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勇者パーティを追放されたので魔王様に忠誠を誓いました。  作者: tomato.nit
カイムと仕事と

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50/67

50話 追えない


 首が三つ、石床に転がっていた。


 紫の靄は消えた。補給搬入口の扉も閉じたままだ。


 なのに、ゲルデだけがいない。


 血と泥と、腐りかけた湿気みたいな臭いだけが残っていた。


 リューネはすぐに負傷兵へ膝をつき、傷の深い方から見ていく。杖は脇へ置かれていたが、手は止まらない。


「肩を見せて。そっちは後。動かないで」


 扉前の兵が息を荒くしながら頷く。


 さっきまで鳴っていた金属音が消えていた。


 血と泥の匂いだけが、そこに残っている。


 カイムはまだ暗い通路の先を見ていた。


 剣は下がっている。


 だが、切っ先だけは少し高い。


「追いますか」


 扉前を守っていた兵の一人が聞いた。


 カイムはすぐに答えた。


「追う」


「待って」


 リューネの声が入る。


「追いたい気持ちは分かるけど、今はここを立て直すのが優先」


「分かっています」


「分かってない」


 リューネは顔を上げなかった。


「今のまま追ってもダメだよ。みんな怪我してる」


 その言葉で、カイムの目が一度だけ動いた。


 それでも暗い通路からは離れない。


「……まだ遠くへは行っていないはずだ」


「でも、今の私たちも万全じゃない」


 俺は黙って床を見る。


 鎖が引かれた跡がまだ残っていた。


 血に濡れた石の上を、一本だけ長く擦っている。


 まっすぐじゃない。


 途中から妙に壁際だ。


 隠す気がない。


「これ、最初からだな」


 俺が言うと、カイムがこちらを見た。


「何が」


「ゲルデを持ってく流れだよ。たまたま崩れたんじゃない」


 俺は鎖の跡の先を指す。


「死兵で前を塞ぐ。傷ついた奴を残す。後ろの奴が足を取る。そこから引く。最初からそれやる気だったろ」


 カイムは答えなかった。


 代わりに、その擦れ跡の横へ膝をつく。


 鎖の金具が石へ当たった傷。


 血の量。


 引きずる時についた泥。


 全部、そこにある。


「……狙われたのか」


 小さく言ったのは、扉前の兵だった。


「ゲルデが無茶したからじゃなく?」


「無茶はした」


 リューネが言う。


「でも、それだけじゃない。傷ついた人が残るのを待ってた」


 カイムが立ち上がる。


「搬入口の鍵穴を見ろ。布切れも回収しろ。死兵の残りもそのままにするな」


「はい」


 兵たちが動き出す。


 誰も大きな声は出さない。


 さっきまでの勢いが、全部石に吸われたみたいだった。


 俺は扉の脇へ寄った。


 細い傷が増えている。


 細い傷が増えている。


 見て終わり、で済ませるつもりがない。


 布切れも、まだ落ちている。


 杖の先でひっくり返すと、小さな印が裏に残っていた。


 見取り図の断片で見たやつと同じだ。


「なあ、これ」


「分かっている」


 カイムは見ずに答える。


「旧水門にしろ、ここにしろ、完全に構造が漏れてる」

「分かっていると言っている」


 二度目は、さっきより低かった。


 その時、通路の奥から足音が来た。


 速い。迷わない。外套の裾が石壁を掠める音。


 ヴェラだった。


 旧水門側を押さえ切ってきたのだろう。外套の裾には泥がつき、剣にはまだ湿った赤が残っている。


「状況を言え」


 息は乱れていない。


 カイムが振り返る。


「補給搬入口前で交戦。人間側五。こちら三。途中で死霊術を確認。死兵三を再起動されました」


「敵は」


「二人逃走。うち一人は昼間、水路で交戦した男です」


「被害は」


 そこで、一瞬だけ間があった。


「……ゲルデが捕縛されました」


 ヴェラの目が細くなる。


 だが、それだけだ。


「負傷者」


「軽傷二。リューネ殿が処置中です」


「搬入口」


「未突破。しかし、鍵穴と扉前には細工跡。印付きの布切れも回収済み」


 ヴェラは扉、床、転がった首、靄の残り、兵の傷、全部を順に見た。


 最後に、暗い通路の先へ視線を向ける。


「追ったか」


「まだです」


「そうか」


 短い返事だった。


 だが、その短さが、余計に詰まる。


 カイムが一歩出た。


「ヴェラ様。今ならまだ遠くありません」


 ヴェラは何も言わない。


「搬入口と旧水門の線も見えています。ここで追えば、連れ去られた先まで届く可能性があります」


「可能性だな」


「はい。ですが、ここで見失えば次はありません」


「ある」


 ヴェラの声が落ちる。


「今やるべきは追撃ではない。搬入口を閉じることだ」


「しかし――」


「全体を見ろ。今はここを抜けられないことが肝心なはずだ」


 カイムの口が閉じる。


 カイムの視線は、まだ暗い通路から動かない。


「まだ生きているかもしれないんですよ」


 声が少しだけ低くなる。


「今なら、助けられるかもしれない」


「かもしれない、で搬入口を空けるのか」


 ヴェラの目が、仮面の奥でさらに細くなる。


「では、ゲルデは置いていけと?」


 そこまで言ってから、空気が変わった。


 兵も、俺も、リューネも、一瞬だけ手を止めた。


 ヴェラは動じない。


「置いていく判断ではない」


「同じです」


「違う」


 低い声だった。


「今、城を開ける方が多くを失う」


「だからといって――」


「助けたいなら、なおさら順を守れ」


 カイムはすぐに返さなかった。


 暗い通路の先と、ヴェラの顔を、行き来もしないで見ている。


 その時、リューネが立ち上がった。


「負傷者もいる。搬入口もまだ危ない。気持ちは分かる。でも順番がある」


 カイムは何も言わない。


 言い返したら、壊れるところまで来ている顔だった。


 ヴェラが扉前の兵へ向く。


「搬入口の封鎖を強めろ。見張りを倍にする。旧水門との間も洗え。印、鍵穴、布、死兵の残り、全部記録へ回せ」


「はっ」


「夜明け前に逆追跡の小隊を出す。それまでは誰も勝手に動くな」


 命令が落ちるたび、兵は動き出す。


 正しい。


 分かる。


 でも、それで追いつかないものがあるのも分かる。


 カイムは小さく頷いた。


「……承知しました」


 リューネはまた膝をつき、傷を見始める。


 ヴェラは次の指示のために兵を呼ぶ。


 俺だけが、一歩遅れてカイムを見た。


 こいつだけ、まだ立っている。


 搬入口の前でも、兵の横でもない。


 ゲルデが引きずられていった跡の前だ。


 鎖が擦れた細い線。


 血が乾きかけた石。


 そこから先の暗がり。


 カイムは、そこを見たまま動かない。


「カイム」


 呼ぶと、少し遅れて目だけが動いた。


「何だ」


「……大丈夫か」


「大丈夫に見えるか」


 返事が早すぎた。


 そのあと、自分でもまずいと思ったのか、少しだけ目を伏せる。


「いや」


 俺はそれ以上言えなかった。


 カイムはもう一度、暗がりを見る。


「今なら、まだ遠くない」


 小さかった。


 だが、その言葉だけは、石壁にひっかからずに耳へ残った。


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