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勇者パーティを追放されたので魔王様に忠誠を誓いました。  作者: tomato.nit
踊る境界線

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62/70

62話 武器なしの馬鹿

 境界林の朝は、湿った土と若い葉の匂いが濃かった。


 俺はその真ん中で、武器も持たずに立っていた。


 両手は肩より少し上。掌まで見えるように開いてある。剣も短剣もない。荷袋も置いてきた。もし今ここで射られたら、避けるより先に死ぬ。


 背中側の林には、気配だけがある。


 ヴェラか、ゲルデか、あるいは両方だ。


 見えない位置で、ちゃんと見ている。


 正面には人間側の弓兵が二列。矢羽根の並びだけで、どのくらい緊張しているか分かる。その後ろにレイネ。さらに奥、白銀の鎧のそばだけ空気が少し硬い。


 リュシオンだ。


 その列の前へ、セレネが出てきた。


 杖を持ったまま、真っすぐ歩いてくる。昔より痩せたとか、疲れているとか、そういう感想より先に、ああ、本当に生きていたんだな、と思った。


 同時に、喉がひりつく。


 怖い。


 人間側の矢も怖いが、今はこいつの最初の一言の方がたぶん怖い。


 セレネは境界線の手前で止まった。


 俺を頭から足先まで見て、それから低く言う。


「こんなところまで、本当に武器も持たずに来たんだな」


 俺は両手を上げたまま、少しだけ笑った。


「できれば生きて帰りたいから、お手柔らかに頼む」


 セレネは笑わない。


「しばらく見ないうちに、随分と図太くなったじゃないか。なあ?」


「今だって怖いよ」


 正直に言うと、自分でも少しだけ楽になった。


「でも、この状況でお前まで敵に回すわけにはいかない。今は、それだけだ」


 セレネの目が細くなる。


 怒っているのか、測っているのか、その両方かもしれない。


「ふん。その度胸だけは買ってやるよ」


 そこでようやく、少しだけ息が入った。


 俺はゆっくり片膝をつき、持ってきた紙を地面へ置いた。魔王軍側の空欄つき命令書の写し、ハーゲンの鍵の拓本、死者名義で動いた命令の控え、セレネに送った手紙の控え。どれも軽い紙なのに、地面へ置く指先だけが妙に重い。


「こっちで見つかったものだ。写しだから、持っていってもらっていい」


 少し下がる。


 するとセレネも、自分の側の紙を地面へ出した。死んだ兵の名が補給受け渡し役に入っている命令、歩けない負傷兵が夜警に回されている命令、正規軍印つきだが持ち場と時刻と荷だけ後から入っている紙。境界線の上に、紙だけが並ぶ。


 人間も魔族も、まだ線を越えない。


 でも、紙だけは越える。


 妙な眺めだった。


 俺たちは顔を合わせるより先に、紙を見た。


 俺は人間側の命令書の端を見た。墨の濃さも、後から入った字の浮き方も、乾き方の鈍さも似ている。


「こっちは、余白を作ってから人を入れられてる」


 顔を上げる。


「そっちも同じか」


 セレネは補給命令の一枚を杖先で押さえた。


「同じ。死んだ奴の名前が、あとから補給役に入ってた」


 胸の奥が、嫌な納得で冷えた。


「じゃあ、少なくとも手口は一緒だ」


「あんたを信じたわけじゃない」


「分かってる。信じてくれなんて言えた義理じゃない」


 言ってから、少しだけ笑いそうになる。


「俺も、俺の立場を信じきれてない」


 セレネの眉が動いた。


「胸を張って言う台詞じゃないね」


 昔なら、ここでたぶんもっと軽口が続いていた。


 でも今は、その一往復で十分だった。


 レイネが、セレネの横へ半歩だけ進む。


「見せてください」


 セレネは止めない。


 レイネは境界線すれすれへ膝をつき、人間側と魔王軍側の紙を見比べた。指では触れず、目だけで順に追っていく。墨の濃さ、筆圧の揺れ、後筆の位置。


 沈黙が長い。


 後ろで弓兵の弦が小さく鳴る。背中側の林でも、誰かが枝を踏みかけて止まった気配がした。


 ようやくレイネが口を開く。


「墨の乾き方が似ています」


 セレネが顔をしかめた。


「つまり、同じ奴が噛んでる?」


「そこまでは断定できません」


 レイネの声は静かだった。


「書いた場所は違うはずです。それなのに、後から入れた部分だけ手順が同じです。墨の含ませ方、筆の返し、欄の埋め順。本人か、同じ仕組みの中にいる者か」


 俺は境界線の上の紙を見下ろした。


 敵味方で分かれているはずなのに、後から入った字だけが妙に仲がいい。


「俺たちは、何を追ってるんだろうな。同じなのか。違うのか。それも分からない」


 口にした途端、自分でちょっと嫌になった。


 セレネはもっと露骨に嫌そうな顔をした。


「気持ち悪い言い方すんな。……でも、否定できないのがもっと気持ち悪い」


 風が境界の上を抜ける。


 紙の端が、同じ向きに少しだけめくれた。


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