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勇者パーティを追放されたので魔王様に忠誠を誓いました。  作者: tomato.nit
踊る境界線

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60/70

60話 余白の命令

 夜明け前の記録室は、血の気だけが抜けたみたいに静かだった。


 机の上には昨夜の残りが並んでいる。濡れた札、空封、空欄つきの命令書、古い鍵。死んだ使い走りの服から出た、ハーゲンの名まである。


 軽い物ばかりだ。


 なのに、どれも人一人ぶんの重さを持っている。


 ヴェラは空欄つきの命令書を一枚持ち上げた。


「こいつらは、先に余白を作っている」


 紙の端が、灯りの下でかすかに鳴る。


「余白って、何の余白だ」


 ゲルデが眉を寄せる。


「宛名、持ち場、時刻、運ぶ荷。肝心なところだけを空けておく。あとから都合のいい者をそこへ入れるためだ」


 ヴェラの指が、空欄を順に叩く。


「記録を改竄しているだけではない。記録に合わせて、人を動かしている。消えた者、死んだ者、生きている者。その区別すら、あとから書き換えられるようにしている」


 リューネの顔がわずかに歪んだ。


「人を、帳面の部品にしてる」


「そうだ」


 ゲルデが舌打ちした。


「胸糞悪いどころじゃねえな」


 俺は命令書の端を指でなぞった。薄い紙の下に、昨夜の若い顔がまだ貼りついている気がする。あの細い足首も、泡を吹いた口も、きれいに消えてくれない。


 ハーゲンの名も同じで、死んだはずの男の鍵が今もここにある。


 死んだことにされた奴も、生きていることにされた奴も、同じ紙の上で入れ替えられる。


 扉が二度叩かれた。


 伝令兵が灰色の封を持って入る。糸二重。左巻き。


 末尾を見る前から、差出人は分かっていた。


 灰色の封には、短い文だけが入っていた。


『こっちも同じ。死者名義で命令が動いてる。正規軍の印がある。でも、臭い。急げ』


 末尾に斜め三本。


 セレネだ。


 ゲルデが低く唸る。


「人間側にも同じ手口か」


「同じだ」


 ヴェラは手紙を机へ置いた。


「魔王軍の内側だけではない。人間側にも、同じ余白が作られている」


 部屋の空気が少し変わる。


 内通の話じゃなくなる。


 魔族だけで帳面を締め直して終わる話じゃない。


 俺は机の上を見た。濡れた札も、空封も、空欄つきの命令書も、死んだはずの男の鍵も、セレネの手紙も、軽いくせに人を動かす重さを持っていた。


 その時、廊下の外で兵の靴音が揃って止まった。


 扉が開く。


 魔王様が入ってくる。


 紫の目が机上を一巡する。濡れた札、空欄つきの命令書、古い鍵、灰色の封。全部を見て、それから俺へ止まった。


「報告は受けた」


 静かな声だ。


 それなのに、部屋の奥までまっすぐ届く。


 俺は一歩だけ前へ出た。


「魔王様」


 自分でも驚くほど、声はまっすぐ出た。


「俺に行かせてください」


 部屋の空気が止まる。


 魔王様の紫の目が、こちらへ向いた。


「何をする気だ、アードゥ」


 咎める声ではなかった。


 確かめる声だった。


「セレネと会って、直接話してきます」


 ゲルデが顔を上げる。


「勇者側の女とか」


「はい」


 頷くと、喉がひどく乾いた。


 それでも、ここで止まる気はなかった。


「俺たちは今、誰と戦ってるのかも分かってない。でも、この相手は魔族だけでどうにかできる相手じゃないです」


 ヴェラも、リューネも黙っている。


「魔王軍の記録も、人間側の命令も、同じ手で触られてる。だったら、片方だけ見てたら駄目です。向こうで何が起きてるのか、セレネから直接聞きます」


 魔王様はしばらく俺を見ていた。


「貴様は、人間だ」


「はい」


「今も、そうか?」


 少しだけ答えに詰まった。


 でも、逃げるところじゃない。


「たぶん、今もです。でも、魔王軍の荷物持ちでもあります」


 魔王様はわずかに目を細めた。


「ならば運べ」


 短い間のはずなのに、次の言葉が聞こえるまでやけに長く感じる。


「そして、戻ってこい。貴様が見たもの、聞いたもの。そして、貴様自身も。すべてと一緒に」


 胸の奥が、痛いくらい強く鳴った。


「……はい」


 魔王様が去ったあともしばらく、部屋は静かだった。


 けれど、今度の静けさは重いだけじゃない。


 向く先ができた静けさだ。


 俺はセレネの手紙を見た。末尾の斜め三本は、昔、野営道具に付いていた小さな癖だ。


 勇者パーティを追い出された時、もう戻らないと思っていた線だ。


 今度は、そこへ向かう。


 誰かが作った余白を埋めるためじゃない。


 余白の外にいる人間と、話をするために。


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