第23話 最悪の選択
カンポルが王都へ戻ったのは、その日の夜だった。
捕らえた男と変異前の魔物、そして赤黒い液体の入った小瓶。そのすべてが王城へ運び込まれていた。
「間違いないのか?」
スギルヨワ国王が、机の上に置かれた小瓶を見ながら尋ねる。
「はい。馬車から発見した薬は、昨日の変異オーガに使われたものと極めて近い性質を持っています」
アフラの説明を聞き、国王の表情が険しくなる。
「では、これを使って魔物を変異させていた可能性が高いということか?」
「その可能性は高いです」
「捕らえた男は何か話したか?」
「いえ。何を聞いても知らないの一点張りです。もう一度、俺が話してみます」
「待って」
アフラが立ち上がろうとしたところで、タローが口を挟んだ。
「俺にやらせてくれへん?」
「お前が?」
「うん」
「何をするつもりだ?」
「普通に話す」
「俺も話した」
「お前の場合、話すというより尋問やろ」
「同じだ」
「全然ちゃうって」
タローはそう言って立ち上がった。
「こういう相手に『吐け』って言っても、余計に喋らんようになるやろ。ちょっと俺に任せて」
「何か考えがあるのか?」
「まあ、やってみるわ」
◇
王城の一室。
捕らえた男は椅子に座らされ、両手を拘束されていた。
「またか。今度は何を聞くつもりだ」
部屋へ入ってきたタローを見て、男が嫌そうな顔をする。
「いや、別に聞かへんで。俺、尋問とか苦手やし」
「なら何をしに来た?」
「ちょっと話しに来ただけ」
タローは男の向かいへ座ると、しばらくその顔を眺めた。
「大変やったな。いきなりソニルにやられて」
「何が言いたい?」
「別に何も。ただ、あんたも仕事やったんやろ?」
男は答えなかった。
だが、タローは気にせず話を続ける。
「自分で薬を作ったわけでもない。魔物を変異させようって考えたんも、あんたちゃう。言われた物を運んでただけ。ちゃう?」
男の目が、ほんの少しだけ動いた。
否定はしない。
「俺も前の世界で仕事してたから分かるけど、上から言われたら断りにくい時ってあるやん。自分が決めたことちゃうのに、失敗したら現場の人間が怒られる。あれ理不尽やんな」
「…………」
「しかも捕まった瞬間、国から『そんな奴は知らん』って見捨てられたら最悪や」
男の眉がわずかに動く。
タローはその変化に気づいたが、追及しなかった。
「まあ、俺はあんたが全部やったとは思ってへんよ。命令されたんやったら、命令した奴が一番悪いやろ」
そう言って、タローは椅子から立ち上がる。
「待て」
男が呼び止めた。
「何?」
「……俺たちは、命令されただけだ」
タローはゆっくり振り返った。
「誰に?」
男は俯いたまま答えない。
タローは再び椅子へ座った。
「別にあんたを責めてへん。ただ、誰に命令されたか教えてほしい」
長い沈黙のあと、男がようやく口を開いた。
「上官だ」
「どこの?」
再び沈黙。
タローは男の顔を見ながら尋ねた。
「ネオセカンド?」
男の表情が変わった。
それだけでも十分だったが、タローは最後まで本人の口から聞くことにした。
「あんた、ネオセカンドの兵士なんやな?」
「……そうだ」
◇
「認めたのか?」
報告を聞いた国王が立ち上がった。
「うん。ネオセカンド軍の兵士やって」
「命令した者は?」
「直属の上官です。名前も聞き出しました」
アフラが一枚の紙を机へ置く。
「現在、こちらでも確認中です」
「薬については?」
「そこは本人も知らんみたいです。誰が作ったのか、どこで作ってるのか、何のために作られたのか。そこまでは聞かされてへん」
タローの説明を引き継いで、アフラが続ける。
「男たちの役目は、指定された場所へ魔物と薬を運ぶことだけだったようです。薬そのものはネオセカンド王国の軍施設で受け取ったと証言しています」
国王の顔から完全に笑みが消えた。
「では、ネオセカンド軍が関わっていることは間違いないのか?」
「男の証言だけなら、まだ否定できます。しかし馬車から、これも見つかりました」
アフラがもう一枚の紙を机へ置いた。
ネオセカンド王国の紋章と、軍関係者しか使用できない印が押された輸送許可証だった。
「男が身につけていた紋章だけなら、盗品だと言い逃れることもできます。しかし、捕虜の証言、変異薬、魔物、輸送許可証。そしてこれまで変異種が現れた場所。偶然で片付けるには証拠が揃いすぎています」
国王はしばらく黙ったまま、机の上の証拠を見つめていた。
「陛下、これは明確な敵対行為です」
一人の重臣が口を開く。
「分かっている」
「すぐに軍を動かすべきでは?」
「待て。いきなり軍を動かせば、こちらから戦争を仕掛けたと言われかねん」
別の重臣が反論し、会議室の中で意見が割れ始める。
「まず、正式に説明を求めるべきです」
その中でアフラが静かに口を開いた。
「ネオセカンドにか?」
「はい」
「素直に認めると思うか?」
「思いません。ですが、こちらには捕虜も薬も輸送許可証もあります。その上で正式な説明を求め、相手がどう答えるのかを見るべきです」
「もし否定すれば?」
「その対応も判断材料になります」
国王は少し考えたあと、静かに頷いた。
「分かった。使者を出す」
そして、救援協定の時とは違う厳しい表情で続けた。
「今度はこちらから問う番だ」
◇
数日後。
ネオセカンド王国、王城。
「何だこれは!」
ネオセカンド2世が、スギルヨワから届いた書状を机へ叩きつけた。
「スギルヨワ王国からの正式な抗議文です」
「そんなことは読めば分かる! なぜ奴らが変異薬のことを知っている!」
側近たちは誰も答えようとしない。
やがて一人が、恐る恐る前へ出た。
「陛下。輸送部隊の一つが戻っておりません」
「何?」
「おそらく、捕らえられた可能性が高いかと」
「馬鹿者! 捕まるなと言っておけ!」
「言われて捕まらないのであれば苦労しませんが……」
「何か言ったか?」
「何も」
側近が目を逸らす。
「それで、奴らは何と言っている?」
「変異薬を用いて魔物を強化し、スギルヨワ国内へ送り込んだ疑いについて、正式な説明を求めています」
「証拠はあるのか?」
「捕らえた者の証言、変異薬、魔物を運んでいた馬車、我が軍の輸送許可証などがあるようです」
「…………」
「かなり揃っております」
「証拠などないではないか!」
「今申し上げたものが証拠です」
「ない!」
「あります」
「余がないと言ったらない!」
側近たちは黙った。
「返事を出せ。すべて捏造だとな!」
「捕まった兵士については?」
「そんな奴は我が国とは関係ない!」
「陛下。その者の名前も書かれております」
「それがどうした」
「確認しましたが、我が軍の兵士です。所属部隊まで一致しております」
「なら記録を消せ!」
「すでに相手が名前と所属を把握しております」
「なら同姓同名だ!」
「所属部隊まで同じ同姓同名は、さすがに無理があります」
「…………」
ネオセカンド2世が黙り込む。
側近は、この機会を逃すまいと慎重に言葉を続けた。
「陛下。ここは認めるべきかと」
「何を?」
「我が国の一部の者が関与していたことを認め、責任者を処罰する。そしてスギルヨワ王国へ謝罪と賠償を行うのです」
「断る!」
「陛下!」
「なぜ余が謝らねばならん!」
「我が国がやったからです!」
「余はやっていない!」
「命令されたのは陛下です!」
「…………」
部屋が静まり返った。
側近は、自分が口を滑らせたことに気づいて頭を下げる。
「申し訳ございません。しかし陛下、今ならまだ戦争は避けられます」
「…………」
「スギルヨワは確かに弱小国です。ですが、今回の件が他国へ知られれば話は別です」
側近は必死に説明を続けた。
「魔物を意図的に変異させて隣国へ送り込み、被害を出したあとで救援を申し出る。さらに救援協定を利用して軍を駐留させようとした。他国から見れば、我が国が侵略のために魔物を利用したと判断されてもおかしくありません」
「だから何だ?」
「孤立します。今ならまだ、一部の軍関係者が独断で行ったこととして処理できます。責任者を処罰し、スギルヨワへ賠償し、薬についても――」
「待て」
ネオセカンド2世が突然、側近の話を遮った。
何かを考え始めた国王を見て、側近たちの間に嫌な予感が広がる。
「スギルヨワが証拠を持っているのだな?」
「……はい」
「捕らえた兵士も、薬も、書類も、すべてスギルヨワにある?」
「そうですが……」
ネオセカンド2世の口元が、ゆっくりと上がった。
「ならば簡単ではないか」
「何がでしょう?」
「スギルヨワを滅ぼせばよい」
誰も言葉を発しなかった。
「陛下。今、スギルヨワを滅ぼすと?」
「そうだ。証拠を持っている国がなくなれば、証拠もなくなる。どうだ、完璧ではないか!」
「陛下」
側近が深く息を吐く。
「それは最悪の選択です」
「なぜだ!」
「証拠隠滅のために国ごと滅ぼす者がどこにいるのです!」
「ここにいる!」
「胸を張らないでください!」
「黙れ!」
ネオセカンド2世が勢いよく立ち上がった。
「そもそもスギルヨワなど弱小国ではないか! 我がネオセカンド王国が本気を出せば、数日で落とせる!」
「ですが、カンポルが――」
「またカンポルか!」
ネオセカンド2世が机を叩く。
「魔物も、救援も、契約も、何もかも奴らが邪魔をする! ならばちょうどいい。国ごと潰せばカンポルも消える!」
「陛下、お待ちください!」
「兵を集めろ!」
「今ならまだ間に合います!」
「命令だ!」
ネオセカンド2世は側近たちの制止を無視し、高らかに宣言した。
「スギルヨワへ進軍せよ!」
◇
その日の夜。
スギルヨワ王国、王城。
勢いよく扉が開き、一人の兵士が飛び込んできた。
「陛下! 国境から緊急報告です!」
「何事だ!」
「ネオセカンド軍に大規模な動きがあります! 現在確認できているだけでも相当数の兵が集結し、さらに各地から増援が集まっています!」
「目的地は?」
「国境です!」
会議室が一気にざわついた。
「まさか、本当に攻めてくるつもりか?」
「正気なのか?」
「すぐに東部へ兵を送るべきだ!」
その場にはタローたち三人もいた。
「なあ、アフラ」
「なんだ」
「これってもう、何でも屋の仕事とか、そういう話ちゃうよな?」
「ああ」
アフラは机の上に広げられた地図を見つめた。
ネオセカンド王国とスギルヨワ王国。
その間にある国境、街道、山、川、砦。
「戦争だ」
その言葉を自分で口にした瞬間、アフラの胸の奥で何かが微かにざわついた。
恐怖でも焦りでもない。
地図を見ているだけなのに、敵が進んでくる道、兵を置く場所、守るべき地点、逆に捨てても構わない場所まで、次々と頭の中へ浮かんでくる。
「…………」
「アフラ?」
タローに呼ばれ、アフラはようやく地図から目を離した。
「どうした?」
「いや……何でもない」
だが、自分でも分からなかった。
なぜ初めて経験するはずの戦争を前にして、これほど頭が冴えているのか。
一方、ソニルは窓の外を見つめていた。
「戦争か……」
その言葉を聞いた瞬間、昨日初めて握った剣の感触が蘇っていた。
怖くない。
むしろ胸の奥から、理由の分からない感覚が湧き上がってくる。
「ソニル?」
「なんだ?」
「お前もなんか変やで」
ソニルは自分の手を見つめ、ゆっくりと拳を握った。
「分からん」
「何が?」
「分からんが……戦争と聞いたら、何かを思い出しそうな気がする」
タローには、その言葉の意味が分からなかった。
アフラにも、ソニルにも、まだ分からない。
だがネオセカンド王国との戦争は、二人の中で眠り続けていた記憶を、確実に揺り起こし始めていた。




