第20話 国を売る契約
「タロー」
「何?」
「お前、元の世界で保険を売っていたと言ったな」
「うん」
「契約書は読めるか?」
「まあ……仕事やったからな」
アフラから渡された救援協定書。
タローはそれを受け取った。
「なんか懐かしいな」
「懐かしい?」
「こういう細かい文字いっぱいの書類」
一枚目。
二枚目。
目を通していく。
「…………」
最初は。
ネオセカンド王国からスギルヨワ王国への支援内容だった。
兵士の派遣。
魔術師の派遣。
食料支援。
復興資金。
「ここだけ見たら、めっちゃありがたい話やな」
「そうでしょう?」
ネオセカンド王国の使者が微笑む。
「我が国は、純粋に隣国であるスギルヨワ王国を案じております」
「なるほど」
タローが頷く。
「…………」
アフラは何も言わない。
三枚目。
四枚目。
「ん?」
タローの指が止まった。
「どうしました?」
「いや」
もう一度読む。
「……これ」
「何か?」
「『必要に応じて』って書いてますよね?」
「はい」
「この必要って」
タローが使者を見る。
「誰が決めるんです?」
「…………」
「スギルヨワ?」
「もちろん、両国で協議いたします」
「なるほど」
タローが頷く。
「両国で」
「はい」
「じゃあ」
契約書を指差す。
「ネオセカンド側が『必要です』って言って、スギルヨワ側が『必要ありません』って言ったら?」
「…………」
「どうなるんです?」
「その場合も、両国で協議を」
「いつまで?」
「はい?」
「意見がまとまるまで?」
「それは……」
「その間、ネオセカンド軍は?」
「…………」
使者の笑顔が。
わずかに固まった。
「国内に残るんですか?」
「状況によっては」
「なるほど」
タローはまた頷いた。
国王と重臣たちは。
黙って聞いている。
「タロー」
アフラが言った。
「次も読め」
「うん」
五枚目。
「…………」
タローの目が止まる。
「これもやな」
「何だ?」
国王が尋ねた。
「ネオセカンド軍が使える施設についてです」
タローが読み上げる。
「『安全保障上必要と判断される地域および施設について、ネオセカンド王国軍の使用を認める』」
「それが?」
重臣の一人が聞く。
「国境の砦などを使わせるという意味ではないのか?」
「俺も最初そう思ったんですけど」
タローが契約書を見る。
「国境って書いてないんですよ」
「…………」
重臣たちが顔を見合わせた。
「確かに……」
「地域および施設、としか」
タローは使者を見る。
「これ」
笑顔で尋ねる。
「王都も含まれます?」
「…………」
「安全保障上必要やったら」
「状況によっては」
使者が答えた。
「王都周辺への配置をお願いする可能性もございます」
「ほら」
タローが言う。
「…………」
国王の表情が変わった。
「我が王都に」
低い声。
「ネオセカンドの兵を置く可能性があると?」
「もちろん」
使者はすぐに答える。
「スギルヨワ王国をお守りするためでございます」
「…………」
タローは再び契約書を見る。
「やっぱり」
呟いた。
「これ、あかんやつや」
「タロー」
アフラが見る。
「何に気づいた?」
「なんていうか」
タローは少し考える。
「書いてることと、読んだ時に受ける印象が違う」
「どういう意味だ?」
「例えば」
契約書を持ち上げる。
「最初に『国境付近で魔物から守るために軍を出します』って説明されたやろ?」
「ああ」
「そしたら普通」
タローは重臣たちを見る。
「この契約書も、国境を守ってもらうための契約やと思って読むやん?」
何人かが頷く。
「でも実際には」
契約書を指差す。
「国境なんて書いてない」
「…………」
「説明を聞いた時の印象で契約書を読むと、見落とすんや」
タローは。
少しだけ昔を思い出していた。
保険営業をしていた頃。
契約。
説明。
重要事項。
相手が何を理解しているか。
何を理解していないか。
「契約って」
タローが言う。
「書いてあることだけ見るんちゃうねん」
「…………」
「なんでこの書き方にしてるのかを見る」
アフラの目が。
少しだけ変わった。
「続けろ」
「うん」
六枚目。
復興資金について。
「これも」
「何だ?」
「金貸してくれるんですよね?」
使者を見る。
「はい」
「返せなかった場合は?」
「そのような場合には、両国で協議を――」
「ここに書いてますよ」
タローが指を置いた。
「『返済が著しく困難となった場合、双方の合意により土地、施設、資源その他の権益をもって代替することができる』」
「…………」
「つまり」
タローが国王を見る。
「金返されへんかったら」
一拍。
「土地とか鉱山とかで払うこともできるってことですよね?」
重臣たちがざわつく。
「なんだと?」
「そんな条項が?」
「後ろにございます」
使者は落ち着いていた。
「しかし、あくまで双方の合意が必要です」
「そうですね」
タローが笑う。
「ちゃんと書いてます」
「ならば問題は――」
「でも」
遮る。
「その時にはネオセカンド軍が国内におるんですよね?」
「…………」
使者が黙った。
「借金があります」
タローが指を一本立てる。
「軍隊も国内にいます」
二本。
「魔物の被害で国も弱ってます」
三本。
「その状態で」
使者を見る。
「ほんまに対等な話し合いできます?」
「…………」
今度は。
誰も口を挟まなかった。
「タロー」
アフラが言う。
「お前も気づいたか」
「うん」
「何に?」
国王が尋ねる。
タローは少し考えた。
「これ」
契約書を見る。
「一気に国を取ろうとしてる契約ちゃうと思います」
「……どういうことだ?」
「たぶん」
タローは昔の営業を思い出しながら言う。
「最初から全部要求したら、誰も契約せえへんから」
「…………」
「最初は」
一本。
「軍を置かせてください」
二本。
「次に、復興のお金貸します」
三本。
「その次に、もっと安全にするために協力しましょう」
四本。
「それを一個ずつ飲ませていく」
タローは手を見る。
「気づいた頃には」
拳を握った。
「断りにくくなってる」
静寂。
「なるほど」
アフラが呟いた。
「何?」
「俺は結果から見ていた」
「結果?」
「この契約をすべて利用された場合、スギルヨワ王国がどうなるか」
「うん」
「だが、お前は」
アフラがタローを見る。
「相手がどうやってそこまで持っていくかを見ている」
「まあ」
タローは頭を掻いた。
「営業やってたからかな」
「…………」
「契約してもらう時って、相手が何考えてるかめっちゃ見るし」
アフラが小さく頷いた。
「使えるな」
「なんか言い方腹立つな!」
「褒めている」
「絶対ちゃうやろ!」
「タロー」
国王が呼ぶ。
「はい」
「まだあるのか?」
「見ます」
タローは再び読み始めた。
七枚目。
八枚目。
「…………」
最後に近づく。
「ん?」
また止まった。
「アフラ」
「ああ」
どうやら。
アフラも同じ場所を見ていたらしい。
「これ」
タローが呟く。
「一番ヤバない?」
使者の目が。
ほんの少し動いた。
「何が書かれている?」
国王が尋ねる。
タローは。
その条項を指差した。
「『両国の安全保障および将来的な安定のため、必要と認められる場合――』」
読む。
「『両国の政治的統合について協議することができる』」
「…………」
静まり返った。
「政治的統合?」
重臣の一人が呟く。
「それは……」
別の重臣が顔を上げる。
「国を一つにするという意味では?」
「そういうことやと思います」
タローが答えた。
国王が。
使者を見る。
「説明してもらおう」
「もちろんです」
使者は。
まだ笑顔だった。
「将来、両国がより深い協力関係を築く可能性について記載しているだけでございます」
「ならば」
アフラが言う。
「削除しても問題ありませんね?」
「…………」
「救援には必要ない条項だ」
「将来的な――」
「必要ですか?」
「…………」
「魔物からスギルヨワ王国を救うことと」
アフラが契約書を指差す。
「国家統合に何の関係がある?」
「…………」
使者が。
初めて。
すぐには答えなかった。
タローは。
その顔を見ていた。
「なあ」
「何でしょう?」
「ちょっと聞いていい?」
「どうぞ」
「俺、頭そんな良くないから」
タローは笑った。
「簡単に教えてほしいねんけど」
「…………」
「この契約」
机の上へ置く。
「スギルヨワを助けるための契約なんですか?」
「当然です」
「じゃあ」
タローは。
最後の条項を指で叩いた。
「なんで国を一つにする話まで入ってるんです?」
「…………」
沈黙。
長い。
「将来的な可能性です」
使者が答える。
「今すぐ統合を求めているわけではございません」
「じゃあ消しましょう」
「…………」
「今いらんのやったら」
タローが笑う。
「消しても問題ないですよね?」
「それは」
「問題あります?」
「…………」
使者の笑顔が。
初めて。
完全に消えた。
タローは。
それを見逃さなかった。
「なるほど」
小さく呟く。
「何がだ?」
国王が聞く。
「いや」
タローが使者を見る。
「今ので十分かなって」
「…………」
アフラが。
わずかに笑った。
「同感だ」
国王は。
しばらく契約書を見つめていた。
そして。
「この救援協定」
書類を閉じる。
「現状の内容では受け入れられん」
使者が頭を下げる。
「残念でございます」
「救援の申し出そのものには感謝する」
「ありがとうございます」
「だが」
国王の声が低くなる。
「我が国の土地も」
「…………」
「我が国の軍事も」
「…………」
「我が国の未来も」
使者を見据える。
「他国に預けるつもりはない」
「承知いたしました」
使者は深く頭を下げた。
「それでは、本日はこれにて失礼いたします」
去っていく。
扉が閉まる。
「…………」
タローが息を吐いた。
「疲れたぁ」
「お前」
アフラが言う。
「なんや?」
「思っていたより役に立つな」
「今までどう思ってたん!?」
国王が笑う。
「ははは!」
「笑い事ちゃいますよ!」
「いや、すまん」
国王はタローを見る。
「だが助かった」
「俺?」
「ああ」
「アフラが先に気づいたんですよ」
「それでもだ」
国王が契約書を見る。
「私たちだけで読んでいれば、ここまで相手の意図を引き出せたか分からん」
「…………」
「カンポル」
三人を見る。
「改めて礼を言う」
「仕事なんで」
タローが笑った。
「何でも屋やろ?」
「ああ」
国王も笑った。
「随分と変わった何でも屋だ」
◇
数日後。
ネオセカンド王国。
王城。
「それで?」
ネオセカンド2世が。
豪華な椅子に座っていた。
「救援協定は?」
帰国した使者が。
静かに頭を下げる。
「拒否されました」
「…………」
「…………」
「なんだと?」
「スギルヨワ国王は、現状の条件では受け入れられないと」
「なぜだ!」
「契約内容を見抜かれました」
「誰に!」
使者は。
一瞬だけ言いづらそうにした。
「何でも屋です」
「…………」
ネオセカンド2世の顔が固まる。
「またか」
「はい」
「また……」
拳が震える。
「カンポルかぁぁぁぁ!!」
ドンッ!
机が揺れる。
「魔物も!」
「…………」
「暗殺も!」
「…………」
「救援も!」
立ち上がる。
「なぜ何でも屋が全部邪魔をするのだ!」
「我々にも……」
「知らん!」
ネオセカンド2世は荒い息を吐く。
「ならば」
しばらく考え。
「もっと魔物を放て」
「…………」
側近たちが黙る。
「聞こえなかったのか?」
「陛下」
「なんだ!」
「それが……」
「なんだ!」
「薬が」
側近が答える。
「残り少なくなっております」
「なら作れ!」
「作れません」
「…………」
ネオセカンド2世が止まった。
「何?」
「我が国には」
側近が慎重に言う。
「変異薬を製造する技術がございません」
「…………」
「現在使用している薬はすべて」
一拍。
「提供された物です」
「そんなことは知っている!」
「では」
「また貰えばよい!」
「しかし」
側近が顔を上げる。
「我々は」
「…………」
「あの薬を提供した者が、何者なのかすら把握しておりません」
静寂。
「何?」
ネオセカンド2世が。
ゆっくりと側近を見る。
「どういう意味だ」
「向こうから接触してきたのです」
「…………」
「魔物を強化する薬がある」
「…………」
「スギルヨワ王国を弱らせたいなら役に立つ、と」
「それだけか?」
「はい」
「どこの国の者だ?」
「分かりません」
「名前は?」
「偽名かと」
「目的は?」
「……分かりません」
「…………」
ネオセカンド2世は。
初めて。
少しだけ黙った。
その時。
「陛下!」
兵士が飛び込んでくる。
「何だ!」
「城門に」
「誰だ!」
「それが……」
兵士が戸惑う。
「以前、薬を持ってきた者が」
「…………!」
ネオセカンド2世が立ち上がる。
「なんだと?」
「陛下への謁見を求めております」
「通せ!」
しばらくして。
一人の人物が部屋へ入ってきた。
深いローブ。
顔はよく見えない。
「お久しぶりでございます」
「貴様!」
ネオセカンド2世が指を差す。
「ちょうどよいところに来た!」
「何かお困りですか?」
「薬だ!」
「…………」
「もっと寄越せ!」
ローブの人物は。
少しだけ笑った。
「やはり」
「何?」
「必要になりましたか」
「あるのか?」
「もちろん」
男が。
小さな箱を置く。
「以前のものより」
蓋を開く。
中には。
赤黒い液体の入った小瓶。
「さらに強力なものをご用意しました」
「おお……!」
ネオセカンド2世の目が輝く。
だが。
側近の一人だけが。
ローブの人物を見ていた。
「一つ聞きたい」
「なんでしょう?」
「なぜ」
側近が尋ねる。
「そこまで我が国に協力する?」
「…………」
ローブの人物は。
しばらく黙った。
そして。
「協力?」
小さく笑う。
「ええ」
「もちろん」
一礼。
「我々は、ネオセカンド王国の成功を願っております」
それ以上。
何も答えなかった。
誰も知らない。
ネオセカンド王国が。
スギルヨワ王国を利用しているつもりで。
自分たちもまた――
何者かに利用されていることを。




