第24話 弱小国の戦争
ネオセカンド王国が軍を動かした。
その報告が届いてから、スギルヨワ王城は一気に慌ただしくなった。
夜が明ける前から兵士たちが城内を走り回り、各地の部隊へ命令を届ける伝令が次々と王都を出ていく。
そして翌朝。
王城の会議室には、国王をはじめ、重臣や軍を率いる将軍たちが集まっていた。
もちろん、カンポルの三人も呼ばれている。
「ネオセカンド軍の規模が判明しました」
一人の兵士が報告書を読み上げる。
「現時点で確認できている兵力、およそ五千」
「五千……」
重臣の一人が顔をしかめた。
「こちらは?」
「王都と東部にいる兵を集めても、およそ千五百です」
会議室が静まり返る。
三倍以上。
それが両国の兵力差だった。
「無理やろ」
思わずタローが呟いた。
何人かの視線が集まる。
「あ、すいません。でも五千対千五百ですよね?」
「そうだ」
「普通に戦ったら負けません?」
誰も答えなかった。
答えないことが、答えだった。
「籠城するべきです」
一人の重臣が言う。
「王都まで兵を下げ、城壁を利用して戦うしかありません」
「馬鹿を言うな。王都まで敵軍を入れれば、その途中にある村や町はどうする」
「では三倍以上の敵と野戦をするのか?」
「だからといって――」
次々と意見が飛び交う。
タローはその様子を見ながら、隣にいるアフラへ小声で話しかけた。
「どう思う?」
「…………」
「アフラ?」
返事がない。
アフラは机に広げられた地図を見つめていた。
国境から王都へ続く街道。
川。
森。
丘。
いくつもの村。
頭の中で、それらが勝手に繋がっていく。
「ここだ」
アフラが呟いた。
「え?」
「ここで迎え撃つ」
その声に、会議室が静かになった。
アフラの指は国境から少し離れた場所を示していた。
スギルヨワ軍を率いる将軍が地図を覗き込む。
「なぜここだ?」
「街道の西側に川があります。東側には森があり、北側には小高い丘がある。五千の兵が同時に展開するには狭い」
「つまり?」
「敵の数を殺せます」
アフラは地図から目を離さず説明する。
「五千対千五百のまま戦えば勝ち目は薄い。ですが、五千の兵すべてが同時に戦えない場所なら話は変わります」
将軍の表情が変わった。
「なるほど……」
「さらに敵が街道を進むなら、ここを通る可能性が高い。こちらが先に布陣すれば迎撃できます」
「待て」
別の将軍が口を挟んだ。
「敵が森を迂回したらどうする?」
「しません」
「なぜ言い切れる?」
「五千の軍勢です。森へ入れば行軍速度が落ち、隊列も崩れる。物資を積んだ馬車も通しにくい。わざわざ敵国でそんな危険を冒す必要がありません」
「…………」
「それに」
アフラの指が別の場所へ動いた。
「迂回するならこちらです」
「川沿い?」
「はい。ただし、その場合はこちらの方が王都への距離が長くなる。時間を稼げます」
将軍たちが地図を見る。
その中の一人がアフラへ尋ねた。
「お前、軍を率いた経験があるのか?」
「ありません」
「…………は?」
「一度もありません」
「では、なぜそこまで分かる?」
「…………」
アフラ自身も答えられなかった。
地図を見れば分かる。
そう思っていた。
だが、本当にそうなのだろうか。
五千の兵がどう動くか。
どこなら戦いやすいか。
どこへ兵を置けばいいのか。
考え込んで導き出したというより、地図を見た瞬間から頭の中に答えが浮かんでいた。
「分かりません」
「分からない?」
「ですが、俺ならここで戦います」
将軍はしばらくアフラを見つめ、それから国王へ顔を向けた。
「陛下」
「どうだ?」
「悪くありません。少なくとも平地で五千を相手にするよりは遥かにマシです」
国王が頷く。
「では、そこで迎え撃つ」
決まった。
スギルヨワ王国は、ネオセカンド軍を国境近くで迎撃する。
千五百対五千。
弱小国の存亡を懸けた戦いが始まろうとしていた。
◇
出陣を前に、タローたちは軍の武器庫へ来ていた。
「俺も武器いる?」
タローが剣を一本持ち上げる。
「重っ!」
すぐに戻した。
「お前は前へ出るな」
アフラが言う。
「分かってる。でも何かあった時のために持っといた方がよくない?」
「自分の足より速い武器はない」
「逃げろってこと!?」
「お前の場合はそれが一番役に立つ」
「否定できへんのが腹立つわ」
タローがぶつぶつ言っている横で、ソニルは並べられた武器を順番に見ていた。
剣を持つ。
「軽い」
戻す。
斧を持つ。
「重心が悪い」
戻す。
槍を持つ。
「短い」
武器庫の兵士が眉をひそめる。
「それでも一般的な槍より長いぞ」
「そうなのか?」
「そうだ」
「もっと長いのは?」
「奥にあるが……」
兵士が一本の長柄武器を持ってくる。
騎兵にも対応できるよう作られた、通常の槍より一回り長い武器だった。
ソニルが受け取る。
「…………」
握った瞬間。
妙な感覚があった。
「どう?」
タローが聞く。
「これがいい」
「即決?」
「ああ」
ソニルが軽く構える。
初めて持った武器。
初めて取るはずの構え。
それなのに。
「ソニル」
「なんだ?」
「またや」
「何が?」
「その持ち方。誰かに教えてもらった?」
「いや」
「やっぱり?」
ソニルも自分の手を見る。
「でも、これが一番自然だ」
「…………」
「変か?」
「最近のお前、ちょっと変やで」
「そうか?」
「前に剣持った時もそうやったやん」
「…………」
ソニルは長柄武器を握り直した。
確かにおかしい。
初めてのはずなのに、初めてという気がしない。
だが、考えても答えは出なかった。
「まあいい」
「ええんかい」
「使えるなら問題ない」
「お前らしいわ」
◇
翌日。
スギルヨワ軍、千五百。
王都を出発した軍勢は、アフラが選んだ迎撃地点へ到着した。
街道の片側には川。
反対側には森。
少し離れた場所には丘がある。
将軍は兵を配置すると、丘の上から東を見つめた。
「来るぞ」
遠くに。
砂煙が見えた。
最初は小さかった。
だが時間が経つにつれ、それはどんどん大きくなる。
「うわ……」
タローが思わず声を漏らした。
兵。
兵。
兵。
街道の向こうから、途切れることなく人間が現れる。
「あれ全部?」
「おそらくな」
「五千って聞くのと見るの、全然ちゃうな」
タローは唾を飲み込んだ。
怖い。
当然だった。
元の世界では保険営業をしていた。
少し前までは、この世界でも何でも屋をやっていただけ。
それが今では、五千人の軍隊を目の前にしている。
「あの神様……」
タローが呟く。
「異世界生活の難易度設定、絶対間違えてるやろ」
「来る」
アフラの声で、タローの表情が変わった。
ネオセカンド軍が止まる。
しばらくの静寂。
そして――。
「進めぇぇぇ!」
敵軍から号令が響いた。
「構えろ!」
スギルヨワ軍の将軍も叫ぶ。
千五百の兵士が武器を構える。
地面が揺れる。
ネオセカンド軍の先頭部隊が走り始めた。
タローの心臓が激しく鳴る。
「ほんまに始まるんか……」
隣を見る。
アフラは敵軍を凝視していた。
さらにその前。
ソニルが長柄武器を肩に担いでいる。
「ソニル!」
「なんだ?」
「死ぬなよ!」
「分かった」
「あと俺が危なくなったら助けてな!」
「分かった」
「そっちは即答なんやな!」
直後。
両軍が激突した。
◇
金属音と怒号が戦場を埋め尽くした。
スギルヨワ軍は街道を塞ぐように陣形を組み、ネオセカンド軍を迎え撃つ。
アフラの読み通りだった。
五千の兵がいても、狭い場所では全員が一度に戦えない。
「押し返せ!」
「ここを抜かせるな!」
序盤。
スギルヨワ軍は耐えていた。
「いけるんちゃう!?」
タローが声を上げる。
「まだだ」
アフラは冷静だった。
敵軍を見る。
前方。
中央。
そして右翼。
「…………」
何かがおかしい。
「将軍!」
「どうした!」
「右翼を少し下げてください!」
「右翼?」
「敵はそこを狙います!」
将軍が敵軍を見る。
「だが正面を攻めているぞ!」
「これは違う」
「何がだ?」
「正面は押しているだけです。本命は右翼です!」
なぜ分かる。
自分でも説明できない。
だが。
「来ます!」
その直後。
ネオセカンド軍の一部が大きく動いた。
「なっ!?」
敵兵が右翼へ集中する。
「右翼、下がれ!」
将軍が即座に命令した。
わずかに下げていたことで、部隊の崩壊を防ぐ。
「本当に来た……」
将軍がアフラを見る。
だがアフラは、すでに別の場所を見ていた。
「次は森です」
「何?」
「五十人、森側へ!」
「敵は見えんぞ!」
「だからです!」
将軍は一瞬迷った。
「五十人、森へ回れ!」
命令が飛ぶ。
そして少しして。
「敵だ!」
森から声が上がった。
回り込もうとしていたネオセカンド兵と、先回りしたスギルヨワ兵が衝突する。
将軍が息を呑んだ。
「また当てた……」
アフラ自身も驚いていた。
敵の動きが。
見える。
いや。
実際に見えているわけではない。
だが敵が何をしたいのか、次にどこを狙うのかが、妙に分かる。
「アフラ」
将軍が呼ぶ。
「はい」
「次は?」
「…………」
その言葉を聞いた瞬間。
アフラの胸が大きく鳴った。
次は。
どうする。
戦場を見る。
敵軍。
味方。
右翼。
左翼。
森。
川。
丘。
そして。
「中央を少し下げます」
「中央を?」
「はい。敵に押していると思わせます」
「その後は?」
「敵が深く入ったところで、左右から挟みます」
言葉が。
次々と出てくる。
「分かった。やってみよう」
将軍が命令を出す。
数百人の兵士が動き始める。
「…………!」
その光景を見た瞬間。
アフラの頭の奥に。
何かが走った。
知らない場所。
大勢の兵士。
自分の言葉で動く軍勢。
ほんの一瞬。
それだけだった。
「……今のは?」
「アフラ!」
タローの声で我に返る。
「大丈夫?」
「ああ」
「今、一瞬ボーッとしてたで」
「…………」
アフラは戦場を見る。
「問題ない」
だが。
胸の奥に残った違和感は。
消えなかった。
◇
その頃。
前線。
「おおおおっ!」
ソニルが長柄武器を振るう。
敵兵が吹き飛ぶ。
「なんだこいつ!」
「囲め!」
三人。
五人。
七人。
次々と敵が集まる。
「邪魔だ」
横薙ぎ。
「ぐあっ!」
数人がまとめて倒れる。
だが。
「下がれ!」
突然、敵兵たちが道を開けた。
その奥から一人の男が現れる。
大柄な男。
全身を金属鎧で覆い、巨大な槍を持っている。
「お前か」
男がソニルを見る。
「何が?」
「我が兵を次々と倒している化け物は」
「化け物?」
「名を名乗れ」
「ソニル」
「それだけか?」
「ああ」
「そうか」
男が槍を構える。
「俺はネオセカンド王国将軍、バルガス」
「そうか」
「…………」
「なんだ?」
「いや」
バルガスの眉が動く。
「普通はもう少し反応するものだ」
「知らんからな」
「貴様……!」
槍が突き出される。
速い。
「っ!」
ソニルが身体を逸らす。
穂先が頬を掠めた。
血が流れる。
「…………」
ソニルが頬へ触れる。
「ほう」
バルガスが笑う。
「避けたか」
再び。
槍。
ソニルも長柄武器で受ける。
ガンッ!
重い。
ソニルの身体が初めて後ろへ下がった。
「ソニルが押された!?」
少し離れた場所から見ていたタローが驚く。
「誰やあいつ!」
「敵の将軍だ!」
「それは見たら分かる!」
三度目の攻撃。
ソニルが受ける。
さらに四度。
五度。
バルガスは強かった。
これまで戦った兵士とは明らかに違う。
「どうした!」
バルガスの槍がソニルの肩を掠める。
血が飛ぶ。
「その程度か!」
「…………」
ソニルは。
傷口を見る。
痛い。
だが。
口元が。
わずかに上がった。
「……面白い」
「何?」
「やっぱり」
ソニルが長柄武器を構え直す。
「強い奴と戦うのは楽しい」
心臓が鳴る。
前にも感じた。
変異オーガと戦った時。
だが。
今回はもっと強い。
もっと。
身体の奥が熱くなる。
「来い!」
バルガスが突っ込んでくる。
槍が来る。
ソニルの目が。
その穂先を見る。
「…………」
分かる。
右。
次は左。
その次。
「そこだ」
「なに!?」
ソニルの身体が動いた。
一歩踏み込む。
槍の内側へ。
バルガスが目を見開く。
「貴様!」
ソニルの長柄武器が振られる。
バルガスが受ける。
ガァン!
「ぐっ!」
今度は。
バルガスが下がった。
「なんだ……?」
ソニルが自分の手を見る。
今の動き。
考えていない。
身体が勝手に動いた。
「俺は……」
武器を握り直す。
「もっと上手く戦えるはずだ」
「何を言っている?」
「分からん」
「は?」
「俺にも分からん」
だが。
確信だけがある。
こんなものではない。
もっと速く。
もっと強く。
もっと上手く。
自分は。
戦える。
「ふざけるな!」
バルガスが再び迫る。
槍と長柄武器が激突する。
その瞬間。
ソニルの頭の奥に。
何かが響いた。
怒号。
武器がぶつかる音。
大勢の人間。
そして。
地面を激しく叩く、何かの音。
「…………!」
ソニルの動きが止まる。
「隙あり!」
バルガスの槍が迫る。
間一髪。
ソニルが避けた。
「今のは……」
「戦いの最中に余所見とは余裕だな!」
ソニルは答えない。
今。
何かを見た。
いや。
思い出した?
「…………」
分からない。
だが。
胸の奥が。
もっと戦えと叫んでいた。
◇
戦いは続いた。
アフラの進言によってスギルヨワ軍は兵力差を利用されず、何とか戦線を維持していた。
だが。
「アフラ!」
将軍が叫ぶ。
「敵の後方を見ろ!」
アフラが目を向ける。
ネオセカンド軍の後方。
それまで動いていなかった部隊が前へ出てくる。
「まだいたん?」
タローの顔が引きつる。
「予備兵力だ」
アフラの表情が険しくなる。
「かなりの数が残っていた」
「どうする?」
「…………」
アフラは戦場を見る。
敵の前線。
予備兵力。
左右の動き。
そして。
妙な違和感。
「待て」
「どうした?」
「おかしい」
「何が?」
「敵は」
アフラの目が細くなる。
「正面を突破するつもりじゃない」
「え?」
タローが聞き返す。
その時。
ネオセカンド軍の後方から。
新たな旗が上がった。
それを合図に。
複数の部隊が一斉に動き始める。
「アフラ?」
「…………」
敵の動きを見た瞬間。
アフラの頭の中に。
いくつもの可能性が浮かぶ。
その中から。
一つだけ。
異様なほど鮮明な答えが残った。
「まずい」
「何が?」
「このままだと」
アフラは地図へ手を伸ばす。
「包囲される」
◇
同じ頃。
前線では。
バルガスとの戦いを続けるソニルが、敵軍の奥へ視線を向けていた。
新たな部隊。
これまでとは明らかに違う装備。
精鋭。
それを見た瞬間。
ソニルの心臓が。
大きく鳴った。
「…………」
怖いわけではない。
逆だった。
強い敵。
大勢の兵。
武器の音。
戦場。
そのすべてが。
なぜか。
懐かしい。
「ソニル!」
バルガスが槍を構える。
「次で終わりだ!」
「…………」
ソニルは。
ゆっくりと長柄武器を構えた。
「いや」
「何?」
自分でも理由は分からない。
だが。
身体の奥で眠っている何かが。
もうすぐ。
目を覚ます。
そんな感覚があった。
「まだだ」
ソニルが笑う。
「ここからだ」
ネオセカンド軍五千。
スギルヨワ軍千五百。
戦いはまだ始まったばかり。
そしてこの戦場は。
ソニルとアフラ。
二人の中に眠る遠い記憶を。
さらに強く揺さぶり始めていた。




