように呟いた。
「諸葛亮……」
長い時を越え。
二人の記憶が、ついに完全に目を覚ました。




