第25話 崩れる戦線
「このままだと包囲される」
アフラの言葉に、将軍の表情が変わった。
「包囲だと?」
「はい。敵の狙いは正面突破ではありません。正面の部隊はこちらをこの場所に釘付けにするためのものです」
アフラはそう言いながら、ネオセカンド軍全体の動きを見渡した。
中央の部隊は確かに攻撃を続けている。しかし先ほどまで後方にいた部隊の一部が左右へ分かれ、森と川沿いへ移動を始めていた。
「左右から回り込むつもりか。ならばこちらも左右へ兵を回す!」
「駄目です」
「なぜだ!」
「こちらは千五百しかいません。左右へ兵を割けば中央が薄くなります。敵は五千。こちらが兵を分散させるのを待っている可能性もあります」
将軍は言葉を失い、もう一度戦場を見た。
「では、どうする?」
「全軍を一度下げます」
「何? 今下がれば敵は一気に押し込んでくるぞ!」
「それでいいんです。逃げるんじゃありません。敵をもっと深くまで引き込みます」
アフラの指が地図の上を滑っていく。
「敵はこちらを包囲するために部隊を広げています。ならば中央の圧力は最初より弱くなっている。こちらが下がれば、敵は勝っていると思って前へ出てくるでしょう」
「そこを叩くのか?」
「いえ、さらに下がります。敵を十分に引きつけたあと、左右を狭めます。前へ出た敵兵自身に、後続部隊の進路を塞がせるんです」
将軍は地図と戦場を何度も見比べた。
危険な策ではある。
しかし、これまでアフラの読みは何度も当たっている。
「……分かった。中央、後退! 右翼と左翼も中央に合わせろ!」
命令が伝わり、スギルヨワ軍が少しずつ後退を始めた。
「敵が下がるぞ!」
「押せ! 逃がすな!」
ネオセカンド軍から歓声が上がり、中央の敵兵が勢いに乗って前へ出てくる。
予想通りだった。
「まだです」
アフラは冷静に戦場を見つめている。
スギルヨワ軍がさらに下がると、それを追って敵軍も前進してくる。
「アフラ、まだか? これ以上下がれば本当に崩れるぞ!」
「もう少しです」
敵軍の中央がさらに前へ出た。
その結果、左右へ展開していた部隊との距離が大きく広がる。
「今です! 左右の部隊を中央へ寄せてください!」
「右翼、左翼! 中央へ寄せろ!」
将軍の号令と同時にスギルヨワ兵が動き、後退していた中央部隊も足を止めた。
「反転! 一気に押し返せ!」
「おおおおおっ!」
千五百の兵士が一斉に反撃へ転じた。
「なっ!?」
勢いに乗って前へ出すぎたネオセカンド軍の中央部隊が止まる。
後ろから続く味方が邪魔になり、自由に下がることもできない。
「いける! アフラ、これいけるんちゃう!?」
タローが思わず声を上げた。
「まだだ。五千のうち、動いていない兵がかなり残っている」
「またそれ!?」
タローが思わず突っ込んだが、アフラは笑わなかった。
敵を引き込み、兵を動かし、相手の進路を塞ぐ。
初めてやったはずなのに、不思議なほど自然にできた。
アフラは自分の手を見つめる。
何なんだ、この感覚は。
まるで以前にも、こうして大勢の兵を動かしたことがあるような――。
◇
前線では、ソニルとバルガスの戦いが続いていた。
「どうした!」
バルガスの巨大な槍が振るわれ、ソニルが長柄武器で受け止める。
激しい金属音が響き、ソニルの足が地面を滑った。
「まだだ!」
続けて放たれた突きをソニルが身体を逸らして避ける。しかし完全には避けきれず、穂先が脇腹を掠めて服が裂けた。
「やるな」
ソニルが楽しそうに笑う。
「まだ笑う余裕があるか!」
その瞬間、バルガスの身体から目に見えるほど強い力が立ち上った。
「……なんだ、あれ?」
少し離れた場所から見ていたタローが目を丸くする。
空気そのものが揺れているように見えた。
「闘気だ!」
近くにいた兵士が叫ぶ。
「闘気?」
「身体能力を大幅に高める力だ! あの将軍、闘気を使えるのか!」
「そんな強いん!?」
次の瞬間、バルガスが地面を蹴った。
速い。
ソニルも反応したが、今度は間に合わなかった。
槍の柄が腹へ叩き込まれ、その身体が勢いよく吹き飛ばされる。
「ソニル!」
タローが叫ぶ。
ソニルは地面を転がったが、すぐに長柄武器を支えにして立ち上がった。
「痛いな」
「貴様……なぜ立てる?」
「知らん」
「ならば次で終わらせる!」
バルガスが再び地面を蹴った。
だが、その瞬間だった。
ソニルの目が変わる。
先ほどまで見切れなかったはずの槍の動きが、今度は不思議なほど鮮明に見えた。
右から来る。
次は左。
そのあと、踏み込んで突く。
なぜ分かるのかは、自分でも分からない。
バルガスの槍が突き出された瞬間、ソニルは半歩だけ身体をずらした。
「なに!?」
穂先が顔の横を通過する。
そのままソニルは一気に踏み込み、長柄武器を横薙ぎに振るった。
バルガスが槍で受け止めたものの、衝撃を殺しきれず一歩後ろへ下がる。
「貴様……急に何をした?」
「分からん。俺にも分からんが、お前の攻撃が見える」
「ふざけるな!」
バルガスが連続で槍を突き出す。
一撃、二撃、三撃。
ソニルは次々と避け、四撃目を長柄武器で弾いた。
そして五撃目。
今度は自分から踏み込む。
「なっ!」
バルガスの懐へ入り込み、長柄武器の石突を鎧へ叩き込んだ。
「ぐあっ!」
バルガスが大きくよろめく。
ソニル自身が、一番困惑していた。
敵との距離も、武器の長さも、足を置く位置も、次にどこを狙えばいいのかも分かる。
戦えば戦うほど、身体が勝手に正しい動きを選んでいく。
「なんだ……これ」
ソニルが自分の手を見る。
「俺は、こんな戦いをどこかで……」
その瞬間、頭の奥で何かが弾けた。
大勢の怒号。
激しくぶつかる武器。
地面を揺らす無数の足音。
そして、自分へ向かってくる数え切れないほどの敵。
「……っ!」
だが、その光景はすぐに消えた。
「まただ」
「何を呟いている!」
バルガスが最後の力を振り絞り、闘気をさらに強める。
「これで終わりだ!」
全力の突き。
ソニルは迫ってくる槍を静かに見つめた。
怖くない。
むしろ先ほどより、遥かに遅く感じる。
「違うな」
「何?」
「さっきより遅い」
身体を捻って槍を避け、そのまま一気に踏み込む。
ソニルの長柄武器がバルガスの槍を跳ね上げ、武器が宙を舞った。
「な――」
次の瞬間、ソニルの一撃がバルガスの胸部へ叩き込まれる。
「ぐああっ!」
巨体が地面へ倒れ、そのまま動かなくなった。
「バルガス将軍が負けた!?」
「そんな……!」
周囲のネオセカンド兵たちに動揺が広がる。
「ソニル!」
タローが駆け寄ってきた。
「大丈夫!? めっちゃ血出てるで!」
「これくらいなら問題ない」
「いや、普通に問題あるやろ! でも勝ったな!」
タローが喜ぶ横で、ソニルは倒れたバルガスではなく、自分の手を見つめていた。
「違う」
「何が?」
「まだ足りない」
「何が足りへんの?」
「分からん。ただ、もう少しで何かを思い出せそうなんだ」
「また記憶?」
「ああ。そんな気がする」
ソニル自身にも、それ以上は説明できなかった。
◇
バルガスが倒れ、敵の中央部隊も押し返されている。
一時的ではあるが、戦況はスギルヨワ側へ傾き始めていた。
「押せ! 今だ!」
「敵を国境まで押し戻せ!」
兵士たちの士気が上がり、やがて誰かが叫んだ。
「勝てるぞ!」
その言葉が周囲へ広がっていく。
「勝てる! ネオセカンドを押し返せ!」
だが、アフラだけは笑っていなかった。
「おかしい」
戻ってきたタローが首を傾げる。
「何が?」
「簡単すぎる。敵は五千、こちらは千五百しかいない。それなのに、ネオセカンドはまだ全軍を投入していない」
「まだ温存してるってこと?」
「ああ。問題は、何を待っているのかだ」
アフラが敵軍の後方を凝視する。
その時だった。
遠くから低い音が聞こえてきた。
ドドドドドド――。
「何の音?」
タローが振り返る。
音は少しずつ大きくなり、やがて丘の向こうから旗が見えた。
その直後。
何百という騎兵が一斉に姿を現した。
「騎兵隊!」
将軍が叫ぶ。
「敵の騎兵隊だ!」
ネオセカンド軍の後方から、大量の騎兵が戦場へ入ってくる。
「数は!?」
「およそ八百!」
「八百!? こっちの騎兵は?」
「百にも満たない!」
「全然足りへんやん!」
タローの顔が引きつる。
八百騎。
それまで温存されていた、ネオセカンド軍の精鋭だった。
「まずい」
アフラが低い声で呟いた。
「将軍!」
「分かっている! 槍兵を前へ出せ!」
「違います!」
「何?」
「正面じゃありません。あの騎兵は右翼へ向かっています!」
「また右翼か!」
「違う。右翼を攻撃するのが目的じゃない!」
アフラは騎兵の進路と速度を見て、その狙いに気づいた。
「右翼を抜けて、こちらの後方へ回るつもりです!」
将軍の顔色が変わる。
右翼を突破され、後方へ回り込まれれば、スギルヨワ軍は完全に包囲される。
「右翼へ兵を――」
将軍が命令を出そうとした、その瞬間だった。
「将軍!」
一本の矢が飛んできた。
「ぐっ!」
矢が将軍の肩へ突き刺さる。
「将軍!」
周囲の兵士たちが駆け寄った。
しかし敵騎兵は止まらない。
「右翼が持ちません!」
「敵騎兵、接近!」
「指示をお願いします!」
将軍が倒れたことで、スギルヨワ軍の指揮系統が一気に乱れ始めた。
◇
「下がれ! もう無理だ!」
「五千なんかに勝てるわけがない!」
指揮が乱れたことで、一部の兵士が恐怖に耐えきれず後退を始めた。
「待って!」
タローが一人の若い兵士を呼び止める。
「逃げるな!」
「死にたくない! 俺には家族がいるんだ!」
その言葉を聞いて、タローは何も言えなくなった。
怖いのは当然だ。
タローだって怖い。
「分かる」
「何が分かる!」
「俺も怖い。俺なんかこの剣、まともに振られへんし、戦い方も知らん」
「なら逃げろ!」
「逃げたいわ!」
タローが即答すると、兵士が驚いたように目を見開いた。
「めちゃくちゃ逃げたい。でも俺らがここで逃げたら、あいつらそのまま後ろまで行くんやろ?」
タローは振り返った。
この先には村があり、町があり、さらにその先には王都がある。
「家族おるんやろ?」
「……ああ」
「なら、ここで死ねとは言わん。一緒に生きて戻ろう」
タローが手を差し出した。
「そのために、今できることやろう」
兵士はしばらくその手を見つめたあと、ゆっくりと握った。
「……分かった」
「よし。怪我してる人は後ろへ! まだ動ける人は勝手にバラバラにならんと、一回集まって!」
タローが周囲へ声を飛ばす。
「治療できる人どこ!?」
「こっちだ!」
「じゃあ負傷兵はそっちへ! 歩ける人は歩けへん人を手伝って!」
タローは戦えない。
軍を動かすこともできない。
だが、人と人を繋ぐことならできる。
混乱していた兵士たちは、タローの声を聞いて少しずつ動き始めた。
「タロー!」
アフラが呼ぶ。
「アフラ!」
「後方を頼む! 負傷兵と逃げてきた兵をまとめろ!」
「俺が!?」
「お前が一番向いている!」
「なんでか分からんけど、分かった!」
タローはすぐに走り出した。
その姿を確認すると、アフラは再び戦場へ視線を戻した。
◇
「アフラ……」
負傷した将軍が苦しそうに呼んだ。
「はい」
「騎兵を止めろ」
「分かっています」
「違う」
将軍がアフラの腕を掴む。
「ここから、お前が指揮しろ」
アフラの目が見開かれた。
「俺が?」
「お前しかいない」
「ですが俺には軍を率いた経験がありません」
「それは聞いた。それでも、今日一番戦場が見えていたのはお前だ」
将軍は苦しそうに息を吐きながら、それでもアフラの腕を離さなかった。
「頼む。この軍を……任せる」
周囲の兵士たちが一斉にアフラを見る。
百人ではない。
数百人でもない。
戦場に残っている兵の大部分。
千人を超える兵士の命が、今、自分へ預けられようとしている。
「アフラ!」
「敵騎兵が来ます!」
「指示を!」
「どうしますか!」
次々と声が飛んでくる。
普通なら怖いはずだった。
千人以上の命を背負う責任など、重すぎるはずだ。
それなのに、アフラの胸に湧き上がってきたのは恐怖とは違う感覚だった。
「……懐かしい?」
自分の口から出た言葉に、アフラ自身が戸惑った。
何が懐かしい?
自分はこれまで軍など率いたことがない。
それなのに、兵士たちから指示を求められているこの状況を、なぜか知っているような気がした。
「アフラ!」
兵士の声で我に返る。
アフラは戦場全体へ視線を向けた。
敵騎兵八百。
中央の敵軍。
右翼と左翼。
川、森、丘。
そして味方の配置。
それらすべてが、頭の中で一つの戦場として繋がっていく。
「槍兵三百を右翼へ! 弓兵は丘へ移動してください!」
「はっ!」
「中央は絶対に動かすな! 敵が押してきても、今は耐えるんだ!」
「はっ!」
アフラの命令が次々と伝わり、千人を超える兵士たちが一斉に動き始めた。
その光景を見た瞬間だった。
「……っ!」
アフラの頭の奥で、何かが大きく揺れた。
知らない戦場。
今より遥かに多い兵士たち。
響き渡る無数の声。
そして、自分の命令によって動いていく大軍。
「ぐっ……!」
アフラが思わず頭を押さえる。
「アフラ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫だ! 配置を続けろ!」
まだ思い出せない。
どこなのか。
いつなのか。
自分が誰だったのか。
それでも、確実に何かがある。
あと少し。
あと何か一つあれば、すべてが繋がるような気がした。
◇
同じ頃。
バルガスを倒したソニルの前には、新たな敵が迫っていた。
騎兵、歩兵、そしてこれまで後方に温存されていた精鋭部隊。
数え切れないほどの敵が、こちらへ向かってくる。
普通なら逃げる。
これだけの敵を一人で目の前にすれば、恐怖を感じるのが当然だった。
それなのに、ソニルは笑っていた。
「なんだろうな、これ」
馬の足音。
兵士たちの怒号。
武器同士がぶつかる音。
そのすべてが胸の奥へ響き、初めての戦場のはずなのに、妙な懐かしさを感じる。
「俺は……これを知ってる?」
頭の奥に、再び何かが浮かんだ。
大軍。
戦場。
自分へ向かってくる無数の敵。
そして、その中心で武器を構えている自分自身。
「……っ!」
強い頭痛が走る。
「なんだ、これは……」
敵騎兵が迫ってくる。
「ソニル!」
遠くからタローの声が聞こえた。
ソニルは長柄武器を強く握り直し、迫ってくる大軍へ向けて構えた。
同じ頃、アフラも千人を超える兵士を前に、頭の奥から溢れ出そうとする何かに耐えていた。
二人とも、まだ思い出してはいない。
だが、眠っていた記憶はもうすぐそこまで来ている。
あと一つ。
何か大きなきっかけがあれば――。
二人の過去は、すべて繋がろうとしていた。




