表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者パーティを追放されたので魔王様に忠誠を誓いました。  作者: tomato.nit
踊る境界線

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
61/70

61話 余白の外

 朝の詰所には、湿った紙と獣脂の匂いがこもっていた。


 境界へ運ばれる命令書は、たいてい夜のうちに束ねられる。見張りの交代、補給の受け渡し、負傷兵の移送。どれも地味で、遅れれば困るくせに、誰も英雄譚にはしない仕事ばかりだ。


 セレネは机の上へ広げられた紙束を見下ろしていた。


 懐には、まだ燃やしていない紙が二枚ある。


 アードゥから来た手紙と、昨日届いた短い警告だ。


 あとで燃やす、の「あと」が長すぎる。


「これ」


 レイネが一枚を抜いた。


「夜明け前に届いた補給命令です。正規軍の印があります」


 セレネは受け取る。


 紙質はいつもの軍用紙だ。乾き方も、折り目も、印もおかしくない。


 けれど、見ていると喉の奥に嫌なざらつきが残った。


「わざわざそんな言い方するってのはどこが変なんだ?」


「宛名です」


 レイネが指した先には、見覚えのある名前があった。


 昨夜、谷側の巡回で死体が見つかった若い兵だ。


 首筋を短く裂かれ、荷札だけを残して転がされていた。


 もう埋めた。


 なのに、その名が補給受け渡し役として書かれている。


「死んだ兵の名前が入ってる、のか」


 セレネの声は低かった。


「はい。しかも、ここだけ後筆です」


 レイネの爪先が、墨の濃さの違いを示す。


 持ち場も、時刻も、運ぶ荷も、そのあたりの字だけ少しずつ違っていた。


「わざわざ書き足せるようにしてるってことか」


 口にすると、胃の奥が冷えた。


 昨日の紙と同じだ。


 リュシオンは少し離れた場所で腕を組んでいた。白銀の鎧は今日もきれいだが、肩のあたりにはまだ境界の泥が薄く残っている。


「他にもあるか」


 短い問いだった。


 レイネはすぐ次の紙を出す。


「こちらは負傷兵の移送命令です。治療室にいる兵の名が、夜警へ回されています」


「歩けないのに?」


「今はどうか知りませんが、少なくとも昨夜の段階では」


 セレネは紙を机へ戻した。


 嫌だった。


 間違いでも書き損じでもない。ちゃんと仕事を知っている奴が、わざと余白を残し、誰かが死ねばその名前を入れ、倒れれば別の持ち場へ押し込む。


 人の顔ではなく、空いた欄の都合で動かしている。


「人を、都合のいいように当てはめてるのか」


 レイネは頷く。


「ええ。しかも、手順は完全に模倣されています」


 詰所の入口で、伝令兵が一礼した。


「セレネ様。北側監視から急報です」


「何」


「魔族側の境界林に、一人、立っています」


 部屋の空気が少し止まる。


 伝令兵は唾を飲み込んでから続けた。


「武装なし。両手を見せたまま動きません。夜明け前から同じ場所です。林の手前より内には入ってきていません。名は名乗っていませんが、紙を持っていると」


 セレネの指が、懐の上から紙を押さえた。


 レイネがすぐに聞く。


「距離は」


「矢が届く手前です。こちらが動くのを待っているように見える、と」


 リュシオンが視線を上げる。


「罠だ」


「そりゃそうでしょ」


 セレネは即座に返した。


 罠じゃない方が怖い。


 正規軍の印つき命令に死者名義が混じる朝だ。そんな日に境界へ立つ武装なしの使者なんて、まともなわけがない。


 でも、まともじゃないことと、会わない理由は別だった。


 レイネが静かに口を開く。


「昨日の手紙の件と、時期が合いすぎています」


「分かってる」


 分かっている。


 だから嫌なのだ。


 紙の向こうだけで気味悪がっていられなくなる。


 セレネは懐から灰色の封を出した。末尾の斜め三本を親指でなぞる。


 正規軍の印がある。


 でも、臭い。


 急げ。


 短い文だった。


 いつものぶっきらぼうな返書とは違う。急いで書き綴ったもの。


「セレネ」


 リュシオンの声が落ちる。


 止める声ではない。


 先に覚悟を置かせる声だ。


「行くなら、俺も出る」


「あんたが出たら、向こうが引くよ」


「引かなければどうする?」


「その時は、その時だよ」


 言ってから、少しだけ息を吐いた。


 考える前に口から出た返しだ。


 でも、今はきれいに考えている余裕がなかった。


 行くべきかどうかじゃない。


 この余白を作っている手が、どこまで同じなのかを確かめるしかない。


 しかも、その境界をまたげる人間は多くない。


 セレネは紙束を見た。死んだ兵の名が入った補給命令も、歩けない兵を夜警へ回す命令も、正規軍の印も、懐の中の燃えていない二枚の紙も、軽いくせに人を立たせて歩かせる重さを持っていた。


「私が行く」


 伝令兵が顔を上げる。


 レイネは何も言わない。


 リュシオンだけが、少しだけ目を細めた。


「行くと言い切るなら、理由を言え」


「あっちが、私を出せって書いてるようなもんだから。それじゃ不満?」


 自分で言って、少し腹が立つ。


 勘みたいな言い方だ。


 でも、本当だった。


「それに、あいつが関わってるなら、私が見た方が早い」


「アードゥか」


「たぶんね」


 言い切れないのが、また腹立たしい。


 でも、武装なしで境界へ立つ馬鹿なんて、そう何人もいない。


 レイネが治療具袋の口を結ぶ。


「では、私は後方で待機します。毒、術式、発火、幻惑、どれでも見ます」


「ありがと」


「お礼は、戻ってからで結構です」


 リュシオンが剣帯へ手をやった。


「弓兵を二列。森へ入るな。合図があるまで射つな」


 伝令兵が駆けていく。


 セレネは懐の紙をもう一度押さえた。


 燃やしていない紙ばかり増える。


 最低だ。


 詰所の外へ出ると、朝の風はまだ少し冷たかった。境界林の向こうは薄く白んでいる。そこに誰が立っているのか、まだ顔までは見えない。


 けれど、武器を持たずに立って待つ姿だけは見えた。


 昔、荷崩れした食料袋の前で立ち尽くしていた馬鹿を、少しだけ思い出す。


「……本当にあんたなら」


 声は風に紛れた。


 怒るのが先か、殴るのが先か、自分でもまだ分からない。


 それでも、セレネは境界へ向かって歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ