45話 遭遇
水路の先に、一つの足音。
それを、俺たちは急いで追った。
「待て!」
カイムの声が水路に響く。
暗い壁に反響したその声が消えるより先に、先を行く足音がぴたりと止まった。
「こんなに早く追いつかれるとは、正直予想外でしたよ」
声は落ち着いていた。
暗がりの奥、崩れた石の向こうから聞こえる。
「あんた、人間だろ? なんでこんなところに居るんだよ」
「アードゥ・テイカー。それはあなたも同じなのではないですか?」
向こうは俺のことも知っているらしい。
勇者パーティってのは、正規軍の中でもかなり特殊な立ち位置だ。その構成、しかも俺のことまで知っているとなると、ただの末端ではない。
「あんた、随分情報通なんだな」
「誉め言葉として受け取っておきましょう」
「問答はいい。貴様の目的はなんだ。答えろ」
カイムの声が隣から落ちた。
「魔族と話す口など持ちません」
さっきまでとは違う声だった。
冷えた、見下すような声。
「奇遇だな。僕もだ。だが、しゃべってもらう」
その瞬間、カイムと足音の主が同時に動いた。
ようやく相手の姿が見える。
前に見た、正規兵を模した偽物の鎧。
それを覆い隠すような外套。
そして、その左肩は大きく血で染められていた。
「やっぱりお前か」
答えはない。
代わりに、刃だけが来た。
細い。
だが速い。
カイムの剣がそれを弾く。火花が散り、水路の壁に一瞬だけ光が跳ねた。
「遅い!」
カイムの剣が次々と繰り出される。
踏み込みが深い。
押しているようには見えた。
だが、相手は崩れない。
受けるたびに少しずつ下がっている。なのに、嫌な感じだけが残る。
「あの人、まだ何か隠してる」
隣のリューネも同じ感想らしい。
「やはり、魔族と一対一は厳しいですね」
外套の奥から、そんな声が返る。
息は上がっていない。
「カイム! 気をつけろ、何かまだ隠してる!」
「分かっている。君もリューネ殿を守るくらいはして見せろ」
何を。
そう思った瞬間、背後から風を切る音が響いた。
反射で短剣を抜く。
刃先に、重い衝撃が走った。
「もう一人いたか!」
振り返る。
黒い水路の壁に、別の影が張りついていた。低い。細い。最初の相手より軽い装備。こっちは鎧すらまともに着ていない。
短剣を受けた刃が、嫌な音を立てて滑る。
「退いて! アードゥ!」
脇からリューネの魔法が飛ぶ。
淡い光が水路を裂く。
だが、そのもう一人は鬱陶しそうに身をひねっただけで躱した。避けるというより、最初からそこにいなかったみたいに流れた。
「もう一人行ったぞ!」
そいつは俺たちを抜け、カイムの方へ向かう。
一直線だった。
「カイム!」
カイムが一人目を押し込みながら、半歩だけ体を開く。
そこへ二人目の刃が入る。
普通なら、挟まれて終わる。
だが、カイムは止まらなかった。
押し込んでいた相手の剣を、逆に踏み台みたいに弾く。体を返し、二人目へ肘打ちのように柄頭を叩き込んだ。
鈍い音。
二人目の影が壁にぶつかる。
「っ……」
声は小さい。
だが、人間のものだった。
一人目がそこへ踏み込む。
カイムは受ける。
受けながら、さらに前へ出る。
普段なら、こんな追い方はしない。
「カイム、出すぎだ!」
「黙っていろ!」
リューネの杖が低く唸る。今度は広くではなく、狭く、壁際へ魔力が走った。二人目が嫌そうに足をずらす。
「カイム、やっぱり変だよ。この人達全然本気じゃない」
リューネが険しい視線のまま、二人を見る。
「リューネ殿にもそう見えますか。吐け。目的はなんだ」
しかし、カイムのその言葉は、涼しく受け流される。
「偉そうな事を言った割には、口だけですね」
その瞬間だった。
二人目が壁際から何かを投げた。
小さい。黒い。
煙筒。
「リューネ!」
叫ぶより先に、白い煙が狭い水路で膨らんだ。
目に刺さる。
息が詰まる。
ただの目潰しじゃない。匂いがある。追跡を乱す時の、あの嫌な薄さ。
「下がって!」
リューネが俺の腕を引く。
同時に、前で金属音が二つ鳴った。
カイムがまだ斬り結んでいる。
「カイム、戻れ!」
「まだ――」
「戻れ!」
煙の向こうから、短く舌打ちが聞こえた。
次の瞬間、二つの足音が同時に退く。
逃げた。
カイムが煙を切るように一歩前へ出る。
その足元へ、何かが転がった。
金属音。
小さな留め具だった。
偽装鎧の肩を止める金具。そこに、見覚えのない刻印がある。正規軍のものではない。教会の印にも見えるが、潰されていてはっきりしない。
「待て!」
カイムがさらに追おうとする。
俺はその腕を掴んだ。
「行くな!」
「離せ!」
「餌だ!」
言った瞬間、煙の向こうの足音が止まった。
「……そういうことですか」
煙の奥から、一人目の声だけが返る。
「思ったより早い」
次の瞬間には、足音が遠ざかっていた。
今度こそ、本当に離れていく音だった。
煙が薄れる。
水路には、俺たち三人と、転がった金具だけが残った。
カイムは振り払わなかった。
だが、まだ前を見ている。
「……あいつら、俺たちを止めたんじゃない」
喉が少し焼ける。
「見に来たんだ。誰が追って、どこまで来るか」
リューネが小さく頷く。
「うん。たぶん、そう」
カイムはしゃがみ込み、金具を拾った。
指先にまだ力が入っている。
「上げる」
それだけ言った。
水路の奥には、まだ血の匂いが残っていた。




