第2話 絶望のステータス
「それは知ってるわ!!」
誰もいない草原に、タローの叫び声が響き渡った。
返ってくるのは、風に揺れる草の音だけ。
目の前には、何度見ても変わらない文字が浮かんでいる。
【職業:生物】
「いやいやいや……」
タローは半透明の板を両手で掴もうとした。
当然、手はすり抜ける。
「待て待て。落ち着け、俺」
深呼吸する。
神様は言っていた。
チート級の職業やスキルを与えることができなくなった、と。
つまり勇者や剣聖のような職業ではないことは、ある程度覚悟していた。
戦士。
剣士。
騎士。
百歩譲って、村人。
最悪、無職。
それくらいなら納得できる。
「でも生物は職業ちゃうやろ……」
タローは頭を抱えた。
会社員時代に職業を聞かれて、
『生物です』
などと答えたことは一度もない。
「神様、絶対ふざけたやろ」
あの老人の笑顔を思い出す。
妙に楽しそうだった。
「……いや、まだや」
タローは顔を上げた。
「職業があかんだけかもしれん」
そうだ。
異世界では職業だけがすべてではない。
少なくとも、タローが今まで読んできた物語ではそうだった。
職業は普通でも、とんでもない固有スキルを持っている。
あるいはステータスの数値だけが異常に高い。
そんな主人公はいくらでもいた。
「スキルや」
タローの目に希望が戻る。
「神様も最低限の調整はしたって言うてたしな」
もう一度ステータスへ視線を落とす。
職業《生物》の下。
そこにはスキルの項目があった。
「来い……」
タローは祈るように両手を合わせた。
「剣聖とかはいらん。もう贅沢言わん」
少し考える。
「いや、剣聖は職業か」
首を振る。
「とにかく強いやつ!」
恐る恐る視線を下げる。
【スキル】
《相づち Lv3》
《聞き上手 Lv4》
「…………」
タローは無言になった。
風が吹いた。
さっきから風だけが妙に気持ちいい。
「……終わり?」
表示を下へ動かしてみる。
他にはない。
「二個?」
もう一度見る。
【スキル】
《相づち Lv3》
《聞き上手 Lv4》
「営業マンのままやないか!」
再び草原に叫び声が響いた。
「異世界来てまでなんで客の話聞かなあかんねん!」
タローは地面に膝をついた。
「せめて剣術とか! 身体強化とか! 火魔法とか!」
ない。
何度見てもない。
「しかもなんで相づちレベル三やねん!」
そこも気になる。
「三十四年生きてきて三!?」
聞き上手はレベル四。
微妙にこちらの方が高い。
「……大森さんの話三時間聞いたからか?」
そんな馬鹿な。
だが、もし現代での経験がスキルに反映されているのなら、あり得なくもない。
タローは《聞き上手》の文字を指で触れてみた。
すると、小さな説明が表示された。
【聞き上手 Lv4】
【相手の話を自然に聞くことができる。会話中、相手に与える不快感をわずかに軽減する】
「…………」
弱い。
圧倒的に弱い。
戦闘では何の役にも立たない。
続いて《相づち》を見る。
【相づち Lv3】
【会話中、適切なタイミングで相づちを打ちやすくなる】
「打ちやすくなるってなんやねん」
能力ですらない気がしてきた。
「こんなん自分でやるわ!」
タローは頭を抱えた。
異世界転移。
その言葉から抱いていた夢が、音を立てて崩れていく。
だが。
「……まだや」
タローは立ち上がった。
諦めが悪い男だった。
「魔法がある」
神様は確かに言っていた。
この世界には魔法が存在する。
職業が《生物》でも。
スキルが《相づち》と《聞き上手》でも。
魔法さえ使えれば話は変わる。
「そうや。魔法使いや!」
剣なんて使えなくてもいい。
遠距離から炎を放てばいい。
雷でもいい。
風でもいい。
「むしろ魔法の方がカッコええまである」
急速に立ち直る。
こういうところだけは昔から早かった。
「魔法適性は……」
ステータスをさらに下へ。
【魔法適性:なし】
「…………」
タローは静かに表示を閉じた。
そして、その場に寝転んだ。
「帰りたい」
異世界に来てから、まだ一時間も経っていない。
「神様。俺やっぱ帰るわ」
空を見上げる。
青い空。
白い雲。
巨大な鳥。
返事はない。
「聞こえてるやろ?」
当然、返事はない。
「絶対聞こえてるって」
沈黙。
「……あのジジイ」
タローは大きく息を吐いた。
しばらく空を眺める。
こうしていると、不思議なほど平和だった。
異世界。
夢にまで見たわけではない。
それでも、物語を読んでいる時に、
『もし自分が行ったら』
くらいは考えたことがある。
強力な能力を手に入れて。
モンスターを倒して。
困っている人を助けて。
もしかしたら英雄になったりして。
そんな想像。
「現実は《生物》か……」
タローは苦笑した。
考えてみれば、自分らしい。
元の世界でもそうだった。
特別な才能なんてなかった。
勉強も普通。
運動も普通。
営業成績も普通。
異世界に来たからといって、突然何かが変わると思っていた方がおかしいのかもしれない。
「……まあ」
タローは身体を起こした。
「生きてるだけマシか」
職業どおりである。
「生物やしな」
自分で言って、少し笑った。
落ち込んでいても腹は満たされない。
財布の中に日本円は入っているが、この世界では使えないだろう。
食料もない。
水もない。
まずは人がいる場所を探す必要がある。
「その前に……」
タローはもう一度ステータスを開いた。
「一応、数字も見とくか」
正直、嫌な予感しかしない。
だが自分の能力を把握しておく必要はある。
【名前:タロー】
【種族:ヒト族】
【年齢:20】
【職業:生物 Lv1】
【筋力:12】
【耐久:11】
【敏捷:13】
【知力:14】
【精神:15】
【魔力:0】
【器用:16】
【洞察:17】
【判断:14】
【スキル】
《相づち Lv3》
《聞き上手 Lv4》
【魔法適性:なし】
「…………」
タローはじっと数字を眺めた。
「これ、強いんか弱いんか分からんな」
比較対象がない。
ただ、一つだけ分かる。
「魔力ゼロは絶対弱いやろ」
綺麗なゼロだった。
もしかしたら魔法適性以前の問題なのではないだろうか。
「神様、もうちょいサービスしてくれてもよかったやろ……」
タローはため息をついた。
だが、よく見ると気になることもある。
「洞察十七……」
他より少し高い。
「俺、そんな人を見る目あったかな」
営業をしていたからかもしれない。
器用も十六。
精神十五。
逆に筋力や耐久は低い。
「まあ、二十歳の身体になっただけで、中身は俺やもんな」
妙に納得した。
ちなみに――。
タローは知らない。
この世界において、成人したヒト族の初期能力は、おおむね十から二十程度。
つまりタローの能力は、
本当に普通だった。
神様が意地悪をして低く設定したわけでもない。
逆に隠された超能力が数値に現れているわけでもない。
見事なまでの平均。
ただし。
このステータスには表示されていないものが二つ存在していた。
神が最後にこっそり与えたもの。
そして――。
神ですら把握していない、タロー自身が元々持っていたもの。
今のタローが、それを知る術はない。
「よし!」
タローは両頬を叩いた。
「とりあえず町探そ!」
考えても仕方がない。
このまま草原で寝ていれば、そのうち腹が減る。
夜になれば何が出るかも分からない。
幸い遠くに道らしきものが見える。
「道があるなら、どっかには繋がってるやろ」
タローは歩き始めた。
身体が若返っているからか、足取りは軽い。
草原を抜け、細い道へ出る。
「しかし……ほんまに異世界なんやな」
改めて周囲を見る。
遠くには見たことのない植物。
空には巨大な鳥。
道には車のタイヤ跡などなく、代わりに車輪らしき跡が残っている。
「馬車とか走ってるんかな」
少しだけワクワクが戻ってきた。
能力は残念だった。
それでも異世界は異世界だ。
「せっかく来たんやし、楽しむしかないか」
そう呟いた時だった。
道の少し先。
草むらがガサガサと揺れた。
「ん?」
タローが足を止める。
何かいる。
「動物?」
警戒しながら近づく。
すると草の間から、青く透き通った丸い何かが飛び出してきた。
ぷるん。
「…………」
ぷるん。
半透明。
丸い身体。
ぴょこぴょこと跳ねている。
どう見ても――。
「スライムや!」
タローの目が輝いた。
知っている。
異世界ものではお馴染み。
多くの場合、最弱。
初心者が最初に戦うモンスター。
タローは周囲を確認した。
誰もいない。
目の前には一匹のスライム。
「来た……」
口元が緩む。
ステータスは平凡。
職業は《生物》。
魔法も使えない。
しかし。
「さすがにスライムには勝てるやろ」
タローは地面に落ちていた太めの木の枝を拾った。
武器としては頼りない。
それでも相手はスライムだ。
「ゲームやったら最初の経験値や」
木の枝を両手で構える。
スライムが、ぷるんと跳ねた。
「悪いな」
タローは笑った。
「俺の異世界生活、最初の一歩になってもらうで」
この時のタローは、まだ知らなかった。
自分がこの世界でどれほど平凡なのかを。
そして――。
目の前のスライムを、少し甘く見すぎていたことを。




