49話 死兵
死体が立ち上がる。
それだけで、補給搬入口の空気が一度止まった。
さっきまで床に転がっていたはずの人間の兵が、紫の靄をまとったまま、ぎこちなく首を持ち上げる。肩口を裂かれた男も、膝を割られた奴も、血を垂らしたまま立っていた。
息はない。
喉も鳴らない。
それでも鎧だけが鳴る。
「アードゥ、あの魔法知ってる?」
「いや、俺だって初めて見る。なんだよ、あんな悪趣味な魔法。おとぎ話のレベルだろ」
死体を操る魔法。
すごく嫌な感じがする。
「カイム、気を付けて。そいつら普通じゃない」
リューネの忠告。
「言われずとも」
カイムが剣を交える。
「重いな」
斬ったはずの肩が止まらない。
血を流したまま、ただ前へ来る。
半身で受けても重い。
押し返した分だけ、鈍く前へ出てくる。
「そいつら痛みなんか感じてないぞ!」
「見れば分かる! 皆、技で勝っても無意味だ。一気に落とせ!」
カイムの指示で、ようやく後ろの三人も動き出す。
狭い搬入口だ。
扉を背にしたまま押し込まれれば、そのまま中へ雪崩れ込まれる。
「俺がこっちを抑える。お前ら二人はそいつを!」
そして二人がかりで、一人の死兵を落としにかかる。
「カイム! 俺とお前、どっちが先にこいつの首を落とせるか、勝負だ」
「負けたら今夜の酒はお前持ちだ!」
「ゲルデか。いいだろう、負けても後悔するなよ!」
カイムとゲルデは、攻めの速度を一気に上げていく。
灯りの下で刃が白く跳ねた。
死兵の腕が鈍く振り下ろされる。
カイムはそれを半歩で外し、返しで膝裏を裂く。ゲルデは真正面から踏み込み、首元を狙って斬り上げた。
だが。
「ぐあっ!」
ゲルデの胸の鎧が深々と切られる。
傷自体は浅いだろうが、音が嫌だった。
鉄を裂いたあとに、肉が遅れて鳴る。
「下がって!」
リューネの声が飛ぶ。
だが、ゲルデは歯を剥いた。
「こんなもん、かすり傷だ! まだ退くわけねえだろうが!」
一層、攻めに勢いが増す。
リューネの杖先には、もう回復の光が溜まっている。
それでも、ゲルデは下がらない。
その様子を眺める、背後の二人。
あいつらがどう動くか。下手に離れればリューネが危ない。
俺は動けないまま、ただ、成り行きを見守るしかない。
「リューネ殿、ゲルデではなく右だ!」
カイムの声。
リューネの光が、扉前の兵へ飛ぶ。
肩を裂かれていた魔族兵が息を吹き返し、踏み込み直す。
その隙に、ゲルデがまた前へ出た。
「だから下がってって――」
リューネの声が、今度は少し強い。
だが、ゲルデは聞かない。
死兵の腕を受け、押し返し、無理やり首元へ刃をねじ込もうとする。
そこへ、生きていた方の二人が動いた。
昼間の男ではない。
もう一人。後ろへ下がっていた奴だ。
ずっと死兵の陰にいた。
最初から、そこを狙っていたみたいに距離を詰める。
腰から細い鎖のついた金具を抜く。
「ゲルデ、横だ!」
叫んだ時には遅かった。
金具が投げられる。
死兵の肩越しに回り込み、ゲルデの足へ絡んだ。
次の瞬間、立ち上がった死兵が前から押す。
重い。
ゲルデの体勢が崩れる。
「うおっ――!」
「下がれ!」
カイムが飛び込む。
剣は届く。
届くはずだった。
だが、もう一体の死兵が間に入った。
腹を裂かれても止まらない。鈍い音を立てて剣を受け、そのまま体ごとぶつかってくる。
カイムの足が半歩ずれる。
その半歩の間に、鎖が引かれた。
ゲルデの片足が跳ねる。
血で滑った石床を、背中から引きずられていく。
「ゲルデ!」
今度のカイムの声は、少し違った。
短い。
だが、深い。
カイムは死兵の肩口を斜めに断ち切り、そのまま強引に踏み込む。
けれど、昼間の男がそこへ割って入った。
「邪魔です」
「貴様がな!」
刃がぶつかる。
高い音が、狭い搬入口の石壁に何度も跳ねる。
その間にも、ゲルデは引かれる。
死兵が一体、もう一体と壁になる。
リューネが光を飛ばす。
俺も短剣を抜く。
だが、届かない。
「アードゥ、リューネ殿から離れるな!」
カイムの声が飛ぶ。
飛んできたのは正しい指示だ。
だから余計に腹が立った。
目の前で持っていかれてるのに、こっちはそこを動けない。
「くそっ……!」
俺が踏み出しかけた時、リューネの杖が脇に入った。
「駄目!」
次の瞬間、俺がいた場所を死兵の剣が薙いだ。
遅れていたら腹が裂けていた。
リューネの光がそいつの足元を弾く。
「前見て!」
言い返せなかった。
その間に、ゲルデの姿が死兵の向こうへ消えた。
「……っ」
カイムが息を呑む音がした。
ほんの一瞬。
そのあと、声が戻る。
「全員、扉前を離れるな! 死兵から先に落とす!」
命令だけは崩れない。
だが、返しが早い。
いつもなら半歩置くところを、そのまま踏み込んでいる。
「リューネ殿、左を止めろ!」
「分かってる!」
杖の先から走った光が、死兵の膝を撃ち抜く。
片足を砕かれた死兵がようやく沈む。
そこへカイムが踏み込み、首を落とした。
紫の靄がそこで一度だけ跳ねる。
「首だ! 首を落とせば止まる!」
後ろの兵が吠える。
残る二体へ、一斉に刃が集まった。
肩を裂かれていた兵が槍で足を払う。
扉前を守っていた兵が、体ごとぶつかる。
カイムの剣が最後に走った。
首が飛ぶ。
石床へ転がる。
ようやく、二体目が止まった。
残る一体は、もう死兵というより肉の塊みたいに崩れながら、それでも腕だけを振っていた。
気味が悪い。
だが、もう押し切れる。
「終わらせるぞ!」
カイムが低く言う。
兵たちが応じる。
最後の一体も、首を落とされてようやく沈んだ。
靄が消える。
嫌な生ぬるさだけが、搬入口の前に残った。
荒い息が重なる。
血の匂いと、腐りかけた湿気みたいな臭いが、まだ離れない。
俺はすぐ周りを見た。
首は三つとも石床に転がっている。
扉も閉じたままだ。
なのに、ゲルデだけがいない。
「……ゲルデ」
誰かが呟いた。
カイムは返事をしなかった。
ただ、死兵の向こう、暗い通路の先を見ている。
追いたい顔だった。
でも扉前には負傷兵がいる。リューネもいる。搬入口を空けるわけにもいかない。
ここで追えば、また崩れる。
「カイム」
リューネが呼ぶ。
珍しく、すぐには返事がない。
「カイム!」
「……分かっている」
低い声だった。
「今は追わない」
その言い方が、妙に硬い。
まるで、自分に言い聞かせてるみたいだった。
リューネは負傷兵へ駆ける。
俺は暗い通路を見た。
ゲルデは連れていかれた。
死兵は全部落とした。
それでも、一人持っていかれた。
勝ったのに、勝った感じがしない。
カイムは剣を下ろさない。
切っ先の先にまだ何かいるみたいに、暗がりを見ていた。
「また、間に合わなかった」
小さかった。
けれど、確かにそう聞こえた。




