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勇者パーティを追放されたので魔王様に忠誠を誓いました。  作者: tomato.nit
踊る境界線

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69話 泳がせる

 男の筆は、止まる気がなかった。


 俺の拘束確認を書き、そのまま次の行へ落ちる。


 会談決裂。


 証言確認待ち。


 まだ誰も口にしていないことまで、先に紙の上へ置いていく。


「どこまで書くつもりだ」


 思わず言うと、男は顔を上げずに答えた。


「確認記録は一枚で済ませた方が早いので」


「確認してない項目まで好き勝手に書くのは確認って言えるのか?」


 俺が言うと、男はようやく少しだけ眉を動かした。


「結果が見えているのですから同じことです」


「今度はよく喋るね」


 セレネは机の端へ寄りかかるように立っていた。


「それがあんたの手口ってわけだね」


 男の筆先が次の欄へ滑る。


 人間側負傷兵、内通疑い。


 交渉者セレネ、単独判断により処理。


 処理、の二文字だけ小さかった。


 そこだけ、筆圧が浅い。


「お前の独断まで、そこへ入るのかい」


 セレネは鼻で笑った。


 男の手が、その一言でほんの少しだけ止まる。


 止まったまま、視線だけが確認者の空欄へ落ちた。


 俺は机の向こうの控えを見た。


 まだ綴じてもいない紙が一枚ある。


 上だけ埋まって、下は白い。


 レイネの笛が、外で一度だけ短く鳴った。


 セレネは反応しない。


 だが、右手の指先が杖の柄をとんと叩いた。


 男が書き終えて、砂を振ろうとした時だった。


 戸が開く。


 外で待機していた若い兵が紙を持って入ってきた。


「セレネ様、治療室より確認です」


 男の顔が、そこでぴくりと上がった。


 セレネは紙を受け取らない。


「読みな」


 兵は紙を開いた。


「負傷兵ラーデン、治療室にて確認。歩行不能。レイネ、リュシオン麾下二名確認」


 男の筆先から、砂が机に落ちる。


 今度は手が止まった。


 止まったまま、紙だけを自分の方へ半寸引く。


「確認先の署名は」


 小さくそう言ってから、自分でも遅いと分かった顔をした。


 セレネが口元だけで笑う。


「ほら、止まった」


 俺はその顔を見た。


 ようやく、紙の向こうにいた奴がこっちを見た。


 さらに戸の外から、今度は二度短く合図が来る。


 魔族側だ。


 セレネは戸口へ顎をしゃくった。


「入れてやりな」


 人間側の兵が戸口を開けると、外から小さな札が滑り込んできた。


 魔王軍側の伝達札。


 兵が拾い上げて読む。


「アードゥ・テイカー、会談時刻、武器なし。魔王軍にて確認済み」


 机の上の紙が、急に薄っぺらく見えた。


 急いで塗った墨だけが、やけに浮いている。


 男の親指が、空いていた確認者の欄を隠した。


 セレネが机の上の記録を指先で叩く。


「そこ」


 男は答えない。


「まだ空いてるじゃないか」


「埋めないのかい?」


 俺は椅子に縛られたまま、ようやく息を吐いた。


「これでようやく釣れたんだな。魚じゃなくて、紙だけど」


 セレネがこちらを見る。


「坊主よりましだろ?」


 男は筆を置かない。


 空いている欄。そこに誰の名前を埋めるべきか。


 まだ選択の余地はあるらしい。


「時刻差の可能性がありますな」


 しかし、歯切れは悪い。


 その時。伝令を押しのけレイネが入ってきた。


 机の記録を一瞥した。


 それから男の手元を押さえる。


「ここまでです」


 男は抵抗しなかった。


 諦めなのか。まだ策があるのかは分からない。


 荷を改めると、脇の内ポケットから灰色封が一通出てきた。


 封の角は少し潰れている。


 でも宛先ははっきりしていた。


 ハーゲン。


 その名を見た瞬間、喉の奥が熱くなった。


 セレネが封をつまみ上げる。


 表には件名まで書かれていた。


「境界接触、次段階へ」


 短く読み、鼻で笑った。


「親切だね。次にどこに行けば釣りができるか書いてあるじゃないか」


 俺は封から目を離せなかった。


 封の角が指に食い込む。


 戻るしかなかった。



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